「ねぇ聞いた?今年も生徒会にトンデモ1年生が入ったらしいよ」
「あの動画の人だよね。確かにすごかったと思う」
「そうだな。サッカー部の先輩方が手も足も出ないのは相当な実力だと言える」
「とは言っても清隆で慣れすぎてあれぐらいじゃもう驚かないけどな」
廊下ですれ違った上級生の男女4人組の話が聞こえてくる。
今日だけでどれだけこの話題が耳に入って来たか。思わず出そうになった溜め息を飲み込み、待ち合わせの教室に入室する。
全く持って理解できない。
綾小路清隆は何を企んでいる?
サッカーの第二試合から数日経過した。
僕、八神拓也がホワイトルーム生だと気づいているそぶりを見せながらも、一向に排除しに来る気配がない。
僕の警戒が緩むのを待っているとしたら浅はかな考えだが……。
まさか相手にするまでもないと驕っているのか。あるいは一夏のように僕も目的を放棄すると思っているのだろうか。
いや、相手は最高傑作。こちらに殺気を悟らせるヘマはしない。
今頃こっそり僕との決戦に備えて策を巡らせているはず。
その証拠に最近綾小路があの試合動画を動画サイトに載せた。
辱めのつもりだろうか。だとしたら幼稚な策と言わざるを得ない。
確かに、僕の痴態を世界に晒され、初めこそほんの少し、わずかばかりの雀の涙より少ないぐらいは憎悪が増す感覚があったことは認める。
だが、あの最高傑作が僕との直接対決を避け、笑い者にして精神的な消耗を狙うことしかできないのだと気づいてからは、寧ろ気分が良い。
この調子でいくらでも策を披露すればいい。
それらを全て退け倒してこそ僕が1番だという証明になる。
第一この程度の屈辱、これまでアイツと比較され続けた日々と比べれば生温いのだから。
「おい、八神聞いてるか?」
目の前に座る南雲が訝しげに問いただしてくる。
内密に話がしたいと呼び出され、入室するや否や得意げに色々語り始めていたが聞き流していた。
この男は自分の話が僕の時間を割くに値するものだと思っているのか。
日頃の言動といい、自分が特別だと信じて疑わないめでたい男。
裸の王様……いや、王と言うほどでもないため、お山の大将当たりの言葉が似合う人種だ。
「ええ、もちろん。夏休みを利用した特別試験についてですよね。南雲生徒会長の代と綾小路副会長の代でだいぶ内容が異なったようですが、今年はまた随分と異例ですね」
だが、こんなお山の大将でもこの学校で持つ権力と財力はそれなりに役立つ。せいぜい綾小路を退学させるまで利用させてもらう。
「ったく、ぼーとしてるようでちゃんと聞いてやがるのは綾小路みたいだな」
「あははは、綾小路先輩と比較されるのはなかなか複雑ですね」
「……」
「どうしました?」
南雲は黙ってこちらを観察している。
腹立たしい発言に対しても無難な返答をできたはずだが、何か気に障ったのだろうか。
「大したことじゃない。お前を生徒会に入れて正解だったと思っただけさ」
「正解、ですか」
「例の特別試験に参加している1年はどいつもこいつも使えなかった。俺に言わせれば綾小路を退学にしてやるって気概が足りてないのさ。中途半端な覚悟で倒せる相手じゃねえってのにな」
「それで言うと僕も全然です。やはり試験とはいえ先輩を退学にするのは気が引けますし」
「いいや、嘘だな。お前の中には綾小路に対する執念がある。それもとびっきりのな」
「……何か誤解があるようです。僕は綾小路先輩のことは尊敬して――」
「悪いが人を見る目には自信がある。どういう経緯でお前がそうなったかは聞かねえし、興味もない。ただ必要なのは綾小路を倒すのに使えるかどうかだ」
