BEGINNING   作:山尾萩桃

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第3話

 翌朝、リオンは部屋の中まで響く絶叫に目を覚ました。ベッドから降り、扉を開けて外を覗く。するとそこには、頭を押さえ、呻き声を漏らしながら悶絶しているアルバの姿がある。

「お、おい、大丈夫か」

 その尋常でない様子に、リオンは思わず相手のことも忘れて声を掛けた。その頭には本来あるべき角がなく、角が生えていた場所には赤い皮膚が痛々しく見えている。

「ん? ああ、済まねえ。起こしちまったか」

 弱々しい笑みを浮かべながらアルバが振り返る。それも当然の話だ。魔族の角は本来鹿などのように生え変わったりはしない。角を失うという経験は、余程のことがない限りは経験することなどありえないからだ。

「お前、何をしている?」

「何って、見た通りだろうがよ」

 悶えながら、しかし何も後悔はないといった様子で、アルバはなおも続ける。

「角が無ければ、連合に行っても俺が魔族だとはバレ辛くなるだろ。俺は割と特徴が薄い方だからな」

 そう言われ、リオンはアルバの全身を見た。そしてこれはまた、リオンが相手を「魔族」ではなく「人間」として見た初めての機会でもあった。確かにアルバは魔族の中でも比較的人間に近い。大きな角や牙、尻尾などを持つものもいる一方で、角を失った今のアルバは、ただ人間として紹介されてしまえばすぐにはそれと分からないだろう。そして同時に、リオンはアルバの言葉に含まれていた言葉に引っ掛かりを覚える。

「連合に? お前、連合に行くつもりなのか」

 魔族が連合に行くというのは、他のどこかに旅行に行くというのとは訳が違う。少しの下手でも命に関わる上に、いつどこで素性がバレるのかも分からない。その上捕まればどのような目に遭わされるかなど、想像することは容易いだろう。その身体能力を鑑みれば、王都の更に南に位置し、今なお多くの凶暴な獣が生息する「果ての山脈」、或いは連合の更に北にあり、どこまであるのか分からない程の荒れ地が広がる「荒野」などで生きていく方が余程楽なことだ。しかしアルバは、確固たる意志の籠もった目で言い放つ。

「当然だ。ここから真っ直ぐ北上すれば、しばらくは険しい山が広がってる。そっちからなら、まだ入るのも楽な筈だ。そっから先は、まだ何も考えてないがな」

 そこまで一息に言い切ってから、アルバは改めてリオンを見据えた。

「お前は、どうする?」

 その言葉に対してリオンは、何も返すことが出来なかった。無言のまま逃げるように、家の裏手にあった井戸へと歩を進める。

「──ああそうそう、川はともかく、井戸の水は飲まねえ方がいいぞ」

 アルバがそう言い終わる前に、リオンは既に汲み上げた水に口を付けていた。刹那、強烈な胸焼けにリオンは思わず口に含んだ水を吐き出し、二度、三度とえづく。

「な、なんだ、この、水は」

 地面に膝を突き尚も咳き込みながら、リオンはアルバを睨みつけた。それに対しアルバは肩を竦めながら答える。

「別に毒なんか入れやしねえよ。この辺の井戸水は普通の人間には良くないんだとよ。俺らは平気なんだがな」

 そう言って、よろめきながらも立ち上がり、アルバはリオンに背を向けた。

「何にせよ、お前も身の振り方は考えておいた方がいいと思うぜ」

 

 その夜、リオンは眠れずにいた。アルバにされた問い掛けが、今も彼女の思考を捕らえている。

(「お前はどうする」、だと?)

