赤ん坊を届けに向かった茶柱先生を見送った後、大事な話があると椿から呼び止められた。
今日はそんな話ばっかりだ……。
椿と会話するのはサッカーの試合以来だが、大事な話と言われて思い当たるのは――。
「まさか正妻せ……」
「では綾小路先輩にクイズです」
こちらの冗談に反応してくれない割に、自分は変な企画を開催するのはいかがなものか。
「問題です」
同意など求めていないようで勝手に進行していく。
「月日は百代の過客にして?」
それだけ告げると黙って見つめてくる。続きを答えろということらしい。
「……行きかう年もまた旅人なり」
奥の細道の序文。今の自分の状況を考えると感慨深いものがあるな。
「正解。さすが綾小路先輩、知識がユキ届いてますね」
「これに何の意味があるんだ?」
椿の意図を測りかねていると
「清隆くん、この方も文学がお好きなのでしょうか?」
謎の茶番を隣で眺めていたひよりが目を輝かせて尋ねてくる。
「そうなんじゃないか?」
「でしたらぜひお友だちになりましょう。私は2年Dクラスの椎名ひよりです。ミステリーが特に好きですが、オールジャンル読みます」
嬉しそうに椿の手を握りしめるひより。
「えっと、椿桜子です。その……私にわかなんで――」
「知識の深さは関係ありません。クイズにしてしまうくらい松尾芭蕉がお好きなのでしょう。好きな作品を共有したい気持ちは私も痛いほどわかりますので」
ぐいぐいと攻め寄るひよりに押され気味の椿から助けを求めるような視線を感じたが、こうなったひよりは止められないと小さく首を横に振る。
「あー……はい、じゃあよろしく、です」
流石の椿もあまりに純粋な眼差しを無碍にはできなかったようだ。
「それで、見事正解した綾小路先輩に景品として大事な話をしたいんだけど」
椿は喜ぶひよりを横目に仕切り直すように咳込みをした後、そう切り出した。
「……」
が、続きを話すことはなく黙ってしまう。
「話さないのか?」
「ここで話すのもなんですから場所を変えていいですか」
「それは構わないが……」
場所もだが、暗に2人で話したい、ということだろう。内容は不明だが、ひよりには聞かせたくない話題なのか、あるいは二人になることが目的か。
「先輩の部屋なんてどうですか」
「それは世間体的によろしくないな」
昨晩のやりとりでご機嫌斜めのままなのか、櫛田からしばらく夕飯は別にすると連絡があった。
そのためできるできないの話で言えばできるわけだが、日が沈んできたこのタイミングで後輩女子を部屋に連れ込むのは色々と問題になる。
加えて仮に椿がホワイトルームからの刺客ならそれを理由にあることないことでっち上げて、オレを退学にする算段かもしれない。
すでに天沢、八神と2名の刺客を見つけたわけだが、あの特別試験の性質上、残りのCクラス、Dクラスにいてもおかしくはないだろう。
「人目を気にするならカラオケの個室でどうだ?」
「じゃあそこで」
ただ椿に関しては限りなくシロに近いと考えている。
オレを退学させたいなら、サッカーの試合でオレを助ける必要はなかった。椿自身の証言ではあるがその試合を家族が応援に来ていたことも大きい。
それでも可能性は0ではないが、良からぬ企みがあるかどうかは次の質問ではっきりする。
「ひよりも同席して構わないか?後輩女子と2人で個室というのも変な噂を生みかねない。これでも生徒会副会長だから気をつけてるんだ」
椿から「どこが?」とでも言いたげなジトっとした目で見られたが喉元で押しとどめてくれたらしい。
「いいの?一応気を遣ったつもりだったんですけど」
「ああ、その点は気にしなくていい。ひよりもすまないが、もう少し付き合ってもらえるか?」
「ええ、構いません。椿さんとももっとお話したいですし」
「それならいいですけど」
すんなりOKを出したことで警戒レベルを下げる。
しかし椿の方は何か気になるのか、オレとひよりを交互に見た後、こちらの顔を伺うように疑問を口にした。
「……ちなみに二人の関係は?」
「頼れるパートナーです」
即答するひより。
「なるほど、確かに下位2クラスのリーダー同士なら協力する場面は多そうですね。1年のC、Dクラスでは考えられないですけど」