「驚きました。そこまでおっしゃるなら隠す必要もありませんね。こちらこそ南雲生徒会長と手を組むことができて光栄です」
はぐらかすこともできるが、ここは譲歩して胸襟を開いたフリをする。
僕の憎悪が知られたところで問題はないし、指令遂行の邪魔になるなら排除すれば済むだけの話。
笑顔を作りながらそんなことを考えていると南雲は小さく息を吐く。
「ったく俺の周りにいる後輩はどうしてこうも食えないヤツばっかりなんだろうな」
「その割には楽しそうですが」
「力を示すにはそれ相応の相手がいる。雑魚ばかりの同学年じゃ味わえない刺激さ。お前は違うのか八神?」
「わかりかねますね」
勝負を楽しむ、なんて発想は甘えでしかない。
敗北は死と同義。勝つことで存在価値を示し続けなければ生き残れないのだから。
余計な感情をそぎ落とし、いかに勝つかだけに思考を――。
「そうか?想像してみろよ、綾小路を倒した瞬間を。最高に燃えるだろ」
「……」
無意味だと切り捨てるのは早計か。
勝利のシミュレーションは、モチベーションの向上、勝ち筋の発見や再現性などプラスに働く要素は多い。
そうは言っても最高傑作を下したその瞬間を具体的に想像することはできないのだが……。僕に敗北したとき綾小路はどんな顔をするのか。本人と接触した現在でさえも未知数だ。
ただ、これは悲観すべきことではない。
僕を含め誰も想像できない――いや、能天気な目の前の男には想像できているのかもしれないが、確証のない想定はただの妄想だ――からこそやる価値がある。
「確かに見てみたい光景ではありますね」
「だろ。それを実現するのが無人島での試験ってわけだ。以前模擬的に似たような企画を実施してな、データはそれなりに揃っている」
「なるほど」
そういって南雲は自身の計画を話し始めた。
この計画を上手く利用すればチャンスは作れる。
本来は月城の計画を補佐する予定だったが、直接対決できるならそれに越したことはない。
「ってわけで今度の生徒会会議でこの試験についての意見を募る。その時がお前の出番だ」
「はい、お任せください」
目の前の男と余計な話をし過ぎた影響だろう。
勝利の瞬間を想像する過程でふとこれまで考えもしなかった素朴な疑問が生まれる。
どうでもいいことのはずだが、頭の隅にその疑問が残り続け――消えそうにない。
もしも――綾小路より僕が上だと証明できた時、果たしてこの身を焦がす憎悪は消え去るのだろうか。消え去ったとしたらその時僕は――。
こんなどうでもいいことが気になるのは、任務とはいえぬるい環境に浸かってしまった弊害に他ならない。
綾小路がどこでどんな準備をしていようと、何をしかけてこようと僕が勝てばいいだけの話。その後の感情など些事で気にする必要はない。
ホワイトルームを捨てくだらない時間を過ごしていたアイツよりも僕の方がはるかに優秀だと先生たちに証明してみせることが全てだ。
無駄に長い南雲の話を聞き流しながら、今頃必死に僕を倒す策を練っているであろう綾小路を想像し、拳を強く握り締め直した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夕暮れ時、オレは例の喫茶店のカウンター席に座って、ある窮地を乗り越える策を思考していた。
「ねえねえ、これからは先輩のことダーリンって呼んでもいい?」
相変わらず閑古鳥が鳴いている店内で、蠱惑的な笑みを浮かべ猫なで声を響かせるのは隣に座る天沢。
これがホワイトルームで学んだスキルだとしたらカリキュラムの見直しを進言したい。いや、その前にこんなカリキュラムを真面目にこなしスキルを身につけてきた天沢を褒めるべきか?
