約束した相手はすでに到着しており、フェンスに身体を預けてただただ真っすぐに海を眺めていた。
ゆっくりと歩み寄っていくが、考え事をしているのか、こちらには気づかない。
長い髪が風に揺られ、シトラスの香りがほのかに感じられる距離まで近づいた時、雲に隠れていた月が顔を覗かせる。
月明りにそっと照らされる姿を前に、声を掛けることを少し躊躇ってしまう。
「………待たせたか?」
「ううん、さっき来たところだよ」
そう言ってこちらを振り返った一之瀬は、いつもと変わらないようにもみえる笑顔で迎えてくれた。
「すっかり桜散っちゃったね」
「そうだな」
「あ、でも葉っぱが元気に出てきている姿は応援したくなるっていうか、それはそれで好きかな」
「そうか」
「せっかく綾小路くんと居るのに、今晩は曇ってて星があんまり見えないのは残念」
「なぁ、一之瀬」
「また一緒に満天の星空、見に行きたいね」
「どこからどこまでがお前の仕組んだことだったんだ?」
ゆっくりと流れる時間を壊してしまわないように、静かに問いを投げかけた。
一之瀬の様子は変わらない。
「綾小路くんにしてはふわっとした聞き方だね」
「正直、今回はよくわからないことが多いからな」
「だったら、疑問に思っていることを教えて欲しいな。答えられることなら正直に答えるから」
そんな前置きをして、一之瀬は再び海へと視線を移す。
オレもそれに習って隣に並び海を眺めてみる。
夜の海は闇に溶けあい、少し先はもう海なのか空なのか判別がつかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1時間と少し前。
寮の前に到着し2つの意味で天沢と別れた後、オレは堀北にペア組を済ませた旨の連絡をした。
一応、宝泉の件の解決を頼まれていたので、全くそんなつもりはなかったがクラスのために身を粉にして解決したということにして、堀北に恩を売りつけるためだ。
アイツもあれで義理堅いところはあるため、今後、面倒事を押し付けられそうになった際に、この件を引き合いに出して堂々と断る算段。
いずれにせよ明日のデータ更新でペアを組んだことがバレてしまうため、先に伝えておき飛んでくる小言の数を少しでも減らしておきたい。
程なくして堀北から『今から部屋で話せないか』という旨の返事が届いたため、その足で堀北のもとを訪れることになった。
「あー……堀北、断りなくペアを組んだことは謝罪する。ただ、朗報もあるぞ。宝泉の件だが――」
「その件ならもう解決したから大丈夫よ」
「どういうことだ?」
さきほどの体育館での一件を堀北が把握しているはずがない。
それに『解決した』という言い方も気になる。
「そのことをあなたに話そうと思って呼んだの」
堀北は事の経緯を話し始めた。
「あれはAクラスに4回目の交渉に行った後のことだったわ」
2回目の訪問で宝泉に邪魔をされた後、交渉は膠着状態になっていた。
1年Aクラスの方で宝泉の問題は解決するからそれまで結論は待ってくれ、そんな話だったか。
「その日も進展もなく1年Aクラスの教室を出たところで、一之瀬さんに会ったの。私を探していたみたいで用件を聞いたら、今回の特別試験で手を組みたいと言ってきたわ」
「ついこの前、一之瀬に協力関係を辞めるって宣言したんじゃなかったか?」
「ええ。だから今回は協力というよりも取引と言った方が適切かしら」
取引の詳細を聞くと、今回の特別試験で勝利を譲る代わりに一之瀬から提示されたのはプライベートポイント。
前金で100万ポイントを支払った場合、一之瀬が裏で確保している1年Bクラス、Cクラスの学力A以上の生徒を6名を堀北に譲渡する。
その後、堀北クラスが1位になった場合、成功報酬でさらに100万ポイントを一之瀬へ支払う、という計200万ポイントの要求。
今回の試験、1位になっても貰えるのは50クラスポイント。この取引の損得をどう捉えるかは意見が分かれそうだ。
ただ――。
「一之瀬がプライベートポイントを要求するのは、何というか意外だな」
「私も同じ感想だったから理由を尋ねたわ。Bクラスはクラス内投票で大きくポイントを消費したこともあって、今はクラスポイントよりもプライベートポイントの確保を優先する方針を取っているらしいの」
