バシッ、バン、ドッ――パンチを打ち込む度にサンドバッグから鈍い音がジムに響く。
「うーん……」
いつもなら叩いているうちに気分が晴れていくのに……。
それでも何もしないよりは気が紛れるから、手を止めず黙々と打ち続けている。
「おやおや綾小路ガール。そんなパンチじゃサンドバッグがかわいそうだよ」
「え?あ、高円寺くん。何か用かな?」
ジムに通い始めて2ヶ月と少し経ったけど、初めて高円寺くんから話しかけられてちょっと驚いてしまった。
「いつものキミのパンチは方向性はどうあれ一途なパッションが込められていて美しかった。だが、いまのそれは見るに耐えないよ。大人しくゴーホームしてくれないかな」
「えっと……よくわからないけど、心配してくれてるのかな?私なら大丈夫、ありがとう」
「全く仕方がないねぇ。どれ、パンチとはこうやってシュートするものさ」
隣に並んだ高円寺くんが目にも止まらぬ速さでサンドバックに拳を叩きこんだ。
鈍器でも叩きつけたような音と衝撃が響いたかと思えば、サンドバックを吊るしている金具がちぎれ、拘束から解き放たれた本体は壁まで飛んでいき衝突。大量の砂をあたりにまき散らした。
さっきサンドバックがかわいそうって言ってなかったっけ?
「うーん、美しい」
「えー……」
無茶苦茶な人だとは思っていたけど、色々と規格外過ぎて情報の処理が追いつかない。
「これでしばらくは打ち込めないだろうねぇ。はっはっはっ」
気が済んだのか、悪びれる様子もなく笑いながら立ち去ろうとする高円寺くん。
「ねえっ!」
「フッ、サインでも欲しくなったのかな。私の美しさは罪だねえ、今回だけ特別だよ」
奇想天外な行動なのに自分の芯がまるでぶれない姿を見て、つい呼び止めてしまった。
どこからかペンを取り出した高円寺くんだけど、サインはいらないので話を進めさせてもらう。
「……高円寺くんは、どうしてそんなに自信満々でいられるの?」
「何かと思えば、実にナンセンスな問いだねえ。あえて答えるなら、私が私だからだよ、綾小路ガール」
「?」
「嘘つきのキミには一生わからない話かもしれないねえ。用件がそれだけなら私は行くよ、アデュー」
高円寺くんは、ちょっと残念そうにペンを仕舞い、今度こそ去っていった。
「私が……嘘つき?」
何か明確な回答が得られるとは思ってなかったけど、その一言が頭から離れなかった。
「……って、あれれ?サンドバックの惨状をトレーナーさんに伝えるのは私なのかな?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「イグちゃん、私、どうしたいんだろう……」
胸に抱えるイグアナのイグちゃんは不思議そうな顔でこちらを見つめている。
春休みが始まっていつの間にか3日が過ぎていた。
その間、ジムで身体を動かして、休憩がてら爬虫類カフェに足を運ぶ、そんな現実逃避のような何かを繰り返す日々を送っている。
部屋に1人でいると色々考えて塞ぎ込んじゃいそうで、なるべく外に出るようにしているんだけど……どうしても誰かと話す気にはなれなくて、友達からの遊びやご飯の誘いは断っていた。
「結局逃げてばっかり……」
ひんやりとしたイグちゃんの頭を撫でながら、それでも現実逃避しきれずに色んな事を考えては、ため息がこぼれる。
こんな姿、他の誰にも――特にクラスのみんなには見せられない。
その点この子たちは、顔色ひとつ変えずに黙って見守ってくれるのでありがたい。
表情がほとんど変わらず、ぱっと見何を考えてるのかわかりにくいところも、誰かさんに似ててポイントが高いところ、なんて。
ただ、この逃避もここまでにしなくちゃ……。
今日はこれから待ち合わせがあって、午後からは生徒会の集まりもある。
カラ元気でもなんでも良いから前を向かないといけない時間が迫ってきていた。
「待たせたかしら、一之瀬さん」
「ううん、大丈夫だよ、堀北さん。私が勝手に早く来てただけだから」
昨晩、堀北さんから会って話がしたいというメールが来た。
話の内容は書かれてなかったけど、クラスに関わることだと予想できたから拒否するわけにはいかない。
