街の小さなワイン屋さん   作:yskk

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理由

 東人民共和国、オスタニアと呼ばれるのが一般的であろうか。この国の各地には、かつての大きな戦争によってできた爪痕が未だ残っていた。

 それでもここバーリントは首都ということもあり、地方に先んじて復興を終え、今や戦前以上の発展を見せつつあった。

 

 そんな都会の片隅に、小さなその店は存在した。

 

 

 街の中心を走る美しく舗装された大通りを、多くの人が車が、路面電車が行きかっている。その通りから一つだけ外れた裏路地の片隅で、ひとりの男が足を止めた。

 

 歳は恐らく三十前後。整った顔立ちに、190センチ近い背丈。そんな高身長が纏うのは薄手のコートに、汚れや皴とは無縁そうな高級スーツ。

 中折れのハットを深めに被ってさえいなければ、道行く女性陣振り返ってしまいそうな、男女どちらから見ても理想的な容姿。

 あえて欠点を挙げるとすれば、少々目つきが悪い事だろうか。ともすれば冷徹な人間に見えてしまうほどに。

 

 

 男はそんな鋭い眼差しを、目前にある商店へと向けた。

 

 外観はお世辞にも美しいとは言い難い。いや、有り体に言ってしまえば薄汚れている。

 新しめの住居や商店が並ぶこの辺りにあって、ぱっと見て築百年近くは経っていそうな佇まいは、群を抜いて異質であった。

 客が入店する気を半減させる程に。

 

(……相変わらず演出過剰だな。逆に目立つだろう、これじゃあ)

 

 職業柄なのか本来の彼の性格なのか、この場所に来る度に同じ感想を抱き、心の中で指摘せずにはいられない。

 

 

 男は羽織っていいたコートを脱ぎ、小脇に抱えてからドアに手をかける。

 建付けの悪いそれはギシギシと鈍い音を、けれども備え付けられたベルからは、カランカランと心地よい高音を店内に響かせた。

 

 店の中は照明も必要最小限で、陽の降り注ぐ外界とは対照的に薄暗い。

 

 そこでまず彼を迎えてくれたのは、ガラス製のビンの大群。棚に立てられた物もあれば、木箱の中に横たわる物、ショーケース代わりのタルの中にも。

 至る所にワインのボトルが存在していた。

 

 整然と言うには少々遠く、無造作かといわれればそこまでではない。そんなラインの陳列具合で客を待つ。

 その物量に店のサイズも相まって、通路はそう広くはない。服の一部なんかが無意識に触れ、誤って落としてしまいそうな、そんな危険性を孕んでいそうなほどに。

 

 

 男が事も無げに地雷地帯を抜けて奥へ進むと、カウンター越しに店の主が声をかけてくる。

 

「いらっしゃい」

 

 歳は同じく三十前後。この古ぼけた店に似つかわしくない、若い男性の店主だった。

 

「ああ、お久しぶりです。えー……」

「……ロイドだ。ロイド・フォージャー。今は」

 

 店主が言葉を詰まらせるのを見て、男は自らの名を告げる。

 ロイドと名乗ったこの男。彼が「今は」と自分で言ったように、ロイド・フォージャーという名前も幾つもある内の一つでしかない。

 多くの偽名を持つ必要のある職業、つまり彼はスパイであった。

 

 このロイドのように、スパイは数多くの偽名を抱えている。ではその仲間や関係者と接触する際に、今の彼らのようなやり取りを都度行うのか。否、そんな時のためにコードネームというものが存在する。

 

 

 黄昏。

 これがロイドのコードネームである。

 

 店主とて別に知らないわけではない。しかし、決してその名で黄昏のことを、ロイドのことを呼ぼうとはしない。そしてロイド自身もその事は承知していた。

 だから彼らは毎度繰り返している。暗号や合言葉の類でもない、無意味なこのやり取りを。

 

 

 

「いつものを頼む」

「……」

 

 ロイドがカウンターに体を預けながら口を開くが、店主からの返答はない。ただただニコニコとした営業スマイルを浮かべるだけだ。

 店主の反応に、もともと険しいロイドの眼差しはさらに鋭さを増す。しかし不満を唱えたところ何が変わるでもないことを、ロイドはよく分かっていた。

 

 ロイドは諦めたようにため息を一つつき、改めて告げる。

 

「……ブルグアント産の45年物を」

 

 その言葉を聞いて、作り物の笑顔はようやく本物のそれへ姿を変える。

 

「ああ、でしたら良いのが幾つかありますよ。いや、実はブルグアントじゃ隠れた当たり年でしてね。そんなに数もないんで、店頭には出してないんですけど」

 