「からかいたいだけなら帰るぞ」
「えー、あたしにそんなこと言っていいのかなぁー」
オレの腕に抱きつき、天沢は自身の胸元に手を入れカードキーを取り出して、色々ちらつかせる。
具体的にどこに入れていたのかは聞かない方がいいだろう。そんなキーが欲しいと言えば別の意味が生まれ、からかう口実を与えてしまう。
「先輩のために頑張って取って来たんですよ、ほらほら」
南雲によるオレの部屋の合鍵争奪戦は天沢が勝利したらしい。
天沢のことだから我が物顔でオレの部屋に入り浸るのだろうと思ったが、本人から返還したいと申し出て来た。ゆっくりできるところで話してからと条件を出されたため、この喫茶店に入ったのだが、天沢が素直に返してくれるはずもなかった。
結局あの手この手で誘惑?される事態になってしまい、どうすれば変態呼ばわりされずに穏便にこの合鍵を回収できるだろうか、そんな窮地を脱するための思考を巡らせている。
「こういった技術も5期生からは教わるようになったのか?」
「どう思いますー?」
上目遣いでニタッと笑う天沢。
「だとしたら卒業後も帰るのは控えたいな。オレには到底こなせないカリキュラムだ」
ここまで学びたいと思えないスキルがあるとは……。対策用の経験として座学なら許容できても実技は遠慮したい。
「あはは、安心してよ。綾小路先輩を堕とすために個人的に星之宮って人の言動を参考にして女子高生風にアレンジしただけだからさ。大人の魅力に若さが加わったら無敵だと思いません?」
「あの教師は教育上よろしくないということが再確認できたな」
そっけない回答に膨れている天沢を他所に、星之宮先生だけでなく、日頃からはだけた服装の茶柱先生も、この学校に風紀委員がいたら即刻取り締まられただろうな、などと想像する。担任の痴態がクラスポイントの減少対象になっていたら笑えない。
「話を逸らすのもいいけどさ、そろそろ返事も聞きたいなぁ」
「大前提としてそれが本物の合鍵という証拠はない」
ひとまず解決策を見つけ出すまで時間を稼ぐことにした。
「あー、可愛い後輩を疑うんだ、ひどーい」
「天沢に対しては酷いと思えないから不思議だ」
そんなやりとりをしていると厨房からマスターがアカネオブライズを持ってやってきた。
「後輩くんは相変わらずの塩対応だね。せっかくのデートならもっと優しくしてあげてもいいんじゃないかい?幸い、ここには他にお客さんもいないわけだし」
経営者として客が少ないことを『幸い』と表現していいのか。
「そうですよねー。もっと言ってあげてくださいよぉ、マスター」
「ふふ、だけど後輩くんがこの店に人を連れてきたのは君が初めてだよ、後輩ちゃん」
「ほんとー!嬉しい。先輩ってもしかしてツンデレ?」
「異議申し立てしかないんだが……」
変わり者のマスターと天沢が変な化学反応を起こし始めたため、早めに鎮火に取り掛かった方が良さそうだ。
「わぁ、この赤いオムライス美味しいねー」
「ありがとう。自慢の一品さ」
が、聞く耳を持たない自由な2人。
「あ、写真撮る前に食べちゃったから、また一緒に来ようね、せーんぱい」
「個人的に通えばいい。常連になればオリジナルメニューを作ってくれるかもしれないぞ」
「えー、こんな古くて怪しいお店、一人じゃ入れないよ。だから、ね?」
「言われてるぞマスター」
「鈍感にも程があるよ、後輩くん」
「本当にねー」
意気投合し頷き合う2人。
意図せず余計な出会いを提供してしまった感が否めない。
「ただそろそろ新メニューを開発したいとは思ってたんだ。なかなかアイディアが降りてこなく……あ、閃いた。ちょっと外すけどゆっくりしててね」
「はーい。ゆっくり、『ご休憩』しちゃいまぁす」
オレをしばらく観察したのち勇み足で厨房に戻るマスターを天沢が手を振って送る。
「さてと、真面目な話だけどさ」
マスターの姿が見えなくなったところで、天沢が真剣な顔つきになり、こちらを向き声量を落として話を切り出す。
話題は合鍵の返却条件か、ホワイトルーム関連か、月城の動向か。
「このままじゃ先輩に彼女が出来ることはないよ」
「これ、本当に真面目な話か?」
「先輩は現状をまるでわかってないと思ってさ。優しい元カノからの忠告だよー」
「オレも馬鹿じゃない。修羅場の中にいる自覚はある」
「でもぉ、それって先輩視点の話だよね」
「含みのある言い方だな」
あえてオレ視点と表現したからには別視点で考える必要があるということ。
そしてこの場合の別視点の候補はひとつに絞られる。
「考えてみてよ。先輩と付き合った彼女がどうなるのか」
「どうなるんだ?」