場所はどこでもいいってことだったから、待ち合わせをおすすめのこのカフェにして、心を落ち着かせるため早めに来てイグちゃんたちと触れ合っていた。
「その、なんというか意外な一面ね」
イグちゃんを抱きかかえる私を見ながら遠慮がちにそう口にする堀北さん。
「あはは……私には頼れるお兄さんはいないからね」
「なるほど、そういうことなら理解できるわ。心の支えは誰にでも必要だもの」
そうやって満足げに微笑む堀北さんの様子からは、出会った当初の刺々しい感じが抜けていて、その頃の何倍も大人びてみえた。
「それで話って何かな?」
「率直に言わせてもらうわ。来年度からはBクラスとの協力関係を解消させてほしいの」
真剣な表情の堀北さんからはリーダーとしての風格を感じる。
「なんとなく、そんな提案が来るんじゃないかって思ってた」
これまで協力関係が成立していたのは、綾小路くんの存在を除くと、クラスポイントの差が大きかったことにある。それがこの1年で、2クラスのポイント差は300ポイントにまで迫っていた……。
いつ逆転しても不思議じゃないって、きっと他クラスの生徒は思ってるはず。それだけ今の堀北さんのクラスには勢いがある。
私が不甲斐ないリーダーだからこんなことになっちゃってる……。
「一之瀬さん達には、これまでたくさん助けられたわ。でもお互いの目標がAクラス卒業である以上、最後まで仲良くとはいかない」
「そうだね。でも、うまく関係を維持することもできるんじゃないかな?例えば、特別試験で直接対決が決まるまでは……とか」
無駄だとは思っても説得せずにはいられない。
堀北さんにお兄さんがいるように、私にも心の支えが――。
「有難い申し出ね。でもごめんなさい、何と言われても協力関係を続けるつもりはないわ。私たちのクラスは来年度Aクラスに上がることを目標にする。今の私たちにはそれだけの力があると判断しているわ」
「……そう、そうだよね」
いっそのこと24億ポイントを稼ぐための協力を申し出てしまおうか……。
ううん、現状絵空事でしかないこの計画に巻き込めるわけがない。
堀北さんは自分たちの力でAクラスに上がるという、ブレない意志を持っている。
その強い信念は、私が今、喉から手が出るほど欲しい素質。
「だからといって必要以上に敵対するつもりもないわ。お互いにAクラスを目指してベストを尽くしましょう」
「うん。こちらこそ」
こちらの迷いを悟られないように、差し出された手をしっかりと握り返す。
と、膝の上に乗せていたイグちゃんが、近づいてきた堀北さんの手をペロッとなめた。
「ひゃぁんっ」
クールな堀北さんから想像できないような声が飛び出す。
「えーと、イグちゃんなりの愛情表現かなぁ、慣れないと驚いちゃうよねー、あははは……」
堀北さんが赤面して黙ってしまったため、申し訳程度のフォローを入れる。
「……できれば今のことは口外しないでくれると嬉しいのだけれど」
「もちろん、約束するよ」
「一之瀬さんが良い人で助かったわ。これが綾小路くんや龍園くんのような人だったらいつの間にか撮っていた映像データを持ち出して口外しない代わりに協力関係の延長を求めてきたに違いないもの。ここでの会合自体が最初から罠だったのかと疑うところね。もちろん、相手があの手の人間であればそういうリスクも考え、私ものこのことやってきたりはしないのだけれど」
とても早口になる堀北さん。
「そ、そんなことしないよ。けど……私は良い人とは違うかな」
「謙遜する必要はないわ。あなたほどの善人に私は出会ったことがない」
私は自分を善人だと思ったことはない。
だからと言って悪人でもないけれど、堀北さんの思うような立派な人間ではないことは確か。
「それじゃ話も済んだことだし、これで失礼するわ」
「うん。私はもう少しこの子たちと過ごしてから帰るよ」
そう言って堀北さんはカフェを後にする。
この1年で各クラス――特にリーダー格の生徒の成長は、他クラスの私でもわかるぐらい目覚ましい。
私だって、綾小路くんやクラスのみんなに支えられて過去を乗り越えることができた。それだけじゃなくて、生徒会での活動も私を成長させてくれたから、前に進んでいることを今更疑いはしない。
でも――そもそも進む先を間違っていたとしたら?