「Dクラスのリーダーが宝泉じゃ無理もない」
椿の感想にはいくつか勘違いがあったが、ひよりを連れていく理由付けとしては申し分なかったため、適度に話を合わせておいた。
「そうなんですよね。宇都宮君と犬猿の仲なのもありますけど、それ以前に信用できない相手ですから」
「賢明な判断だな」
「でも綾小路先輩の言うことなら聞くんじゃないんですか?サッカー頑張ってたし」
「そんなことはない。あの時は機嫌でも良かったんじゃないか」
そんな他愛もない話をしながらカラオケルームへ移動する。
受付を済ませドリンクが運ばれてきた後、椿の表情が真剣なものになった。
「今から話すことは、本来他言無用のルールで縛られている話です。お二人にもその点は理解いただければ」
「もちろんだ。他言しないことを誓う」
「私もです」
こちらからの同意を確認すると、盗聴、録音の可能性を考慮してか、声を潜めて話し始めた。
「一言でいうと、綾小路先輩を退学させることに成功すれば3,000万ポイントがもらえる特別試験が1年生の一部で実施されています」
「えっ!?」
宝泉の一件から予想できたオレとは違い、ひよりは衝撃を受けた様子。
気になるのはオレたちのリアクションを椿が普通に受け入れていること。
「そんな試験を学校が実施するとは思えません」
「本当のことです。南雲生徒会長と月城理事長代理のもと発表されましたから」
「にわかには信じられませんが……」
「いや、椿の言っていることは真実だろうな。心当たりがある」
一之瀬の計らいでオレが狙われていること自体は把握できていた。
「宝泉君の件ですね。あっけなく失敗したみたいですが」
オレが驚いていないことを気にしていなかったのは椿がそこまでの情報を掴んでいたからか。
公になっていないはずのあの一件を知っているというのは、存外、油断ならない相手かもしれない。
「ここまでは綾小路先輩にとっても真新しい情報ではないと思っていました」
「ああ。報酬内容は知らなかったが、1年の中にオレの退学を狙っている生徒がいるとは考えていた」
「では、具体的に誰が参加しているのか、ご存じですか?」
「いや、宝泉の他には、八神、天沢ぐらいしか把握していない」
他にも目星がついている生徒もいるが、あえてホワイトルーム生の名前を出して椿の様子を探る。
「天沢さんが参加しているのは妙ですね。ルールでは各クラス最大で2名までの参加で、Aクラスは高橋君と石上くんだったはず……。ちなみにBクラスは八神くん、Cクラスは宇都宮君と私、Dクラスは宝泉君と七瀬さんが参加者です」
「この学校はポイントを使えば何でもできるからな。いくらか払って参加人数を増やしたか、交代したのかもしれない」
実際のところ刺客である天沢は試験と関係なく退学を狙ってきたわけだが、お互いのためにも建前は必要。
事実、その特別試験は刺客を紛れ込ませるためのカモフラージュのようなもの。失敗しても特別試験だから襲ったと逃げ道を用意し、相手がホワイトルームからの刺客とは限らない状況を作っている。
月城からしてみれば他の生徒がオレを退学にしてくれたら棚から牡丹餅だしな。
今のところ椿の話と反応におかしいところはない。疑問があるとすれば――。
「リスクを負ってまでどうしてこの話を打ち明けてくれたんですか?」
気になっていた部分をひよりが先に尋ねてくれた。
「これでも綾小路先輩には感謝してるんですよね。もしこちらが提示する条件を飲んでくれるなら、私たちCクラスはこの特別試験を棄権するつもり。寧ろ今回みたいに情報を流して協力してもいいと思ってるってことです」
「なるほどな」
前回のサッカーでのやりとりと同様に椿は椿で目的があり、それが多額のポイントよりも価値があるわけだ。
「椿さんには申し訳ないのですが、手放しで信用できるのでしょうか?こちらを油断させて罠に嵌めるというのは常套手段です」
「その点は大丈夫だと思っている。椿がその気なら、オレを退学にするチャンスはあった」
「そういうことです。敵対するよりも協力した方がお互いに利があると判断しました」
綺麗事や感情論ではなく利害の一致。