天沢の言いたいことはわかったが、せっかくなので話に付き合うことにする。
「例えば先輩がおっぱいの魅惑に負けて
天沢は、教師然とした口調で話を進める。内容含め色々ツッコミどころはあるが話が進まなくなるので聞き流す。
「彼女は人望があり、容姿端麗で巨乳、お似合いのカップルだと多くの人から祝福されるでしょう。でも同時に妬む人は必ず出てきます」
「それはそうだろうな」
恋愛市場や恋敵、なんて言葉があるように恋は戦い――突き詰めれば生存競争――と言える。
勝者がいるなら当然敗者も出てくる。その敗者がすんなりと敗北を受け入れるのか、戦いを続行するのかは人次第だろう。
「例えば自称幼馴染や退学退学うるさい女がそれにあたりますね」
例え話のはずが随分と具体的な人物を指してないか。
「陰湿な彼女たちは裏でH波ちゃんのことを虐めたり、陥れたり、退学を狙ったりするに違いありません」
「一理あるが、
「ええ、本人に向けた悪意になら立ち向かえるかもしれませんね。しかし最終的に、なぜか彼女のクラスメイトが何人も退学することになったらどうでしょう?」
「……おい」
「わかってます、サンプルが一つだと足りませんよね。他の例も出します。趣味友達から発展して
「自称幼馴染や退学狂が暴れる過程は同じなんだろ。最終的にどうなるんだ?」
「最終的にはなぜか図書館の本が全て切り裂かれてケヤキモールの本屋も潰れるでしょう」
「……」
「このように突然の不幸によって彼女たちは恋愛どころではなくなり、綾小路先輩は恋愛を学ぶことができなくなりましたとさ、おしまい」
わかりました?とじゃれつく猫のように肩を寄せてくる天沢。
「要約すると恋人を作るなら、最終的な障害である元カノを早めに処分しておけ、という話か」
軽く拳を鳴らしながら天沢を見てみる。
「冗談じゃん。そんなに怒らないでよ」
もちろん怒ってはいないが、天沢はわざとらしく慌てて離れた。
「でも過程の話は起こりうるよね。どんな嫌がらせ、誹謗中傷を受けてもまるっと返り討ちにできる女子しか先輩の彼女は務まらないってことだよ。つまり該当する候補は1人しかいない」
「候補はいない、の間違いだろ」
「もー、なんであたしじゃダメなのか説明を求めまーす」
自分が彼女候補にすら入っていないことがわかり、不服なご様子。
天沢は本当に感情が豊かに見える。
「単純な話だ。オレが学習したいのは本物だけ。それ以外ならわざわざ外に出てまで学ぶ必要はない」
恋人を作るだけならいつでもできるし、入学当初のオレならそれで満足したかもしれない。
だが、これまでの学生生活で目にした本物たちはとても輝いて見えた。
今ではオレ自身もその感情を体験することで、学び、紐解き、理解したい、と考えている。
そのためには適当な相手では不十分。
オレも相手に対しその輝ける何かを見つけなければならない。
その点で考えると、ハニートラップによる任務が終わった現在でも天沢が言い寄ってくるのはオレと同じような『学習』が理由だろう。
お互いに恋愛を学びたいだけの間柄では得たいものは得られない……かもしれない。
「もしかして先輩って本当の愛とか探しちゃうタイプ?残念だけどそんなものはないよ。恋は脳の錯覚だって。所詮ホルモンの作用でしかないじゃん」
「なら、それを検証、証明したいとは思わないのか」
「あー、はいっ。証明したいからヨリ戻そ」
「元々オレたちの間に戻すヨリなんてあってないようなものだろ。天沢なら相手をそれなりに選べると思う。オレにこだわる必要はないんじゃないか」
「本気で言ってるなら怒りますケド?」
プライドのようなものだろうか。簡単に攻略できる相手ではなく、自分が落とせない相手を落としたい。そういった考えなのかもしれないな。
天沢は恋愛関係よりも攻略するまでに重きを置いているのか。
「天沢がそのつもりなら、もう否定はしない」
「やっとわかってくれた?じゃあ――」
「だからと言って付き合うわけじゃない」
「ちぇー」
ふてくされた様子の天沢。
あの施設にいてここまで感情豊かになっているのは、指導方針の違いなのか、本人の資質によるものか、その点は気になるな。
実際のところ天沢の指摘は一理ある。
オレが恋人に対して手を差し伸べない前提ではあるが、悪意の矛先が恋人に向き、場合によっては恋愛関係を維持できなくなることもあるだろう。
「もっと恋愛は気軽なものだと考えていたんだがな。どうしてこうなったんだ」
書物や映像でみた恋愛モノの作品の大半は、交際や結婚までに様々な障害を乗り越えるものばかりで、結ばれてからはあまり語られない。
