BEGINNING 作:山尾萩桃
アマディオの居た応接室までどうにかアルバを運び込み、メイリの手も借りながらリオンはアルバの傷の手当てをしていく。メイリも初めこそ嫌がっていたものの、リオンの真剣な調子に絆され、しばらくすると逆にリオンに指示を飛ばし始めた。矢継ぎ早に飛んでくる要求に駆けずり回りながら、アルバの傷口を見てリオンはぽつりと呟く。
「お前の血も、やはり紅いのだな」
「なんだ、見たことなかったか?」
求められもしない軽口を叩いたアルバもまた、無意識にリオンの姿を追っていた。アルバの血がその服に赤黒い染みを作り、腕や頬にも撥ねて紅い円を描いている。
「悪いな、随分と汚しちまってよ」
「何、気にするな」
軽く放たれた返事がアルバの耳に入るよりも前に、脇腹に走った痛みにアルバは思わず呻く。
「何ですか、だらしのない。それでも男ですか」
その痛みを作ったメイリは、出血の一つを止めるために熱したナイフを傷口に当てながら言う。それに対するアルバの反論は、新たに押し当てられたナイフによって掻き消された。
◇◇◇
アルバの手当てが一段落した頃、椅子の上で寝転がりその様子を眺めていたアマディオが一息吐いているリオンに声を掛けた。
「こいつを見ろ」
そう言って放り投げられた紙切れを、リオンは手に取る。
「王太子殿下からの書状……いや警告かな?」
だらしなく寝転がり後頭部で手を組みながら、アマディオは溜息を吐く。その横顔には憂いがありありと浮かんでいた。
「読めば分かるだろうが、どうやら王太子殿は俺のことを疑っておられるらしい。演習の視察ついでにここにも寄るそうだ。それも明日、な。如何にもあの男のやりそうなことだ」
「……」
書状を読み、リオンは思わず息を呑む。決して直接は言わないが、言外に「リオンを匿ってはいないか」と言いたいのがはっきり分かる文面だったからだ。
「何故、これを私に見せたのですか?」
「別に出て行け、と言いたい訳じゃあない。むしろ逆だ。あの男はそのくらいお前を探しているってことだ。ここに留まった方が安全なんじゃないか? そこのー……まあ名前はどうでもいいか。そこのお前も居ればいいさ。妹を救って貰った恩もある」
そうなってくるとあのまま逃げておいて貰った方が都合は良かったのかもしれんがな、と付け加えられた言葉にアルバは思わず苦笑した。妹と言いこの兄と言い、随分とあけすけにものを言うのだな、と思ったからだ。
「そいつは有難い話だが、俺も幾つかやらなきゃならんことが出来たんでな、遠慮させて貰うぜ」
「ほう、そいつは慎み深いことだな」
「……兄上、そのことなのですが」
痛みに顔を顰めながら早くも立ち上がったアルバと、未だ寝転がったままのアマディオとの間で一瞬だけ散った火花は、リオンの発言によってどこかに消えた。明らかに回復などしていない筈にも関わらず立ち上がったアルバに気遣うような目を向けながらも、アルバは何時になく真面目な面持ちで自身の兄へと話し掛ける。
「……私も、ここを発とうと、思っております。これ以上兄上にご迷惑をお掛けする訳にはいきませんし、何より──」
そう言って、リオンは横目でアルバを見た。それに気付いたアルバの方も、リオンにいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「何より、少々この馬鹿に悪い影響を受けてしまったようで」
身体を起こし、姿勢を整えてそれを聞いていたアマディオはしばらく瞑目していたが、不意に目を開くと傍で控えていたメイリに目配せした。それを受けてメイリは深く静かに頷き、一つの鞄と二着の大きさの異なる外套を持ってくる。差し出されたそれをリオンが困惑しながら受け取ると、メイリは目に涙を溜めながらそっと彼女を抱き寄せた。
「メ、メイリ?」
「……どうか、ご無事で」
その言葉を最後に、メイリはリオンに深く一礼して足早に部屋を立ち去ってしまう。アマディオに促されリオンが鞄の中を見ると、中にはそれなりに良い仕立ての服が数着、綺麗に折り畳まれて収まっている。
「お前の為に、この数日間掛かり切りだったらしいな。丁度お前の今の服も随分と汚れてるしな、是非持って行ってやれ」
「……ありがとうと、伝えておいて下さい。しかし、こちらは?」
思わず目頭が熱くなったのを誤魔化すようにリオンが尋ねたのは、二着ある外套についてだ。
「お前の隣に居る奴の分だ。間違っても妹の隣でボロい服なんざ着るんじゃねえぞ。……もう手遅れみたいだけどな」
何とも投げ遣りな口調でアマディオは答えた。同時に右足を振り上げ勢い良く床を踏むと、窓の近くにあった床の一部が割れるように開き、下へと続く梯子が現れる。
「いざという時の為に通路が用意されているのは知っているな? こいつは少し遠く、街の外に繋がってる。これはあの男も知らない筈だからな。……行けよ、こっちなら少しは安全だ」
「そうかい、有難く使わせて貰うぜ」
「別にお前の為じゃない」
一足早くアルバが穴に飛び込み、リオンも慌ててそれを追った。しかし彼女は一歩手前で立ち止まり、アマディオの方を振り返る。
「……最早、私がダルトニアと名乗る時が来ることは決してないでしょう」
「そうか」
「……兄上、ご達者で!」
万感の想いを込めた叫びとともに、リオンもまた穴へと飛び込んだ。それを見送ったアマディオが床から足を離すと、入口はまた元のように閉まり通路を隠す。
背もたれに身体を預け、アマディオは大きく息を吐いた。
「お前こそ、達者でやれよ、リオン……」
◇◇◇
薄暗い中、そう広くない通路へと新たに下りて来た人の気配に、アルバは振り返る。
「来たか」
「ああ」
短い会話を合図に、二人は仄暗い通路の中を、出口に向かって歩き出した。
「本当に良いのか?」
「何がだ?」
「いや、あの水晶宮に残らなくてよ」
言葉を選びながらの疑問に、リオンは思わず噴き出してしまった。慎みも何も無く心底愉快そうに笑うリオンに、アルバは思わず顔を顰める。
「何が可笑しいんだよ?」
「いや、すまん。お前が、そんなことを、それも今更気にするとは、思っていなかったものでな。……こう考えてみると、私はお前のことを碌に知らないんだな」
「ひどい奴だよ、全く。まあ、俺もお前のことは言えないんだがよ」
拗ねたようなアルバの言葉に、今度は二人とも噴き出した。狭い通路に二人分の笑い声が木霊する。一頻り笑った後、リオンは涙を拭いながらアルバへと問い掛ける。
「そうだな、手始めにお前の名前を教えてくれ。今度は、ちゃんと」
「……アルバ。アルバ=ウォルナットだ。お前こそ、俺はちゃんと聞いたことないぜ?」
「そうだったな。私はリオン。ただのリオンだ。改めて、これから宜しく頼む」
二人は正面から向き合い、固く握手する。そうして同時に笑うと、再び通路の出口に向かって歩き出した。
未だ見知らぬものの溢れる世界へと。
今回の投稿で、「世界羊」に掲載されていた分は終了となります。今後はしばらく投稿の予定はありませんが、この続き、ちゃんとした完結までの執筆は続けていきます。気長に待って頂けると幸いです。
高校生の書いた作品にここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。