椿とは付き合いが長いわけでもないため、納得できる理由ではある。
「話は理解した。取引の条件を教えてもらえるか」
「もし綾小路先輩が無事に卒業出来たら、そのあと、私の実家を訪ねて欲しいんです」
「不思議な条件ですね。理由を聞いてもいいですか?」
「この学校を出発する前に家族への手紙や贈り物を先輩に渡すんでそれを届けてください。とても大事なものなので直接手渡しでお願いします」
「確かに卒業生なら学外にモノを持ちだすことはできるし、退学にした相手には頼めない内容だな」
「ですが、今年の3年生に頼まないのはどうしてでしょうか?あるいは他の2年生でもいいのでは?」
「信用度の問題ですね。今回のことで恩も売れるし、前例もあるから綾小路先輩なら取引した約束は守ってくれると思って」
「その考えは共感できます」
椿の話を聞き、頷くひより。
「どうですか?綾小路先輩にとっても悪い話じゃないと思うんですが」
「そうだな……」
問題は卒業後のオレはホワイトルームへ強制送還される予定のため、そんなことができるのかどうか、という点。いや、考えるまでもなく不可能だろうな。
「わかった。その条件を飲もう」
だが、先のことはわからない。
それなら有益な方を選択しておくべきだろう。
「ありがとうございます。早速ですが私の知っていることをお話ししますね」
そうして椿から期限が2学期が始まるまでであることや各クラスの動向など情報が提供された。
「あと宇都宮君曰く、なぜか南雲生徒会長がノリノリで参戦してるらしいんですよね……」
「アレはそういう生き物だ。気にする必要はない」
「はぁ。なんというか先輩と後輩から狙われながらよく生徒会活動なんてできますよね」
「オレも悪い冗談であって欲しいと常に思っている」
「それだけで済ましてるのがヤバいと思うんですけど」
「ふふふ、清隆くんは生徒会がお好きなんだと思います」
「そういうわけじゃ……なくもないのか?」
ひよりの指摘はオレの頭になかったもの。
目的のために所属しているのであって、そこに好き嫌いの感情はない。
ないはずなのだが――。
「話は以上です。また情報が入ったら会いにユキますね」
「ああ。よろしく頼む」
思わぬ形で協力者ができた。
どこまで当てになるかは今後次第だが、判断材料が増えるに越したことはない。
カラオケから出てコンビニが見え始めたところで、晩御飯の調達のために寄って帰ることを2人に伝えた。
今日は何だかんだ疲れたので食事を弁当で済ましても罰は当たらないはず。
「わかりました。先ほどのお話、何か協力できることがあればいつでも頼ってくださいね」
ひよりからの申し出に軽く頷いて応える。
寮へ歩き始めたひよりが少し離れたところを見計らって椿が近寄って来た。
「椎名先輩をパートナーにする理由がわかりました。ますます敵対しなくて良かったと思います。ただ――綾小路先輩にとって一番大事なのは幼馴染、という点だけはお忘れなく」
椿からはよくわからない釘の刺され方をされる。
坂柳に買収でもされたのだろうか。
そうなると今回接触してきたのは坂柳の差し金という線も出てくるが……。
「坂柳と和解したのか?」
「はぁ?ありえないですよ。あんな偽幼馴染と仲良くするぐらいなら宝泉君と協力する方がマシです」
「溝は深いな」
となると誰を大事にしろと言っているんだろうか。
度々謎の言動を繰り返してきた椿だが、協力者となった今なら教えてくれるかもしれない。
「さぁさぁ、椿さん。今日は朝まで芭蕉トークをいたしましょう。お友だちを部屋に招くのは初めてですから楽しみです」
「えっ……ちょっとま――」
追及しようかどうかと考えていると、戻って来たひよりが問答無用でぐいぐいと椿の腕を引っ張っていった。
「呼び止めるほどでもないか」
見る見るうちに小さくなっていく二人の背中を眺めながら、ふと椿の出したクイズを思い出す。
「行き交う年もまた旅人なり……か」
旅に出たい気持ちを抑えきれず江戸を飛び出した松尾芭蕉は約5か月をかけて東北、北陸地方を巡り、現在の岐阜県大垣市で旅を終える。
その結びの句として詠ったのは――『蛤のふたみに別れ行く秋そ』。
