『弱いな、猿』
カチッ。
静寂の中妙に時計の長針が耳に残る。
『そのような様だから、お前は総てを失うのだ』
カチッ。
芯を出すペンの音が響く。
『弱いからこそ、何も守れない、何も得ることができない。何も残せない』
カチッ。
歯と歯がぶつかることが骨を伝って木霊する。
『──お前の居場所は、もう無い』
カチッ、ボーン。ボーン。ボーン。
意識が浮上し、気づけば時報を鳴らせる時計の音が図書室に響き渡る。
四月の半ば。俺はいつも通りに積み上げられたテキストの消化に取り組んでいた。
高度育成高等学校は貪欲に学ぶものに対して非常に大らかである。
将来の目標や進路希望に際して必要である知識を欲すれば、それに対応したテキストを作成してくれる。見事やな…!
大学図書館並の蔵書量を誇る高度育成高等学校の図書室。
いつもよく見る小柄な少女に会釈をして俺は毎日のようにここで自主学習に取り組む。
1-D猿渡哲也。未だに他クラスとの繋がりはゼロだった。
◇◆◇◆◇
何かが足りないような気がする。自分の中にあるなんとも言い難い違和感を抱えながら俺は数学の参考書とにらめっこをする。
「おはよー! 猿渡ぃ!!」
これが美少女の挨拶なら良かったが生憎と俺に挨拶を返してくれる奇特な人物はこの軽薄そうな池なる男子だった。
そしてこの池と話すときにやはり違和感は強くなる。
「池……お前今日は早いな」
何時もは始業5分前か予鈴ぐらいに登校する池だが、今日に至っては始業10分前にすでに教室に来ていた。
「ぐふふふふ…だって今日はアノ日なんだぜ? 俺楽しみで眠れなくってさぁ!!」
スケベ・ファクトリーの門を開けろ! 完全なる精子脳の誕生だっ!!
池の欲望に忠実な点については好感が持てる。
その分、女子からの評価を投げ捨ててるんやけどな、ブヘヘヘ。
「お〜い博士ぇ! 例のやつできてるか?」
「デュフフフ、もちろんでござるよ」
池が近くの席でパソコンを弄っているクラス・メイトの外村に話しかける。
「何だこれ?」
「Dクラス女子のおっぱいランキングだよ」
「お…お前変なクスリでもやってるのか?」
頭宮沢金時かよ。と思春期男子の性欲に引きながら外村のノートPCを覗き込む。
「……良く出来てるな」
「フフッ、造作もないでござる」
表計算ソフトを使用したオッズの作成。あまりPCには詳しくないがこれ普通にすごくない?
「一口いくらだ?」
「1000ポイントから受け付けておりますぞ」
「利潤は?」
「お遊びですからな、某も櫛田桔梗氏に10000ポイント賭けておりますのでその利潤ですな」
櫛田は3番人気オッズは2.2倍。一番人気は長谷部の1.8倍となっている。
鋭いと言わざるを得ない。
「猿渡お前もやるか?」
「無効試合に賭けることができるなら1万ポイントだしていいぞ」
外村と池はキョトンとし目を瞬かせた。
「賭けをするなら入念な準備と同様にリスク管理や想定外の事態の対処をするんだな。胴元の信用にかかわる」
闇カジノいうほどでもないが、アングラな雀荘ではひっそりと違法賭博をやっている。
今では絶滅危惧種の玄人や野球やサッカーなどのスポーツ関連の賭場を扱う人間もいる。
先生もパチカスだったりスポーツ賭博に興じていた。先生…あなたはクソだ。
「賭け無効。一点大穴、いくらになる?」
「……賭け無効は取り扱いませぬが、仮に賭けた場合──」
外村は手早くパソコンを動かし、画面をこちらに見せる。
「──だいたいこの程度でござる」
「……お前、それ今計算したのか?」
「デュフフフ、もちろんでござるよ」
「……大したもんだよ、外村」
一点賭けの大穴の場合、配当金はおよそ50倍以上であった。
外村くんすごい、すごくない?
◇◆◇◆◇
「勃ったらどうしよう……」
池が性欲的な意味で頭が猿になってるんだよね、すごくない?
おそらくもつあき作品の人間だと考えられるが……。
四月の肌寒い時期。屋内プールにて水泳授業が執り行われることとなった。
ワシ…この授業の意味に心当たりがあるんや、8月の無人島試験や!
はーっ、まるで予言みたいやのぉ。アニメで履修したからね。
その後、見学していた外村が長谷部にシバかれたり、池たちが櫛田の水着に興奮したりなど色々あったが男性教諭の一言で生徒たちは本気になる。
「一位になった生徒には俺から特別ボーナス、5000ポイントを支給しよう。一番遅かった奴には逆に補習を受けさせるから覚悟しろよ」
なにっ。報奨金だとっ!!
た、体育教師って素敵な人だな。俺が女なら股を濡らすね。
と、言う訳で始まった50m自由形な訳だが。
まずは女子たちが先に泳ぐこととなった。
「櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん、はぁはぁはぁはぁ」
異常櫛田愛者。
い…池、変なクスリでもやってるのか?
衣笠ワールドの思春期の性欲についていけないのが俺なんだよね、惨めじゃない?
その後、堀北が28秒。櫛田が31秒で泳ぎ切るが、女子の一位は小野寺という生徒が掻っ攫った。
見事やな…!
斯くして、女子の部が終わり男子の部が始まる。
最初の組では須藤が、その次の組では平田がそれぞれ一着を取り俺は三番目の組に配属された。
「私は勝負などに興味ないが、負けるのは好きじゃないんでねぇ」
な、なんだぁっ!!
ブーメランパンツの水着を履きながらそう呟いたのは俺の隣のレーンで泳ごうとする高円寺何某だった。
圧倒的なキャラの濃さに驚いてるのは、俺なんだ!!
スタートを鳴らせるホイッスルの音と共に飛び込む高円寺くん。
速い…速くない? 25mを過ぎるころには身体一つ分離されてるんだよね。すごくない?
俺が先生に教えてもらった泳ぎ方じゃ全然追いつけないんだよね。
「猿渡、41秒だ……」
結果補習をギリギリ免れるスピードだったのは俺なんだ!
しかし、クラスの注目は23秒台で泳いだ高円寺ではなく俺に注がれる。
「猿渡、今の泳ぎ方なんだ?」
「えっ、小抜手っスけど?」
「なんであんな頓珍漢みたいな泳ぎ方で割とはえーんだよ」
「──水府流じゃん」
脚は平泳ぎで腕は胸の下で搔きながら手を交互に抜き出す。これが先生から教わった逃亡用水泳術小抜手である。
「面白いじゃないかモンキー・ボーイ」
そう言って声をかけてきたのは高円寺何某であった。
貴様ーっ!猿先生を愚弄する気かぁーーー!!
「まさかあのような方法でこの私から注目を奪うとはねぇ……キミのことは覚えておこう」
そういうと高円寺何某は高笑いを浮かべながら俺の目の前から去っていった。
あ…あいつ、変な薬でもやってるのか?
ちなみに、その後の水泳決勝では高円寺何某がぶっちぎりの一位をもぎ取って優勝した。
「あ、山内がいねーんだ」
そして俺はこのクラスの山内が猿空間送りであることを思い出した。