まさか乗り越えた先の方に面倒事が待ち受けているとは思わなかった。
「まー、それについては自業自……高校生は多感だから仕方ないんじゃない」
「平穏な日々と恋愛は相反するのかもな」
「かもねー」
2人揃って遠くを見るように店の壁を見つめた。
「お二人さん、なんだか熟年夫婦のような会話をしているね」
そうしているとマスターが再び厨房から顔を出した。
「失礼な、まだまだアツアツだよー」
「いや良く言って常温だな」
「その発言だけ聞くと氷点下だよ、後輩くん」
「温めて欲しいなぁ、チラッ」
「そんな目で見ても無駄だぞ」
「マスター、どうしたらせんぱいって甘々になるかなぁ。試しに食後のコーヒーにお砂糖たっぷり入れておいてね」
地味な嫌がらせはやめて欲しい。
「ふふっ、僕から見たら十分甘い青春を送っているよ」
「これが、青春……キュンキュンしますね、せんぱいっ」
「適当すぎるだろ」
そんなくだらない会話を続けていると、厨房からタイマー音が聞こえてきた。
「おや、できたみたいだ。後輩くんとその後輩ちゃん、新作メニューの試食をお願いできるかい?」
「わーい、楽しみ!」
こんなマスターだが腕は確かなので頷いておく。それを確認したマスターはお礼を告げ、厨房に入り、程なくして新作メニューの試食を一皿持ってきた。
「はい、どうぞ」
「これは……」
「カレーだね」
オレたちの前に出された皿に盛り付けられていたのはカレーライスだった。
ライスとルーの境目あたりに半月型に切られたゆで卵が2つ並べられている以外は至って普通のカレーに見える。
茜色のオムライスレベルの突拍子もない料理を想像していただけに肩透かし感は否めない。
「ただのカレーじゃないよ。名付けて『塩の麹キヨタカレー』だ」
「は?」
前言撤回。肩を透かすことはなく、フルスイングで殴りつけてきた。
「塩対応の後輩くんと塩で清めるってのをかけてるのさ、ライスにルーをかけるようにね」
上手いことを言ったとキメ顔のマスター。
「あははは、面白ーい。じゃあ、もしかしてこのゆで卵は、せんぱいの目つき?」
乗っかる天沢。
「その通りさ。良い感じに脱力してるだろ」
「うんうん。味もなんだか複雑で美味しい」
「お目が高いね、後輩ちゃん。一見平凡に見えるカレーだけど、この中にはたくさんの隠し味が入っているんだ。どうだい、後輩くんを上手く表現できたんじゃないかと思ってるんだけど」
「……あれ、マスターって実は切れ者?」
「ははは、僕が日頃から研いでいるのは包丁だけさ。茜ちゃんから色々聞いていたからね。気が抜けているようで実はすごいんだって話を、それはもう」
そう言ってマスターは橘がよく座っていたであろう席を温かい目で見つめる。
「味は認めるが、人の名前で勝手に商売されてもな」
この商品名が原因で全く売れなかったらそれなりに辛い。
いや、人気メニューになったらなったで抵抗感はあるが……。
「もちろん、タダとは言わないさ。今後、後輩くんは顔パスで全品
「マスター、タダって言ってるじゃん」
「ナイスツッコミ、後輩ちゃん」
サムズアップするマスターと楽しそうな天沢。
「ただし無料にするのは後輩ちゃんと一緒に来た時だけね」
「マスターは神」
ウインクするマスターと崇める天沢。
拒否するのは簡単だが……。
外の世界でこれだけ気兼ねなく接することができる人間がいることは天沢にとって貴重な経験になるかもしれない。
こんな店に人がたくさん来るとも思えないし、オレの名前のメニューがあったところで悪目立ちはしないだろう。
「わかった、その条件を飲む」
「やったー」とハイタッチを交わす2人。
「その代わり合鍵は返してもらうぞ」
「はーい」
すんなりとカードキーが差し出されたことでオレの目的も達成できたのでよしとするか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「結局、せんぱいはどうやって彼女作るつもり?」
激甘のコーヒーを飲み終え、喫茶店から出たところで天沢が距離を詰めて尋ねてくる。
「それに関してはアイディア募集中だ。そこまで言うってことは天沢には案があるのか?」
方針は固まりつつあるが、他の意見を聞いてみるのも悪くない。
「トラブルなく交際をスタートしたいなら、周りから認められることが絶対条件だと思うんだよね。だからさ、シンプルな方法しかないんじゃないかな」
「シンプルな方法?」
ゴホンと咳込み、語り出す天沢。
「先輩、正妻戦争が始まります――――。
その座を巡って、
問おう、お前がオレの正妻か?
