街の小さなワイン屋さん   作:yskk

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出会い

 とある日の昼下がり、男は店内でひとり暇を持て余していた。

 なにも珍しい事じゃない、彼だって慣れている。だが何故か今日はそれを受け入れきれずにいる。

 

 店の主であるその男は机に置かれた新聞に手を伸ばし、目を落とす。

 そこに書かれた内容が、実に簡単に脳内になだれ込んでくる。彼が速読のスキルに長けているなんて事はなく、単にこの行為が今日三度目だからというだけ。

 

 必然、早々に飽きが襲ってくる。何度読み返しても内容が変わるわけもないのだから。

 

 

 季節は春を迎えたが、この国の春はまだまだ気温は低いままで。コート無しでは朝晩は少々つらい。だが日が差してさえ入れば、日中はそんなに寒さは感じない。

 そしてまさに今日は快晴。薄暗い店の中から見る外の陽気は、男にとって非常に魅力的に映った。

 

(……散歩でもしてくるかな)

 

 この店、表向きはワイン専門店だが、裏ではスパイや暗殺者といった人種に武器を売っている。そっちの方の客はもちろん、一般の方の客もそう多くない。片手で数えられることも日常で。

 

 そんな微々たる客を相手にワインを売ったところで、稼ぎなどたかが知れている。もう一方の商品が売れたのならその限りではないのだが。

 

 客が少ないから多少店を空けても平気なのか、少ないからこそ逃さない事が大切なのか。店主にはどちらが正解かは分からない。

 

 ともあれ男は前者を選択する。己の欲望に素直に従った。

 

 

(羽織るものも一応持っていくか)

 

 コートの掛けてある奥の部屋へ向かおうと、店主は椅子から立ち上がる。

 それとほぼ同時に、店のドアが客を招き入れた。

 

「……いらっしゃい」

 

 その声は何処か不服そうであった。商売の為には客が来た方がいいに決まっている。当然のことだ。しかし変な話ではあるが、それよりも気分転換を阻害されたことの不満の方が勝っていた。

 だが、それもすぐに別の感情に上書きされる。

 

 振り向いた店主の視線の先には、ロイド・フォージャーが立っていた。それにまず驚かされる。先日の来訪から半月と立っていなかったから。

 短期間の内に彼が二度も来店することは珍しい。いや、店主の記憶にある限りでは初めてのことだ。

 

 しかし、それ以上に彼を驚かせたのが、ロイドのその片方の手に幼い少女を連れていたことだった。

 物珍しいのかきょろきょろと店内を見回しながら、少女はロイドに手を引かれつつ、彼の後をついて来る。

 

「……誘拐?」

「違う!」

 

 怪訝そうな顔で問う店主に、ロイドは即座に否定した。そして、コホンと一つ咳ばらいをしてから続ける。

 

「娘だ」

 

 店主にとって、今日一番の衝撃であった。先ほどまでの退屈など、簡単に吹き飛んで行ってしまう程の。

 

「いや、待て違う。娘といっても……」

 

 目を丸くして固まる店主に、ロイドは慌てて補足を入れようとするが、それも途中で止めた。そして視線を下げ、自分と手を繋いでいる少女に言う。

 

「アーニャ、少しあそこで大人しくしてろ」

「……うぃ」

 

 アーニャと呼ばれたその少女は何処で覚えたのか、ビシッと敬礼をした後、歩き出す。

 ロイドの指示した一角、スツールが二脚にテーブル一つという簡素な試飲スペースへ、アーニャはトコトコと歩いていく。彼女が席に着くのを店主は微笑ましく、しかしロイドはため息交じりで見送った。

 

 アーニャが席に着いたのを見届けて、ようやくロイドは話を再開した。

 

「……娘といっても実の子じゃない」

 

 ロイドは店主に事情を説明する。アーニャを孤児院から引き取った事。それが任務の一環である事。さらにはそのために偽装の結婚までしたことを。

 店主と自分以外には聞こえないような声量で。

 

