Aクラスが作成したテストは流石といったところで、難易度はもちろん、油断するとケアレスミスを誘う引っ掛け問題のような嫌らしい問題が並んでいた。
クラスメイトには難しく感じるかもしれない。
だが、それでもこの一か月勉強をしてきた成果を出せば、全員ボーダーラインを下回る点数になることはなさそうだ。
今日最後の教科は現代文か。
問題を見ると、これまでとは変わった一癖ある問題であることに気づく。
全50問中、漢字の問題が49問。文章問題が1問と大胆な方式。
だが、異質なのはその中身だ。
『全49問の漢字のうち、好きなものを10個選択して読み仮名を答えよ』
考えたな、坂柳。
ペーパーシャッフルの問題作成のルールは各教科必ず50問作ることがルールであり、配点は指定されていない。問題用紙に50問記載されていればあとは自由。通常であれば1問2点となるが、この方法をとれば最後の文章問題の配点を80点に設定できる。
つまり最後の1問に全てをかけてきたということ。
漢字を手早く片付けて、最後の文章問題に目を通す。
なんだこれ……不可解な問題に思わず疑問が出てくる。
難易度以前の話。何を目的として作ったのだろうか、その意図が読めない。
『ウミガメのスープを模した読解問題です。下記文章とQ&Aから読み取れる答えを述べよ』
「あるところに極秘施設がありました。そこは最強の人類を作り出すための実験施設です。そこで生まれ育った実験体の少年Aは、その施設に幽閉され、外の世界を見たことすらありません。そんな中、少年Aは過酷なプログラムをこなしていき、その施設唯一の成功例となります。そんな彼でしたが、ある日、外の世界を見にいこうとその施設を脱走してしまいます。自由な世界は少年Aに悪影響を与えるかもしれないと、実験施設の職員たちは慌てました。ところがしばらくすると彼はその施設に帰ってきます。それは何故でしょうか?」
Q.少年Aはその施設のことが嫌いでしたか?
A.いいえ。自分を高めてくれる施設を気に入っていました。
Q.少年Aのこなしてきたプログラムは本人が過酷と思っているだけで実は簡単でしたか?A.いいえ。朝から晩まであらゆるトレーニングや実験の日々で自由や休日は、ほとんどありません。被験者の中には精神に異常をきたす者もいるほどです。
Q.少年Aは外の世界を見てどう思いましたか?
A.『はい』か『いいえ』で答えられる質問ではないので、具体的な解答はできませんが、それは彼にしかわからないことです。
Q.少年Aが外で見たものは特別なものでしたか?
A.はい。彼にとっては特別なものです。ただ、あなた方にとっては普通だと思うかもしれません。
Q.少年Aは実は大人ですか?
A.いいえ。彼が脱走したのは15歳の時です。
Q.少年Aに友達はいましたか?
A.いいえ。真の意味で彼に友人はいないでしょう。
Q.施設へは自分で帰りましたか?
A.はい。施設の人間が強制送還したわけではありません。自分の意思で戻ってきました。
Q.施設を脱走しようと思ったのは彼の意思ですか?
A.はい。誰かから外の世界のことを聞いて興味が出た結果です。
Q.外の世界は異世界とか私たちの住む世界と違いましたか?
A.いいえ。現代の日本です。
Q.施設での生活と外の生活に違いはありましたか?
A.はい。極端な話、すべてが違いました。
そんな具合にQ&Aが続いていく。
ホワイトルームの存在を匂わせて、オレがどんな行動に移すのか試しているのだろうか。ここでオレが文句の1つでも述べれば、ホワイトルーム出身であることを秘密にしていることが弱点だ、なんて考えるのか?
