次に待ち受ける運命は、ごく普通の高校から始まる。
物理学者と黒衣の騎士〜講義〜
ドイツから帰国して、一週間が経過した。
仙台の朝は、東京よりも少し肌寒い。
東北大学の自身の研究室で、仙水悠はパソコンの画面を眺めていた。
画面には、量子デバイスの電気伝導特性を示した結果が表示されている。
「……なるほど。やっぱり境界条件が効いているのか」
独り言を呟きながら、仙水はコーヒーを口に運んだ。
ドイツでの一件以来、黒の組織からの連絡は途絶えていた。
もっとも、これは珍しいことではない。
コードネーム「ピスコ」を継承して以来、ここ数ヶ月は組織の活動に明け暮れていた。しかし、もともと学者なのもあり、学界での活動もしなければならない。
RUMにはスイスに飛ぶ以前に了解を得た。
組織から任務が下されない限り、彼の日常はごく普通の研究者のそれであるのだ。
いや、普通の研究者と呼ぶには、いささか奇妙な経歴を持っていたが。
そんな折、大学から一通のメールが届いた。
【件名: 帝丹高校における特別講義のお願い】
「帝丹高校……?」
東京都内の高校で、大学の研究活動を高校生に紹介する特別授業を実施してほしいという依頼だった。
講演時間は九十分。
テーマは自由。大学で行われている最先端の研究について、高校生にも理解できるように説明してほしいとのことだった。
「高校生か……」
仙水は椅子の背もたれに体を預けた。
少し考えてから、カレンダーを開く。
今のところ、組織の任務は入っていない。
研究も、計算を走らせておけば数日は問題ない。
「まあ、たまにはこういうのもいいか」
仙水は依頼を引き受けることにした。
***
一週間後
東京都米花町
帝丹高校の正門前に立つ。
黒いジャケット。肩にはノートパソコンの入った鞄。
校門をくぐった途端、仙水は思わず足を止めた。
校舎のあちこちから、金槌を打つ音や生徒たちの掛け声が聞こえてくる。
廊下には段ボール箱が積まれ、色とりどりの装飾が壁に取り付けられていた。
「そっちの看板、もう少し右!」
「衣装、誰か家庭科室から持ってきて!」
「ちょっと! そのペンキ、まだ乾いてないってば!」
やけに騒がしいな。
すると中年の眼鏡をかけた男性がせかせかと歩いてきた。
「いやぁ遠路遥々、我が校に来ていただきありがとうございます!」
どうやらここの教員のようだ。
「こちらこそ、私ごときに声をかけていただきありがとうございます。」
「ごときなどと…。先週も海外で有名な会議に出られたと聞きました。世界を股にかける研究者に来てもらえるとなると、うちの生徒も大変刺激になるでしょう!」
よく喋るなこの人。
「あの、ところで今日は何か行事でもあるんですか?なにやら様子が慌ただしいのですが。」
「ああ、来週が文化祭なんですよ。生徒たちはその準備で大忙しでして」
「文化祭ですか」
「ええ」
仙水はしばらく周囲を見渡した。
「この状況で、物理学の講演をしても大丈夫そうですかね?」
教員は申し訳なさそうに笑った。
「いやあ、日程の調整がなかなかつかなくて……」
仙水は苦笑した。
よりによって文化祭の一週間前か。
生徒たちにしてみれば、講演を聞くよりも文化祭の準備を進めたいだろう。
これは完全に場違いだな……。
しかし、今さら帰るわけにもいかない。
仙水は案内されるまま、講演会場へと向かった。
「それでは、本日の特別講師をご紹介します。東北大学からお越しいただきました、仙水悠先生です」
拍手が起こった。
仙水は教壇に立ち、軽く頭を下げた。
「皆さん、こんにちは。東北大学客員教授の仙水悠です」
スクリーンに最初のスライドが映し出される。
『量子力学が拓く未来の科学技術』
「今日は、皆さんが普段使っているスマートフォンやパソコンの中で、どのような物理法則が働いているのか。そして、これからのコンピュータがどう変わっていくのか、そんな話をしたいと思います」
仙水は教室を見渡し、高校生でも分かるよう、丁寧に説明を始めた。
*****
そして仙水は最後のスライドを示す。
