BEGINNING   作:山尾萩桃

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第2話

 「魔」族、とは言っても、彼らは魔力などというお伽噺の中の物質や霞を食べて生きている訳ではない。他の人間と同じように、果実や動物を食べて生きている。

 アルバが不意に話し声を聞きつけたのは、そんな狩りの為に、森の浅い場所まで上がって来た時のことだった。

「そ…話……?」

「…ろ……な」

 魔族の敏感な聴力が、普段の森には聞こえない音を感じ取る。どうやら男女が話しているらしいが、逢瀬だとか、そういったロマンチックな言葉で表せるものではないようだった。

「なにを…上…!」

「お前…魔……て」

 気配を殺しながら、アルバは慎重にその話し声の元へと近付いていく。

 不意に、話し声が消え、代わりに金属音がアルバの耳を打った。その頃には既に目視出来る程の距離にまで近付いており、こっそりと様子を伺うアルバ。

 軍服を纏った一人の女が、同じように軍服を纏った二人と剣を打ち合わせている。その女の方、リオンの顔に、アルバは見覚えがあった。連合軍の戦いの中で本陣を襲撃した時に、幾度か剣を合わせたことがあった。だがその時よりも、動きが硬い。表情も蒼白で苦しげであり、二人相手に善戦してはいるが、刻一刻と追い込まれているのは間違いない。

「随分と動きが悪いな。毒でも盛られたか? まあ、どちらにせよ俺には関係ねえな」

 人間同士の争いには、興味はなかった。そのまま見なかったふりをして、その場を離れようとするアルバ。

「兄上! これは、これは何かの間違いではないのですか!?」

 だが、リオンの声が、アルバの興味を引いた。

「気付いているだろう。もはや殿下はここにはおられない。お前は魔族に内通し、我らの軍の犠牲を徒に増やした犯罪者だ。お前の罪状は全て、一つの例外もなく挙げられた。既に裁きは下されている。我らは、ただの処刑人だ」

 リオンと戦っている二人のうち、一人の男が発した言葉が、アルバを引き止めた。

「そんな、馬鹿な」

 男の言葉に、リオンは耐えきれなくなったように剣を取り落とす。そのまま力が抜けたように地面にへたり込むと、完全に血の気が引いた真っ白な顔で、男に問い掛けた。

「私が、内通者? 裏切り者だと?」

「そうだ」

 簡潔な答えと共に振り下ろされた刃は、リオンを切ることはなかった。激しい鋼の悲鳴と共に剣が男の手から弾き飛ばされ、力尽きて地面に落ちる。

「おい、聞き捨てならねえな」

 怒気と共に放たれた言葉は、二人の男を威圧するのには十分だった。二人が怯んだ一瞬の隙に、アルバは言葉を続ける。

「こいつが裏切り者? 馬鹿も休み休み言え。こいつが、一体何人、俺の仲間を殺しやがったと思ってんだ?」

 アルバの目には、裏切られ項垂れるリオンの姿が、かつての親友と重なって見えていた。そして同時に、「魔族との内通」という、アルバにしてみれば全くありえない嫌疑が、その怒りに触れた。結果的にはそれがリオンの命を救ったと言っても問題はないだろう。

 突然現れた闖入者、それも魔族に、自称処刑人は思わず後ずさる。それでもそこは訓練された人間だったのだろう、すぐに構え直すと、懐から短刀を抜き放ちアルバに向かって飛び掛かった。だが先程よりも長いその隙は、アルバにとって行動を起こすには十分過ぎる時間だった。

「逃げるぞ」

 へたり込んだままのリオンの軍服を有無を言わさず引っ掴み、そのままアルバは森の奥地へ向かって猛烈な勢いで駆けていく。当然男たちもそれを追って走り出すが、アルバが腕に抱えたリオン一人分の重量は、この森に慣れ、常人よりも足の速いアルバと彼らとの差を埋めるにはあまりにも不十分過ぎた。男たちの怒声がアルバの耳に届かなくなるのに、そう大した時間は掛からなかった。

 

◇◇◇

 

