ステンノという愛について【完結】 作:AIRUNo(旧AIRU)
ステンノはその一瞬を見逃せなかった。
立香の手が小さな箱を持ち上げ、その指が側面をなぞり、蓋を押し上げる。
その中で丁寧にしまわれていたのは、小さな指輪。
少女の指よりは大きく、立香の手に合う白銀の煌めきは、表面にツタがうねるような模様が彫られている。
それはステンノが普段身に着けている装飾と同じ柄であった。
果たして立香はそれを見たとき、どんな顔をするのか。
ステンノはずっと想像していた。
驚きをみせるのか、満面の笑みをみせるのか、うつむくのか、涙を流すのか。
思い浮かべるたびに嬉しくなり、もし断られたらと想像しては落ち込み、胸は常に高鳴り続けていた。
神とは分かり合えるはずのない愚かな人間。
でも自分が人間に近づいたからこそ、愛に踊らされるこの無様さが、生きている証なのだと感じられる。
しかし、ステンノは立香を見てしまった。
彼の表情は……悲しそうな顔だった。
突如、ビルが大きく揺れた。
地震かと疑問に思えるようなものではない。
震えた瞬間、ビルが軋む音を立てて、斜めに傾き始めた。
「なんだ!?」
立香は木製の椅子にしがみつこうとしたが、床そのものが傾いているせいで椅子ごとバランスを崩す。
と、同時に、手に持った箱が床に転がり、ガラスでできた壁の隅まで転がってしまった。
「ステンノ、大丈夫!?」
彼女の姿を確認したいが、立香には余裕がなかった。
なにしろ、倒れたイスやテーブルが自分たちのいる窓際に向けて転がり落ちてくる。
腕で頭を覆って丸くなり、その衝撃に備えることしかできなかった。
が、ぶつかる寸前にインテリアたちは光の粒子となって消滅した。
頭上で揺れていたシャンデリアも、床に触れる寸前に消えていく。
「一体なにが……」
視線をガラスの向こう側に移して、立香は気づいた。
新宿の建物や道路が、青い光を出して次々に消滅しては夜闇へ溶けている。
立香は知る由もなかったが、シミュレーターがアビゲイルの悪戯により、誤作動を起こしながら緊急停止をしようとした結果、仮想空間がランダムに街の情報を削除しているのだ。
これが例えば、模擬戦闘用に用意された野原や小規模な街のみを再現してれば、こうはならなかった。
約78万人の人々が密集して働く密集地帯、大小様々なビルが凹凸をなすこの街を、美しい夜景のために完璧に再現しようとした結果、元より大きな負荷が掛かっていた。
よってシミュレーターは暴走を伴ったエラーを起こし、内部にいるステンノと立香の安全など確保しないまま、この世界を強制的に停止させようとしている。
シミュレーターは仮想といえど、内部での損傷は肉体に反映されるし、超高層ビルから落下すれば、例え痛みなどなくとも、脳が誤認して精神性ショック死にもなりかねない。
40度近く傾いた床にすがりつきながら、立香はようやくステンノを見つけた。
窓際のガラスに腰掛けて、目をつむっている。
「ステンノ、動ける!? とりあえず、窓から離れないと、割れて落下するかも!!」
逃げるとしたら、部屋の反対側にある通路口まで行き、そこから更に階段を目指さなくてはならない。
もしステンノが体を強く打って動けないのであれば、立香は彼女を抱えてこの急斜面を登りきらねばならず、彼にはそれができる自信がなかった。
彼女は目を開け、立香のほうへ顔を向けた。
よかった、と立香が安堵するのもつかの間、彼女は顔を逸らした。
(ステンノ……?)
