首都バーリントにひっそりとこの店は存在する。取り扱うのはワインと凶器。奇妙な取り合わせではあるが、紛れもない事実である。両方が同時に必要な場合はここに来れば一度で揃えることが出来るだろう。そんな人間はそうそう居ないだろうが。
当然ながら店の主はその両者の扱う術を心得ている。だが彼が専門的な学校や機関で学び、身に着けたものではない。教えを乞うた人はいるが、基本的には独学だった。
そもそもこの男、決して学のある人間とは言えなかった。
しかしそれも仕方のない話で。幼少の頃に戦争に巻き込まれ、その後は教育とは無縁で生きて来た。無論、ただ学校に通えば身に付くかと言えばそんなことも無い。それが分かっていたから、店主は生活が安定してからというもの、可能な範囲で己の知識を増やす努力をした。失った時を取り戻すように。
彼には時折思い出す言葉がある。
『無知は罪なんだよ』
古代の哲学者の考えを拝借したもので、かつて彼の父が事あるごとに口にした言葉だ。時間と共に失われて行く家族との思い出の中に在って、何故かその口癖は彼の脳裏に強く焼き付いていた。
だからこれまで彼は、知識を得るという事に関しての努力を怠りはしなかった。
この店を始めるにあたって、多くの事を学んだ。ワインの銘柄から保存方法、テイスティングの仕方に至るまで。そしてもう一方の顔である武器の類の取り扱いや修理、メンテナンス等々を。
とはいえ、この辺の事は言ってしまえば当たり前のことで。それらを取り扱って飯を食っていこうというのだから、彼にとって必要不可欠な行為なのだ。
それゆえ店主からしたら何の違和感もなく、素直に向き合い学ぶことが出来た。
だが彼が父の教えがありながらも、どうしても抵抗を感じてしまう事があった。
「いい加減、店を飲み屋代わりにするのやめてくれませんかね」
店主がふたりの男に向けて発した言葉は口ぶりから分かる様に、もはや定型句と化していた。それを聞いた片方の男もまた、同じように聞きなれた言葉を口にする。
まるでその会話自体がお約束であるかのように。
「いいだろーよぉ、酒屋なんだから」
「おふたりと違ってこっちは暇じゃないんですよね」
狭い店の片隅でグラスを傾けるのはロイド・フォージャーとフランキー・フランクリン。彼らに向けた店主の言葉とは裏腹に、そこに嫌悪感や不快感のようなものは感じられない。
それどころか誰かがこうして店に酒を飲みに来ることを、最近では歓迎すらしている。そんな自分が居ることに店主は薄々気が付いていた。
元々試飲用のスペースに置かれた二つの椅子がもう一脚増えているのが何よりの証拠であった。
「……閑古鳥が鳴いてる状況でよく言うよ。いっそ飲み屋に改装したらどうだ?」
「そーだそーだ」
それなりに酒も進んでいるはずなのに全く顔に出さないロイドと、対照的に既に顔を赤らめているフランキー。そんなふたりを横目に店主はワインの並んだ棚と対峙する。
幾つものボトルたちの中から一本選び出すと、彼らの元へと戻りテーブルにドンっと少々手荒に置いた。そして彼自身も空席になっていた残り一つの椅子に勢いよく腰を下ろした。
「……っておい! これ結構値の張るやつだろ」
「いいじゃないですかロイドさん。請求はワインの値段分だけなんで、その辺のバーで飲むよりは安上がりですよ?」
「そーだそーだ」
本日の支払いの全てを任されているロイドは深々とため息をついた。が、そんな事などお構いなしにフランキーは瓶の開封を急かし、店主もそれに答えて手際よくコルクの栓を抜く。
一見すると男三人の酒盛りなのだが、実はそうではない。
いや、状況だけ見ればその認識で何の間違いもないのだが、あくまでこれが目的で集まった訳ではなかった。
話としては実に簡単だ。そして別に珍しい事でも何でもない。
