結束バンドの公演は、上から見下ろすことにした。
傷心中の思春期の少女は、告白して失敗した相手の顔なんて、とてもじゃないけど見れない。だけどそんな相手の頑張りは目に焼き付けたい。だったら、顔を見なくて済むし、尚且つ確実に姿を捉えることができるこの通路でしかない2階の特等席こそがベターであるとエミは結論づけた。
告白以来、エミは後藤とは話さなくなった。もともと後藤は自ら他人に対して声をかけるような行動力は無かったが、エミに対するそれは明らかに避けている動きだった。喜多からは何かあったのかと聞かれるが、エミはその度に「プライベートなことだから」と済ました顔で躱した。
結束バンドにとっての2回目の公演。1回目はSTARRYで行ったらしく、その演奏はえらく評判だったらしい。当然エミは行ってない(招待はされた)ので、口コミと想像でそのライブの音を頭の中で組み立てて楽しんだ。エミと後藤の関係は大きく変わってしまったが、エミは変わらず後藤の奏でる音を愛していた。今も音を思い出すだけで、腹の中が熱くなる。
後藤への告白、もといアプローチについてはエミは反省をした。というよりも最早後悔すらしていた。
私が後悔するなんてなぁ。
それまで無かった心情に笑ってしまいそうになりながらも、それでも自分は先走りすぎてしまったのだな、と冷静になって過去の自分に平手打ちを何度もした。自分の好きと、相手からの好きは必ずしも向かい合わないという世の摂理を、エミは初めて理解した。
体育館は次第に人で埋め尽くされていった。一般公開ということもあり、学生のみならず生徒の家族や他校の生徒たちもちらほらと見かけられた。中にはカップ酒を手にした怪しい女性もいて、一目で結束バンド関係者だとわかった。
エミは手すりに頬杖をついて、万が一後藤に気づかれないように、息を潜めた。
彼女には、万全の状態で音を奏でてほしいのだ。
喜多のはつらつとした挨拶が始まる。クラスの人気者らしく、彼女が喋れば自然とオーディエンスは盛り上がる。その間、後藤は緊張したように直立不動の体制をとっていて、他のメンバーは弦を押さえる指を確認したり、喜多の話を邪魔しない程度にシンバルを軽く鳴らして音のチェックをしていた。
一曲目の演奏が始まる。
後藤のギターが耳に入った瞬間、エミの頬に涙が伝った。
草陰で覆われながらも、独りよがりで強気なサウンド。矛盾した意味を持ち合わせながらも、共存している歪なソレは、会場の雰囲気を少し変えた。
忘れてやらない
後藤のギターサウンドが命名したかのような、意志の強いタイトルだ。演奏自体も、後藤のギターが先頭に立って他の三人を引っ張っているように聞こえる。
非常にパンクテイストなサウンドになっていて、ビートはシンプルだ。結成してから間もない今に演奏するにはちょうどいい曲だから選んだのかもしれない。しかしシンプルとはいっても、音の隅々から彼女たちの演奏技術が上がっているのはわかった。かなり後藤のギターが独りで駆け回っているが、ドラムもベースもそれに引っ張られることはなく、むしろ後藤の演奏技術を引き立てているように感じる。リズムギターの音が小さいのは、音響の問題か、演奏技術が伴っていないためのカバーなのかは定かではないが、それすらも却ってこの曲の生命感に色を付けているように見える。
まだ後藤がワンマンでなんとかしている状態ではあるが、それでもバンドという生き物としての骨組みは作られている。
結束バンドがこの先どうなるのか見てみたいと、エミは初めて思った。
後藤以外の三人が、これから先どう成長して、そして後藤をどこまで持ち上げて辿り着けるのか。
「私がいれば、もっと確実に高みへ行けるだろうけど」
そう呟いて、エミは頬が紅潮する感触を覚えた。
恥ずかしい。私はもう終わった人間なのに、何をたらればを吐いているのだろう。この感情は、持たずに金庫にしまっておくものだ。
