「……はぁ」
店主は深々とため息をついた。
それもそのはず、彼の目の前で男が一人酒を飲んでいるのだ。天然パーマに無精ひげを蓄えた、いい年をした男がである。
店主にとっては歓迎する状況ではない。相手が身なりの整った男であればいいのかと問われると、別にそんなこともない。だが、少なくとも見ていて絵にはなるし、仮に別の客が来店したとしても不快感を与える事も無いだろう。
ましてや男が口にするのは店の酒で、そもそもここは別に居酒屋でも何でもないのだ。
「フランキーさん。いい加減で帰ってもらえません」
「いいじゃんかー、金は払ってんだから。こんな時ぐらい付き合えよぉ」
フランキーは手に持っていたグラスをグイっと一口で飲み干して、それをテーブルに勢いよく置きながら言った。
(……面倒臭い)
店主にとってはただただその一点であった。
彼が女性に振られたその鬱憤晴らしに付き合わされているのだ、それも当然というものである。
「よく来るお客さんにも言ってるんですが、居酒屋かなんかと勘違いしてません?」
「へぇ、俺以外にもそんな奴がいんのか。んで、そいつはなんて言ってんの?」
「……酒屋には違いないだろうって」
「違いねぇ」
そう言ってフランキーはカラカラと笑う。
嫌味のない笑い方だ。店主も彼自体の事は別に嫌いじゃない。言うなれば年の近い兄のような感覚だ。そして何より、この国に来てからというもの、彼には世話になっておりその恩もある。
だが、女性に振られるたびにヤケ酒に付き合わされるのは勘弁願いたいと、店主は切に願っている。
(しかし、そんなにいいもんなのかねぇ……)
店主は空いたフランキーのグラスにワインを注ぎながらふと考える。
先日、ヨルから結婚したという話を聞かされた。殺し屋なんて危険な職業をやっている人間なのにだ。
このフランキーにしてもそう。女性に全くモテず、振られ続けているにも関わらず、また新たな人にアタックを繰り返す。
まともな青春時代を送ってこなかった店主にとっては、彼らの行動原理が今一つ理解できない。そして疑問に思う、自分にもそんなにも夢中になれる相手が現れるのだろうかと。
カラン。
フランキーの愚痴を右から左へと聞き流しながら思案していると、店の入り口のベルが鳴る。
「いらっしゃ……」
いらっしゃいませ。そう言おうとした店主の口が途中で止まる。入店してきた女性が『表』の客ではないと分かったからだ。そしてその姿に見覚えは無い。
そういった連中を相手に商売を重ねていたからか、いつからか店主は何となくだがその選別が出来るようになっていた。
彼らとてプロである。一般人に紛れ、そ知らぬふりをして生活をしている。だが店主の目が肥えてくると、逆にその何でもなさが目に付くようになっていた。
普通の人間を装う姿自体が違和感を生むのだ。
そんな店主のセンサーが告げている。この女は普通ではないと。それは店の入口と店主の居るカウンター、その少し離れた距離でさえ感じる事が出来た。
当然警戒をし、身構える。今まで突然襲われたことなどはないのだが、正体は知れずとも少なくとも一般人でないことは確かだ。となれば用心するにこしたことはない。
「ん? あっ!?」
女性は店内を物色するように視線を配りながら、ゆっくりと店主の元へと歩を進めてくる。そして、彼の目の前まで辿り着いた時、側の試飲スペースにいたフランキーが何かに気付いたように声を上げる。
だが、それも続かない。店主の声によってかき消されたからだ。
「……結婚を前提にお付き合いして下さい」
店主は来訪者である初見の女性を警戒した。それ故にじっくりと観察する、彼女が自分の元に来るまでの短い時間。
そうやって見れば見るほどハッキリしていく事があった。その女性が店主の好みのど真ん中である事が。
白髪のボブヘアも、長めの前髪で片方が隠されたその瞳も。細めながらメリハリのあるスタイルも。
何ならまるで感情という物を持ち合わせていないかのような冷たい表情さえも。そのすべてが店主の感性に突き刺さる。
「ええぇ!?」
好意を隠すどころが叩きつけた店主の言葉に、大きな驚きの声が上がる。なぜか当事者では無く近くにいたフランキーから。
そんな彼を無視して無言で見つめ合うふたり、いや片方は睨みつけているといった方が正しいだろうか。
それはほんの数秒の事だった。
しかし店主にしてみれば長い時間のようで。秀逸な絵画を鑑賞しているような瞬間。
