ようこそ実力至上主義の生徒会へ   作:まぐまれむ

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悪戦苦闘

元気になった波多野を見送り、オレも帰宅のため階段を降る。

 

これで無人島試験の対策へ話を進められそうだ。一之瀬があのタイミングで波多野の元へ向かわせたのはそういう意図だろう。

南雲たちに対抗するため、近いうちに3人で戦略カードの内容のすり合わせが必要だな。

 

ひとまず心配()しているであろう一之瀬へ結果を伝えるため携帯端末を手にした時だった。

 

端末が振動し、着信を知らせる。

こちらの行動を先読みした一之瀬からの電話かと思い戦慄が走りかけたが、ディスプレイに表示された発信元は予想外の人物。

出るかどうか一瞬躊躇するも無視した方が後々面倒になりそうだと諦めて通話ボタンを押した。

 

「綾小路、至急茶道室に来てくれ」

 

開口一番用件のみを伝えてきた相手は、担任兼茶道部の臨時顧問(マスコット)である茶柱先生。

何かあったのか、電話越しでも相当焦っていることが伝わってくる。

 

「部活は休みでは?いま友達とカラオケでフィーバー中なんですが」

 

あえて適当な嘘で反応をみてみる。

 

「わかりやすい嘘をつく暇があるなら早く来――うッ。た、頼む、このままじゃ……。わ、ま、待て。そんなことをしたらダメだ」

 

急に声を張り上げ何かを抑止しているようだが、向こうの状況は読めない。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「大丈夫じゃないから呼んでいるんだ」

 

「ごもっとも」

 

「いや、お前だけでは対処しきれないかもしれないな……。そうだ、椎名も一緒に連れてきてくれ。大事な話もあるし、丁度いい」

 

「ひよりも?」

 

「必ず、必ず来るんだぞ」

 

会話の余地なく一方的に電話を切られた。

仮にも大人である茶柱先生が対処しきれず、オレやひよりに助けを求めるような事態か。

面倒に思う気持ちよりも、わずかに好奇心が勝ったため、言われた通りひよりに電話をかける。

 

「ひより、大事な話がある。今から茶道室に来れないか?」

 

『えっ……大事なお話、ですか?』

 

「やはり難しいか。急で悪いとは思っているんだが、どうしてもひよりが必要なんだ」

 

『私が必要……。いま図書室ですので伺うことは難しくありません。ただ、その……部活が休みでどなたもいないはずの茶道室に2人で行くというのはつまり……』

 

ひよりのことだ。今のやり取りだけで、これからトラブルに巻き込まれる運命を察したに違いない。

 

「ひよりの想像通りだ。何も聞かず付き合っ――」

 

『その続きは直接お会いした時に伺います!!まだ心の準備が……』

 

慌てて遮るひより。

オレも茶柱先生の用件を把握しているわけではない。直接本人に聞いた方が手間が省けるか。

 

「それもそうだな」

 

『その……正妻戦争の方は良かったのでしょうか?あんなに大々的に告知なさっていたのに』

 

「正妻戦争?そんなものは関係ない」

 

『か、関係ない。なるほど、その可能性も考えてはいましたが、まさか私とは思っても……』

 

ぼそぼそと呟くひよりの声はうまく聴きとれなかったが、ひよりなりにこれから何に巻き込まれるかを想像しているのだろうか。

 

『とても緊張してきました。清隆くんはこういう時も落ち着いているんですね』

 

「そうか?これでもこの先の展開を楽しみにしているんだが……」

 

『いますぐ向かいます』

 

ひよりにしては妙にぎこちない感じだったが、気にしている場合ではない。

呼び出しておいて待たせるのは申し訳ないため、オレも急いで茶道室に向かうことにした。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

「――というわけなんだ。部活が休みの日にすまない」

 

茶道室に入る前にどこか余所余所しいひよりに事の経緯を説明すると、なぜか微笑みながら固まってしまった。

どこかブラック櫛田さんに重なるものがあるため、理由はわからずともよろしくない状態であることだけは察した。

 

「清隆くんっていつもそうですよね。私のことを何だと思っているのでしょうか?」

 

静かな口調でよくわからない質問が飛んでくる。

 

「難しい問いだな。読書友達、茶道仲間、気の合う友人……いや、頼りになるパートナーあたりが一番近いか」

 