 リオンが目覚めたのは、お世辞にも上等とは言えないような寝台の上でのことだ。未だぼんやりと眠りから覚めやらぬ様子で、リオンは首だけを動かして周りを見渡した。大して広くはない部屋の中は小さな机と簡素な椅子くらいしかない。多少掃除されてはいるもののなお少し黴臭く、かなりの間放置されていたことが伺える。起き上がる気力も湧かず、しばらく天井を仰いでいると、足音と共に扉の開く音がした。

「ん? 目が覚めたのか」

 その声にリオンは聞き覚えがあった。意識を失う直前、最後に聞いたものだけではない。それよりももっと前の記憶だ。

「お前、は、まさか」

「無理すんな、もう少し寝とけ。まだ調子が戻ってる訳じゃあるまいし」

 魔族としては控え目な大きさの角に、若干日焼けしたような濃い小麦色の肌と、胡桃色の髪。そこに居たのは、彼女が何度も直接命を奪い合った因縁の相手だった。無理矢理身体を起こし、自身を鋭く睨みつけるリオンの肩をアルバは軽く押し、また寝台の上へと戻す。そしてそのまま今日の獲物であろう、肩に担いでいた兎を机に置くと、既に置かれていたいくつかの草木を磨り潰し始めた。

「ここは森のかなり奥だ。あいつらの手がここまで伸びるのも時間の問題だろうが、ここらにはまだ凶暴な獣も多いからな、しばらくは安全な筈だ。二、三日ゆっくり休め」

 その言葉に返ってきたのはただの沈黙だったが、お互いに何も気にすることはない。敵同士、当然と言えば当然だった。ほんの少しの時間か、或いは数刻だったのか、無言の部屋に作業の音が響く。

「飲みたかったら飲め。相当苦えけど、少しは楽になる」

 そう言いながらアルバは、リオンの枕元に薬湯を置いた。近くに寄ってきたアルバを視界に入れないようにするためか、リオンは明後日の方向を向く。その様子に、アルバは思わず苦笑するが、声は出さない。すぐにまた兎を担いで外へと出て行こうとするアルバに対し、リオンが再び声を掛ける。

「おい」

「どうした?」

 アルバが振り返ってもなお、リオンは逡巡していたが、しばらくして覚悟を決めたのか、絞り出すように問い掛けた。

「どうして、私を助けた?」

 その疑問に、アルバは困ったように頭を掻く。こちらもまた答えかねたのか、同じようにしばらく迷っていた。

「……ただのきまぐれだ」

 そう言い残し、アルバはまた部屋の外へと出て行く。

「よりによってあの男に、命を救われるとはな」

 悩まし気な言葉は部屋の中に溶けて消え、後にはただリオンの息遣いだけが響いていた。

 

 その夜、夜が更けた頃を見計らってリオンは目を開いた。窓の外から差し込んだ月の光が、部屋の中を青白く照らしている。大きな音を立てないようそっと寝台を下り、リオンはその横に置いてあった軍服を羽織り、無造作に床に放られていた剣を佩いた。ご丁寧にも、リオンが暑くなり過ぎないようアルバは一枚脱がせてから彼女を寝かせていたらしい。魔族に身体を触られたという事実に鳥肌が立つのを感じながら、リオンはそのまま慎重に扉を開き、外の様子を窺う。

 どうやらこの家は森の中でも若干開けた場所に建っているようで、周囲の木々からはいくらかの距離があった。地図は昼間のうちに、壁に掛けられていたものを持ち出しておいていた。月明かりを頼りに今の場所や方角を確認すると、リオンは周りを警戒しながらそっと森の中へと踏み入っていく。向かう先は王都だ。幸い木々の間からは月が覗け、その上森の外の方へと獣道のようなものが出来ているお陰で、道に迷うことはなさそうだった。この辺りを住処にしている獣はそう多くなく、どれも対処法を含めてリオンの頭の中に入っている。数日寝込んでしまっていたことを加味しても、そう大した危険はないはずだった。