「科学というのは、最初から役に立つものを作ろうとして始まるとは限りません。なぜそうなるのか、という小さな疑問から、新しい技術が生まれることもあります」
少し間を置く。
「皆さんも、身の回りで不思議だと思うことがあったら、ぜひ調べてみてください。今回の授業はここまでです。ご清聴、どうもありがとうございました。」
講演が終わると、会場から拍手が起こった。
講演終了後。
仙水がパソコンを片付けていると、二人の女子生徒が近づいてきた。
一人は長い黒髪の少女。
もう一人は、カチューシャをつけた活発そうな少女だった。
「あの、仙水先生!」
「ん?」
仙水が振り返る。
「今日はありがとうございました。すごく面白かったです!」
黒髪の少女が丁寧に頭を下げた。
「それはありがとうございます。楽しんでもらえて何よりだよ。」
「私、毛利蘭っていいます。こっちは友達の鈴木園子です」
「よろしくお願いしまーす!」
園子が元気よく手を振った。
「毛利さんに鈴木さんね。よろしく」
園子は興味津々といった様子で仙水を見た。
「先生って、まだお若いですよね? もう大学の先生なんですか?」
「まあ、一応ね。まだ研究者としては駆け出しだけど」
「へえー! すごーい!じゃあ今は彼女いないんですかー?」
蘭が笑いながら口を挟む。
「園子ったら、さっきからそればっかり!」
「だって、こんな若い先生が大学で研究してるなんて、すごいじゃない!きっと大学ではモテモテよ〜!目見麗しき女学生にっ!」
仙水は苦笑した。
「研究者は出会いより研究だよ。でも最近は若い人増えているかな」
頭がお花畑な園子を横目に蘭が話を変える。
「ところで、先生って東京にはよくいらっしゃるんですか?」
「以前は東都大にいたけど、普段は仙台にいることが多いかな。でも最近は仕事で海外に行くことも増えたから羽田に行くことが増えたかな」
「海外ですか?」
「ああ。つい最近もドイツから帰ってきたばかりなんだ」
「ドイツ! いいですねえ!」
園子が目を輝かせる。
「私もまたヨーロッパに行きたいなあ」
「園子はしょっちゅう旅行してるじゃない」
「それとこれとは別よ!」
二人のやり取りに、仙水は思わず笑った。
随分と仲がいいんだな。
すると園子が、何かを思いついたように手を叩いた。
「あっ、そうだ!」
「どうしたの?」
「先生! 来週、うちの高校で文化祭があるんですけど、よかったら来ませんか?」
「文化祭?」
「はい! 私たちのクラス、劇をやるんです!」
蘭が少し恥ずかしそうに説明した。
「『黒衣の騎士』っていう劇なんですけど……」
「黒衣の騎士?」
仙水は首を傾げた。
「中世ヨーロッパの騎士物語みたいなものかな?」
「そんな感じです!」
園子が勢いよく答える。
「しかも、蘭がヒロインを演じるんですよ!」
「ちょっと園子!」
蘭の顔が赤くなる。
「へえ、それはすごいね」
仙水は笑った。
「でも、せっかくの文化祭なんだから、親御さんを呼んだほうがいいんじゃないかな?」
「もちろん呼びますよ! でも、せっかく先生とも知り合えたんですし!」
園子は身を乗り出した。
「それに、先生って普段研究ばっかりしてそうだから、たまには息抜きも必要ですよ!」
「ははは、言われちゃったな」
仙水は苦笑し、少し考えた。
来週の予定は空いている。
組織からも、相変わらず連絡はない。
まあ、東京にもう一度来るくらいなら問題ないか。
「わかった。都合がつけば見に来るよ」
「本当ですか!?」
「うん。せっかく招待してくれたんだしね」
「やったー!」
園子が嬉しそうに蘭の肩を叩く。
「よかったじゃない、蘭!」
「もう、なんで私なのよ!」
「あ、せっかくなら黒衣の騎士やってみませんか?ゲストにやってもらおうかって話なんですけど…」
「ちょっと園子〜〜〜!!!」
***
「じゃあ、来週を楽しみにしているよ」
「はい! ぜひ来てください!」
二人に見送られ、仙水は帝丹高校を後にした。
黒衣の騎士編の前日譚でした。
なんとコナンが仙水と対峙する前に蘭と園子に出会ってしまいました。
これからどうなっていくのやら…
次回もお楽しみに!