「パートナー……。そうですか、そのように……。わかりました、先ほどの電話のことはこれ以上とやかく言いません。……特別ですよ」

 

「それは助かる」

 

素直な考えを話したのが良かったのか、いつも通りの笑みを浮かべてくれたことで安心した。

 

「それにしても茶柱先生はどうなさったんでしょうか」

 

「オレにも見当がつかないが、いつも通りろくでもない話になるんじゃないか?」

 

「清隆くんもメタな発言をなさいますね」

 

そんな会話をしながら茶道室に入ると――――

 

「「……」」

 

「お前たち来てくれたかッ」

 

「「失礼しました」」

 

予期せぬ光景を目にし、2人して思わず戸を閉めてしまった。

 

「……本の読み過ぎで少々目が疲れているのかもしれません」

 

「ああ。オレも生徒会で脳が疲れていたのかもしれない」

 

そんな感想を伝え合い、ひよりと顔を見合わせる。

だが、揃って同じ幻覚を見るはずがない。

 

「確かめなくてはいけませんね」

 

「そうだな」

 

恐る恐る戸を開けて中を覗く。

 

そこには茶柱先生が――赤子を抱いていた。

顔を歪めているのは、オレたちが逃げたからか、赤ん坊にポニーテールを引っ張られているからか。

 

「えーと、サエママ先生、ご出産おめでとうございます」

 

「馬鹿を言うな、綾小路。私が一児の母に見えるのか?」

 

「ご年齢的にはいてもおかしくないのでは?」

 

「ぅぐ……」

 

「私も全く気づきませんでした。もしや胸元を大胆に広げた服装は、膨らむお腹から視線を逸らすためだったのでしょうか……」

 

「椎名もズレた推理は止めろ」

 

「……ご家族はポチだけじゃなかったと」

 

育児に奔走する茶ばママに構ってもらえず、しゅんとショボくれたポチの姿が浮かんでくる。

今度、思う存分散歩に連れて行くことにしよう。待っていてくれ、ポチ。

 

「私のポチへの愛情は本物だ。他に注がれたことはない!」

 

言ってて悲しくならないか、それ。

 

「しかし言い逃れできぬ愛の結晶がその腕の中にいらっしゃると思います」

 

なぜかぐいぐいと問い詰めるひより。

ひよりもポチのことが大好きだからな、許せなかったのかもしれない。

 

「私の目は誤魔化せません。真実はいつもひとつです」

 

違った、探偵魂に火がついただけか。

 

「だから、私はそういう子供の出来る行為はこれまで一度も――って何を言わせるんだ」

 

気まずい空気が流れても赤ん坊にそれがわかるはずもなく、間の悪いことにチャーママを叩きながら笑っている。

当の本人は赤ん坊を慣れない動きであやしながら、わざとらしく咳込みをした。

 

「この子は育休中の茶道部顧問の先生のお子さんだ。今日は復職の挨拶に来ていてな、校長先生に話をしに行く間、私が預かることになったわけだ」

 

「大方予想通りでしたね」

 

「そうだな」

 

最初こそ驚きはしたが、なぜ茶道室にいたのかを考えれば想像するのは難しくない。

オレが茶道部の指導員になったきっかけがこの赤ん坊だからな。

 

「なっ……だったらさっきまでのやり取りはなんだったんだ」

 

「余興ですかね」

 

「ええ。お約束と言いますか、ご愛敬と言いますか……。少し八つ当たりもあったかもしれません。愛の結晶を見せつけるにはあまりにタイミングが悪かったもので」

 

「お前たちの中での私に対する扱いがよくわかった。今度の日本史のテストを楽しみにしておくことだ」

 

「清隆くんが苦戦するテストを出されたら全員赤点で退学になるかと」

 

「くッ……ひ、卑怯だぞ。学力を盾にやりたい放題か」

 

「それは実力至上主義らしいのでは?」

 

これが茶道部でマスコット化してしまい、教師としての威厳を失った者の末路か。一応サンプルとして記憶しておこう。

 

「それで茶母しら先生」

 

「ちゃぼしら?」

 

「失礼、噛みました」

 

「……これ以上、付き合わないぞ」

 

「では、そろそろ本題に入っていただければと」

 

話が逸れたのは誰のせいだと睨まれたが、自分で面白ネタをぶら下げてきたのだから文句を言うのはお門違いじゃないだろうか。

 