だが望んだ答えは返ってこない。それどころか女性は踵を返し、入り口へと向かいそのまま外に出ていってしまう。
「……お前、そんなキャラだっけ」
フランキーは呆れたように言った。
彼が言うように、今まで店主であればこんな事はしなかったのかもしれない。だが、ほんの数週間にこの狭い店で起きた、いくつかの些細な出来事が彼を衝動的な行動に駆り立てていた。
「というか、アレはやめとけって。あんまりおすすめはしねーぜ」
「彼女のこと知ってるんですか?」
「ああ、黄昏んとこの諜報員だ。俺も一回だけ仕事したことが……」
フランキーが言い終わるか否かというそのタイミング、入り口のベルと共に先ほどの女性が再び入店してくる。
だが先程とは違い今度は足早に、ツカツカとヒールの音を奏でながら一直線に向かってくる。そして有無を言わさぬ、といった感じで自分から口を開く。
「ブルグアント産の45年物を」
ブルグアント地方で45年に作られたワインを寄越せ、彼女はそう告げている。では、言葉通りワインを求めてやって来たのか、当然否である。
その年は原料のぶどうが猛暑と悪天候で記録的な不作であり、そこに戦争も加わってほとんど流通しなかった。ある程ワインに精通した人間、特にわざわざ年代物のワインを年数指定して買うぐらいの者ならば大抵は知っていることである。
ではなぜ彼女がそう口にしたのか。答えは簡単で、それがここだけで通用する暗号であるから。つまりはここにワインではなく、装備品の類を求めてきたんだという証。
「……ようこそいらっしゃいました。どうぞ此方へ」
店主はフィオナの勢いに少々気圧されながらも、至って普段通りを装う。そして他の客と同じように自分の背後の扉の奥へ彼女を誘った。
●
「久々に入ったけど、やっぱすげーな」
部屋一面に並ぶ銃器の数々を前に、なぜか一緒に付いて来たフランキーは感嘆の声を上げる。
「でもフランキーさん、こういうの興味ないでしょ?」
「そりゃ、まあな」
「フランキーさんの場合、もっと邪道寄りですしね」
「邪道言うな。ロマンと言えロマンと」
フランキーと店主、このふたり共に手先が器用で機械いじりが得意である。
だが店主が既存の装備品をカスタマイズするという、実用性重視で実際それで金銭を得ているのに対し、フランキーは全くの逆で。彼の場合、漫画や映画といった創作物に出てくるような、秘密アイテムの類を生み出すことに喜びを感じるタイプだ。必然儲けはないし、現状趣味の域を出ことは無い。
このように、意外と趣味が合いそうで合わないふたりであった。
「で、ご注文は……って、そういえばまだ名前を伺ってませんでしたね」
「……夜帷」
店主の問いに女性はそう答えるが、彼の方は不満、というより困り顔をみせる。それを見かねたフランキーが横から助け舟を出した。
「あーダメダメ。なんか知らんけど、こいつコードーネーム使うの嫌いだから」
「……フィオナ。フィオナ・フロスト」
フランキーの方を目線だけで一瞥してから、フィオナは今の偽名を名乗った。それに店主は満足そうに笑みを浮かべる。
「コホン……では改めまして、ご注文はフィオナさん?」
「……」
店主の問いにフィオナは答えなかった。というより答えられなかった。明確な目的があるようで無かったからだ。
フィオナはここへ足を運ぶことになった経緯を思い出しながら、それを頭の中で整理しつつ店主に伝える。
きっかけは彼女の先輩であるロイド・フォージャーの一言からだった。
「ここに行って夜帷にあった装備を一つ見繕ってもらえ」
そんなセリフと共に彼はフィオナにここの地図を手渡した。
ロイドにしてみれば純粋な厚意であり、親切心であった。彼がかつてシルヴィア・シャーウッドにしてもらったように、今度は自分が後輩に親心を見せた、それだけの話である。
だがフィオナにとっては二つほど気に入らない点があった。
一つは未だに自分の力量を認めてもらえていないのかという疑念。武器の如何を問わずに任務を遂行できるという自負があったから。
そしてもう一つがロイドが付き添ってくれなかった事。
このフィオナという女性、先輩であるロイドに好意を寄せている。もっといえば結婚したいとさえ思っている。
そんなロイドからの提案でなければこんな所まで来はしなかっただろう。はっきりいってしまえば時間の無駄だとさえ思っている。だが、せめて一緒に来てさえくれれば、疑似的なデート気分を味わえただろうにと。
「では取り合えず、今使っている銃を見せてもらえますか?」