それにしてもこのQ&A、こちらの心情を割と捉えているところも気持ちが悪い部分だ。
そう言った意味では十分作戦成功だな、坂柳。
解答は考えるまでもない。
少年Aが施設に戻った理由。
そんなもの『外の世界で学べることを全て学び終え、質の高い学習環境に戻るため』以外にはないだろう。
あえて加えるなら『外の世界が退屈になったから』だろうが……Q&Aにそれを匂わせる文言はないので、加えずにおく。
ホワイトルームの環境は知識欲、探求心を満たすのに最適だと言える。
だが、目的が目的のため、不要なものは切り捨てられ学べないことも多い。
そのために外にやってきたオレだが、これ以上ここで学ぶことがなくなったと判断すれば、時間の無駄だとホワイトルームに戻ることもありうる。
幸い今のところ、新しい発見の毎日で飽きることはなさそうだが……。
「きよぽん、さっきの現文どうだった?」
「変な出題の仕方だったが、簡単だったな」
「だよねー。私でもこれかなーってわかったもん」
テスト終了後、波瑠加たちがオレの周りに集まってくる。とは言っても、明人の席も目の前なので、集まるのに都合がいいというだけ。
綾小路グループだからと言って、綾小路に集ってきているわけではない。
「俺たちも勉強した甲斐があったってことじゃないか?」
「それなら、もっと難しい問題で手ごたえを感じて欲しかったな」
「でも、少しでも良い点数をとれそうで、嬉しいかな」
明人、啓誠、愛里もそれぞれの感想を述べる。
特に文系科目を苦手としていた2人が大丈夫だったと話しているためホッとする。
教えた手前、嬉しくもあるな。
こうしてテスト1日目が終了した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どういうことだ、龍園。お前の寄こした問題、まるで違うじゃねえか」
「俺たちはまんまと罠にはめられたってことだ。どうせお前の方の問題はこれだろ、橋本」
「……確かにこれだった」
「一之瀬クラスと綾小路クラスの問題が入れ替わっていた、そういうことだ」
「そんなことあんのか?」
「こうなることを読んで、誰かが手を打っていやがったってことだ」
「じゃあ、俺たちの持っている問題を交換すれば明日の残りの教科だけでも満点取れるんじゃんねえか?」
「こんなことを仕掛けるやつだ。それを対策していないとは考えられねえ。恐らく無駄骨に終わる」
「チッ、坂柳の言った通りになっちまった……。俺はもう帰る、せめて残りの教科の一夜漬けぐらいはしなくちゃな」
Aクラスの奴らは地頭がいい。それである程度どうにかなるだろうが、うちのクラスの野郎どもは……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2日間の試験が終わり、テスト結果の発表の日となった。
茶柱先生の持ってきた成績一覧が貼りだされる。
「今回のテスト結果は見ての通りだ……」
妙に声のトーンが低い茶柱先生がこちらを見る。
何かがおかしい。
どうせオレは満点だと思って、綾小路グループのテスト結果を見ていたのだが……。
成績順に並んでいる一番上の名前を見る。
数学、英語、日本史、古文など……すべて100点のオレの名前が記載されている。
が、現代文にはその名前がない。
上から順番に目で追っていく。
いつまでも出てこないオレの名前……、オレは最下位、20点だった。
「嘘だろ?」
漢字の読みでしか点が入らなかったということ。
現代文の合格ラインは60点だ。ペアの佐藤が40点未満なら、2人で仲良く退学。
奇しくも、坂柳の問題文通り少年Aが施設に帰還することになる。
佐藤、佐藤、佐藤……
想定外の出来事に急いで佐藤の名前を探す。だが、佐藤も国語は苦手だと言っていたな……詰んだか?
下から探していき、そこそこの人数の上に佐藤の名前を見つける。
結果は『52点』だった。
オレと合わせて72点……助かった。
佐藤、いや、佐藤さん、ありがとう。本当によくやってくれた。あれだけ苦手だと言っていた文章読解を上手く解いてくれたようだ。
ホームルーム中でなければ佐藤さんの胴上げに向かっただろう。
こちらの視線に気づいた佐藤さんは、照れくさそうにVサインを作ってはにかむ。
あれ、佐藤さんってこんなに可愛かったか?オーラも神々しく感じるな、ありがたや、ありがたや。
「あなた、何のつもり?」
情けないオレの点数を見た堀北から冷たい目で睨まれる。
遊びで20点を取ったと考えているんだろう。
「これは真剣な質問なんだが、現文の文章問題、どんな解答したんだ?」
堀北は現代文で満点を取っていたので参考にさせてもらう。
「簡単な問題だったじゃない。『閉鎖された空間で育った少年Aは未知の世界に触れて恐怖を覚えた。人間のどす黒い欲望に満ちた外の世界は、自由であって自由ではなく彼にとっては想像できないものだらけ。だから慣れ親しんだ一人になれる施設に帰った』と答えたわ。まあこれ以外にもいくつか正解はあるでしょうけど……」
恐怖か……そんなものを外の世界で感じたことはなかった。未知は恐怖なのか?知らないことを怖くは思っても、知ったから怖くなることがあるのか?