熱くなった自分の顔に、手扇をパタパタと仰いでおると、次の曲が始まる。
次の後藤のギターは、やけに可愛らしく取り繕っているように聞こえた。まるでデートに行く時に、お気に入りのワンピースの裾を揺らしながら歩いてるような。
星座になれたら
歌詞を描いたのはおそらく後藤だろう。だって誰かに歌わせることを意識しているような感じる歌詞だ。
歌っているのは後藤とは正反対とも言うべき存在である喜多で、極め付けは途中のトラブルだ。後藤の弦が切れた時よ演奏は、きっと喜多のアドリブだ。ソロだから難度が上がったとはいえ、表情も指遣いも音も辿々しかった。しかし、その後の後藤の意を決したボトルネック奏法。
きっと、この二人の間には星と星を結びつけるような強固で美しい線が繋がっているんだろう。
つないだ線解かないで
僕がどんなに眩しくても
いいなあ。
私も、貴女にとっての星座になれたらなぁ。
思わず、唇を噛み締めてしまう。
まるで断頭台にでも立たされているようだ。それも執行人は恋した人。演劇ならばそれは観客の涙を誘う悲劇に映るだろうが、今のエミにとってはノンフィクションのドキュメンタリーであり、結束バンドからすれば青く輝くワンシーン。
きっと私は、死ぬ最後の瞬間まで、褪せて記憶の映像がモノクロになって、次第に彼女たちの声や音を忘れてしまっても、この詩が私の身体の環状線を巡るのだろう。
つないだ線解かないよ
君がどんなに眩しくても
ああ、今の貴女は。
私がこれまでの生涯で目にしてきたどんな瞬間より。
そして今この世界で一番眩しいよ。
だからどうか、こんな私に、貴女の姿と音を記憶に焼き付ける勝手を許してください。
結束バンドの公演が終わり、盛況賑わせていた人々の姿は分刻みに減っていき、残っているのは文化祭実行委員の面々だけだった。その面々も、機材の片付けを終えてからは校庭で行われる後夜祭目掛けて体育館を後にした。
エミは延長コードを3つも繋げたマイクを片手に裏口から無人の体育館へと侵入した。夕闇に包まれた体育館は自分の足元を確認するのも難しいほどに暗く、なにより世界から自分以外の全てが消失したかの様に音が無かった。
体育館に入れる扉を全て縄で塞いで、念の為にパイプ椅子でも押さえて、不可侵な自分だけの世界を完成させる。
舞台上に上がって、端っこにグランドピアノがあることを確認する。スマートフォンのライトで手元を確認しながら覆い被されていた布を脱がせて、景色と一体化してる艶やかな漆黒の身体に触れる。
今だけ、お願いね。
マイクの電源を入れて、適当に椅子の足元に置く。両の手を優しく摩り、最後に掌にフッと息を吹きかける。心を込めた演奏をするときに行うルーティンを終えたエミは、学校のどこかにいるだろう、後藤の姿を思い浮かべる。
私は後藤さんにとって、忌むべき存在であって、貴女の中に入り込めない拒絶される存在であるけれども。
どうか最後に、私の独奏曲を聞いて、私のことを忘れてほしい。
私から貴方への、最後の愛撫です。
交響曲第5番『運命』第1楽章
力一杯に扉を叩く。
ダダダダーン。ダダダダーン。
これまでのエミが持ち味としていた繊細でありながら大胆な演奏ではない、力を込めた、乱暴な演奏。エミの力が通じたハンマーはピアノ線を力強く叩き、生まれた音は産声を上げて校内へと響き渡る。
エミが奏でるのは祝福された過去の自分。あの時後藤と出会ったエミは、それを運命と感じた。運命というのはいつだって急に訪れるものだし、姿形を変えて現れる。時には喜、時には怒、時には哀、時には楽。今、後藤に向けて鍵盤を叩くエミの感情はその全て。
貴女に出会えたことはとても喜ばしかった。
貴女の運命に私がいないことに怒りが湧いた。
私と貴女の運命のズレが哀しかった。
貴女と過ごせた日々は嘘偽り無く楽しかった。