フィオナの話を聞いた店主はなるほど、と頷いてからそうフィオナに告げる。
「……どうぞ」
それに対し、意外にもフィオナは素直に自分の銃を懐から取り出して店主へと手渡した。さっさと終わらせてしまおう、そう考えたからだった。
「PPKですか、流石に手入れが行き届いていますね」
「当然でしょう」
受け取った銃の状態の良さを褒めた店主の言動に、フィオナは不服さを一切隠さずに言い放つ。
「えっと、ワルサーのPPKは、と」
そんな彼女の対応に苦笑いを浮かべつつ、店主は受け取った銃をフィオナに返す。そして、ガラス戸に収納されていた全く同型の拳銃をそこから取り出した。
「正面に立ちますんで、目を瞑ってこっちに照準を合わせて下さい」
店主は新品の銃をフィオナに渡してからそう言った。弾は入ってないので安心してください、そう笑顔で付け加えながら。
「……」
「もう一度」
これまたフィオナは文句ひとつ言わず、店主の指示に従った。プロとしての意地みたいなものなのだろう。無意味なことだと思いながらも、彼女は実戦さながらに集中しながら言われた通り銃を向ける。
「はい、もういいですよ」
店主の言葉を受け、フィオナは体そのままに目だけを開く。そしてすぐに眉をひそめた。照準器である銃の前後に付いている小さな突起が、標的である店主の心臓部とわずかにズレていたからだ。
「何の意味があるんだ、それ?」
横で見ていたフランキーが不思議そうに問う。
「人間どうしても視覚に頼っちゃうんです。いや見て撃つんですから、それは当然なんですけど。照準を合わせるときにわずかに握り直したり、手の中で動くんです。要するに正確に握れてないんですよね」
「……それが生死を分けると」
「まあ、そこまでは言いませんけど。フィオナさんの場合は微々たるもんですし」
店主がフランキーに答えた通り、ほんの僅かなズレだ。ましてや視覚を制限しての結果である。仮に本番であったとしても何の支障もなかった事だろう。だが、彼女のプライドがそれを受け入れることを許さなかった。
「……はい、これでどうですかね」
店主は拳銃のグリップに薄いパテを張り付けて、再度フィオナに手渡した。
彼女はそれを受け取ると同様に目を瞑る。そして先ほどは胴体に合わせていたその照準を、今度は頭をぶち抜くつもりで店主の顔を目掛けて銃を構えた。
数秒の静止の後、フィオナは目を開ける。
照準はピタリ店主の額に合わさっていた。そして同時に、彼女の目も真の意味で彼の顔を認識した。ニコリと微笑むその顔を。
●
「大体、一週間位で出来ますんで」
「……三日よ」
「……じゃあ、三日後に」
そんなやり取りの後、フィオナは店主の居るカウンターを後にする。が、店の中央付近でその足を止めた。店主とフランキーは彼女の後ろ姿を不思議そうに眺める。
「聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
フィオナは振り返ることもせずに店主に尋ねた。
「……どうして客をコードネームで呼ばないのかしら?」
フィオナは自分でも不思議だった。何故そんな事を聞いたのかと。
店主に問うたところで何かを生み出すわけでもなければ、聞かなかったからといって何ら支障が出るわけでもない。端的にいってしまえば不要な行為だから。
「……どっかで不用意にコードネームで呼んで、聞かれちゃまずい人の耳にでも入ったら大変でしょう?」
店主はほんの少し考えた後、軽い口調でそう答えた。
「だから普段から口にしないようにしているんです」
そう付け加えながら、店主はかすかに笑った。当然それをフィオナは見ることは無い。だが瞬時にそれが嘘だと悟った。正確にいえば、どこか隠された本音があるということを。
だが彼女はそれ以上問い質すようなことはしなかった。
フィオナのようなスパイは常に偽りと共に生きている。
何しろ本人が数百数千と噓をつかなければならない。任務のために得た情報だって真贋混じって当たり前の世界。
そんな彼女を取り囲む嘘の数々と、店主のそれとでは本質的にどこか違うような感じがしたから。
「……そう」
ただその一言だけを放って再び歩き出す。滅多に感情を露わにしない彼女ではあるが、どこかその表情は満足げであった。しかし、フィオナが振り返らなかった以上、それを誰かに悟られることは無かった。
「あ、今度来たときはお茶でもしましょうね」
店主の誘いは歯牙にもかけず、フィオナは店の外へと消えていくのだった。