「実は挨拶に行った先生がなかなか戻られなくてな。私はこれから職員会議なのだが、お子さんを放置していくわけにもいくまい。かと言って職員室へこの子を抱いたまま移動でもしてみろ。先ほどのお前たちのいじりが可愛く思える事態になるだろう」

 

「つまりオレたちに赤ん坊の面倒をみておけと」

 

「そういうことだ」

 

「ポチと一緒の感覚で頼まれても困るんですが」

 

この学校に来て多くのことを学んだが、赤ん坊の扱いは未知の領域。

言わずもがな、ホワイトルームのカリキュラムにもなかった。

新しい経験という意味で興味がないといえば嘘になるが、赤ん坊から何か学べるかは疑わしい。

加えて赤ん坊に万が一のことがあれば、それを理由に月城から退学処分を通告されるリスクもなくはない。

 

「ほんの1時間足らずだ。茶道部での最後の仕事だと思ってしっかり務めてくれ」

 

「大事な話、というのはそういうことでしたか……」

 

茶柱先生の言葉にひよりが反応した。

 

正式な顧問が戻ってくる以上、臨時顧問も特別指導員も不要となる。

期間限定であることは承知の上だったが、終わりは急に来たな。

茶道部の活動は、なんだかんだこの学校生活での数少ない癒しの時間となっていたが、正式な顧問を差し置いてまで無理に所属し続けるほどのものでもない。

 

だが、ひよりにとってはそうでもなかったようで逡巡を巡らせているように見えた。

 

「清隆くんは、その……」

 

続く言葉をひよりは飲み込み、目を逸らすように俯く。

それと同じタイミングで茶柱先生の携帯が鳴った。

 

「すまん、綾小路。この子を頼む」

 

「え……」

 

半ば強引に赤ん坊を託されるが、こちらはどう抱きかかえればいいのかすらわからない。

 

茶柱先生に尋ねようにもすでに電話対応中。

 

ひとまず先ほどまでの茶柱先生の抱きかたを真似するがどこか収まりが悪い。

せめてどこをどう支えて欲しいか、赤ん坊から要望を出してくれれば助かるのだが……。

 

わかるのは少し力を入れただけで壊れてしまいそうな温かな存在の重みだけ。

 

「ええッ!?わかりました。はい、私も至急向かいます。はい」

 

電話を切る茶柱先生。

 

「悪いがその子のことは頼む。おむつやミルクの材料、おもちゃなど育児用品一式はそこに置いてある。必要に応じて使ってくれ」

 

それだけ言い残し、大急ぎで退出した茶柱先生。

 

「職員会議、という雰囲気じゃなさそうだったな」

 

「ええ。茶柱先生も中々の巻き込まれ体質なのかもしれません。先生のいらっしゃるところで事件が起こるような……」

 

言われてみれば、問題児だらけの初期Dクラスの担任を任されている時点でそうなのかもな。

 

「それより問題はこっちだ」

 

先程から赤ん坊が腕の中でもぞもぞと動き始めている。

やはり抱きかかえ方に不満があるのだろうか、全くわからない。

 

そんな様子をじっと見つめているひより。

そろそろ助けてほしい。

 

「実は年の離れた弟妹がいて赤ん坊に慣れている、なんて設定を出してくれてもいいんだぞ。オリジナルの追加設定は今日日ご法度とは言い切れない」

 

「残念ながら赤ちゃんと触れ合うのは私も初めてです」

 

ささやかな期待が霧散する。

 

「せめてお名前ぐらい聞いておくべきでしたね。産休に入ったタイミングからすると生後10か月あたりでしょうか」

 

赤ん坊の小さな手を握り、優しく微笑むひより。

 

「子育ての大変な部分を知らないから言えるのでしょうが、本当に可愛いですね」

 

そんな感想を述べた後、少し考えるそぶりを見せひよりは少々お待ちくださいと茶道室から退出してしまう。

ひよりに限ってはないと思うが、このまま帰ってこないなんてことは……。

 

いや、最悪の場合は常に想定しておくべき。

ひよりが帰ってこないことを前提にどう赤ん坊をあやして保護者の帰りまで持たせるかを考える。

 