いま、綾小路清隆との交際をめぐる戦いが始まる!!!
って感じ」
「却下」
「えー、いい線いってたと思うんだけどなぁ」
「恋人候補同士で争った場合、天沢の独壇場だろ」
「……バレたか」
だが、方向性は似たようなものだったことからオレの考えもそこまでズレたものではなさそうだ。
「アイディアとしてはおもし――」
話を続けようとしたところで、茂みから人の気配を察し会話を中断する。
天沢も少し警戒を強めたことから、そちら側の差し金ではなさそうだ。
「誰かなぁ、あたしたちの逢瀬を邪魔するのは?」
天沢が気配のした方へ声を掛け牽制する。
「王子……噂は、本当……だったんですね。平田王子という運命の相手がいながら、なぜそのような女と……」
茂みから顔を出したのは憔悴しきった様子の諸藤だった。
『噂』というのは語るまでもなく天沢との交際のことだろう。
天沢は諸藤を見て「ね、言ったとおりでしょ?」と目配せしてくる。
先ほどまで話題にしていた安易に恋人を作ると面倒なことになる、という一例だと言いたいのだろう。
だが、これに関しては想定内。
「何か誤解があるな。天沢とは現在なんでもない仲、先輩と後輩関係だ」
「えーひどーい。さっきまで仲良く愛について語り合っていたのに」
ここぞとばかりに嫌がらせをしてくる天沢。
「状況証拠がすべてです。王子、これは由々しき事態と言わざるを得ません。ファンクラブ会員全員が納得する説明を求めます」
「確かに証拠が全てだな。なら、諸藤に見てもらいたいものがある」
オレはポケットから用意しておいた写真を取り出し、諸藤に差し出す。
諸藤は訝しみながらもそれを受け取った。
「こ、これは……」
写真を見るなり、目を丸くしてわなわなと身体を振動させる。
渡した写真には先日のサッカーの大会で優勝トロフィーを持つオレに、涙を流しながら抱き着き勝利の喜びを分かち合う洋介が映っている。
「何を隠そうゴールデンウイーク中は洋介のためにサッカー部の助っ人になり、ずっと一緒だった。これでもまだ疑うのか?」
「とんでもございません。私の早とちりでした。王子たちは愛を育んでいたのに、つまらない噂に騙されていた自分が恥ずかしいです」
天沢と行動していた事で頭の中が不安でいっぱいであるなら、それよりも強烈な記憶を植え付けてやるのが一番手っ取り早い。
天沢が噂を広め、想像以上に元カノという称号の重さを知った時点で、諸藤が暴走することは予想できた。
つまり、この写真を撮るためにもあの大会で洋介と決別するわけにはいかなかったという話。
「この人にそこまでする価値ってあります?」
一連のやり取りをみて色々と察した天沢が耳打ちしてくる。
入学して間もない天沢には実感がないだろうが、諸藤がファンクラブ会員に発信する情報の影響力は馬鹿にできない。
もし、天沢との交際が継続中などと会報を出されれば、それこそ『恋愛感情』を学習する機会は失われていただろう。
「少なくともオレは恋愛を学ぶ過程で必要なピースだと考えている」
「ふーん」
「不満か?」
「別にー」
「まぁこれからする話は天沢にとっても悪くないはずだ」
下手をすれば諸藤に危害を加え兼ねない天沢に釘を指し、自分の世界に入って戻ってこない諸藤の肩を叩き、こちらに意識を向けさせる。
「諸藤もわかっているだろうがオレの交際を周囲に認めてもらうのは難しい」
「はい。それはもう王子たちの苦労を思うと胸が痛みます」
「そんな状況に終止符を打つために諸藤にも協力して欲しいことがあるんだが……」