 権力闘争から常に引いた立ち位置にいた彼女は、兄姉達が手段を選ばないことをよく知っていた。連合では、今頃自分が死んだことにされているか、或いは自分が犯罪者として手配されているであろうことも。

 かといってこちら側にいつまでもいることはまず不可能だった。曲がりなりにも王族ではあるため、かつては世話人がいた彼女の自活能力は十分と言うには程遠い。とてもではないがここから一人で生きていく自信は彼女にはなかった。

(そもそも奴は何故私を助けた? 「きまぐれ」などと……)

 アルバにとってリオンは復讐の対象であるべき筈だ。助ける義理など微塵もなく、殺す理由は列挙するに及ばぬ程にある筈だ。それなのにリオンは、他ならぬアルバその人に命を救われ、今生きてここにいる。その理由は彼女には分からない。

 思考が堂々巡りを始めると同時に、リオンは考えるのをやめた。元より策謀や思慮は決して苦手ではないが得意でもない。彼女はこのような手掛かりも情報も少な過ぎることは持て余さざるを得なかったのだ。こうなってくると、後はもう当人の生来の気質の問題だ。

(そう言えば魔族というものは、本当に人間によく似ている。戦っているときは考えもしなかった)

 そこまで考え、リオンの意識はまた眠りへと落ちていく。

 

 しかし二人には、もうそう大した時間は残されていない。このとき既にミルアードが放った追手が、隠れ家から徒歩で数日のところにまで迫っていたからだ。それから更に翌日、アルバは誰かが野営した形跡を隠れ家からすぐ近くで発見した。隠れ家が再び無人に戻ったのはその日の昼前。そして追手が隠れ家を発見したのがそれからわずか数刻後のことだった。

 

 ちょうど追手が隠れ家を発見した頃、アルバは連合の南、魔族の領域と連合の領土とを隔てる険しい山の中腹にいた。山を越える途中、ちょうど峠にあたる場所で、アルバは王都の方を振り返る。

「この景色とも、この街とも、当分お別れだな」

 名残り惜しげに景色を眺めるアルバを、背後から呼ぶ声がする。置いていかれ、ようやく追い付いてきたリオンだ。

「やっと追い付いた! お前は進むのが早すぎる!」

「なんだお前、付いてきたのか」

 アルバは隠れ家から出るとき、リオンにある程度の金を渡し「好きにしろ」と伝えていた。まさか付いてくるとも思わず、アルバはそのまま自分の速さで駆け出していたのだ。

「お前は『好きなようにしろ』と言った。だから私はお前に着いていくことにした」

 吹っ切れたのかはたまた吹っ切ったのか、リオンは胸を張ってそう言い切る。そのあまりにも清々しい姿にアルバは他の感情よりも遥かに早く呆れがやってきたのを感じる。

「いや、お前、俺は魔族だぞ? 敵対関係だっただろうが」

「それが今更なんだ。私こそ、お前の仲間を大勢殺した」

 それを突っ込まれ、アルバは思わず押し黙る。そもそも彼女を助けたこと自体、彼には理由がよく分かってはいないのだ。憎い気持ちは確かにある。だが、それは戦争中の話だ。その上アルバは元から普通の人間への忌避感はそう持っていない。今のリオンが抱える事情を知ってしまっている今、それを拒絶する積極的な理由は持っていなかった。

「そもそも私一人ではとてもじゃないが生きてはいけないしな。……昨日も聞いたが、お前はこれからどうするんだ? 本当に行くつもりか?」

「お、おう、当然だ」

 アルバにとっては聞き捨てならない言葉はしかし機会を逸したために突っ込まれることなく流される。そのことに気付かぬままに、アルバは頬を掻きながら、やりにくそうに言う。

「宜しく頼むぞ。そのー……なんだ」

「アルバでいい」

「そうか。それで、これから何処へ行く?」

 こうして互いに互いを憎みながらも憎み切れず、今一つ微妙な関係の二人は同行関係となった。そしてリオンの問いに、今度は先程までと反対側、連合の方を向きながらアルバは答えた。

「いざ、北へ」

 アルバにとっては未知の土地。リオンにとっては既知でありながらも今までとまるで違う顔を見せるであろう国は今、沈みゆく夕日に照らされ、橙色に輝いていた。

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