本来であればネットで赤ん坊の抱きかかえ方を調べ、しっかりとホールドしておきたいところ。

抱えているのが赤ん坊でなければ並行して取り組めただろうが、相手は予測不可能な行動を取るため目を離すのは危険と判断した。

 

こちらも腹を括るしかないか。

 

ホワイトルームで赤ん坊の扱い方は学ばなかったが、赤ん坊をホワイトルームがどう扱っていたかは実体験としてある。

タオルケットを敷き、その上に赤ん坊を置く。

そしてしっかりと目を見つめ語りかける。

 

「いいか、ここにお前の好きなおやつがある」

 

育児用品の中から拝借した乳幼児用のおやつを見せると、赤ん坊は興味を示したようで視線がおやつに釘付けだ。

確かな手ごたえを感じたため、話を進める。

 

「今からこれを右手か、左手に握っておく。おやつがあると思う方の手を触るんだ。正解なら食べていい」

 

わざとらしく赤ん坊にも見えるように右手におかしを握り、一度後ろを向いてから、両手を目の前に差し出す。

 

「3回外すまでチャンスを与える。さあ選ぶんだ」

 

果たしてどんな反応を見せてくれるのか。

 

赤ん坊の手がオレの右手の方へと伸びていく。

 

と思ったが、右手はスルー。

 

オレの右頬を思いっきり引っ掻いてきた。地味に痛い……。

 

後ろを向いた際にオレが口に隠したと考えたのか?

こちらが与えた選択肢以外の可能性を探る姿勢。

 

 

――コイツは天才かもしれない。

 

 

オレがこの域に達したのは記憶している限り2歳。

他のカリキュラムも試してみるか。今から始めればオレを超える最高傑作へと育つ可能性もある。

 

「やるな。なら次の――」

 

実験を試してみるか、と言いかけたところで大きな声が響く。

 

赤ん坊が突然泣き出した。

 

「どうした?おやつがもらえなかったのが嫌だったのか?」

 

予想外の選択を見せても、外れは外れ。正解していない以上、おやつは渡せない。

 

のだが……

 

「……まぁひとつぐらいならいいか」

 

余りにも泣き止まないため、持っていたおやつを握らせてみる。

ここはホワイトルームではないし、これで大人しくなるのなら悪い判断じゃないだろう。

赤ん坊と友好的な関係を築くという意味でもご機嫌は取っておいた方が良い。

 

が、赤ん坊はおやつを放り投げる。

 

そうなるといよいよ泣きだした理由がわからない。

実験が気に入らなかったのか?簡単すぎたのかもな……。

 

「そこまで言うならもう少し難易度をあげてもいいが」

 

「だぁあぁ」

 

拒絶とも思われる発声。こちらの提案はお気に召さなかった、ということか?

 

恐らく何かを訴えているのだろうが……。

思考を巡らせてみるが、一般的に赤ん坊が泣きだす要因を把握していない為、正解にたどり着けない。

人間の三大欲求になぞらえるなら、おやつを投げ捨てたことから空腹ではないと判断できる。

睡眠欲も眠いなら泣かずに寝ているはず。

性欲は……流石に考える必要はないだろう。

 

ダメだ、わからない。

 

もちろん、泣き止ませるための方法もわからない。

このまま泣き疲れるのを待つか?だが、その場合の赤ん坊の身体的負担、精神的負荷は発育によくないのではないだろうか。

いや、それ以前に人間の本能的なものだろうか、この泣き声を聞くと、泣き止ませた方が良い気がしてくるから不思議だ。

 

ホワイトルームはあの職員数であの人数の赤ん坊をどうやって管理しているんだ。

オレはたった一人相手でも相当苦戦しているわけだが、管理できるということは世間的には方法が確立されているということ。

要は知識の問題。

それを手探りで探していくしかないか。

 

いくつかの仮説を立てていく。

 

「さっきまで泣いていなかったということは抱きかかえられている方が落ち着くんじゃないか」

 

赤ん坊を再び抱えてみる。

 

「おぎゃー」

 

「違ったか」

 

「なら、こちらが派手な動きをすることで気を引くのはどうだ」

 

派手な動きが思いつかなかったのでスズーズブートキャンプを披露する。

 

「あぎゃぁー」

 

「だめか」

 

「育児用品の中におもちゃがあった。これで遊ぶか?」

 

木製の車を渡してみる。

 

「だぁああー」

 

「効果なしだな」

 