先頭を任された私が走っている道の先に、本当にAクラスが、みんなが望む未来があるのだろうか。変な方へ突っ走ってクラスのみんなをいたずらに迷わせているだけなんじゃないだろうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「入学式準備の段取りは以上だ。簡単な仕事だが、これも新入生に生徒会の威光を知らしめる機会だぜ。各自しっかり働けよ」
南雲会長から生徒会役員たちに指示が出る。
とは言っても、卒業式のように何か出し物をするわけではなく、進行表や案内板の作成など事務方の仕事がメインであるため、そう時間はかからなさそう。
どちらかというと南雲会長が考案して、綾小路くんがプログラムを組んだという、来年度からはじまる新システムOAAのリリースに向けた準備の方が忙しくなりそうだ。
南雲会長の指揮のもと、役員を入学式チームとOAAチームに分けた結果、綾小路くんはOAAチームを担当している。
「サンプルで桐山先輩の能力値をデータ化してみたんですが、ご覧になってみて違和感はないですか」
「そうだな……。もう少し学力の評価が高くてもいいんじゃないか?Aはあると思うぞ」
「残念ですが、桐山先輩の成績で学力Aに評価を上げてしまうと、より上にいる生徒が全員A+になってしまうので今の評価が適切な数値ですね」
「ぐぅっ……」
悔しそうにうなだれる桐山先輩。
あんな風に数値化されると、否が応でも他の生徒と比較されるようになる。
今まで明確には見えていなかった各クラスの戦力が浮き彫りになった時、私たちのクラスは他クラスと比べてどうだろうか。
ううん、きっとどのクラスも平均したらそこまで大きな差は出ないはず。だけど、見かけの数値上では負けていないBクラスが、クラス争いで負けてしまうのであれば、その原因はひとつしかない。
「さて、OAAチームは時間がかかりそうだし、俺たち入学式チームは解散して、春休みらしく遊びに行こうぜ。お前も来るだろ、帆波」
堀北先輩が卒業してしまったにも関わらず、南雲会長はご機嫌だ。
こういう時は何かろくでもない企みをしているんじゃないかと疑いたくなる。
「すみません、南雲会長。ちょっと風邪気味みたいで、先輩方にうつしても悪いですし、今回は遠慮させていただきます」
「確かにいつもと比べると元気なさそうだな。帆波は大事な生徒会役員だ、しっかり休んで早く直せ」
「はい、すみません」
仮病を使ってしまったことは少し心が痛むけど、今の状態で南雲会長たちと遊びに出かける気にはなれない。
そんなことを考えていると、思考がどんどん良くない方へ進んでいってしまう。
「私も今日はこれで失礼しますね。お疲れ様でした」
ひとまず外に出よう。
そう思って生徒会室を後にした。
ただ、外で1人になりたいなら場所は限られてくる。
春休みということもあって、どこに行っても誰かと出会ってしまうのがこの学校生活の難しいところ。特に今日は、遊びに行った南雲先輩たちと鉢合わせたら気まず過ぎる……。
そこで思いついたのは、学校の屋上。
ちょっと嫌な想い出と忘れられない良い思い出のある場所だけど、春休み中は部活動のある生徒ぐらいしか登校しない上に、屋上で活動する部活はないため貸し切り状態のはず。
それに高いところから遠くを見ていれば、少しは気も晴れるかもしれない。
けど、そんな淡い期待はすぐに打ち消された。
屋上に出た途端ぽつぽつと雨が降り始め、すぐに土砂降りになってしまった。
「ツイてないな……。でも、丁度いいのかも……」
雨に打たれていたい気分とでも言うのかな、今のこの気持ちも雨と一緒に流れ落ちてくれたら……なんて考えながら、雨の中、屋上から施設の外――遠くに微かに見える東京の街並みを見つめる。
