BEGINNING 作:山尾萩桃
「つまり、お前は連合の王族の一人で」
「今となっては『元』が付くだろうがな」
「以前ここで暮らしていたから割と顔が知られいて」
「ああ」
「それでもって今はこの街には決して仲が良くはない兄弟が来ていると」
「……そういうことに、なるな」
どことなく決まりが悪そうな様子で、リオンはアルバの問いを肯定する。改めて冷静になって考えてみれば、さながら飛んで火に入る夏の虫、とでも言ったところだろうか。アルバは初めて訪れる土地に興奮して、リオンの方はやはり二年ぶりに故郷とも呼べる場所に帰ってきたことによってか、二人ともそのような部分にまで気が回っていなかったらしい。
「その、なんと言うべきか分からないが、済まないな」
「いや、済んじまったことはしょうがねえ。こうなっちまった以上、これ以上この街に留まるのも不味そうだ。一刻も早く街を──」
わずかばかり落ち着きを取り戻したアルバの言葉が途切れた。ここに来てようやく、二人は周囲を取り囲み今なお少しずつその網を閉じている集団の気配に気付く。
「街を出た、かったんだがなあ。悪いことってのは来て欲しくない時に限って、大挙して押し寄せてくるんだからよ、全く」
途切れた言葉を元々言おうとしていたそれとは違う形で続けながら、アルバは天を仰いだ。建物の隙間から見える空は、今の二人の状況とは全く裏腹に、夕焼けに染まり雲一つなく澄み渡って見えた。そうこうしている内に包囲網はもはやどうにもならないところまで来ていた。こうなる前であれば、アルバ一人なら脱出は容易だっただろう。だがこの場にはまたリオンもいたし、元々敵とはいえ、既に半月以上を共に過ごしたその奇妙な同行者を見捨てるのは、アルバには忍びなかった。
突然、二人の前に一つ、人影が音もなく現れた。
「要件の方は言うまでもないでしょう。ご同行願います」
その言葉にアルバは項垂れ、大きな溜息を一つ吐いた。見える空は、相変わらず橙色に輝いていた。
◇◇◇
逃げられないよう周囲を複数人で固められ、人目を避けながら水晶宮へと連れて来られた二人の扱いは対照的なものだった。片やあっという間に縛りあげられた後地下牢に放り込まれ、もう一人の方はといえばあくまで丁重な扱いを受けながら、客間へと案内された。
客間へと通され、リオンはまたもや困惑していた。今この館を取り仕切っているのは彼女の末の兄、アマディオだと彼女は予想していた。アマディオとリオンとは大した接点もなく、リオンの出自の関係上アマディオには嫌われているとリオンは思っている。実際、物心ついてからは、年に数度か会った時など極めて冷淡な対応をされたものだ。
しばらくして、おもむろに扉が開かれた。その先に立っていたのは、アマディオと、昼間彼を出迎えていた給仕服の女性だった。女性の方は、リオンの顔を見ると、今にも溢れ出さんとする感情のままにリオンに駆け寄ると、そのまま彼女に抱きついた。
「よくぞ、よくぞご無事で……」
「メ、メイ、リ?」
彼女の名はメイリ。リオンが幼い頃からこの水晶宮で働いていた侍従の一人で、リオンの母親代わりとなってその面倒を見ていた。リオンの記憶ではまだ四十にもならない年齢であったはずだったが、今彼女を抱き締め啜り泣くその姿は、五十、或いは六十かと見紛うほどに老けて見えた。
「話は兄上から聞いている。俺はしばらく首都から離れているから直接見知った訳ではないが、何でも魔族と内通したそうじゃないか。連れがその相手か?」
「お止め下さい、アマディオ殿下。どうかそのようなことを仰られますな」
茶化すように言い放ったアマディオを、メイリが窘める。アマディオはそれに対し肩を竦めることで応じると、少しだけ表情を引き締め話を切り出した。
「さて、真面目な話をしたいな。メイリ、少しだけ席を外してくれ」
「っ、畏まり、ました」
