平和大国、日本。
豊臣秀吉による刀狩りによって民衆からほとんどの武力が回収され、残った一部の反乱分子や武装勢力も時代の流れとともに大半が消え去った。
そして、世界大戦の敗北により「武力=悪」という認識を国民がどことなく持つようになった。そこに、島国の故の同調意識が組み合わさった結果、規則を守る規範意識の高さが生まれた。だからこそ、日本は世界有数の平和大国なのだ。
だと言うのに、銃弾が掠めた左腕から流れる血が平和という文字を遠ざける。腕から流れる血、硝煙の臭いが立ち込める空間はつい先ほどまでは映画の、フィクションの世界でしか見たことがなかったものだ。それでも、痛覚と嗅覚からの情報が否応なしにこれが現実だという実感を俺に与えてくる。
「くそいてえ」
思わず呻いてしまう。
撃たれた瞬間に咄嗟に走って逃げれたのは生存本能が働いたからだろう。だが、ヤクザなのかテロリストなのかは分からないが同じ建物にいる以上、未だに安全とは言い難い。スマホで警察に通報しようとはしたが、画面に表示されるのは圏外の文字。表通りから離れた廃墟ビルのここは銃声がしても誰も気づかない可能性がある。
せめて、二階だったら飛び降りて逃げるんだが。
銃で撃たれるという非日常の中にあって、悪態を付けるだけの余裕を持つ自分に驚きを感じる。これも、心霊バイトのおかげかと感謝の気持ちを抱いたが、そもそも、そんなバイトをしていなければこんな状況になっていないこと思えば、寧ろ恨むべきか。
孤児院を出た後、高校に通いながらバイトで生計を立てていたものの、限られた放課後の時間では金銭的余裕どころか生活費と学費を稼ぐのすら危うかった。そんな折、登録していた短期バイト紹介会社から入った一通のメール。
内容は心霊スポットとなっている建物内部を深夜に撮影し、写真を送るといったものだった。所謂、オカルトサイトの運営者が、サイトに掲載する用の写真が欲しいとのことで、昔から強心臓の俺は報酬の高さを見て迷わずバイトを受け写真などまともに撮ったこともなかったものの評判が良かったのか、その後も何度も指名が入ったのだ。
流石に、銃で撃たれることになるとは思ってもみなかったが。
息を殺して隠れていると静かな廃墟ビルでは声が通るようで、男二人の会話が聞こえてくる。
「おいっ!早く探して殺せ」
「分かってますよ。階段と逆方向に逃げたんだ。どうせこの階にいますよ」
「俺が階段を見張る。お前はフロアを探索しろ」
「へいへい。大体、何だってこんなところに人がいるんだか」
「俺が知るか。さっさと行け」
男の足音が通路の奥から響く。
俺もお前らがこんなところにいる理由を知りてえよ、くそっ。
会話が聞こえたことで、銃を持ったやつが二人もいることが分かってしまった。それも、内一人が一つしかない階段を見張っている以上、このフロアに逃げ場はない。エレベーターは故障しているのか動かないことは確認済みだ。
このままじゃ見つかるのも時間の問題だ。そして、見つかった瞬間、確実に殺される。
何か、何かないのか…っ!。
撃たれた瞬間に走り出し偶然にも扉が開いた部屋に飛び込んだものの、むき出しのコンクリートに覆われたこの部屋は隠れるところすらない。せいぜい、扉の陰に隠れるので精いっぱいだ。それすらも、少しでも覗き込まれたら終わりだ。もし、覗き込まれなくとも、一つしかない階段が見張られている以上、逃げることは不可能。見つかるのを僅かばかり先延ばしにするだけで何も解決しない。
手持ちには圏外のままのスマホと財布だけで武器になりそうなものはない。
考えているうちに確実に足音が近くなってきている。足音からしてまだ奥の通路にいるはずだが、猶予は長くはない。
一か八か、窓から飛び降りるか? 六階から飛び降りて無事とは思えないが、万が一にも助かる可能性はある。幸いにも、この部屋は窓側のある外側の通路に面している。
銃を持った相手を素手で倒すなんてのは映画の中でしかなしえない。少し掠っただけの左腕が訴えかけてくる痛みから一発でもまともに当たれば、痛みで動けなくなることが直感的に分かってしまう。
他に何か案はないかと考えているうちに時間だけが過ぎ去っていく。必死に脳を動かしても、飛び降りる以外の選択肢は思いつかない。飛び降りる覚悟を決め、扉に手を掛け、勢いよく通路に飛び出す。
「探す手間が省けたぜ」
声を聞いてに体が僅かに強張り、走り出していた足が一瞬止まる。同時に声の聞こえた先に目線を向けてしまう。丁度、通路の曲がり角から出てきた男と目が合う。
迷い過ぎた。ほんの数秒早ければ間に合ったのに…!