退学になった生徒たちは、この施設を出てどう過ごしているのか。
新しい生活を見つけて少しでも幸せな日々を送ってくれていたら――そうしたら、必ずしも退学が悪いこと、悲しいことだと思わなくて済むかもしれない。
雨脚は強くなる一方で、全身すっかりずぶ濡れになってるけど、これぐらいの罰じゃ生ぬるい。いっそのこと本当に風邪でも引いてしまえばいいのに……。
「そんなところにいたら風邪ひくぞ」
「……綾小路くん」
いつの間にか屋上の入り口付近に現れた綾小路くんが傘を差しながら近づいてくる。
偶然、こんなところにやってくる、なんてことはない。
そう胸の奥が温かくなりかけるのを抑え込む。
「先に帰って。私はしばらく雨に打たれていたい気分なんだ」
「そうか」
これでいい。今の私には優しくしてもらう資格はない。
「えっ、綾小路くん!?」
「付き合おうと思ってな」
さっきの私の言葉を無視して、せっかく差していた傘を閉じ、何事もないように隣に並んでくる。
「どうして……」
「意味もなく雨に打たれたいときもある」
雨の勢いは少し弱くなってきたとはいえ、見る見るうちに濡れてしまう綾小路くん。
水も滴るいいお……なんて考えてる場合じゃない。
「このままじゃ風邪ひいちゃうよ」
「それは一之瀬も同じだろ」
「私はいいんだよ。綾小路くんが倒れたら、生徒会もクラスも茶道部もファンクラブもみんな困るし心配するよ」
「そっくりそのまま返させてもらう。一之瀬が風邪を引いたら心配する生徒は多い。これについては前例もあるしな」
ペーパーシャッフル前に学校を休んだ時を思い出す。
千尋ちゃんをはじめ、クラスのみんなが心配してくれた。
「でも……」
「なんなら2人で風邪を引いて南雲を困らせるのも悪くはないかもな」
「うぅー意地悪だね」
「悪いな」
南雲先輩が困るのは置いておいても、その影響で新入生や他の生徒に迷惑がかかるのはいただけない。
正直、帰りたくはない、かと言って、私が帰るまで綾小路くんも帰ってくれそうになくて……このままだと本当に風邪を引いてしまう。
私の代わりはいくらでもいるけど、綾小路くんの代わりを務められる人なんているわけないのに……。
そもそも私のせいで綾小路くんに風邪で辛い思いをさせるわけにはいかない。
「……じゃあ帰ろうかな」
「それがいい」
ひとまず雨に打たれる時間は中断して屋上を後にする。
雨は降り続けていて簡単には止みそうにない。うちに帰ってからまた外出すればいい。
「ただ、このまま校舎を歩き回るのは色々マズいな」
「えっと……そうだね」
ずぶ濡れの私たちから滴り落ちる水滴で、すでに屋上入り口は水浸しになっている。
「タオルでもあれば良かったんだけどね」
予報外れの大雨でそんな準備はなかった。
唯一役に立ちそうなハンカチもポケットに入れていたため一緒に水没してしまった。
「あそこならどうにかなるか」
「ん?」
「一之瀬、何も言わずについてきてくれ」
「……うん」
何かを思いついたような綾小路くんがじっと見つめてくるので、頷くより他になかった。
『うん』とは言ったけど……ど、どこに私を連れて行くつもりなのかな。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「………え、えぇぇ?」
「やはりタオルもあったな。ここなら暖房もドライヤーもある。幾分かマシになるはずだ」
棚を漁っていた綾小路くんがタオルを手渡してくれる。
「ありがとう――って、ツッコミどころが満載だよ!?」
大きめのソファーに案内してくれた綾小路くんへの返答で久しぶりに大きな声が出てしまった。
「まあそれも無理はないか。オレも最初はそうだった」
綾小路くんが連れてきてくれたのは、生徒会室――の壁がスライドして出てきた隠し扉の先、床下に入ったところにあった秘密の部屋だった。