納得できる理由ではある。
いつ退学が強制されるルールの試験が来るかもわからない。
クラスメイトを守るために最低2000万ポイントは貯めておきたいのだろう。
あるいは、いつか宣言したオレへの借金を10倍にして返すためかもしれない。
もしくは……。
「200万ポイントは決して安い額じゃないでしょ。ただ、用意できない額でもないわ。返事は一旦保留にさせてもらって、ここ数日はどの選択が一番クラスのためになるか見極めていたの」
当初の予定よりも交渉が長引いたことで、ペア探しの時間を勉強にあてる作戦は雲行きが怪しくなりはじめていた。
これで交渉決裂でもしようものなら、残り1週間で大慌てでパートナーを探すことになり、テスト勉強の追い込みどころではなくなる。
「解決したってことはつまり――」
「ええ。さっき一之瀬さんには提案を受ける連絡を入れておいた。1年Aクラスには悪いけれど、私たちのクラスの様子は限界に近かった。そして、あなたからペア組を済ませたと連絡が来たことで決心したの」
「決め手がオレってことにして、責任を押し付けるつもりじゃないだろうな」
「違うわよ。取引にあたって一之瀬さんからひとつだけ条件を出されていたの。簡単に言うと、譲渡する6名のうち、誰かを綾小路くんのパートナーにすること。ただし、綾小路くんが先に自分でパートナーを決めた場合はその限りではない、というものだったわ」
「不思議な条件だな」
「あなたに1位を獲って欲しかったんじゃない?」
「否定はできないか……」
上位5位に入ったペアにはそれぞれに10万ポイントの褒賞が与えられる。
24億ポイント作戦の足しにしろ、というには微々たる金額。
クラス争いの戦略面でみれば、どうせオレが1位になるのであれば優秀な生徒と組ませて消費させるためという考え方やライバルである坂柳クラスからの上位入賞者を一組でも減らすためという考え方もできなくはないが、こじつけの域を出ない。
「石上くんたちとは引き続き交渉していくつもりよ。まだ確実に坂柳さん達に勝てると決まったわけじゃないもの、油断はしないわ」
「そのことだが、色々あって生徒会で動いた結果、宝泉が今後妨害行為をしてくることはなくなった。遠くない内に交渉はまとまると思うぞ」
「……」
ジトっとこちらを睨みつける堀北。
言いたいことはわかる。
苦渋の選択で200万ポイントを払う決断をし当初の作戦を一部変更した直後に、今後は交渉の障害がなくなるという報告を受けたわけだからな。
だが、宝泉の件が解決したことで天沢とペアを組むきっかけが生まれ、ペアを組んだことで堀北が決断したのだから、これはどうしようもない話。
「いいわ。確実に坂柳さんたちAクラスを倒せる算段がついたと前向きに捉えましょう。早速、石上くんに連絡してみる。悪いのだけど今日はここまでね」
「ああ」
あまり恩を売れた気はしなかったが、特別試験に勝利すれば堀北の機嫌も良くなるだろう。
そうして、堀北の部屋をあとにし、自室に戻ったところで今度は八神へ『電話できないか』と連絡を入れた。
するとすぐに向こうから電話がかかってきた。
「夜分に失礼します。先輩が気になさっているのは、例の審議の結果についてですよね」
「それもあるが、その前に一つ確認したいことがある」
「なんでしょう」
「答えられなかったら、それで構わない。鬼龍院先輩の事件現場を目撃した日、誰かに会うって約束してたんだよな。その相手は――」
電話越しに驚く八神の反応を聞き、疑念が確信へと変わった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「確信を持ったのはついさっきだ。ただ、最初の違和感は――部活動勧誘のときだった」
波多野の勧誘成功後にやってきた一之瀬の様子はどこかおかしかった。
こんなことを言うと自惚れていると思われそうだが、合流後、いつもの一之瀬ならもう少しオレと話そうとする場面で、逆に早くオレがその場から離れるように会話を誘導していたように感じた。
その後、振り返った際に、すでに桐山と談笑を始めていたのもらしくない。