出会った人々あるいは終わってしまった旅への惜別の情を表現しているとされる。
オレはあとどのくらい旅人でいられるのだろうか。
その旅の最後には別れを惜しむようになるのだろうか。
せめて過ぎ去っていく一日一日を楽しめる旅人でありたいと先人の探究心に思いを馳せた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いまお茶を出しますね」
あれよあれよという間に椿は椎名の部屋まで連れ込まれてしまった。
建前や冗談ではなく本気だったことに驚き戸惑った隙を突かれた形だが、はっきりと断りきれなかったのは嬉々としている椎名の顔を見ると「あのクイズは綾小路先輩に『ユキ』と言わせたかっただけで、松尾芭蕉に思い入れは全くないんです」と真実を告げることが憚られたためだ。
ただこのままでは発覚するのは時間の問題。
誤解を解くなら早いほうがいいだろうと今更ながら椿は覚悟を決める。
正座して姿勢を正し、口を開く。
「あの椎名先輩、私マジでそんな――」
「はい、どうぞ。粗茶ですが、茶道部でなら本格的なお茶もご馳走できますので、いつでも遊びに来てくださいね」
ニコニコしながらお茶を持ってきた椎名に出鼻を挫かれる。
「……いただきます。それで――」
「さて、何からお話ししましょうか」
「だから誤――」
「やっぱり宝泉くんの件、からですかね」
「はぃ?」
椎名の思わぬ発言に椿は一瞬固まってしまう。
「恥ずかしながら知らなかったもので」
「芭蕉トークするんじゃなかったんですか?」
「それもいいですが、優先順位を間違えるわけにはいきません」
初対面ではあったものの椿は椎名のことを知っていた。
パートナー筆記試験で2年Cクラスとは一之瀬帆波経由で協力した経緯がある。
その交渉をしてきた宇都宮曰く、『大和撫子を体現したような先輩』と話していたことを記憶している。
宇都宮の言っていたこともわからなくはないが、実際に話してみて、深い洞察力を持ち機転も効く人物だと先ほどのカラオケのやり取りでわかった、いや――わかったつもりになっていた。
油断したところを連れ込まれ気づけば逃げ出すこともできない状況。
自分の見立てが甘かったと今更ながら痛感する。
「……綾小路先輩が話していないなら、勝手に話すのはどうかと」
「清隆くんはなるべく周りを巻き込まないようにしているんだと思います。本当はもっと頼って欲しいんですが、彼なら1人で何とでもなるのも事実です」
「なら放っておいてもいいんじゃないですか」
「それとこれとは話が別です。必要不必要ではないんです。私が清隆くんの力になりたい、それだけです」
本心だとは思う。
ここで話してしまっても綾小路の害にはならないし、自分が責められることもないはずだ。
だが――だからこそ椿の最終目的を考えると椎名に協力するのは躊躇われた。
「清隆くんと私は協力関係です。もしお話しいただけないなら椿さんに何かやましい事情があると判断いたしますが」
この言葉を聞き、自分は試されているのだと椿は理解した。
綾小路のように椿を信用する根拠を持たない椎名は、この場での言動で信用するかどうか見極めるつもりなのだろうと。
のほほんとした雰囲気に惑わされてはいけない。
クラスリーダーを務め、あの綾小路清隆が側近としておくほどの相手。
ただの癒し枠ではないということ。
そう認識を改めた結果、椿は余計な考えを完全に捨てることにした。
「わかりました。私の知っていることは全てお伝えします」
「ありがとうございます」
頼れるパートナーとはよく言ったものだ。
自信の表れからか付け入る隙がありそうな綾小路のその隙がなくなった感覚。
椎名が目を光らせている以上、椿は下手な企みはできなくなった。
「――とまぁ1年生で注目されている生徒の情報はこんな感じですね。満足しました?」
宝泉の事件の話から始まり、各クラスの方針、中心人物の印象など根掘り葉掘り問われて、椿もさすがに疲れが見えはじめた。
「はい。では、最後に大事な話をしなくてはいけませんね」
「もうネタ切れなんですけど」
「いいえ、寧ろここからが本番とも言えます」