その後も考えついた方法を試していったが、一向に泣き止まない。

 

「打つ手なしか……」

 

赤ん坊がこれほど手ごわい相手だとは思わなかった。

万策尽きたため、最後の手段として共感性を示す意味で一緒に泣き喚いてみるか検討し始めた時だった。

 

「お待たせしました、清隆くん」

 

「ひより……」

 

「お困りのようですね。ここは私にお任せください」

 

状況を一瞬で把握してくれたようだ。

 

「何か策があるのか?言っておくが一筋縄ではいかない相手だぞ」

 

「はい、赤ちゃんをあやすと言えば古今東西読み聞かせと決まっています。急いで図書室から本を借りてきました」

 

「なるほど」

 

そんな方法があったのかと感心する。

 

「では、読み聞かせの間に綾小路くんはこちらを」

 

渡されたのは育児の本。

 

「ついでに借りてきました。素人判断は危険ですからね」

 

この学校の図書室の蔵書はどうなっているんだと疑問に思わないでもなかったが、渡りに船だ。ありがたく使わせてもらおう。

 

「さぁ今からご本を読みますよ」

 

ひよりは泣き続ける赤ん坊の傍に座り、持ってきた本を開く。

果たして読み聞かせに効果はあるのだろうか。

 

「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が羅生門の下で雨止みを待っていた」

 

「……なぁ、ひより」

 

「どうされました?」

 

「それはなんというか赤ん坊に読み聞かせる話として適切なのか?」

 

「もちろん、純な文学なのですから、おとぎ話のように、出自が不明だったり、意図的に改変されていたりする空想的な話を聞かせるよりも、より良い情操教育になるはずです」

 

「それもそうか」

 

確かに桃から人が生まれる、相撲でクマに勝てる、動物を助けたら恩返ししてもらえるなどと誤った知識を身につけられても困るしな。

 

「では続けますね。広い門の下には――」

 

赤ん坊には難しい話だとは思ったが、内容は関係はないのだろう。

楽しそうに本を読み聞かせるひよりとすぐに泣き止んだ赤ん坊を見ながらそう思った。

 

読み聞かせが終わり赤ん坊が泣き止んでからは育児の本を参考に過ごしていく。

どうやら泣いていた根本的な理由はおしめの交換にあったようだ。

 

悪戦苦闘しながら取り替えると泣いていたことが嘘みたいに笑顔になった。

 

「本によると、腕全体で輪を作り包み込むように抱くと良いらしい」

 

「たしかに赤ちゃんも安心している気がします」

 

赤ん坊はひよりの腕の中できゃっきゃと笑っている。

 

「こうして赤ちゃんを抱っこしているとなんだか多幸感に包まれますね。不思議です」

 

「そういうものなのか」

 

ということは逆説的に赤ん坊を抱いているときに感じる感情が多幸感ということか。

 

「ひより、交代してもらえるか」

 

先程は多幸感を感じる余裕がなかったため、改めて確かめようと赤ん坊を受け取ると――。

 

「おぎゃあー」

 

泣き出す赤ん坊。

 

「なんでだ」

 

最初と違い、抱きかかえ方は完璧なはず。どこかに見落としが?

 

「ちょっといいですか」

 

ひよりが抱きかかえた途端、泣き止んだ。

 

「ふふふ、赤ちゃんのあやし方で勝負すれば正妻戦争でも勝てたかもしれませんね」

 

「今からでもそのルールで勝負するか?」

 

「いいえ。赤ちゃんを勝負の道具にはしたくありませんから」

 

「安心した。その勝負内容だと赤ん坊の方に興味が湧いていた可能性が高い」

 

「えっと……つまり赤ちゃんが欲しいと」

 

ひよりの耳が赤く染まり、お互いに失言だったと察する。

 

「深い意味はなかった」

 

「そ、そうですよね」

 

気まずい沈黙が流れる中、赤ん坊は不思議そうにこちらを眺めていた。

 

「それにしても茶道部から清隆くんがいなくなってしまうなんて寂しいです。恥ずかしながら3年間ずっと一緒に活動できるような気持ちでいました」

 

ひよりは話題を変えたかったのか、ふと飲み込んだはずの言葉を漏らした。

普段はその手の話は胸に秘める傾向にあるひよりだったが、赤ん坊と一緒にいることで気が緩んでいたのかもしれない。

 