「何ココ?」
「何と言われても、学と橘の酔狂で生まれた部屋だ、明確な使用用途は定められていない。あの2人が卒業した今となっては、この部屋の存在を知っているのはオレと一之瀬だけだな」
「私たちだけ……」
言われてみれば、橘先輩が使っていた集音機やドローンが置いてある。
この謎の部屋には他にも生活必需品が色々と取り揃えてあるようで、下手なホテルよりも快適に過ごせそうな充実っぷり。
普通に考えたらあり得ない話なのに、橘先輩たちなら作ってしまいそうなところにも謎の説得力がある。
「コーヒーとカフェオレ、それにココアもあるがどれにする?」
ソファーに腰掛けて貸してもらったドライヤーで髪を乾かしていると、冷蔵庫から水を取り出し電気ケトルに注ぎながら、そう尋ねてくる綾小路くん。
うーん、どこまで充実してるのこの部屋……。
「それじゃあ……ココア、がいいな」
以前、綾小路くんが作ってくれたことを思い出し、そうお願いした。
綾小路くんは、黙って頷き、紙コップを2つ取り出して、慣れた手つきでココアを作り始める。馴染み具合からして、結構この部屋を利用していることがわかる。
「もしかすると、たまに生徒会活動中にふらっといなくなって、いつの間にか戻って来てる時って……ここにいたの?」
「……何のことだ?」
綾小路くんがこのリアクションをする時は割と核心を突けているとき。南雲先輩の武勇伝語りとか、あまり生徒会の仕事に関係ない時間はよくいなくなってたっけ……。
「そんなことよりココアができたぞ」
「うん、ありがとう」
手が冷えていたからか紙コップから伝わる熱が想像以上に温かい。
優しく湯気の揺らぐココアを見つめ、手が温まったところで口に運ぶ。
今度は内側から熱が広がっていく。
「少しは落ち着いたみたいだな」
気づけば、雨に打たれていた時よりも不安が和らいでいた。
「うん……」
「一之瀬の悩んでいること、話してみたらどうだ?」
「……気づいてたんだ。あはは……なるべく表に出さないようにしてたんだけどね」
「クラスが負けたにも関わらず、一之瀬が普段通りなことに違和感があった。付き合いも長くなった分、お互い隠し事はできないみたいだな」
「そっか、そうかもしれないね」
私が綾小路くんの何気ない嘘がわかるように、綾小路くんにも私の嘘は通じないのかもしれない。いつもなら喜ぶところなんだけど……。
「ごめんね。やる気になったと思ったらすぐ弱気になって……馬鹿みたいだよね。その繰り返しで行ったり来たりの私には、綾小路くんに相談に乗ってもらう権利なんてないと思ってた……こんな私の話でも聞いてくれるの?」
綾小路くんのことだから、それもわかって聞いてくれている。
それでも尋ねずにはいられない。無条件に自分を曝け出せる相手だとしても、嫌われてしまうんじゃないかって不安はある。
「そんなこと気にしたこともなければ、気にする必要もないと思っている」
そんな綾小路くんらしい返事をもらえたことで私も腹を括る。
「……綾小路くんから見て、クラスメイトを誰も退学させない私の方針ってどう考えてるって聞いたら、素直に教えてくれる?」
「それがいま悩んでいることの解消に繋がるなら答えないこともない」
肯定とも否定とも取れない回答。答えを聞きたいなら、私の方からもっと曝け出せ、ということ。
「私はあの時――選抜試験で椎名さんの策に気づいた時……私、思っちゃ……いけないこと、思っちゃったんだ」
口にすることすら憚られた私の内情を、声が震えないように押し殺しながら、それでも吐き出していく。
「クラス内投票前に話してくれた綾小路くんの提案を受け入れておけばよかった。ううん、綾小路くんをクラスに引き入れてなくても、誰かを退学させておけば、消費しなかった大量のポイントで7戦目の優先権は買えたし、私たちも39人だからDクラスと同じタイミングで2週目に入れた……そうすればBクラスは負けなかった。クラスメイトを守ったから負けた、そんな考えが、後悔が、頭を過ぎっちゃったんだ……」