まさかオレが振り返るとは思わず油断しているところで目が合って、慌てつつも手を振り送り出すのがこれまでの一之瀬らしさ。
「違和感の詳細は割愛するが、桐山を焚き付けたのはその時なんじゃないか?」
桐山は元Aクラスということもあって、普通の生徒と比較すれば全体的に優秀な能力を持っている。
だが、イマイチこの学校で活躍できないのは、常識の枠を抜け出せないから。
「オレの知っている桐山は、あんな策を実行できる男じゃない」
思い切った決断や行動を取れないため、予想されやすく、後手にも回る。
そういう意味では、変化の予兆を見せつつも決定打にかけていた一之瀬も似たようなものだった。
「鬼龍院が生徒会室に乗り込んできた時の一之瀬の反応も気になった。てっきり一之瀬はもう大丈夫だと思っていたんだが……」
トラウマであることは間違いないだろうが、ペーパーシャッフルでの事件を経て、一之瀬は万引きの過去を受け入れ、乗り越えた。
あの時『罪を背負って、立ち止まることなく、歩み続ける』そんな覚悟を決めた一之瀬が、鬼龍院の言葉ぐらいで保健室に向かうほど心が折れるだろうか。
「あのタイミングで万引きの話が出れば、南雲がどんな行動に出るかは想像できる。実際に思惑通り、オレは宝泉の件から担当を外れることになった」
そう仮定した方が納得できる。
「正確には鬼龍院の件を担当させたかった、か」
桐山を操った目的はここにあるはず。
「その後、波多野を放置していたこともらしくない。波多野の性格からして危険を顧みず宝泉と対峙することは予想できたはず」
波多野が先走っただけの可能性もあるが、常に単独で行動していた。
あの場に一之瀬がいれば展開も変わっていたはず。
つまりそれは展開を変えたくなかった、ということではないか。
「山中の犯行があった日に、八神と宇都宮を現場の近くに呼び出していたのは偶然か?」
そんなはずはない。
あの2人が事件に巻き込まれたのは偶然ではなく意図されたもの。
なら、なぜ八神と宇都宮だったのか。
「そして堀北との取引。この取引自体も妙ではあっても納得できる範疇。ただ、オレのペアを指定した条件だけは見過ごせない」
あらゆる可能性が考えられるが、オレとAクラスの誰かがペアにならないようにしたかった、そのあたりが有力か。
ホワイトルームからの刺客について何かを知っている?いや、その場合、月城が一之瀬を放置するとは思えない。
「ただ、どれもオレの推測の域を出ない」
全部たまたまだ、そんなつもりはなかった、言いがかりだと主張されればそれまで。
「そこまでして一之瀬がやりたかったこと、その説明がつかないからだ」
オレが一番知りたいこと。
自分のトラウマまで利用して、多くの人間を巻き込み、その結果、桐山は生徒会を去ることになった。その過程を含め、一之瀬に何か利益をもたらしたようには思えなかった。
海を眺めながら黙ってオレの推測を聞いていた一之瀬は、一度目を閉じて、ひと呼吸したのち、瞼を持ち上げ言葉を紡ぎ出した。
「やっぱり辿り着いてくれたんだね、綾小路くん」
そこにはオレの知らない一之瀬がいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつもと変わらない表情の綾小路くん。
安堵する気持ちと寂しい気持ちが押し寄せてくる。
いっそ全てを話せればどれだけ楽だろうか。
ダメ……それは悪い手。
そんなことはどうでもいいことで、何よりも優先すべきは綾小路くんの安全なのだから。多くの人を巻き込んだ私に、泣き言をいう資格なんてあるはずがない。
ぎゅっと目を閉じて、月城理事長代理と話した時を思い出す。
月城理事長代理から口止めをされて、どうにかしなくちゃと思考を巡らせた結果、浮かんだアイディアは、まずは綾小路くんを退学しようとする特別試験のメンバーをそれどころじゃない状況に持ち込むこと。
中でも一番警戒すべきは、南雲先輩だ。
いつも綾小路くんに返り討ちにあっているとはいっても、新入生たちにはない莫大な資金力と人脈を活かした戦術は脅威。万が一がないとは言い切れない。
少なくともあれだけ強気に参戦したということは、すでに何かしらの策を思いついている可能性が高い。だとすれば迷う時間も躊躇する時間も命取りになる。
私はすぐ決断した。