 ここが、普通の森であったならば。

 それなりに家から遠ざかった頃、リオンは何かに見られていることに気付いた。少しずつ、彼女の歩みが速くなっていく。だがそれもすぐに中断されることとなった。リオンがわずかに歩を緩めた瞬間、背後の茂みが激しく揺れたからだ。そこから飛び出してきた何者かが響かせる音に対し、リオンは反射的に剣を抜き斬りつける。何者かに対して剣がぶつかり、火花と共に激しい金属音が飛び散る。リオンの剣と同じように相手も大きく弾かれたような気配がしたかと思うと次の瞬間、リオンの視界に夜目にも分かる大きな顎が飛び込んできた。

「……っ!」

 鈍く光る牙をリオンは首を噛み千切られる寸前で躱す。その何者かのものであろう獣臭い体臭がリオンの鼻を突いた。

 ここに来て、リオンはようやく相手を観察する機会を得た。小さめの熊ほどもある体長でありながら、その姿は狼に似、その目は闇の中で紅く輝いている。ここまでであれば、リオンはこの獣を巨大な狼だと認識しただろう。だがこの獣は狼であると言うにはあまりにおかしな特徴を備えていた。肩から前足にかけて黒曜石のような結晶が張り出し、月の光に照らされて暗く光を放っていたのだ。牙もまた同じように紫色に煌めいている。おそらく先程剣が当たったのであろう。ちょうど左肩に当たる部分に一筋の切れ込みが付いていた。

「くっ……!」

 至近距離で放たれた獣の咆哮を聞き、リオンの頭が締め付けられるように痛む。まともな獣であれば有り得ないような現象だった。

 再び自身へと飛び掛かる獣に対しリオンは剣を振るう。そうして斬りつけてやれば一度は引くものの、決してリオンから視線を外したり逃げたりはしようとしない。獣は完全に彼女を獲物と見定めていた。時折放たれる不可思議な咆哮も相まって、少しずつ、リオンは追い詰められていく。普段の彼女であればこうは行かなかっただろうが、まだ毒を盛られてから目覚めたばかりなことも災いした。有効な反撃を取れないまま、時間だけが過ぎ去った。体力が減り、その動きが精細を欠くようになっていく。ちょうど六回目に獣が飛び掛かってきた時、リオンが振るった剣は運悪く肩の結晶に当たりその上を滑る。

「しまっ──」

 右肩で散る火花を意にも介さず、獣がリオンを食らわんと口を一段と大きく開いた。リオンが死を覚悟した、その時。

 新たに何者かが樹上から飛び降り、獣を上から踏み潰した。獣が情けない悲鳴を上げたかと思うと、新たな闖入者はすぐさまその太い首に腕を回し、力強く締め上げる。獣は激しく藻掻き抜け出そうとするが、いくら巨大であろうと完全に押さえつけられてしまってはどうしようもない。直に泡を吹き、ぐったりと脱力した。人影が最後に駄目押しとばかりにその腕にさらに力を込めると、骨の折れる太い音と共に獣が幾度か痙攣し、死んだのだろう、すぐにまた動かなくなった。

「全く、驚いたぜ。目え覚ましてみたら居ねえんだからよ」

 またしてもリオンを窮地から救った人物──アルバは、跨っていた巨大な獣の死体から立ち上がりながらそう言った。

「この辺の獣は他とは違う。さっきまでのを見る限り、死にたくなかったら戻って来た方がいいと思うぜ」

 そのままアルバは、それ以上は興味がない、という風に獣を肩に担ぎさっさと隠れ家の方へと歩き出す。これ以上進むことを諦めたリオンは慌ててそれを追いかけるのだった。

 

「この辺の獣──俺の知り合いは『魔獣』って呼んでたんだが、まあとにかくああいう風に変異していることが多いんだよ。昼間は森のもっと奥の方で寝てるんだが、夜になるとああやって狩りに出てくるからな、出歩かない方がいい」

 そう言いながらアルバは夜の道を進んで行く。それに対し、リオンはあくまで黙ったままだ。それは魔族とは口も利きたくないという意思表示か、或いはそれ以外の要因からだったのか。いずれにしろ、アルバに判別はつかなかった。

 

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