ロイド・フォージャーはスパイである。
スパイの主な仕事は諜報活動である。すなわち敵や競合組織の情報を得ることだ。それに付随して計画や作戦の妨害や阻止なども彼らの活動内容になってくる。
だがある程度大きな規模の、それこそ一つの国が後ろについているような組織でさえ、前述のような任務全てを網羅するには手が少々足りていないのが現状だ。
そこでフランキーのような人間に出番が回って来る。
彼はいわゆる情報屋。
独自の広い人脈を生かしてで数多の情報を集めてくる。そしてそれをロイドのような人種に売り捌いているのだ。
だが、どうにも今回は違ったらしい。
もはやお馴染みになっているが、フランキーが好意を寄せていた女性に数日前に振られたばかりであった。そこで情報料の代わりに要求したのだ、憂さ晴らしに酒でも奢れと。
ロイドも普段であれば即座に拒否をしているところだ。最悪、自分で調べれば済む話なのだから。彼であれば一週間と掛からずこなせるレベルであろう。
だが生憎、彼の組織も先ほどの人手不足の例に漏れなかったらしい。自分の任務に加えて他人のフォローと、彼の仕事は膨れ上がるばかりであった。
結果、ロイドから断るという選択肢は消失する。数時間付き合えば目的は達せられるのだ。面倒だと思いつつも、そちらを選ばざるを得なかった。
「事情は分かりましたけど、やっぱりうちでやる理由ないですよね」
彼らの経緯を聴かされてなお、店主は冷たく言い放つ。とはいえ口では悪態をつきつつも、やはり内心拒否感は無い。
三人の付き合いはそれなりに長い。だというのに、こうして三人で卓を囲むという機会は殆どなかった。
元々店主は必要以上に外出をする方ではないし、ロイドもこの店を訪れる機会は多くない。だから店主にとっては非常に新鮮な時間であった。耳に入ってくるのが聞きなれたフランキーの愚痴であったとしても。
店主がフランキーの不平不満の言葉を右から左へと聞き流しつつ、数杯グラスを空にしたと頃であろうか。
すっかり閉店作業を終えたつもりになっていた店主を、勤勉な入り口のドアベルがそれを否定する。
店主はその音でようやく自分の手落ちに気が付いた。一瞬対応しようとも考えたが、まだ少量とはいえ酒が入ってしまっている。ならば今日はもう断ろうと、相手も確認せず店主はこう言い放ちながら振り返った。
「ああ、すみません。もう店仕舞いなんですよ」
するとそこには見知った女性が申し訳なさそうに立っていた。店主の言葉を聞いた女は眉尻を下げて残念そうな表情を浮かべたが、何かに気が付くとすぐに驚きのそれへと変化させた。
「あ、そうなんですか……ってロ、ロロ、ロイドさん!?」
「え? あぁ、ヨルさんじゃないですか」
「へ?」
間抜けな声を上げながら店主はロイドとヨル、両者の間で視線を行き来させた。
「……ふたりはお知合いで?」
「お知り合いも何もこいつの嫁さんだよ」
「……」
当人からではなくフランキーから届いた雑な説明に、店主は絶句する。
ロイド・フォージャーとヨル・ブライア。正確には共にフォージャーではあるが、ふたりともこの店の裏商売の方の客である。当然ながら店主はふたりの事を個々には知ってはいた。だが、その関係までは認識していなかった。
だから店主は驚いた。言葉を失い、酔いが一瞬で冷める程に。流石にこれは彼の想像の範囲外であったらしい。
「ヨルさんはどうしてここに?」
「えっ!? そ、そそそ、それはその……」
ロイドの質問に狼狽するヨルの姿を見て、はっと店主は我に返る。
「……すみません、ヨルさん。頼まれてたワインまだ入荷してないんですよ」
「ふぇ!?」
「ご主人への日ごろのお礼だって言ってたアレですよね? 明日届く予定なんでまたいらして下さい……ってロイドさんにバラしちゃまずかったですかね」