部活勧誘に戻った後、綾小路くんをブースから送り出し、自然と桐山先輩と話をする時間を作った。
『先ほどの話の続きですけど、やっぱり堀北先輩の生徒会が作る学校は理想的だったんだなって思います。生徒たちはクラス一丸となって特別試験に臨み、そのことで活気にも溢れていて、昨年の3年生は学校生活が楽しそうでした』
『そうだな。……個人の独裁が成立している俺たちの代とは大違いだ。せめて南雲の引退後、一之瀬たちの代からは、また元の伝統通りクラスで協力する風習に戻れば良いんだが』
『そんな弱気でいいんですか?失礼ですが、このままだと、BクラスはずっとBクラスですよ』
『もうどうしようもないことだ。俺にできることと言えば、一之瀬や綾小路たちを応援することぐらいだと思っている』
『そうでしょうか?南雲先輩が勝利を確信し、油断している今がチャンスかもしれません』
『俺は……』
迷い苦しそうな表情を見せた桐山先輩。私はそんな迷いを消してしまえるように、優しく微笑む。
『堀北先輩が想いを託したのは綾小路くんにだけ、ではなかったと私は思っています』
『俺にあの人たちと同じことができるとは――』
『1人では難しいかもしれません。でも、2人ならどうですか。私でよければ相談に乗ります。辛い時はいつでも呼んでください。きっと力になりますから』
『……すまない。少し考えさせてくれ』
『もちろんです』
後日、桐山先輩から南雲先輩と戦う決意ができたと連絡が来た。
『鬼龍院に罪をなすりつけ、その犯行を南雲の指示と見せかける。なるほど、大胆な作戦だが、綾小路が捜査を担当した場合、あいつの目を欺けるとは思えない』
『そこがポイントです。もし桐山先輩の犯行だと綾小路くんが気づいても、堀北派の桐山先輩を庇ってくれるとは思いませんか?むしろ、こちらの意図を察して助力してくれる可能性もあります』
『なら最初から綾小路にも協――』
『それは副会長である立場上難しいと思います。あくまでたまたま巻き込まれた、そんな建前がなければ、万が一の場合、堀北派は全滅です』
『確かにそうだな。しかし、大前提として都合よく綾小路が担当になるだろうか?』
『私に秘策があります。鬼龍院先輩には『万引き』の罪を被ってもらう予定です』
『それはその……』
『ええ、今の桐山先輩のように、南雲先輩も私に気をつかうはずです。すると、残りのメンバー――南雲派の殿河先輩たち、鬼龍院先輩と同じクラスの桐山先輩では公平性に欠くため、この件を任せることはありません。波多野君は入会して日が浅いですし、消去法で綾小路くんが担当になります』
『わかった。その策でいこう。確かにこれなら南雲を出し抜けるかもしれない。ただひとつだけ約束して欲しい』
『なんですか?』
『作戦が失敗して、俺がどんなに追い込まれても助ける必要はない』
『ですが……』
『いいんだ。俺の意地に後輩まで巻き込んで迷惑をかけたなんて、それこそ堀北先輩に顔向けできない。こうやって相談に乗ってくれただけでも感謝に堪えない』
『わかりました。桐山先輩の覚悟を尊重します』
『すまないな。では具体的に作戦を詰めていこう』
『はい』
そうして細かな動き、なすりつける役の人選などを擦り合わせていった。
『あとは仕掛けるタイミングですが、鬼龍院先輩が放課後何をしているかご存知ですか?』
『俺が知っていると思うか?いや、そういえば昔、放課後に特別試験の対策をクラスで話し合おうとしたときに、ルーティンが云々言って、1人勝手に帰ったことがあったな』
『それだけわかれば十分です』
その後、仲の良い3年生の先輩たちから目撃情報を集め、鬼龍院先輩が、放課後の特定の時間にケヤキモールで買い物をしている姿がよく見られるとわかった。
申し訳ないとは思いつつ、ターゲットに相応しいのは実力的にもその後の展開的にも鬼龍院先輩しかいなかった。
それに鬼龍院先輩なら事件解決まで、容疑者の南雲先輩が妙な行動をしないか監視してくれるはずだと踏んでいた。
南雲先輩でも、鬼龍院先輩の目を盗んで、綾小路くんを退学にするのは不可能だろう。
でも全てが予定通りに進んだわけじゃない。
週明けに1年生とペアを組む特別試験の開催が発表された。