ここまで穏やかな表情で聞いていた椎名の表情が真剣なものに変化した。
一体どんな話が出てくるのかと息を飲む。
「情報が出揃ったらやることはひとつでしょう」
わかりますよね?と目で訴えてくる椎名。
なるほど、敵の分析を終えたため、先手を打つつもりかもしれないと椿は思考を巡らせる。
椎名のクラスには、いかにもな山田アルベルトをはじめ腕っぷし自慢が多いと聞く。
武力行使をされれば、頭脳タイプでひ弱そうな石上や八神は瞬殺、個の力では勝っている宝泉も多勢に無勢でなすすべなく制圧され、退学試験参加者がこぞって退場なんてことも……同級生たちの死屍累々な惨状が頭を過ぎり、全身に嫌な汗が滲んできた事を椿は自覚する。
幸いだったのは自分たちCクラスはすでに試験を降りたと宣言したことだ。
でなければ、自分の身もどうなっていたか――
「それで椿さんはどんな句がお好みですか?」
「どんな苦って……えっ」
椿から思わず弱々しい声が漏れた。
排除の対象に自分も入っているのだとわかり戦慄が走っていた。
もしかすると疑わしきは罰しろの精神なのか。
なぜかはわからないが、ここまでの問答で信用ならないと判断されたのだ。
今の椿にとって、どんな責め苦で拷問されたいかを笑顔で尋ねてくる椎名は恐怖の象徴でしかなかった。
本能的に逃げ出すことを選択し立ち上がろうとするが足が上手く動かない。
まさかお茶に一服盛られていたのか、更なる恐怖が満ちていく。
実際は長らく正座をしていたことが原因だが、椿は慣れない長時間の会話での疲労もあって、混乱し冷静さを欠いていた。
そんな中、椿は思い出す。
昨年の椎名のクラスはリーダーが恐怖でクラスを支配していたという噂を。
その時は小動物のようなあの先輩が?と思い、与太話にしてもくだらないと聞き流していたが、今ならそれが身に染みてわかる。
今から自分は心から屈服したと椎名が判断するまで恐怖を植え付けられるのだ。
あらゆる拷問の数々を想像し、震えそうになるのを必死で抑える。
「お姉ちゃん……」
窮地に追いやられか細い声で縋るように助けを求めた相手に、椿自身驚いた。
「顔色が優れませんね?ああ、そうですよね、緊張するのはわかります。でも恥ずかしがることはありません。みなさん最後には素直になりますから」
どんな恥ずかしめを与えるつもりなのか。
優しく話しかけてくる姿勢が逆に底知れない恐怖を感じさせる。
怒鳴りつけて脅迫する輩は三流だ。椎名の立ち振る舞いは一流のそれに違いない。
「椿さんがお話にならないなら私から始めますよ」
詰め寄ってくる椎名に対して、許してと諦めの言葉が出そうになる。
「やはり王道ではありますが、私が好きなのは『古池や蛙飛び込む水の音』ですね」
「え、あっ、そっちの句?」
「やはり有名過ぎて月並みでしたか」
「いや、いいと思います。カエルが池に飛び込むのはカワイイデスヨネー」
「それは面白い着眼点ですね。音の方に注目しがちですが、確かにカエルさんの動きを想像してみるのも世界が広がります」
「ワカッテモラエマシタカ」
「では『夏草や兵どもが夢の跡』についてはどんなお考えを?」
椿の身体からドッと力が抜けて行った。
大事な話とは芭蕉トークのことだったのか。
椿は誤解を解くことはできなかったが、椎名は勝手に話を膨らませてくれるので、適当に相槌を打ち続けることにした。
「そう言えば、宝泉君の事件はほとんどの生徒が知らないようでしたが、椿さんはどこから情報を入手されたんですか?」
「被害者の波多野君がクラスメイトで、心配を装って色々聞き出しました――」
「なるほど。生徒会での清隆くんの様子を聞ける相手がいるのは羨ましいですね」
『あっ』と思った時には時すでに遅し。
綾小路にも明かさなかった情報源を自然な流れでしゃべってしまった。
これが狙いだったのか?でも気にしたそぶりもなく芭蕉トークは続けている。
どこまでが意図的でどこからが天然なのか、全くわからない。
全て考えすぎの偶然なのか、あるいは全てが計算の上なのか。
とんでもない先輩に関わってしまったと椿は相槌を続けながら答えの出ない問いに悩まされることとなった。