「その……お別れ会は盛大に行いますので楽しみに――」

 

力なくしゃべりながら俯いた先には赤ん坊の顔があった。

 

「すみません。これではいけませんね」

 

表情が和らいだひより。オレに向き直り、ゆっくりと口を開いた。

 

「茶道部の部員も増えました。清隆くんさえよければ顧問の先生と2人で指導というのも悪くはないのではないでしょうか」

 

素直に気持ちを出せたということだろう。

少し照れながらも清々しい表情が印象に残った。

 

「その件だが、子育てが大変なことは身に染みてわかった。おそらくこの子の親も顧問をしながらでは難しい場面もあるだろう。その時はオレを頼ってもらっても構わない」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ」

 

言葉が通じるのは楽だなと感じる。

 

「待たせたな。お子さんは無事か?」

 

と、茶柱先生がやっと戻って来た。

 

「ご覧の通りです」

 

赤ん坊はひよりの腕の中でうとうとしていた。

 

「よくやった。お前たちに頼んだ私の判断は正しかったようだ」

 

「ところで随分帰りが遅かったようですが、何かあったんですか?」

 

「職員会議という様子でもなかったですし、私も気になっていました」

 

「あの時の電話は校長先生からだった。顧問の先生が病院へ緊急搬送することになったため私に付き添いをして欲しいと」

 

「お母さんはご無事なのでしょうか?」

 

すっかり赤ん坊に感情移入してしまっているひよりが不安そうに尋ねる。

 

「ああ。健康面での問題ない。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……実は病院で2人目の妊娠が発覚してな。育休を延長することになった」

 

「――ということは」

 

「私の臨時顧問と綾小路の特別指導員はもうしばらく継続することになるだろう」

 

「とても嬉しいのですが、素直に喜べないのはなぜでしょう」

 

「まぁ気持ちはわかる」

 

結果は同じだが、直前のひよりの勇気が水泡に帰す形になったからな。

 

「でも、ええ、良かったです。これからもよろしくお願いしますね、清隆くん」

 

「ああ。まだまだ教えていない作法もある。オレとしても中途半端にならなくてよかった」

 

「……椎名、私には何かないのか?なぁ」

 

そんな騒動にもひと段落着いたところで別れの時間がやって来た。

赤ん坊を親の元へ送るため、校門でタクシーの到着を待つ。

 

「茶柱先生、あとはお任せします」

 

「もちろんだ。責任持って親御さんのところまで送り届けてくる」

 

「赤ちゃん、元気に育ってくださいね」

 

「あう」

 

赤ん坊の手を優しく握るひより。

ひよりから促され、オレも赤ん坊の手に触れてみると想像よりも力強く握り返してきた。

 

「……」

 

「清隆くんもすっかり気に入られたみたいですね」

 

「そうなのか」

 

「ええ」

 

最後までよくわからなかったが、一般的な人間が赤ん坊に向ける感情を学ぶことができた点は非常に有意義な経験だったと言える。

 

「ではな。今日は助かった」

 

「お気を付けて」

 

そうして茶柱先生が乗ったタクシーが見えなくなっても、2人でそのまま佇んでいた。

 

「……行ってしまいましたね」

 

「ああ」

 

名残惜しそうなひより。

こんなひよりの様子は名作の小説を読み終えたあとぐらいでしか見たことがない。

 

「なんだか少し先の未来を体験できたようでした」

 

「オレも育児の知識を得ることができた。次があればしっかりと面倒をみれるはずだ」

 

「ふふ、清隆くんは良いパパになれますね」

 

「それはどうだろうな」

 

ホワイトルームに管理される未来で父親になれるのかどうか、なれたとしてオレは――。

 

「そろそろ帰りましょうか」

 

「そうだな。すっかり遅くなってしまった」

 

そうして校門を背にし、学生寮へと向かおうとすると、待ち構えていたように人影が近づいてきた。

 

「綾小路先輩、ちょっといいですか?大事な話があるんですが」

 

声をかけてきたのは――椿桜子だった。

 







茶道部顧問の先生は、産休の後、育休に入り、約1年で戻って来ようとしていたわけですが、ふと気になり書き終えた後でちゃんと調べてみたところ

教員の産休は16週、育休は最大3年取れるらしいと……。

きっと教師の仕事が好きで早めに復職したかったんです!ということでどうか←
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