明らかに綾小路くんの退学を補助するためのようなルールをみて、私の動きも修正する必要が出てきた。
まずは交流会を開き、1年生と仲良くなって、1年生の情報収集と情報網の構築をした。
その後、1年B、Cクラスの勉強に自信がない子たちを救うため椎名さんと協力しペア組の調整をしたいという名目で、各クラスの代表である八神くん、宇都宮くんと椎名さんを交えて話し合いの場を設ける約束ができた。
その時点で、万引きなすりつけの実行日と時刻を決定した。
山中先輩には、桐山先輩を通して、鬼龍院先輩が犯人として捕まった際に目撃者がいた方が都合が良いと伝え、2人が来たタイミングで実行してもらった。
結果はこちらにとっては計算通り。何も知らず巻き込む形になった山中先輩と立花先輩には申し訳なかったけど、お詫びの気持ちを込めて報酬100万ポイントを送金した。
鬼龍院先輩から解放された八神君たちと話し合い、4クラス間での協力の決定と協力する代わりに1年B、Cクラスの学力Aクラス以上の生徒を3名ずつ確保することができた。
そして警戒対象の一人、宝泉くんが早速動き出したため、無警戒の綾小路くんとの接触を避ける必要も出てきた。
そこで万引き事件で鬼龍院先輩が来るタイミングで生徒会で宝泉くんの問題が議題になるように、被害にあったみんなには苦情を積極的に上げてもらうよう頼んで回った。
桐山先輩に誘導してもらって鬼龍院先輩が乗り込んできた時、上手く演技ができるか不安だったけど、鬼龍院先輩の容赦ない言葉は、少なからず胸を抉るものがあって、要らぬ心配だった。
話の進行は予想通りの展開となって、保健室で波多野くんと別れたあと、こっそり秘密の部屋に入り、その後の生徒会室の動向を確認した。
ここまでの行動の結果、南雲先輩から行動の自由を奪い、綾小路くんを宝泉くんから遠ざけ、八神くん、宇都宮くんを巻き込むことができた。
八神くん、宇都宮くんがどう動くかはわからなかったけど、綾小路くんから注目されている中で、誰であっても彼を退学にできるほどの策を実行できるとは思えない。
次に1年Aクラスの2人。
あろうことか堀北さんは1年Aクラスと組もうとしている、という情報が入ってきた。
交渉が上手くいった場合、学力Aの石上くんと綾小路くんがペアになってトップを狙う、という話になっても不思議じゃない。
そうなれば石上くんは何かしらの理由をつけてテストで0点を取るだけ。
綾小路くんにプロテクトポイントはあっても、それを失うことは退学に近づくこと。
幸い宝泉くんが暴れていたおかげで交渉はまとまっていなかった。
そこで裏で根回しをし、石上くんには、宝泉くんの件が解決するまで堀北さんに内密で協定の返事を先伸ばしにして欲しいと交渉した。
100万ポイントの譲渡と堀北さんたちが降りても、私たちのクラスで学力が低い生徒の面倒をみる保証をして、取引は成立した。
あとは何食わぬ顔で堀北さんとも交渉すれば、2年Cクラスと1年Aクラスの協定の成立を膠着状態にできる。
堀北さんがこちらの提案を飲むのは時間の問題だと思っていた。
驚いたのは石上くんの対応。
さっき宝泉くんの件が解決した旨をメールしたら『最初から自分たちは対象と関わるつもりはありませんでした』と遠回しに私の意図を読んだ返事が届いた。
彼が綾小路くんを狙わなかったのは幸運だったのかもしれない。
策を実行し始めていた宝泉くんについては、仲良くなった1年生たちからの情報をまとめた結果、最終的には暴力で解決するタイプの性格であることがわかった。
その手の人間であれば、綾小路くんが負けるはずがない。彼の強さは誰よりも私が知っている。
そこでその後の宝泉くんの動きはあえて放置することにした。
協定の膠着状態に一役買ってくれていたのもあるけど、宝泉くんが退学にしようとすることで、綾小路くん自身に、自分が狙われている身だと気づいてもらうきっかけになるからだ。
同じくDクラスの七瀬さんについては、Dクラスが宝泉くんの独裁状態で、彼の方針には逆らえない状態であることも確認できたため、優先度を下げ、様子を見ることにした。
鬼龍院先輩の訴えによる審議会に綾小路くんが不参加になったのは想定外で少し焦りもしたけど、結果は変わらないなら、優先順位は桐山先輩を救うことよりも綾小路くんの安全。