 だが残念なことに、それが徒労であることをロイドは知らない。

 

 何しろこのアーニャという少女、超能力者なのである。他人の心を覗く事ができるという能力、いわゆるエスパー。

 ロイドの仕事も、自分を養子に迎えた理由までも知っている。

 

 そんな事などつゆ知らず、ふたりはアーニャに聞かせまいと小声で会話を続ける。

 

 

「てっきりベビーシッターまで始めたのかと」

「……同じ様なもんだ」

 

 ロイドは肩をすくめながら力なく言った。

 店主はそんな彼の姿に同情しつつも、同時に別の感情も抱いていた。

 

(……そういや、この人が自分の任務について話すのを初めて聞くな)

 

 店主の方から、裏の商売相手の仕事について能動的に尋ねることはまずない。その辺は弁えているし、知ったところで得にならないどころか、かえって怪しまれかねないからだ。

 

 とはいえ、世間話的に話の流れがそちらの方に向かうこともある。彼らとて、心のどこかにある、吐き出したいという気持ちを、完全には拭い去れない。

 事細かに話すやつはいないが、曲りなりにも店主は彼らにとっての協力者だ。当たり障りのない程度に、その欲求を解消することだってある。

 

 しかし、ロイドに関していえばそういったことが一切なかったのだ。

 それなりに彼らの付き合いも長いが、現在に至るまで一度も。

 

 店主にとっては正直、ロイドの語る任務どうこうよりも、彼がそんな風に話していること自体に興味が引かれた。

 

 とはいえ、それ以前に此処は裏で武器を売り捌いているような店である。子供を連れてこられるというのは、流石に店主とて仕事がやりにくい。そうも感じていた。

 

「まあ、事情は分かりましたけど、正直、子供同伴は……」

 

 

 ガシャン

 

 

 店主が言い終えるよりも少し早く、店内に破砕音が響く。

 音の方へと視線を引き寄せられたふたりは、その先の光景に暫し動きを止める。

 

 散らばる破片に、飛び散った液体。そして顔を青くして固まる少女が一人。小さな体をさらに小さくして。

 

 アーニャも彼らの視線に気が付いたのか、首だけをふたりの大人の方へ向ける。漫画やアニメであったならギギギとでも効果音が聞こえてきそうな、そんな鈍い動きで。

 そして、その瞳には既に半分涙が浮かんでいた。

 

「歓迎してないんですよね……いろんな意味で」

「……すまん」

 

 大きなため息とともに、ロイドは深く頭を下げた。

 

 

 

 

「すまん」

「まあ、試飲用でしたし。そんなに高いやつでもなかったので」

 

 ふたりで事後処理を終えた後、改めてロイドは謝罪の言葉を告げる。対して店主も答える、特段何の含みもなく。実際、言葉通り大した被害ではなかったから。少なくとも今回は。

 

「それで、今日のご注文は」

「ワインを二本頼む。食事用と食後用で一本ずつ」

「……は?」

 

 想像外の言葉に店主は怪訝そうな表情を浮かべた。

 ロイドがこの店を訪れるようになって数年、裏の商売以外の付き合いは一切ない。店主からしてみれば、そんな彼に表向きの商品であるワインを売ってくれなどと言われるとは、微塵も想像していなかったのである。

 

 だが、そんなことは知ってか知らずかロイドは話を続ける。

 

「ああ、あとそれなりの値段のやつで頼む。あまり高くて妻役に変な詮索されても困る」

「……大通りのスーパーで買ってくれません?」

「は?」

 

 今度はロイドが困惑させられる番だった。だがそこは超一流のスパイ。常に冷静沈着がモットーの男だけあって、容易に表情に出すことはしない。

 

「……改めて聞くが一応ここは酒屋だよな」

「ええ、ワイン専門ですが」

「で、ここにあるのは全部売り物なんだよな」

「もちろん」

 