 矢継ぎ早に店主は言葉を紡ぐ。その仕草もロイドにしてみれば、実にまたわざとらしい。演出過剰。ふたりしかいないこの場で必要だろうか。

 そんなロイドの疑問をよそに、店主は背後にある扉を開けながら、更にこう続けた。

 

「地下のカーヴにありますんで、宜しければご一緒にどうぞ」

 

 店主は実に上品で優雅な仕草と共に、扉の奥へといざなう。さながら高級レストランのホストやウェイターのように。

 

「っと。その前にちょっと失礼」

 

 そう言いながらカウンター伏せてあった小さな立札を取り、入り口の方へ向けて置いた。

 

<店主は地下にいます>

 

(……他に客なんて来ないだろうに)

 

 手書きの安っぽいそれを見て、心の中でそんな感想を抱きながら、ロイドは扉の先へ消えた店主の後を追った。

 

 

 

 

 薄暗かった店内よりも更に暗く、狭い階段を二人の男が無言で下っていく。

 

 カツンカツン

 金属製の階段が何十という足音を奏でた後に、それは途絶えた。

 

 そこにあるのは二つの扉。片方は金属製の見るからに堅固なもの。もう一つは木製で鍵どころか錠前すら付いていない扉。

 実際に入ったことはないロイドにも、そちらが本当のワインカーヴなのであろうことは容易に想像がついた。

 

(……用心深いんだか、そうでないんだか分からんな)

 

 

 ロイドがもう片方に視線を送っている僅かな間に、店主は手早く本命の開錠を終える。そしてその分厚い扉を、少し重そうに、しかし勢い良く開放した。

 

 同時に光の塊が襲い、ロイドの視界を奪っていく。が、それも一秒にも満たないほんの僅かな時間のこと。次の瞬間には目は慣れ、視界を取り戻す。

 何しろ彼の職業上、そうでなければ生死に関わるから。

 

 

 次に飛び込んできたのは、部屋中に並べられた幾つものショーケース。そして、そこに収められている、危険物の数々。

 ハンドガンからライフル、マシンガン、ショットガンといった銃器が八割程であろうか。残りはナイフをはじめとした刀剣に、ニッチなところで言えば暗器の類まで。

 

 要するに武器である。模造品なんかではなく、すべてが本物。

 それらが上の部屋のワイン達とは逆に、秩序良く並べられている。カテゴリー毎に分けられ、一つ一つの顔がしっかりと見えるように。

 

 これらを販売することが店主の本当の生業であった。無論、非合法である。

 

 

 

「いつものアレで?」

「……ああ」

 

 店主の問いにロイドは短く答える。

 そして、同じ人間が陳列したとは思えないそれらを眺めながら、ただロイドは待った。

 

 

 店主は拳銃が並んだガラスの戸棚には手を付けず、その下の腰の高さほどにある引き出しを開ける。そして銃弾のケースがびっしりと詰まったそのまたの奥、まるで隠されたように置かれた一つの銃を取り出した。

 

 一見するとそれはオーソドックスな、中型のオートマチック拳銃。サイズは中型にしてはやや小ぶりであろうか。そこが携帯性に優れ、ロイドのような職業にはうってつけともいえる。

 

 しかし分かる人からしてみれば、それは明らかに異様な代物であった。

 

 

 

 店主が武器の密売を行っているとはいっても、右から左に大量に売り捌いたりだとか、争いを焚きつけて利益を貪ろうなんて事はしていない。

 彼の商売が見逃されてきたのも、そんな一定のラインを越えていないが故だ。

 

 基本的に小規模な商いだ。団体相手の商売じゃなく、個人相手。

 だが、ここを訪れるほとんどの客は、購入に際し店主に注文を付ける。要は改造してくれと頼むのだ。

 

 

 この店の顧客は皆、一定水準以上の腕の持ち主だ。そして、ひと通り武器の扱いを習熟している場合が多い。

 そんな中でも、自分にとってコレ、という得意な武器が一つや二つが存在する。

 それをさらに自分の体や用途に合うようにしてくれと頼みにくる。文字通り命がけの仕事だ。一つでも自分を利するものを持っておきたい、そんな心持ちでここに依頼しに来る。

 

 

 グリップを変えてくれ。こんなものは日常茶飯事。手の大きさも形も十人十色だから。

 サプレッサーを付けられるように、なんていうのもベタな注文。発射音や光を消すのは、スパイや暗殺者において、もはやお約束のようなものだ。

 さらには撃鉄の重さの変更にサイトの除去や交換、ストック増設等々、枚挙に遑がない。

 

 いずれにしても元となる武器が存在して、それに対するチューンアップやカスタマイズ。

 あくまでベースがあっての足し算引き算。

 