「王子たちのためなら何なりと」
「オレに負けを認めさせた相手と交際を約束する戦い……そうだな、あえて名付けるなら『正妻戦争』の開催を告知して欲しい」
「「はい?!?」」
驚く諸藤と天沢。
天沢が冗談交じりに語った名称を拝借した。
馬鹿げた企画には同じぐらい馬鹿げたネーミングの方が良いと思えたからだ。
この学校で過ごす中で受けた恋愛に関する印象は『戦い争う』ということと大きくずれたものではないしな。
「なるほど……。平田王子が他のライバルを蹴散らして自分をモノにしてくれれば他の人たちも文句は言えない、と。わかりました、全面的に協力させてもらいます」
「……ってことは先輩に勝った人なら誰彼構わず付き合うってこと?」
「勝負の内容にもよるが基本的にそうなるな」
例えばじゃんけんやくじ引きで負けたとしても、それでは意味がないため無効にする。
あくまでオレが負けたと認める勝負が前提。
相手に対する恋愛感情はまだまだ未知の分野。
オレは異性に好意を向ける、という本質を理解できていない。
だが、もし自分が相手に対し『惚れる』という感情を抱くなら、少なくとも興味を惹く何かを示された時なのではないかと思う。
勝負することで、それを測る機会を作る。
「この方法なら全員に平等に機会があり、勝者が結ばれるという構図である以上、周りも認めざるを得ない」
「まぁそうだけどさ……」
前のめりで乗ってくるかと思った天沢だったが、諸藤とは違い何やら煮え切らない様子。
「王子は熱くぶつかり合った相手と結ばれるシチュが理想だったんですね。なるほど、なるほど、なかなか妄そ――夢が広がります。では詳しい話をお聞かせ願いますか」
「ああ。いくつか条件とルールがなければ成立しないからな。それと忘れないうちに言っておくが『ただしブラコンはお断り』の注意書きだけは絶対に記載するように」
そうして諸藤に具体的なルールを説明し、後日告知へと至った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数日後、例の喫茶店。
「ねえせんぱい、今どんな気持ち?」
「……」
「ううん、野暮な質問だったね。マスター、せんぱいに例のカレーひとつ」
「はいよー」
出てきたカレーを黙って口に運ぶ。
大々的に告知したにも関わらず、数日経った現在も正妻戦争への参加者は現れていなかった。
ああ、口に広がっていくカレーがやたら塩辛く感じるのはきっとマスターが塩麹を入れすぎたからに違いない。
~正妻戦争の大まかなルール~
・綾小路清隆と交際を希望する生徒は、自身の用意した勝負内容で戦い申し込む
・綾小路清隆はどんな内容の勝負でも必ずそれを受ける必要がある
・勝負の結果、綾小路清隆が負けを認めた場合、勝負を挑んだ生徒が交際権を獲得
・勝負を挑めるのは在学期間中ひとり一回まで(ただしブラコンはお断り)
・期限は無期限
正妻戦争のお話は今後も要所で挟まっていく予定です。
今回、誰も応募しなかった主な理由は
①事実上の誰とも交際しない宣言と捉えた人(綾小路くんに勝てるわけがない)
②自分では綾小路くんに勝てる自信がない人(参加したいけどできない)
③綾小路くんを倒すための勝負内容を練っている途中の人(全然思いつかない)
④八百長だと思っている人(好きな人が来たらわざと負けると思っている)
⑤ドン引きしている人
⑥ブラコンの人
のどれかにほとんどの生徒が入るためだと思います。
挑戦回数が1回までなのも本気で好きな人にとっては重い条件ですね……。