 あっけらかんとした店主の反応に、ロイドもさすがに頭を抱えた。

 

 翌日、仮初めではあるが妻である女性を家に迎える。だから、形の上だけでも歓迎位はしようとワインを買いに来た。それ以上でもそれ以下でもない。

 ロイドはロイドで、断られるなんていう可能性はこれっぽっちも計算していなかったから。

 

「買いたいのなら売りますよ、勿論。ただ自分で選んで下さい」

「……」

「嫌いなんですよね、他人にワイン勧めるのって。いや、ほら、味覚ってみんな違うじゃないですか。好みを言われたって、辛さや甘さの度合いなんて人それぞれでしょう?」 

 

(……存外、めんどくさいなコイツ。武器を売る時は、自分から提案してきたくせに)

 

 

 大人二人が生産性のないやり取りを繰り広げるのを尻目に、ロイドの脳内の愚痴がアーニャの感性に火を点けた。

 

(ぶき……うる? ……ぶきしょうにん!)

 

 武器商人。

 その単語がアーニャの好奇心を激しく揺さぶった。そして、今の今までしょぼくれていた少女の瞳に輝きが戻る。

 

 

 武器商人。つまりこの人は悪い人なのだろうか。

 だが、ロイドとは仲がよさそうだ。じゃあ良い人なのだろうか。

 いやでも、この前見たアニメでは悪党だった。

 どんなものを売っているのだろう。

 音の出ないピストルもあるのだろうか。

 

 アーニャの頭の中に、様々な想像が泉のように湧き上がる。

 そして、もっともっと広げようと、ロイドと店主の方へと意識を向ける。

 

 だが、そんな彼女の期待とは裏腹に、得たものは一つの違和感。

 彼女もそれに最初は気が付かずにいた。しかし、アーニャが彼らから多くの情報を得ようとすればする程に、その違和感ははっきりとしたものになっていく。

 

 そしてついにはその正体に気が付く。

 

(あのひとのこころのこえ……きこえない?)

 

 アーニャがいくら目を閉じ意識を集中さても、逆に目を見開いて見つめてみても、一向に店主の思考は彼女の脳内に届きはしなかった。

 

 

 アーニャは本人の意思とは無関係に、人の心を読むという能力を与えられた。

 月齢が新月を迎えると一時的にその力は発揮できなくなる。そんな制約を除けば、能動的にしろ受動的にしろ、アーニャは周りの人間の心の内を知ることが出来た。

 ほんの短い彼女の人生において、その力で得をしたこともあるし、その何倍も苦い経験をさせられ生きてきた。

 

 だが今、それが出来ずにいる。

 

(……なんで?)

 

 アーニャは幼いなりに思案する。自分にとって初めて立ち会う現象に。

 新月にはまだ遠い。力自体を失ったわけでもない。少なくとも、店主の隣にいるロイドの胸の内は容易に見て取れるのだ。

 

 いくら考えたところで答えは出ない。

 

 武器商人がどうとかいう話は、とうに彼女の頭から消えてしまっていた。

 

 

 

 

 店主は少し前から視線を感じていた。

 ロイドのものではない。とすれば必然、それはアーニャからのものとなる。

 

「……」

 

 顔はそのままに、ちらりと目線だけを彼女の方へと送る。

 するとやはり、アーニャが自分の方をじっと見つめていることを知る。目の前にいる父であるはずのロイドに対してではない。間違いなく自分に向けてだと。

 

 それだけならまだしも、鋭い目線を送ってくることもあれば、首を傾げて考え込むような仕草、はたまた目を見開いてみたりと正に百面相。

 

 ロイドが「子供の考えることは分からん」などと愚痴るのをつい先ほど聞いていたが、それは店主とて同じことだ。

 自分が子供だったことはあれど、家族として自分の子を持った事もなければ、そもそも子供と関わったことすらそんなに多くはない。

 

 それゆえ、店主にアーニャの考えていることなどまるで分からなかった。

 ……いや、いくら子供に慣れた人間とて、今の彼女の思考など分かろうはずもないが。

 