メイリは一瞬だけ不服そうな顔をしたが、とはいえ彼女は侍従の身である。すぐに承諾の返事をして、静かに部屋を出て行く。しかし扉を潜る一瞬、リオンの方へと不安げな視線をやるが、アマディオが苛立たしげに指を打ち鳴らすと、はっとしてすぐに扉を閉め去って行った。
「まあ座れ、俺としてもお前を今すぐどうこうしようというつもりはないさ。お前が俺を害そうと言うなら話は別だがな」
そう言われ、リオンは恐る恐る応接用のソファに腰掛ける。それと同時にアマディオも倒れ込むように席に着いた。ミルアードを虎とするなら、アマディオはさしずめ豹と言ったところだろうか。威圧感すら感じさせる兄に対し、アマディオはどちらかと言えば全体的に細身な男だった。しかし痩せているということは決してなく、むしろしなやかに引き締まっているとでも言うべきだろう。その顔立ちは、身体と相まって彼に怜悧な印象を与えていた。
「まず三つ、聞かせろ」
だらしなく背もたれに身体を預け、天井を仰ぎながらそのアマディオが言う。リオンが声もなく頷いたのを知ってか知らずか、アマディオは人差し指を立てながら続けた。
「まず一つ。半月ほど前、ミルアードが大々的にお前のことを手配する内容を布告した。理由はさっきも言った通り、『戦役中に魔族と内通し徒に連合の被害を増やしたこと』。これは事実か?」
「っ、そんな訳はありません! 全くの事実無根です!」
思わずリオンは立ち上がり反駁するが、アマディオはそれを軽く宥めて中指を立てる。
「ならいい。まあそいつを信じるかどうかは別の話ではあるがな。次だ。お前と共にいたあいつは何者だ? どこで出会った?」
その問いにリオンは思わず口ごもる。どう切り出せばいいのか分からずしばらく黙っていたが、リオンは少しずつ話し始める。ミルアードとの顛末から、アルバと同行することになった経緯までを一通り聞いたアマディオは、大きく息を吐いて一つ呟いた。
「やっぱりあいつの差し金か……」
その言葉は断片的にではあるがリオンの耳に届いた。が、それを問い質そうとする前にアマディオがその薬指を立てる。
「それじゃ最後の質問だ。お前、ここに残る気はないか?」
「は?」
あまりにも予想外の質問に、リオンは茫然として幾度か目を瞬かせた。
「それは、どういう意味ですか?」
呆気に取られている様子のリオンに構わず、アマディオは身体を起こすと、リオンを正面から見据え言葉を継いだ。
「もちろん王族としての待遇は全くもって保証しかねる。どちらかと言えば侍従たちに近い扱いにはなるだろうが、少なくとも今後の身の安全は保障しよう。どうだ、悪くない話だろう?」
「いえ、それは有難い申し出ではあるのですが……何故、そのようなことを? 兄上のお立場が危うくなるのではないでしょうか?」
混乱を極めた結果どこか冷静な様子でリオンは返す。それを聞くと、アマディオはその口をいたずらっぽく歪めた。
「なあに、政敵にでもなるんだったら話は別だったがな。ミルアードのおかげでその心配も無さそうだ。だったら兄として妹を守ろうとするのは当然のことだろう?」
その言葉がどこまで本気かはリオンには測りかねた。一先ず保留に類する返事を返そうとした時。
「なんだ? 外が妙に騒がしいようだな」
リオンより先に、アマディオの方がそれに気付いた。確かに扉の向こうからは、鎧のものであろう金属がぶつかり擦れ合う音と、いくつかの焦ったような声がする。
「どうした、何かあったのか?」
アマディオが扉を開き、横を固めていた二人に問いかけると、右側にいたより年嵩の方がそれに答えた。
「はっ、先程から地下の魔族が騒がしい為、そちらに数人配置しているところです」
「何だ、自決でもしようとしているのか?」
「いえ。どうやら、急に牢を出ようとしたらしく。ですがそれが、ただ逃げようとしている訳ではないようでして……」