オレにはわからない、それが『普通』なのだろうか……。
ある意味この学校でオレのことを一番理解しているであろう坂柳だからこそ、突けたオレの弱点。それこそ、未知の攻撃だったが、オレはこうも楽しいと思っているのだから、やはり問題に不備があるんじゃないだろうか。
ただ、クラスの現代文の成績は軒並み高く、池や山内ですらしっかり部分点を獲得している。
オレだけが異常に点数が低いことから、間違っているのはオレであることは明白。
「……不良品、か」
入学当初、オレたちのクラスにかけられたそんな言葉を思い出す。堀北や須藤、愛里など不良品の修理が完了しようとしている生徒は多い。
この学校で様々な経験をしてきたが、オレはまだ不良品であることに変わりはないらしい。
兎にも角にも、佐藤さんのおかげで命拾いをした。
佐藤さんには頭が上がらないな。残念ながら誕生日はまだ先か、必ずお礼をさせてもらおう。
「今回、うちのクラスは退学者ゼロだ。テストの総合点は、坂上先生のDクラスに勝利することができたが、真嶋先生のAクラスには及ばなかった。クラスポイントはプラスマイナスゼロだな」
結果を見ると惜しいところまで迫っていたが、基本学力の差が出てしまい、Aクラスを上回ることは叶わなかった。
オレが現代文で満点であったのなら……なんてことは考えても無駄だな、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
坂上が結果を発表する。
「今回のテストで、退学者は4ペア、つまり8人となる。このあと手続きがある、対象生徒は――」
「待てよ、坂上。今回の退学になる奴らのボーダーラインまでの不足分の点数をポイントで買う。できるんだろ、いくらか教えろ」
「龍園さん……」
退学予定の石崎が感動したようにこっちを見やがる。
コイツの様に退学者は救えない程勉強ができない野郎ばかりだ。だが、兵隊としてはそれなりに役立つ奴ら。ここで切って得することはない。
「……残念だが、龍園。全部で800万ポイントだ。お前に払えるのか?」
想定の倍の金額。今回はペアだからか?
南雲から手に入れた300万、橋本からの100万、干支試験での150万、全て使ってもまだ足りねえ。
「おい、おめーら、ポイントを全部寄こせ。そうすれば足りる」
「バカ言わないでよ、龍園くん。全部あなたのせいでしょ!」
「そうだ、お前が妨害ばっか命令して、勉強する時間を減らしたからこうなってんじゃないのかよ」
「わ、わたし、一之瀬さんクラスにあんなことするなんて、ホントは嫌だった」
「他クラスはあんなに楽しそうなのに……こんなクラスになったのはリーダーの責任じゃないの」
「勉強してた俺たちには関係ない、お前らが勝手に退学になる負担を背負わせんなよ」
時任など、一部のクラスの連中が騒ぎ始める。真面目に勉強していた少数派のやつら。
「てめえら、覚悟しての発言か?」
「龍園さんに逆らうってのかよ」
「そうだ、もうお前らにはついていけないと言っている」
どこで支配に綻びが生まれた?奴らに逆らうだけの度胸を残したつもりはなかった。
暴力や恐怖ではもう支配されないと言わんばかりの勢い。
何が起こってやがる。テスト問題が交換されていたことよりも不可解だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そろそろ龍園のクラスでクーデターでも起こっているかもしれないな。
軽井沢には色んな生徒を介して、Cクラスの一部の生徒にいくつか噂を流してもらっていた。
それは『悪い噂』ではなく『良い噂』。
「生徒会副会長権力で色々美味しい思いをしている」
「スズーズブートキャンプをみんな楽しく続けた結果、健康的に痩せてスタイルが良くなった」
「毎日タダで抹茶ラテを飲める」
「南雲会長の言っていた実力主義の制度に感銘を受けた綾小路と一之瀬は、下位クラスの生徒もAクラスに上がれる仕組みを作ろうとしている」
などなどだ。
龍園は無人島での特別試験以来、様々な策を講じているが結果的に失策が続いている。
減っていくクラスポイント、強いられる卑怯な戦い。一之瀬を陥れるのを心苦しく思っていた生徒もいたかもしれない。それでもクラスが勝っていれば我慢もできる理由にもなったが、あの有様だ。クラスの中で不満を持つ者が増えていてもおかしくはない。
そんな時に、他クラスのリーダーの活躍や楽しそうなクラスの様子を聞かされたら、どう思うだろうか。リーダーを選び間違えた、こいつについていくのは危険だと感じ始めるだろう。
支配力が低下した龍園に取れる手は少ない。
果たしてどうするのか……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
笑えねえ状況になっている。手持ちのポイントを上手くやりくりしても、救えて2ペア。残りの4人は退学になる。
そんな時だった、一通のメールが飛んでくる。
『ポイント貸してやろうか?』
南雲の野郎からの提案。
借金返済まで俺たちのクラスは南雲の指示に従うという契約。
反故にすれば、代表者の俺を含め、今回退学予定だった者をすべて退学にできる権利まで持つ。
余りに都合の良いタイミング。
このクラスの中の誰かがすでに南雲の手に落ちている……そうとしか考えられない。
アイツの下につくなんて冗談じゃない。
だが、拒否すれば俺たちのクラスは兵隊を失う。今後どんな試験が出てくるかわからないが、退学者が多い方が有利、なんてことはねえだろう。
初めからこれが狙いだったのか?