綾小路くんにはあの時点で、いつかこうなる未来が見えていたんだ。
あの時はらしくない提案に私を試しているだけだと思った。
その後の六角さんの告白への返事で、綾小路くんなりの告白だったのかもと浮かれた。
まったく私はどこまでおめでたいんだろう。
綾小路くんは純粋にBクラスの行く末を案じてくれていただけだったのに……。
「だから、こんな無能なリーダーなんて、あの時退学になっておけば……そうしたら、Bクラスのみんななら勝てたんだよ。誰も退学させない、なんて甘いことを私が言い出したから、だがら――」
誰かじゃない。クラスに不要な生徒を一人決めろ、というのであればそれは私なんじゃないだろうか。
一度口を開いたらこれまで塞き止めていた感情が一気にあふれ出して止まらなくなる。
退学者0人なんて理想を語るだけ語って、みんなをその気にさせて、肝心の判断を何度も何度も何度も間違ってきた結果が今だ。
「それが原因でひよりたちに負けたと?」
「椎名さんだけじゃない。堀北さんだって、坂柳さんも、葛城くんもみんな成長してリーダーらしくクラスを導いてる。私だけ、私だけが結果を――」
涙が溢れてきて言葉を続けることができなくなる。
それでも綾小路くんは急かすことなく黙って待ってくれる。
「それなのに、誰も、誰も私のことを――」
特別試験後、誰一人として私の責任だと追及して来なかった。
椎名さんの策にまんまと嵌って倒れたダメなリーダーなのに……。
「敗北の原因を自分が退学しなかったことにしてしまえば楽だよな」
「え……」
「Bクラスが39人、まして一之瀬が退学していたら負けなかった?そんなはずはない。負けたのはリーダーとしてお前が弱いから、それだけだ」
「っ!」
綾小路くんの放った言葉が鋭く私の胸を抉る。
思わず目を逸らそうとしたけど、今の綾小路くんの視線からは逃げられない。
蛇に睨まれた蛙ってこういうことなんだと実感した。
「オレなら事前に諸藤を買収して当日試験を欠席させた。それだけで済む話だ」
「それは無理だよ。諸藤さんはとても固い意志で司令塔を務めてたと思うから」
力のない声で反論してしまう。
いくら綾小路くんの言葉でも黙って納得することはできなかった。
「だからこそだ。なぜ諸藤が退学のリスクを負ってまで司令塔を引き受けたか、知っているか?」
「……ううん」
「諸藤を庇って退学した真鍋のためだそうだ。そこをつけばいくらでもやりようはある」
「……そうだったんだ。でもそれならなおさら懐柔は難しいんじゃないかな?」
只ならぬ様相で対戦クラスの抽選に現れた諸藤さんを思い出す。
あの時は緊張してるのかと思ったけど、諸藤さんにも譲れないものがあったということ。
「そうでもない。例えば、真鍋退学は龍園の策略だったことを伝える、とかな」
「え?」
「あくまで状況からの推測でしかないが、真実かどうかはさほど重要じゃない。諸藤に復讐心を植え付けるきっかけになればいいだけだからな」
諸藤さんの戦う理由を根元から刈り取って、それに火をつけて燃料にする――人の想いを嘲笑うような所業。
確かにそんな話を……信頼している綾小路くんから聞かされたら諸藤さんの矛先は変わる可能性が高い。ただ――。
「仮にそれができたとして諸藤さんの代わりはいくらでもいるんじゃないかな」
そこまでしても代役を立てられれば意味はない。
諸藤さんには私を戸惑わせる役目があったとしても、必須級の策ではなかったはず。