秘密の部屋を飛び出し、万が一に備え、第二体育館へと向かった。
中の詳しい様子はわからなかったけど、案の定、綾小路くんに敗れた宝泉くん。
綾小路くん達が出て行ったことを遠目に確認して、第二体育館に乗り込んだ。
念のため猛獣の牙と爪を抜いておくためだ。
もちろん、これだけの策を巡らしても彼らを妨害できるのは短い期間。
2学期が始まるまで抑え込めるとは思えない。
試験を叩き潰すと意気込んだのに、私にできたことと言ったら結局この程度だった。
でも、これらの事件を通して、綾小路くんが真相にたどり着いた時、きっといくつも疑問を抱えることになる。
そこから綾小路くんなら、ピースを当てはめて、自分が狙われていること、その相手が宝泉くん、八神くん、宇都宮くん、南雲先輩、そしてAクラスの誰かであることには気づけるはず。
だから、あとは綾小路くんが無事に辿り着いてくれることを祈るだけ。
そうすれば私の役目は終わり。
うん、大丈夫。
覚悟を決めて重い瞼を持ち上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やっぱり辿り着いてくれたんだね、綾小路くん」
一之瀬の言葉、表情からは感情が読めない。
読めないというより、オレの理解の範囲外の感情を有している、というのが正確かもしれない。
「私が自分の目的のために周りを巻き込んだことは認めるよ。でも、申し訳ないけど、綾小路くんが一番知りたいことに答えてあげることはできないんだ」
事件の真の黒幕であることを認めつつも、肝心の動機は話さない。
いや、話せない、ということなんだろう。
行動に制約が掛かっている中で最大限の動きを見せた結果が現状だということ。
これらを通して一之瀬はオレに何かを伝えようとしている。
「これだけのことをしちゃったんだから、いくらでも罰は受けるよ。でも、一つだけ伝えさせて。私は綾小路くんの敵じゃない。こんな状況だから信じてとは言えないけど、それだけは絶対だから」
ホワイトルーム生ではない宝泉がなぜかオレの退学を狙っていたこと。
一之瀬が八神、宇都宮を巻き込んで、南雲の自由を奪う策を実行したこと。
Aクラスとペアにならないようにしたこと。
それらを総合して考えれば答えは見えてくる。
だが、それを信じるかどうかは次の問いへの答え次第。
「一つ聞きたい。桐山が生徒会を辞めることになったが、そうなることは予想できたはず。オレの知っている一之瀬ならそんなことは望まない」
「ふふ、おかしいことを言うね。そうはならない、でしょ?」
「……」
戦慄が走り、続く言葉を失う。
「え?あれれ、私の勘違いだったりする?うーん、困ったな。そうなると奥の手を……」
「いや、一之瀬の予測は正しい」
「ホント?よかったぁ。綾小路くんならそうすると信じてたよ」
一之瀬は、オレの想像を一回りも二回りも超えてきた。
「話はもう終わりかな?遅くなるといけないからそろそろ帰ろう。綾小路くんも今日は疲れたでしょ」
寮へと歩き出す一之瀬の背中からは、誰も寄せ付けないような圧が放たれている。
ここでこのまま別れてはいけない、そんな不確かだが確信めいた予感が押し寄せた。
「一之瀬」
こちらの呼びかけに返事はなく、そのまま進んでいく一之瀬。
それでもひとつだけ伝えておきたい言葉がある。
「確かに話は終わったが、さっきの返事がまだ残っている」
オレの敵ではないと言い切った一之瀬に対する返事。
「誰が何と言おうと、オレが今回の罪を許す。むしろ、一之瀬の変化を歓迎したいとさえ考えている」
止まることがないと思われた一之瀬の歩みに淀みが生まれ、肩を震わせ、やがて動かなくなる。
今回の件の責任を取って、一之瀬も生徒会を辞めるつもりだったのだろう。
生徒を助ける立場の人間が、事件を起こし、巻き込んだのだから、正義感、責任感の強い一之瀬がその行為を咎めないはずがない。
今この時も自分を深く責め続けている。
「気づかないところでオレは一之瀬に助けられていたんだろうな」
ゆっくり近づき、俯く一之瀬の前に回り込む。
「オレにはお前が必要だと再認識できた。これからも一緒に居てくれないか」
「……綾小路くんには敵わないな」