 

 しかしロイドの場合はそこが明確に違う。

 そもそもベース部分が存在しない。否、銃弾を発射するという機構部をメインというのであれば、トグルアクション式のそれが該当しないわけではない。

 

 だが、銃身部分は別物だし、グリップとマガジンだって別の銃のものだ。

 当然ながら、余ったパーツの寄せ集めという訳じゃない。けれどいかに表現しようと、結局はつぎはぎで作られた拳銃であることに変わりはない。

 

 いずれにしても、改造という範疇は優に逸脱している。

 

 

 

 店主は銃身部分を握りながら、グリップの方を向けてロイドへと手渡した。

 銃を受け取り、その感触とひと通り動作の確認を行う彼の姿を眺めながら、店主は言った。

 

「あんまり儲かんないんですけどね、それ」

「……散々吹っ掛けといてよく言う」

「うわひどっ! これでもギリギリなんすよ」

「どうだかな」

 

 表情一つ変えずに言い放つロイドではあるが、あくまで彼なりの冗談で。

 いつも支払っている金銭が、到底この対価として釣り合っていないことなど、彼自身十分に理解していた。

 それこそ最初は罠かと、何か仕組まれているんじゃないかと疑ったほどに。

 

 こんなものに定価なんてあるはずないし、相場もあって無いようなものだ。材料費だとか手間賃だとかいって、もっと上乗せすればいいだけの話。だけど、店主はしようとしない。

 

 何故か。それは店主なりのロイドへの返答みたいなものだったから。

 

 

 スパイの仕事なんてリスクの塊みたいなものである。

 情報を集め分析し、周到に準備をし環境を整える。そうして皆、可能な限りゼロに近付けようと奔走する。

 

 そこに改造銃を持ち込む。いくつかの銃を組み合わせた、さながらキメラのようなものを。

 必然、既製の物より故障の可能性は上がる。どんなに精巧に作られたとしてもだ。

 

 実際ロイドにとって、この銃は不思議なほどに手に馴染み、数多の武器の中で一番使い心地のよいことは事実である。

 だが任務に不可欠かといえば、そうじゃない。伊達や酔狂なんかでももちろんない。

 

 

 けれども、ロイドはリスクを承知で使い続ける。

 何故かと問われれば、ひとえに彼の店主に対する信頼。

 

 ロイドは言葉にはしないが、少なくとも店主はそう解釈している。

 彼にしてみれば、命を預けられているのと同義だから。

 

 

 そして何より感じている。彼がそれを有意義に使ってくれるであろうことを。

 

 スパイのような仕事に善悪が存在するかなんて分からない。だが、少なくともロイドは世界の平和のために働いている。店主はそう肌で感じていた。

 言葉にすれば大げさかもしれない。だが店主は確信している。

 ロイドが外の世界でどんなことをしているか、事細かく知らなかったとしてもだ。

 

 

 正義漢ぶっているといわれれば、確かにそうかもしれない。

 それでも店主は全力で答えようと思ったのだ。ロイドからの真正面からの信頼に。

 

 

 

 

 ロイドと店主は取引を終え、上のフロアへと戻っていた。

 そこに誰かしら客が訪ねて来た形跡はない。それも、いつものことだ。

 

 

 小脇に抱えていたコートを羽織りながら、ロイドはぶっきらぼうに言い放つ。 

 

「それじゃあ」

 

 そうして踵を返し、出口へと向かっていく。

 入口の扉に手をかけるかどうか、そんなタイミングでロイドは背後から声を聴く。

 

 

「ご武運を、ロイドさん」

 

 

 耳にするのは何度目であろうか。去り際に必ず送られる、短くてありふれたメッセージ。それは毎度ロイドの胸に奇妙な安堵感を産み落とす。

 胸元に忍ばせた拳銃と、ほんの短いその言葉。二つを得た時はじめて、ここでの彼の目的が果たされる。

 

 

 ロイドは節目節目でこの店を訪れる。

 彼にとって大事ではない任務なんて存在しない。だが規模の大きな、はたまた危険度の高いそれを迎える、そんな此処ぞという時に彼はこの店に足を運ぶ。そして愛用の銃を新調する。

 

 さながら一般人が願をかけたり、御守りを買い求めるような感覚で。

 この行為が、自身の思想や信条とは程遠いものだと分かっていながらも。

 

「……ありがとう」

 

 ほんの一瞬動きを止めたロイドは、微かな声でそう答えた。

 店主に届いたかどうかは彼には分らない。

 

 

 いずれにせよ、それも次の瞬間にはドアベルによってあっさりと搔き消されていったのだった。

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