「っ!? わ、分かりました。あ、明日また伺います、はい」
店主から送られた言葉と目くばせで、その意図がヨルには伝わったらしい。何度かやたらと素早く会釈をした後で、ロイドに先に帰ると告げてから足早に店を去って行った。
その姿を見送ってから、店主はもう一押しするようにその口を開いた。
「しかしまあ、愛されてるじゃないですか、ロイドさん」
「……からかうなよ」
店主の冗談をサラリと受け流すロイドの姿を見て、店主は安堵する。特段怪しんでいる様子は見られなかったからだ。
元々表情をあまり崩さないロイドはともかく、ヨルのあの態度から察するに彼女の稼業の事は恐らく伏せているのだろうと店主は察することが出来た。それを誤魔化すための計らいであったのだが、咄嗟にしては我ながら上手い事誤魔化したものだと自分自身に感心した。
だが、ほっとしたのと同時に以前から抱いていた疑問というか、わだかまりみたいなものが店主の中でふと頭をもたげた。
それがどうにも脳内から抜けて行ってはくれない。自然と再会されたフランキーの愚痴がさらに耳に留まらなくなっていた。
吐き出すものを吐き出し、ある程度フランキーの中で鬱憤が晴れたそんなタイミング。その時を見計らって店主は口を開いた。
「…ところで、ふたりは情報を扱うエキスパートですよね?」
脈略のない店主の話にロイドとフランキーは一瞬互いに視線を交錯させてから返答をする。
「……まあ、そうだな」
「おうよ、プロフェッショナルってやつだな」
控えめに頷くロイドと、自信ありげに胸を張るフランキー。その反応に違いはあれど返ってきた答えは共に肯定であった。
「じゃあ、知りたくないことを知ってしまった時ってどうします」
「……」
イマイチ合点がいかないといった二人の表情に、店主は暫し考えてから再び口を開いた。
「例えばそう……フランキーさん。この間一緒に食事をした店覚えてます?」
「ん? ああ、あの可愛いウェイトレスがいるとこだろ」
この店の前を走る小さの通り。その道沿いに一ブロック行った先に小さなレストランがある。先日その前で偶々鉢合わせたふたりは、折角だからとそこで食事を共にしていた。
「あの子、アメリアって言うんですけどね。彼女の趣味とか興味ないですか?」
「おおっ! 知りたい知りたい」
振られたばかりだというのに、フランキーは新たな恋の予感に身を乗り出して店主の話に食いついた。
「最近ダーツにハマってるらしいですよ。……まあでも彼女、恋人居るんですけどね」
「ええぇ……知りたくなかったわ」
がっくりと肩を落とすフランキーに構うことは無く、視線をロイドの方へと向けた。
「……いや、つまりそういう事です、みたいな顔をされてもよく分からんが。ましてや振られる前に知れてよかったんじゃ……」
「はぁ……」
店主はわざとらしく肩をすくめながらため息を付いた。そんな態度を取ってはいるが、彼自身も無理のある例えだという事は理解していた。
だが、彼にとって何の助走も無しに飛び込むには中々にハードルの高い話題であった。店主は再び大きく息を吐いてから、改めてその一歩を踏み出した。
「門外漢が偉そうに語るのもアレですが……情報収集ってコース料理みたいなもんだと思うんですよね」
「……」
「アラカルトで注文するみたいに、これだけ食べたいっていうのがすごく難しい気がするんですよ」
レストランで食事をする際に、もしハンバーグだけ食べたければそれを注文すればいい。当然単品で出てくるだろう。しかし、ハンバーグを含んだコース料理を注文すれば前菜からデザートまでがセットで順次提供される。
店によってはある程度の融通も利くだろうが、基本的に嫌いなものが含まれていようが問答無しにテーブルの上に現れる。
つまりはそれと一緒だと店主は言う。