溢れる涙ごと包み込むように、胸を貸し抱き寄せた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
週が明けた月曜日。
土日で学力評価に関係なくペア組が決まり始めたことで、宝泉の妨害がなくなったことが周知の事実となり、ほとんどの生徒がペア組を完了させた。
Cクラスに関していえば、堀北が1年Aクラスと上手く交渉をまとめたこともあって、少なくとも退学が危ぶまれるようなペアは存在しない。
あとは筆記試験に向けて各々勉強するだけ。
放課後になると生徒会室へと足を運ぶ。
中に入ると先週追放処分となった桐山以外、全員が揃っていた。
テスト勉強期間中ではあったものの、ここ最近の事件が解決したため、保留になっていた新メンバーの入会が決まったためだ。
新メンバーが来るまで、これまた事件のせいで滞り、溜まっていた雑務に全員で取りかかる。
「はぁー、こうも雑務ばっかじゃ飽きてくんな。俺の生徒会にもロシア語で時々デレる可愛い後輩が欲しいぜ」
「Заткнись и работай(黙って働け)」
「あ?なんて言ったんだ綾小路」
「日本語でかっこよく決める生徒会長が居るから十分です、って言いました」
「チッ、お前がデレてもしかたねえだろ」
「さすが綾小路くん、お世辞にも余念がないね!」
「……綾小路先輩が普通にロシア語を話してることには誰も突っ込まないんっすね」
「ま、デレて可愛い後輩はともかく、使える後輩の人選はできた。到着したみたいだぜ、入ってこいよ」
南雲が入口に向かって声を掛けると、扉が開き、1人の生徒が入室してくる。
「1年Bクラスの八神拓也です。この度、生徒会書記を拝命しました。これからよろしくお願いします」
八神は一礼し爽やかに挨拶を済ませた。
「八神はこの前の審議会での活躍から生徒会に相応しい実力があると判断し抜擢した。これからの働きにも期待してるぜ」
「はい」
八神が席に着くと、南雲はこちらに視線を移した。
「で、お前の方は誰にしたんだ、綾小路」
「もうすぐ来ると思います。こちらも生徒会で働くにあたり優秀な人材を選びましたよ」
「そこまで褒めるなんて珍しいじゃねえか」
そんなやりとりをしていると、再び扉が開き、入室した生徒の顔を見た瞬間、南雲は固まった。
「この度、生徒会書記に任命されました、桐山生叶です。これからよろしくお願いします」
そう言って、これまでのどこかクールぶったキャラクターからは想像できない程の大きな声で、力強く挨拶した桐山は、頭を丸め、坊主になっていた。
「おいおい、後輩でも何でもねえじゃねえか」
「桐山先輩ほど生徒会の業務に長けた人材はいませんよ。それにお互いの人選には文句はつけない約束のはずです」
なんだかんだ生徒会の雑務をこなすことに関していえば、桐山は優秀な生徒。
その桐山がいなくなれば、その分の仕事が増えることは言うまでもなく、新メンバーが育つのを待つよりも、本人に戻ってきてもらった方が効率的だ。
オレが審議会を抜けた3つ目の理由はここにある。
あのまま進行役を続けていれば、桐山の退会処分の判決をオレが出すことになった。
自分の手で追放した桐山を再度オレが入会させることは難しい。
「みんな思うところはあるだろうが、生徒会の下っ端として一から誠心誠意働かせてもらうつもりだ。よろしく頼む」
一礼して、早速積みあがった書類の山に手を付け始める桐山。
「ったく、しゃーねえ。こき使ってやるから覚悟しろよ」
「望むところだ」
言葉の割には悪い顔はしていない南雲。
桐山はこれまで以上に燃えているようにも見える。
「ありがとう、綾小路くん」
そんな様子をみて誰よりも安堵したのは一之瀬だろう。
「いや、生徒会のために最適な判断をしただけだ」
あの時、走った戦慄の正体。
一之瀬がオレの思考を読み切っただけでなく、一つの可能性に気づかされたからだ。
もし桐山が生徒会に在籍したままであれば、オレは新メンバーとして七瀬翼を選んでいた可能性が高い。
それを阻止することも一之瀬の計算の内だったとしたら……。
一之瀬と目が合うと、ニコッと笑いかけてくる。