それよりも少しだけ前。リオンが客間に案内されていたのとほぼ同じ頃、早々に地下牢に放り込まれた方のアルバは、特に監視を付けられることもなく、文字通り放置されていた。とは言っても、そう簡単には解けないよう固く縛られた上鉄格子のある牢に放り込まれているのだ。上の階にいる王族二人よりも優先度が下がるのは当然のことだろう。悪名高い魔族の近くに居て監視する役目を誰も負おうとしなかっただけなのかもしれないが。事実、この牢屋に運び込む間も、担当していた兵士はほとんどおっかなびっくりと言った様子であった。
そんなわけで、アルバは一人暗い牢の中、石造りの壁やら天井やらを眺め続ける憂き目に遭っていた。それにも関わらず、その目は未だ死んではおらず、強い輝きを放っている。しばらくして芋虫のように身体を動かして上半身を起こすと、壁に背中を預け大きく息を吐いた。暗闇の中で、アルバが思い出すことはいつも決まっている。魔王──セイレンという名のアルバの親友とも言える存在だ。
アルバとセイレンの出会いは、今から十年ほど前にまで遡る。当時アルバはガトルとの同居を始めてから七、八年経過しており、精神的にも肉体的にも随分と成長していた。それに伴って活動範囲も十分に広がり、肉体的な素養もあってか森の中で知らぬ場所はないとまで言っても過言ではなかった、そんな時だ。
ある時アルバは隠れ家──と言っても当時はただのガトルの拠点であったが──からほど近い洞窟へと散歩に出掛けた。既に探索はし尽くし、今更目新しい物が見つかるとは到底思えなかったが、なぜだかその日は気が向いたのだ。洞窟の中に足を踏み入れた瞬間、洞窟内の雰囲気が普段と違っていることにアルバは気付いた。何処となく空気が濁っているような、ある時うっかり酒を口にした時に感じたような、そんな感覚だった。そしてその間隔は、洞窟の奥へと進むほどに強くなっていく。酩酊感に少しばかりふらつきながらも、好奇心に促されるまま進んでいった先でアルバが見たのは、布とは名ばかりの襤褸切れを纏った、自分と同じくらいか一回り下の年であろう一人の子供、そう、他ならぬセイレンなのであった。セイレンは他よりも大きな角を持ちながらも白磁のように白い肌を持ち、身体のところどころに鱗を生やしているなどその姿は同族から見ても化け物に近いものだった。村を追い出され、ボロボロになりながらもやっとの思いで辿り着いた洞窟で束の間の安息を得ていただけに、セイレンの落胆は凄まじかった。虚ろな目で乾いた笑いを浮かべるその姿は、その意図がなかったとしても、アルバの同情を誘うには十分過ぎるものだった。
そこから先、語ることはそう多くない。アルバはガトルとセイレンとを天秤にかけセイレンを取った。セイレンはその異形に近いが故の才覚で以って魔族の頂点にまで上り詰め、一方のアルバはそうでなかったが為にただの兵士となった。先だってリオンを助けたのも、出会った時のセイレンと重なって見えたからに他ならない。
そういう訳で、アルバは今でも暗く狭い場所ではセイレンのことを思い出す。魔王となってからは日々如何にして王国を安住の地とするかに頭を悩ませていたものだ。前線を潜り抜け自身の元へ向かっていた勇者と正面切って戦うことを選んだのも、これ以上の兵の犠牲を良しとしなかったが故の行いだった。
(そう言えば、「魔王を倒した」とは言っていたが、「殺した」とまでは言っていなかったな)
アルバがそんな風に半ば現実逃避のような考えごとをしていた、その時だ。
不意に、アルバの耳がある音を捉えた。採光用の小さな窓から聞こえてくる風の音に混じった、僅かに不自然な音。それと共にはっきりとし始める、いつぞやも感じた何者かの気配。
次の瞬間、アルバは鉄格子に飛び付いていた。地下牢に、格子の軋む耳障りな音が響く。
「くそっ、この野郎、とっとと、曲がりやがれっ」
そんな悪態を吐きながら、アルバは腕にさらに力を込めた。地下牢全体の扉の方から聞こえる音や怒鳴り声にもお構い無しだ。
「っ、おおっ!?」
一際酷い音と共に、格子が大きく歪む。それを見て、アルバは思わず歓声を上げた。
だがその声は、クライスタの夜をつんざく咆哮によって掻き消される。直後、轟音が水晶級を揺らした。
招かれざる客が、水晶宮を訪れたのだった。