いや、あいつにとってはどう転んでもよかったのか……。
ククク、おもしれえじゃねえか。
俺を嵌めてくれたつけはいずれ払ってもらう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『今回は借りておいてやる』
龍園からの返事が来る。安い投資でいい買い物ができた。
帆波と龍園がぶつかるということは、どちらかが勝って、どちらかが負けるということ。俺は負けた側を拾えばいい。それだけの話。
ま、綾小路が帆波についている時点で結果は考えるまでもなかったか。
生徒会に相談に来た龍園クラスのやつから話を聞いて状況も理解できていたしな。
全く綾小路のヤツ、えげつないことをしやがる。
だが、おかげで俺の介入の隙も生まれた。
龍園クラスにはアルベルトをはじめ、駒として有能な人材もいる。
俺が表立ってできない汚い仕事をやらせるには丁度いいやつらだ。
これで一年を支配する基盤ができた。
堀北先輩との勝負に向けて、俺はもう止まれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
帰宅の準備はしていると、神崎からお礼のメールが届く。
無事に坂柳クラス、龍園クラスに勝利できたそうだ。
増えるのは100クラスポイントだが、結果以上に得たものが大きい試験となっただろう。
一之瀬不在で、Aクラスの関与も疑っていた神崎たちは余裕がなくなっていた。
そこで提案したのがテスト問題の交換。
ルールでは、『学校に提出』となっていただけで、誰が誰に渡せばどう受理されるとは明記されていなかった。
そのため、シンプルに、星之宮先生が受理したものは俺たちのクラスが提出したことに、茶柱先生が受理したものは一之瀬クラスの提出した問題になるよう予めそれぞれの担任に約束を結んでおいた。
つまりAクラスは堀北たちの作った問題を解き、龍園たちはBクラスの作った問題を解いたことになる。奇しくも直接対決をしていた構図だな。
その下準備を経て、一之瀬クラスには問題を手に入れようと接触した来た人物に対し、取引に応じたふりをして、素直に問題を渡すように指示を出しておく。
その結果、一之瀬クラスは問題の流出を気にすることなくテスト勉強に臨むことができた。
だが、この作戦を完璧なものにしたのは、櫛田の功績が大きい。
クラスの問題を盗めるだけの力があるという説得力、流出がわざとだと見抜かれない演技力。それを兼ね備えた人材でなければ、どこかで龍園に見抜かれていたはずだ。
櫛田と仲直りしたあの日、あれこれ話した内容を振り返る。
「綾小路くんは、客船で私に役立てっていったよね。今回の試験、龍園くんを騙して勝たせてあげる。そうすれば私の事、堀北より有能だって認めてくれるかな?」
「具体的にどうするつもりだ?」
「簡単だよ、二重スパイって感じ。クラスを裏切ったと見せかけてテスト問題を龍園くんに渡すの。でもそれが偽物なら龍園くんのクラスはテスト勉強もしてない生徒が多いみたいだし、壊滅するよね」
「だが、そんなことをすれば櫛田が龍園の恨みを買うことになる」
「その時は、綾小路くんが守ってくれるんでしょ?」
そこまで理解を深めてきたか。
堀北を退学からさりげなく守っているように、オレにとって有用だと思う駒は、簡単には捨てない。
つまり、オレに使えると思わせれば守ってもらえると考えている。確かに龍園を騙すほどの人材なら、貴重な駒として簡単には切らない。
「それにさ、例え龍園くんと組んだとしても、結局綾小路くんに邪魔されるなら堀北を退学にするのは無理じゃない?一番の近道は、綾小路くんに堀北を退学させてもらうことなんだよ。正直、これまでの綾小路くんを見てきて、私だけじゃ勝てないし、龍園くんでも相手になるとは到底思えない」
これまでのオレが見せた力の一端から、ここまでの考え、答えを導き出した櫛田。