 

 放っておくという選択肢もあった。何なら大多数はそちらを選ぶだろう。しかしながら、店主はどうにもそれが憚られた。

 

 店主はロイドの話を一度遮って、奥の部屋に引っ込んでいく。しばらくして、片手にグラスともう片方に小皿を持って現れる。

 

 そしてそれをアーニャの元まで持って行き、テーブルの上に置いた。

 

「ほら、お嬢ちゃん」

「……アーニャ」

「アーニャちゃん。これでも食べてもうちょっとだけ待っててな、こんなもんで悪いけど」

 

 店主が消えてから自分の所に来るまで、一度たりとも視線を外さず観察を続けていたアーニャは、その言葉でようやく視界から店主を外し、置かれたものに焦点を移した。

 

 グラスに注がれたぶどうジュースと小皿に盛られたピーナツ。それらを前にしてもアーニャは動き見せることはしない。

 

(……流石に食べ物与えておけば、ってのは安直すぎたか。というか子供はピーナツじゃ喜ばんのか?)

 

「もしかして嫌いだった?」

 

 店主の言葉にアーニャは激しく首を振る。

 

「たべてもいい?」

「どうぞどうぞ」

 

 店主の許可を得てはじめてアーニャは手を伸ばす。そして、皿の上の豆を一つとって口に含む。

 ひとつふたつ、アーニャのそれを取る手は加速度を増していく。そんな姿をみて、店主はほっと胸をなでおろした。

 

「アーニャ、ピーナツすき」

「そりゃ良かった」

 

 そう言ってアーニャは顔をほころばせる。彼女の笑顔に店主の方も嬉しくなって、思わずアーニャの頭をくしゃりと撫でた。

 

「みせでうってるのよりおいしい」

「!? わかってるね、お嬢ちゃん!」

「……アーニャ」

「アーニャちゃん!」

 

 アーニャの何気ない感想に、店主は彼女の頭の上の手をぴたりと止める。そして滾々と語り始めた。

 

「作りたては食感が違うわけよ。日持ちするからって作り置きしちゃダメ。やっぱりワインに合わせるにはこれ単品が一番だよね。ミックスナッツでもいいけど、甘味が……」

 

 熱く語る店主ではあったが、アーニャの耳には一ミリたりとも届かない。ただポリポリとリスやハムスターのように食べ続けているだけで。

 

 

「……ぜんぶなくなった」

「……ん? よし、ちょっと待ってろ。お土産用にすぐ作ってくるから」

 

 アーニャは皿の上のものをすべて平らげ、ひとり力説する店主の服の裾をクイクイとつまむ。

 自ら炒ったピーナツを気に入ってもらえたことが嬉しくなって、店主はふたたび足早に店の奥へと向かう。

 

「おい、ワイン……」

「ロイドさんの右手にある棚、その辺大体100ダルクしない位なんで、そっから適当に選んで下さい」

 

 黙ってふたりを見守っていたロイドではあったが、流石にこのままでは話が進まんと、店主を止める。だが彼のことなどお構いなしに、店主はそれだけ残して、そそくさと奥へと消えた。

 そして直ぐにパキッパキッと、落花生を割っているであろう音が断続的にロイドの耳に届く。

 

 そのBGMをバックに、ロイドは今日何回目かになる大きなため息をついた。

 

 

 そんな父とは反対に、アーニャは上機嫌でその終わりをまだかまだかと待っている。両足をプラプラと前後させながら。

 

 彼女の脳内からは、なぜ店主の心が読めないのかという難題は、知らず知らずのうちに消え去っていた。ピーナツ美味い、それだけに上書きされて。

 

 アーニャがその事を思い出すのは、家に帰りついてからのことで。

 そして謎自体が解決を迎えるには、さらに多くの月日を要することになるのだが、当然ながら今の彼女がそれを知るはずもなかった。

 

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