「例えばある男の日々のスケジュールを知る必要があったとして、何時に何をするってだけを抜き出すのは無理だと思うんです」
店主はチラリとロイドを一瞥してから話を続けた。
「同時に別の情報も入ってくるはずなんです。どこに住んでいるのか、何の仕事をしているのか、家族構成……小さな子供がいるだとかも」
「……」
「そして当然、調べるのには理由がありますよね?」
しんと静まり返る店内。店主がその先を語らずとも、彼の言わんとする事をふたりが理解している証拠であった。
何のために情報を得るのか。例えば何らかの計画を阻止する為だとか。さらに行き着く先は誤情報を流したり、物理的に何かを破壊したり……人を始末したり。
スパイが人を抹殺するなんてことは、何も今に始まった事じゃない。別にここでその善悪を語ろうなんて訳でもない。いざ実行するときに余計な情報が邪魔になるのではないか。そう店主は言いたかった。
店主はロイドやヨルの様にスパイや殺し屋じゃない。だから自ら他人を手に掛けることは無い。しかし間接的にはそう成りうるのだ。
もしかしたらこの店で手に入れたブツで自分の親しい人間を、はたまた客同士で。そんな可能性を否定することは店主には出来ない。それどころか既に彼の知り得ないところで事が起こっていたとしても何も不思議ではない。
知りたいことも、知りたくないことも受け止めねばならない。知識を得るのとは違う、情報を得るってことはそういう事なのだと。店主は常々考えてきた。
ましてや先程のロイドとヨルの件がいい例で、そこに本人の意思を抜きにして知ってしまう事すらあるのだ。
だから店主はずっと避けてきた。
少なくとも自分からは、店に来る人たちの仕事の内容や目的、人となりや関係性といったものを聞くことを。過度な干渉はお互いに不利益をもたらすからと。
その考え自体を間違っているとは思っていないし、今後も度を超えて領域を侵すことは無いだろう。だが同時に感じてもいた。それは自分だけ安全地帯に逃げ込むのと同義ではないのかと。
「それは……」
「そりゃあ、割り切るしかねえだろ。そんでそれをずっと背負ってくしかねえんだよ」
ロイドが言葉にするよりも早くフランキーが強めの語気で言う。酔いからか目が座りかけている男からの端的で真っすぐな答えに、思わず店主とロイドは顔を見合わせた。
「……まあ、コイツの言う通りだな。同意するのは癪ではあるが」
「一言余計じゃない!?」
そもそも店主も分かっていた。
この問い掛けをしたらどんな答えが返ってくるのか、そしてその後に自分がどんな選択をするのかも。
それでも疑問を投げかけたのだ。己の背中を押してもらいたいが為に。彼らの信念を知りたいが為に。
「……ふぅ」
深く息を吐きながら、店主は自分が安堵していることに気付く。
ふたりから望みの答えが返ってきたからではない。長年の懸念を払拭出来たからでも、場の緊張がほどけたからでもない。
先程ロイドが店主の問いにほんの少しの逡巡を見せたからだ。
以前の彼であったのならば、フランキーが答えるよりも早く店主の疑問など一蹴していたことだろう。少なくとも店主の中のロイド像はそうであった。
だが、実際は違った。彼の中にも自分と同様のものが垣間見えた。それが無性に店主にとって喜ばしい事であった。
「……ちなみに聞くけど、さっきのアメリアちゃんの話はマジのやつなの?」
「ええ、マジです。近々結婚するらしいですよ」
「知りたくなかったわぁ……」
フランキーは未練がましく先程のウェイトレスの話を確認するが、あえなく撃沈して机に顔を突っ伏した。失恋を癒しに来たはずが、思いがけず傷を増やしてしまうフランキー。
店主はそんな彼を見て申し訳なさは感じつつも、どこか晴れやかな面持ちで笑い声をあげた。