視界に入ってきた銃を持った男を脳が認識した瞬間、世界がコマ送りのようにゆっくりとした速度で進み始める。
銃をこちらに向ける様子がはっきりと見える。足を動かそうにも銃を見て強張ってしまった体は思うように動かない。
声の方向に視線を向けた時点で俺ができる選択肢をすべて放棄してしまった。
撃たれる。
死を悟ったのと同時に、窓ガラスが割れ、一人の少女が飛び込んでくる。
突然の出来事に俺も男も動きが止まる。その中にあって、原因を作った少女だけは動きを止めない。コマ送りのように見えているからこそ、素人の俺でもわかる迷いの無い、自然な動きで男に銃を突きつけ引き金を引く。銃口から出た弾丸は胸に当たり、男はのけぞって倒れる。
「あれえ~、そっちの人は一般人だよね? 人はいないって聞いてたのに」
俺に向けて投げかけた声音はまるで友人と話すような軽やかさで、銃を持った男を制圧した後とは思えない緊張感のないものだった。
「まっ、まて、撃たないでくれ。俺は関係ない」
「うんうん。変な動きしなかったら撃たないから落ち着いて」
緊張からか乾燥しきった喉を震わせて紡がれた命乞いはあっさりと受け入れられる。コマ送りから通常再生に戻り始めた俺と振り返った少女の目が合う。そして、少女が驚いたように目を見開く。
「嘘。もしかして、束お兄ちゃん……!?」
「どうして、俺の名前を……?」
突然知らない少女に名前を呼ばれたことに驚く。
少女が近づいてきたことで顔がはっきり見えるが、少女のきれいな黄色みのある白髪に整った顔立ちはアイドルと言われても疑うことなく信じるだろう。そして、少女の手に持った銃を見ると、映画かドラマの撮影現場にでも間違って迷い込んでしまったのかと思いたくなる。実際、左手が撃たれていなかったらカメラを探して周りを見渡していた。
一方で、きれいな黄色みのある白髪をどこかで見た記憶がある。それは確か、俺がまだ孤児院にいたころ…。
「もしかして、千束か?」
「やっぱり、束お兄ちゃんだ!」
数年ぶりにあったというのに昔と変わらないまぶしい笑顔の千束に気が緩む。それは、千束も同じだったのだろう。手が届く距離にまで近づいてきた千束の手を取ろうとしたとき、曲がり角から二人目の男が現れる。
差し迫った命の危機を脱したからか、久しぶりに顔見知りと会ったからか、それともその両方か。男たちの会話が聞こえていたのに油断してしまった。もう一人いることをすっぽりと記憶から抜け落ちていた。
再び、ゆっくりとなっていく世界で二人目の男が撃った銃弾といつの間にか撃っていた千束の銃弾がはっきりと見える。
千束の撃った銃弾は男の眉間に当たる軌道を描いているが、相手が撃った銃弾も俺の顔と千束の胸に当たる軌道を描いていることが、見えているからこそ分かってしまう…!
ちさたき派