ああなんて、身勝手で残酷で素晴らしき運命だろう。この運命を冷たい目で軽蔑するし、手を掴んでキスをするほどに感謝もしよう。
この運命は、貴女に出会えた今までの私を祝福するエンディングの始まり。さあどうか、長い髪に隠れたその耳を傾けて。
『Rain』
降り頻る雨の中を駆け抜ける少女の背中を押すような、突き抜ける力強い音。鍵盤を押すたびに、エミの瞼や裏には文繡が現れる。
降り頻る雨の中、彼女は館を飛び出し、笑みを浮かべてその場を後にする。黒い服をピシッと着た召使が傘を差し出すが、「要らないわ」と傘を捨て、駆け出す。
彼女の笑みには自信と高揚感が見て取れたが、それとは対照的な不安と焦燥感が立ち込める音楽。
映画全体としては短いシーンだが、その後の彼女の顛末を示唆するような映像と音楽が、エミはたまらなく好きだった。
私と後藤さんの今後がどうなるかはわからないけど、今この瞬間ぐらいは、文繡のように晴れやかな笑みを浮かべて、それぞれの未来を信じて駆け抜けようじゃないか。
超絶技巧練習曲『鬼火』
ここで超絶技巧の曲を入れるのは、コンクールだと訝しんで見られちゃうし、魚の骨ぐらいの引っかかりを覚えるかもだけど。
私の感情を届けるなら、自分に従わなくちゃね。
細かな音符たちがフラッシュするように続くピアノの音。ちろちろと燃え続ける青い炎は、エミが鍵盤を叩く毎に増えていく。いつしかエミとピアノの周囲には鬼火しかいなくて、彼らは演奏を盛り上げる紙テープ代わりに小さな火花を散らしていた。
ただ漂うだけで柱の1つも作らない燐の群れは、しかしエミの演奏がピークを迎える時に1つに集合し、青い壁画となってエミとピアノを取り囲む。壁画に描かれているのは音符を抱きしめる黒髪の少女と、桃色の長い髪を靡かせて、枯れ木に寄りかかって音符にキスをする少女。
壁画を辿っていくと、やがて黒髪の少女は音符越しに桃色の髪の少女を目にして駆け寄る。しかし黒髪の少女と同じスピードで、桃色の髪の少女と先を急ぐ。そして桃色の髪の少女はすくすくと背が伸びて、扉を開けて壁の外へと出る。
お待たせ
外から聞こえてきたその言葉を、黒髪の少女は悲しそうにボロボロと大粒の涙を流して、しかし音符を強く抱きしめて、何も見えない壁の外に向けて喉がちぎれるほどに叫ぶ。
いってらっしゃい
新たな鬼火が扉を、少女を、音符を燃やし尽くして、辺りは再びエミとピアノだけになる。
私の鬼火はもう終わり。今の姿はとっくに温度なんて無くて、ゆらゆら揺れているただの残滓。
だから完全に燃え尽きて、綺麗さっぱり姿を消してしまう前に、もう1曲弾かせてもらいます。アンコールは無い予定だから、聴き逃さないでね。
『A Thousand Miles』
覚えてる?後藤さん。
私と貴女の、初めてのセッションだよ。
エミはあの時の後藤が入れたメロディーを思い出す。まるで白昼夢の中を歩いているような、浮遊感のある取り繕った歩き方。それでも彼女は確かにそこに立っていて、確かな足取りで私の隣でギターを添えてくれた。
もう隣にはいないし、近づくこともできないけれども。美しくて気持ちが良くて、でも少し寂しい白昼夢。それでもエミはピアノの前に立つたびにその夢を思い出すだろう。
だって、忘れてしまうにはあまりにも尊い。
忘れられてもかまわない。でも忘れたくない。
今の後藤さんなら、きっともっと浮遊感のある、迷宮のメロディーを入れてくるだろうか。いや、もしかしたらあの時とは逆のアプローチで、叩きつけるようなどギツイ乱雑なノイズを入れてくるかもしれない。訪れなかった、そして訪れることはもうない可能性を考えるたびに涙が出そうになる。
でも涙を流してる暇なんてない。瞳と頬を濡らす暇があったら、今この瞬間を全力で謳歌したい。涙なんて後で流そう。黄昏なんて死ぬ間際でいい。
忘れるな。
今この瞬間を奏でることは、不可逆なんだ。
もし空に飛び込めたら
私は時間に置いてかれちゃうのかな?