疑問に思ったが、立香が彼女を置いて一人いけるわけもない。
ゆっくりと斜面をずり落ちながら、その側に向かう。
「もしかして歩けない? だったら俺が背負って……」
「いいえ、そうではないの。マスター」
マスター、という響きの冷たさに立香はドキリとした。
「私を置いていきなさい、マスター。私はサーヴァント、ここで消滅しても再召喚すればいいし、代わりは一杯いるもの。だから貴方は自分の安全だけを考えて、逃げてください」
「……なに、言ってるんだ?」
「優先事項を考えなさい。と言ったのです。私を連れて逃げるのと、足手まといの貴方一人だけ逃げるの、どちらが人類最後のマスターとして責任ある行動か、お分かりになるでしょう?」
立香は本当に、その言葉の意味が分からなかった。
たった数分前まで恋人のように接していた相手との距離が、一瞬にして出会った頃まで戻されたかのような。
(なんで、そんな屁理屈を言うんだ?)
一見客観的な理屈に見えるが、多少の魔術が使えるだけのマスターより様々な神秘により強化されているサーヴァントのほうが強いのだから、安全性を考えるなら近くにいたほうが良い。
多少の怪我ならマスターの魔力や令呪を使ってサーヴァントを治療できるし、何より立香が目の前の相手を見捨ててはいけないことを、ステンノが理解していないはずがない。
「……絶対に、置いていかないから」
立香がそう言って手を伸ばすと、ステンノは振り払った。
自分に触ることすら許さないとでもいうように。
「呆れた……人間風情が女神にどうこうして良いと思っていて? 私はここに残りたい、そう伝えているのが分からないのかしら」
「分からないよ、どうして突然そんな態度を」
再び地面が揺れだした。
立香たちのいるビルも消失が進んで穴だらけとなり、ついに崩壊し始めた。
地面から垂直に建っていた柱が曲がりはじめ、壁面を覆うガラスにもヒビが入った。
だというのに。
「ほら、もう限界みたい。今なら令呪でサーヴァントの誰かを呼べば、貴方はきっと助かるわ……行きなさい」
「……」
立香は、鏡を見ているようだった。
偶に自分でも、体力が尽きて、精神も限界を迎えて、多分死んでしまうんだろうなと思うときがある。
偶然助かっただけで、多分体に軋みは蓄積していって、元の生活に戻ってもいつか綻びが襲ってきて、自分を壊してしまうのだろうという自覚もあった。
それでも、仲間にはそんな苦しみを見せたくない。
もっと頑張ってる仲間には自分を気遣わせたくなくて、平気な顔を作って笑ってみせる。
そんな見ている方が辛くなる、ひどい笑い方を今のステンノはしていて。
ガラスに映る立香は、そんな自分を見ている仲間たちと、いつも側で自分を見ていたステンノと同じく、ひどく眉をひそめた泣き出しそうな顔をしていた。
「……」
立香は無言のまま、もう一度手を伸ばす。
それを払おうとするステンノに、更に近づき、ぎゅっと抱きしめた。
「なにを……してるのかしら」
立香をたしなめようと前を向いたステンノは、その顔に驚く。
それは普段の彼が浮かべることのない、顔を真っ赤にした怒りの表情だった。
「君が! 生きてくれないと意味がないんだ!」
何度も自分へ向けられた言葉を、今度は目の前の少女に告げる。
ここで絶対に彼女を放してはいけない。
その笑顔を作るのがどんなにつらいことか、立香はよく知っていた。
「どんなに嫌われても、側にいるから、だから……」
感情が昂りすぎて声が震える。
ステンノは大きく目を見開いた。
「俺と、最後まで一緒に、頑張って生きてほしい……」
配線が切れ、部屋が真っ暗となる。
崩壊に耐え切れず、無数のガラスが一瞬にして粉々となり、はじけ飛んだ。
キラキラと舞う破片。
背景には滅びながらも光を失わない街。
街の灯りが減ったことで暗闇の中で天と地の堺がなくなり、無数の小さな星々が世界に散りばめられた。
「馬鹿な人……こんなにも女神に恋するだなんて」
だけれど。
人間に恋した女神は、そんな愛の言葉に救われたのだった。
その中に、抱き合った一つのシルエットが、一瞬を永遠に感じさせるほど、ハッキリと浮かび上がっていたのだった。
二人の流す滴は、小さな流星のように頬の曲線をなぞって落ちては互いの肩を濡らしていった。
もう少しだけ、お付き合いください。