「いや、Dクラスの勝ちを確信していた人間は限られる。負ければ退学の試験で急な代理を引き受けるヤツはいない。ひよりはクラス仲の改善も目指していたことから強制もできなかったはずだ。結果、プロテクトポイントを持つひよりが人柱となって司令塔代理になるしかなく、策を根本から崩せた」
椎名さんが司令塔へ変更になった場合、ポイントで当選を確定させていたしりとりのエースがいなくなる。学力テストでも一手足りなくなり、Dクラスに苦しい戦いを強いることができた、ということ。
でも……それは友だちの退学を受け止めて、前向きに立ち直ろうとしている諸藤さんに本当かどうかもわからない残酷な現実を突きつけて、Dクラスごと落とし入れる行為。
その後、諸藤さんが、クラスがどうなるかは、想像したくはない。
私はそうまでして勝つ覚悟ができるだろうか。
ううん、そもそもそんな勝利を望むことはできない。
「だから勝てないのかな……」
「お前の羨ましがっている力っていうのはそういうことだ。坂柳も龍園も一之瀬の立場なら容赦なくその選択をしただろうな」
「……やっぱり私には真似できないかな。ごめんね、せっかく考えを聞かせてくれたのに。これが私の問題ってこと、だよね」
「そうだな、お前の問題だ。ただ、これが一之瀬向きの策ではないことは理解できる。本人ができないものを解決策として提示する気はない」
「私にできるやり方でも勝つ方法があるの?」
正直、図書館で椎名さんから種明かしされた後、ずっとどうすればよかったか考えていたけど、結局攻略の道筋は見えなかった……。
「しりとりの種目だが、ひよりは本の名前でも使ってきたんじゃないか?」
「そうだね。諸藤さんのハッタリじゃなければ図書館の本の名前、全部覚えてるって。悔しいけど、この種目を学校が許可した時点で勝負は決まってたんだね……」
今回実施したような付け焼刃では相手の必勝を超えることができない。
しりとりだけに時間を費やして大勢で準備をしていれば話も違ったかもしれないけど、そうすれば他の種目がおざなりになって結局負けてしまう。
その点も考慮された種目選定に脱帽するしかなかった。
「いや、事前にそうだと想定しておけば対策はできた。試験前にクラス全員で図書館へ行き、借りれるだけ本を借りて、こっそり寮にでも運んでおけばいい」
「え……あっ!」
事も無げにそう告げる綾小路くん。
しりとりのワードは『学校内に存在する固有名詞のみ』が条件、学外に出してしまえば存在しないことになり、使うことはできない。
もちろん、クラス全員で行っても借りれる量には限りがあるけど、一文字だけに絞って借りて、その文字で攻めれば、そのことを知らない椎名さんはいつか学外に出した本の名前を使った可能性がある。
仮に本を運んだことを知られてしまっても、何がなくなったかを把握できなければ、疑心暗鬼になってミスを誘えたかもしれない。
さらに言えば、仲の良い先輩たちに頼んで、さらに本を借りておいてもらえば、クラスメイトが借りた本を把握されても二重のトラップになる――綾小路くんのアイディアをきっかけにどんどん世界が広がっていく。
「オレが今できたように、しりとりのルールとひよりの特徴を考慮すれば、本の名前で攻めてくることは想定できた話だ」
「うん」
「今のはあくまで一例だったが、ここまで話せば、なぜ負けたのかは一之瀬ならわかるだろ?」
優しい声色とは裏腹に、底知れない闇に満ちた――そんな眼差しで見つめられる。
どこまでも沈んで行ってしまいたくなる……けど、それじゃダメなんだ。
逃げずにまっすぐと見つめ返し、答えを探す。
ゆっくりと時間を使い、自分の心を見つめ、向き合う。
私が今回負けた理由は――。
「相手への対策が不足してたから。具体的に言えば、相手の策を阻害したり牽制したりする攻撃的な手段がなかったこと」
言葉にしてみればシンプル。でも、根深い問題でもある。
しりとりにしろ、格闘技にしろ、しっかり練習して対策を立てて臨んだ。