1000マイルを歩くことなんて苦じゃないの
今夜、貴女に会えるのならね
まだヒリヒリする頬を摩りながら、後藤ひとりはベンチに腰掛けて、夜とバトンタッチする間際の夕空を見上げていた。
後夜祭の盛り上がりはまだ収まる気配はなくて、後藤の知らない夜の学校は、絢爛豪華な劇場のように光って見えた。
さっきまで流れていた、多分生演奏のA Thousand Miles。曲を知っている人はピアノの旋律に合わせて歌って、知らない人は自分たちの世界に夢中で。
なんだか、人がごった返すカオスな世界で生きてしまっているって感じがする。
さっきのピアノ、生っぽかったよね。
えー嘘ー?
サプライズ演奏ってやつかな。
前にテレビに出てた路上ピアニストじゃない?
マイムマイムをぶった斬って校内の人々の耳をジャックしたピアノの演奏者の正体を、後藤は知っている。ベートーヴェンでも、ましてや坂本龍一やリストやヴァネッサ・カールトン本人ではなく。
自分と似た、音楽を愛していて。
自分と似ず、音楽に愛された少女。
優しくて気が利いて、たまに笑顔が怖くて、けれど私のことを1番理解してくれようと努力したどこまでも純で真っ白な少女。
彼女自身の思いだけを優先して作られたセットリスト。運命と、ラストエンペラーの曲と、たぶんリストと、A Thousand Miles。特に最後の一曲は、自分に語りかけてきてくれているように後藤は聞こえた。
耳に届いた内容は、風の音に妨げられて聞こえなかった箇所を推測して補完するぐらいの不確かさだけど。
まあ、忘れられないよ。
だってあれは、私にとっての上書きされた初めて。
強烈で、獰猛で、抗えない、無理矢理な弄り合い。
忘れてしまうには、あまりにも官能的。
ピークを過ぎた後夜祭は、次第に疲労の色に染まっていって。誰が言い出したわけでもなく、自然と解散の流れになっていった。
家路に着く人。まだ遊びに出る人。2種類の人の流れが合わさった濁流に、結束バンドの4人は身を任せて学校を出た。
結束バンドのメンバーと別れて、駅から家までの長くも短くもない帰り道。いつもより冷風がチクっと刺さる感触を覚えながら、後藤は少女と交わしたいつかの言葉たちを思い出す。
「後藤さんがギターを弾こうと思ったキッカケって何?」
「……愛と、世界平和のため、です」
「世界平和!壮大じゃん良いね!」
あの時の少女の表情からは、疑念なんてものは一切窺えなくて。
心が少し痛くなったけど、痛いだけで通り過ぎて。
「ビル・エヴァンスってジャズピアニストなの」
楽しそうに少女は語る。きっと少女にとってのピアノとの出会いは、今でも心躍ってしまうほど希望に満ち溢れた眩しい出来事だったんだろう。
「まあ憧れたのがジャズだったもんだから、クラシックには馴染めなかったんだけどね。楽しかったけど辛かったなー」
少女は、後藤に喋らせなかった。いや、正しくは喋らせないようにしていたのだろう。聡い彼女のことだ、後藤の性格を読み取っていて、後藤が入り込める隙をあえて作っていたのだ。しかもその内容には嘘や揶揄といった忌むべきネガティブさは無くて。
誠意あるスポットライトの下で、後藤は立ち上がった。
誠意には誠意で答えるべきだと後藤は思ったからだ。
「じゃあ、その好きな曲っていうのは?」
後藤でも驚くぐらい、澄んでいてつっかえが無い、綺麗な声で言えた。
少女は後藤の問いに、宝石のような笑みを浮かべた。
自宅の。
自分の部屋の。
自分の世界で。
後藤はアンプに繋がってないエレキギターを抱えて、少女のリビドーに返事の手紙を書き連ねる。
いつの日か、私の王子様と
いつの日か、また会える
そして王子様のお城へ行って
いつまでも幸せに暮らすの
いつの日か、春が訪れる頃
私たちは愛を新たにする
鳥たちは歌い
祝福の鐘が鳴って
いつか、私の願いは叶うの
––––––ああ、思えば。
彼女は私にとっての、王子様だったのかもしれない。
おしまいです。
駄文駄物語をここまで読んでいただき、ありがとうございました。