提案してきた作戦は粗があったが、悪いものではない。
偽物ではなく本物のテスト問題を渡すなど、ひと手間加えるだけで、龍園を倒せるものになるだろう。
テスト提出日前日。
「龍園くんに問題を渡してきたよ。確かにこの方法なら私も綾小路くんたちに騙されただけに見えるね」
「櫛田の身の安全が第一だからな。それで勘付かれた様子はなかったか?」
少し照れている櫛田に確認を行う。
「もちろん大丈夫。私の堀北を退学にさせたい気持ちは本物だからね。それを前面に出してれば、気づかれないよ。私が何年嘘つきをやってると思ってるのかな?」
頼もしいような、恐ろしいようなセリフ。
櫛田の人間観察力はオレも目を見張るものがある。
それがペーパーシャッフルでの出来事の全て。坂柳のテスト問題は計算外だったが、佐藤さんのおかげで事なきを得た。
これもまた貴重な経験だったと言える。
「あやのこーじくーんっ!一緒に帰ろうー」
下校途中のタイミングで少し離れたところから元気な声を発しながら一之瀬が走り寄ってくる。たまたまタイミングが重なった、というわけではないのだろう。
「お疲れー。今回もまた助けられちゃったね。でも私もこれから綾小路くんを助けられるぐらい頑張るから……これからも……その、私を見ててね」
「ああ。もちろんだ」
一之瀬の目には迷いが消えていた。これまで無理に明るく振る舞ったり、時には弱気になったりと色んな一面を見てきたが、もう大丈夫だろう。
「今度しっかりお礼もさせてね」
そういって普段より一歩こちらとの距離を詰める。
ふと、シトラスの香りが鼻孔をくすぐる。
「あまり感謝されすぎても困るぞ。立ち直れたのは一之瀬自身の力だ」
「うん。それでも踏み出す一歩の勇気をくれたのは、綾小路くんだから」
あまり感謝されても困るんだ、一之瀬。
今回の一件、一之瀬への攻撃がはじまったのは、オレの計画だったからな。
一之瀬を駒として利用していこうと決めたものの、南雲が一之瀬の秘密を握ったままの状態では都合が悪かった。
言うなれば爆弾のスイッチを握られた状態。
今回の様に一之瀬を陥れることは容易だった。タイミングが悪ければ救うことはできない。
そして待てど暮らせど、なぜか南雲はそのアドバンテージを活かそうとしなかった。
それなら、こちらから安全なタイミングで誘爆させてしまえばいい。
南雲BSS作戦で一之瀬から全く気にされなくなったことで支配欲を煽っていたこと
堀北兄が引退した直後であること
生徒会でオレの存在を無視できなくなってきていること
色んな要因が絡み合う中で南雲にCクラスの出場表を入手するように依頼すれば、必然龍園と接触することになる。
そこでの取引内容は大体想像がつく。
そして、その情報を手にした龍園が一之瀬クラスへ攻め込むなら、ペーパーシャッフルのこのタイミングしかなかっただろう。
龍園もこれまで一之瀬クラスには散々やられてきたからな。
結果、追い詰められた一之瀬を限界ギリギリで救い出すことで、オレへの信頼を揺るぎないものにできただけでなく、一之瀬は過去の罪を受け入れて、前に進むことができるようになった。
「綾小路くん?」
「すまない、少し考え事をしていた。また明日からは生徒会活動も始まるな」
「うん、そうだね。しばらくお休みしちゃった分も頑張るよ」
「一之瀬のいない期間は一年ひとりだけで寂しかったからな。また一緒に活動出来て嬉しく思う」
南雲が情報を流したことに勘付いているだろうが、気にしていない様子。
これならもう安心だろう。
イルミネーションで彩られた街路樹。
明るいメロディーのクリスマスソングの数々。
吐く息も白くなってきた。そろそろ本格的な冬がやってくるようだ。
そんな情景を眺めながら帰り道を2人でゆっくりと帰宅する。
悪いが坂柳、少年Aはまだまだ施設に帰る予定はない。