けど実際は、自分たちがどう相手の策を乗り越えるか、という視点でしか考えきれていなかった。綾小路くんが例に出したような、相手を知って、相手の策を自由に展開させない戦略が決定的に欠けている。
「そうだな、一之瀬は仲間を守ったせいで負けたんじゃない。何度でも言うが、お前が弱い、それだけだ」
私の出した結論に綾小路くんは頷き、一言加えてくれた。
「……厳しいんだね。でも、今ならわかる、わかるよ。綾小路くんの優しさ」
「優しさ?どこがだ?」
「そんなことを言ったら自分が嫌われるかもしれないのに、それでも私を甘やかしてくれないところ。私が本当に欲しい言葉をわかってくれてる」
「オレは全知全能でもなければ、聖人でもない。思ったことを言っただけだ」
試験に負けた時、本当は、私はみんなに責められたかった。
そうすれば、私の甘い方針なんか捨ててしまって、退学者を出してでも勝つクラスへ導く方向に考えを改められたのにって。それができなければ、クラスのリーダーは務まらない、この学校で勝ち残ることはできないんだって、ずっと言い聞かせていた。
でも、違った。全部違ったんだ。
私は、みんなのせいにして、他クラスのリーダーのせいにして、逃げていただけ。
綾小路くんが言ってくれたように、私には誰かを陥れてまで勝利を掴むことはできない。きっとそれが私自身の変えることのできない本質。
でも、それでも勝てる方法はいくらでもあって、それが実現できないのは、私に実力が伴ってないだけなんだって。非情に変わる必要はないんだって、だからもっと頑張れって、教えてくれた。
「だとしてもだよ。本当にありがとう」
感謝しても感謝しきれない、この想いを私はどうしたら伝えられるのだろう。
「オレの方こそ感謝しているくらいだ。知れば知るほどわからなくなることがあるとは思ってもみなかった」
「どういうこと?」
「気にするほどのことじゃない。そう言えばまだ答えていなかったか」
「ん?」
「学校史上初の1年次に退学者を出さなかったクラス。それは、学も南雲も、もちろんオレも達成できなかった偉業だ。だが現状そんなものはただの称号でしかない。クラスメイトを残すことが単なる情ではなく、それを活かす戦略へと昇華できたとき、誰にもマネのできない一之瀬の武器になる、とオレは考えている」
それは最初に投げかけた問いへの答えだった。
「私、頑張るね。もう迷わない」
少しでも伝わるようにしっかりと目を見て答える。
綾小路くんが太鼓判を押してくれた私の武器を、武器として使えるように私自身をレベルアップさせる。
自分で言うのもなんだけど、今の私ならできる、そんな感覚があった。
「ああ。ただ、人は迷う生き物だ。頑張った先でまた今みたいになることもある」
「できればそれは遠慮したいなぁ」
「だから、その時はいつでも弱音を吐いてくれて構わない。せっかく秘密の部屋もあるしな」
「……それは遠慮しないよ?」
「ココアでも用意して待っている」
「うん」
そうしてココアを飲み干して学校を出る頃には、すっかり晴れて校舎の隙間から綺麗な夕日が顔を覗かせていた。
ゆっくり深呼吸すると春の空気で胸が満たされていく。
「なんだか久々に酸素を吸った気がする」
「オレの知っている限り呼吸はしていたぞ?」
「あははは、それはそうだよ。……呼吸を止めるのはもっと特別な時にとっておきたいかな」
「どういう意味だ?」
じっと綾小路くんを見つめて、そっと目を閉じる。
「一之瀬?」
目を開けて、ちょっとだけ綾小路くんの前に出て、振り返る。
「綾小路くんにもいつかわかる日が来るよ、まだまだ先みたいだけどね」
明日からは晴れが続きそうな、そんな予感がした。
ちょっとした補足を活動報告に記載しますので、興味がありましたらそちらもぜひ。