せめて、オレの退学を狙うメンバーとして警戒しているのか、自身のライバルになりうる存在として警戒しているだけなのか、それだけでも教えてもらえないだろうかと思いながら書類の山に手を付けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
後日談。
5月1日、6時間目の時間を使って、特別試験のテスト結果が発表された。
教室の黒板にも表示されるが、手元のタブレットにも一斉表示される仕組み。
これまでの筆記試験とは異なり、誰がどの教科で何点を取ったかまで簡単にわかるようになった。
全体の成績を確認していく。
今回の筆記テストの難易度は事前に通達されていた学力別の目安よりも簡単なものだった。
そのため、ざっと見た限り、学力Dの生徒でもほとんどが250点以上を取っていた。
学校側も4月早々からとてつもない難易度の特別試験をぶつけ、退学者を出すつもりはなかったってことだな。
だが、学力Aの生徒でも400点前後という指標は本当で、高校1年生までの学習範囲では解けないような問題が各教科いくつか用意されており、調整されていたことがわかる。
あまりに高得点を取られてしまうと、ペアを組むという試験の根幹がほとんど無意味になってしまうためだろう。
クラス順位と獲得したクラスポイントは
1位Cクラス(堀北クラス) 50クラスポイント
2位Aクラス(坂柳クラス) 30クラスポイント
3位Bクラス(一之瀬クラス)10クラスポイント
4位Dクラス(ひよりクラス) 0クラスポイント
その結果、現在のクラスポイントは
坂柳(A)クラス 1360クラスポイント
一之瀬(B)クラス 1020クラスポイント
堀北(C)クラス 775クラスポイント
ひより(D)クラス 360クラスポイント
となった。
個人成績は――。
放課後、生徒会室へ向かっていると、廊下の少し先で、天沢がクラスメイトと思われる女子生徒数名と一緒に歩いている姿が見えた。
「天沢さんすごいねー。あの難しいテストで全教科満点取っちゃうなんて。まだ習ってない範囲の問題も出てたのにさ」
「あーそれね、実はいつもオール満点を取ってる生徒会の綾小路先輩に、手取り足取り、あんなことからこんなことまで、勉強もそれ以外のこともじぃーくりと教えてもらってたからなんだ」
「ええっ、なになに、詳しく教えて」
「わたしもわたしも」
天沢の妄言に食いつき、目を輝かせて続きを催促する女子生徒達。
「あー、綾小路先輩っ!1位おめでとー、ペアで合わせて1000点満点、やったねー!いえーい」
こちらに気づいた天沢が近寄ってきて、ハイタッチしようとしてきたので抗議の意味を込めてスッと横に避ける。
すると、そんなことはお見通しとばかりに、そのまま自然とオレの腕に抱き着いてきた。
一緒に居た女子生徒たちは遠巻きに「キャー」と黄色い声を上げる。
「加減を知らないのか?」
「それ先輩が言います?やっぱりあたしたちって相性いいっていうかー、名実ともにベストパートナーって感じだよね。ヨリを戻すのもアリだと思うんですけど?せんぱいがどーしてもって言うなら考えてあげてもいいかなぁって」
「そのキャラ作りと設定はもう必要ないだろ」
「さてどこからどこまでが演技かな?聡明なせんぱいならわかりますよねー」
「あのな」
「じゃ、これからクラスの友達に元カレ自慢してくるんでこの辺で。バイバーイ」
別れてしまえば、交際の事実は残っても過去の話。
元カレ、元カノなんて関係性は、どうでもいいことだと思っていたのだが……。
どうやらオレは天沢にとんでもない既成事実を与えてしまったのかもしれない。
学友たちの元に戻り楽しそうにしている天沢を見送りながら、面倒なことにならないよう祈るより他になかった。
クラスポイントについては、試験結果だけでなく4月までの生活態度や学校への貢献による変動も含まれています。特に3月、4月は卒業式、入学式で働いたため、生徒会役員のいるクラスのポイントが多めに増えています。
また、ロシア語は雑に翻訳アプリに入れただけですので、間違っている可能性は大いにあります。ご了承ください。
区切りがいいため、ここ数話分の解説補足を活動報告に後程記載予定です。
大した内容ではないですが、気になる方はそちらもぜひ。