「……以上が、この事件の真相です」
工藤新一がそう告げると、体育館には重苦しい沈黙が流れた。
先ほどまで自殺と思われていた事件は、新一の推理によって殺人事件であることが明らかになった。
犯人はしばらく俯いていたが、やがて観念したように肩を落とした。
「……そうよ。私がやったの」
その告白に、周囲から小さなどよめきが起こる。
目暮警部が警察官に合図を送り、犯人は静かに連行されていった。
「まったく……せっかくの文化祭だというのに」
目暮警部がため息をつく。
「しかし、よく気づいたな、工藤君」
「いえ。現場に残された証拠を順番に確認しただけですよ」
新一は照れくさそうに頭をかいた。
「相変わらず生意気なガキだぜ……」
隣では毛利小五郎が不満そうに腕を組んでいる。
「お父さんったら!」
蘭が呆れたように声を上げた。
事件が解決したこともあり、体育館には少しずつ安堵した空気が戻り始めていた。
そんな様子を、仙水悠は少し離れたところから眺めていた。
「……なるほどね」
仙水は小さく呟く。
事件の途中、彼自身も小五郎の自殺説には疑問を感じていた。
しかし、被害者の身体や遺留品を直接確認できたわけではない。そこから先の推論を進めるには、情報が足りなかった。
一方、新一は現場で得られた証拠を一つずつ結びつけ、犯人の行動を再構成してみせた。
「高校生であそこまでできるとは……大したものだな」
仙水は感心したように微笑んだ。
そのときだった。
「あっ! 仙水先生!」
声の方を振り返ると、毛利蘭がこちらに駆け寄ってきた。
「やあ、毛利さん」
「来てくださってたんですね!」
「ああ。せっかく招待してもらったからね」
仙水は笑顔で答えた。
「劇もなかなか面白かったよ。最後まで見られなかったのは残念だけど」
「すみません、こんなことになっちゃって……」
「いやいや、君が謝ることじゃないよ。事件が起きるなんて、誰にも予想できないんだから」
蘭は少し安心したように笑った。
「あ、そうだ!」
何かを思い出したように、蘭が振り返った。
「新一! ちょっと来て!」
「ん? 何だよ、蘭」
近くで目暮警部と話していた新一が歩いてくる。
「紹介するね。先週、学校で特別講義をしてくださった仙水先生!」
「仙水悠です。」
仙水が軽く会釈した。
「工藤新一です」
新一も頭を下げる。
「さっきの推理、見せてもらったよ」
「え?」
「なかなか見事だった。特に、現場に残された証拠から犯人の行動を組み立てていくところは面白かったね」
「ありがとうございます」
新一は少し照れくさそうに笑った。
「でも、事件を解くには証拠が必要ですから」
「そうだね。そこは僕たちの研究と似ているかもしれない」
「研究と?」
「うん。どんなにもっともらしい仮説でも、実験結果と矛盾していれば考え直さなければならない。君の推理も、基本的にはそういうことでしょう?」
新一は興味深そうに頷いた。
「確かに。先生は何を研究しているんですか?」
「今は量子コンピュータに必要なデバイスを理論的に評価をしています。簡単に言えばコンピュータの部品の開発ってところかな?」
「へえ……量子コンピュータですか」
「そう。まあ、なかなか思うようにいかないことも多いけどね」
仙水は苦笑した。
「そういえば、最近までドイツにいたんだって!」
蘭が尋ねた。
「へぇ〜。ドイツへは何をしに?」
新一が少し驚く。
「もちろん、量子コンピュータに関する議論をしに、ですよ。」
「何よ新一、当たり前のこと言っちゃって。仙水先生は研究者なのよ?」
「ですが、先日世界経済フォーラムでスイスにいたのでは?」
「ほう、知っていたんだね」
「新一、その世界なんちゃらホームって?」
「世界経済フォーラム、毎年スイスのダボスってとこで世界の富豪や経済人、政治家が集まって、今後の世界経済について話し合う国際会議だよ。毎年開催されていて、今回たまたまYouTubeを開いたら中継で仙水さんを見かけたってわけさ。」
「あぁ、量子コンピューティングの未来についていろいろ話してきたんだ。ちなみにドイツには、その後行ったんだ。」
「なるほど?ドイツのどこへ行かれたんですか?」
「マックスプランク研究所ってところだよ。知り合いがそこにいるので、ダボスの会議のついでに挨拶がてら議論してきたんだ。」
「なるほど?」
「どうしたの新一?」
「いや、わざわざ挨拶がてらドイツに行くのも変だなと気になって、つい…?」
「ばかね〜、スイスからドイツは電車でたったの4時間よ?社会で習わなかった??」
「やべ、その日事件で欠席してたわ」
「も〜」
それから三人は、しばらく他愛のない話を交わした。
しかし仙水はその間、考え事にふけっていた。
この工藤新一っていう探偵、本当に頭が切れるな。
まさかドイツ滞在ってだけに違和感を持つとは…
そして先ほどの、あの凄まじい推理力。
まさか、こいつが先日の板倉卓が雇った探偵Xか?
いや、そんな奴がどうってことない文化祭で無駄に姿を見せる意味がわからない。
探偵X
奴はしばらく表舞台から姿を消していたはずだ。それが今日、突然現れた……?
ふっ…考えすぎか。
だが、その候補者としては十分だろう。
工藤新一。
どうやら、少し調べておく必要がありそうだな
新一もまた、考え事にふけっていた。
専門的な話になっても説明がわかりやすく、こちらの質問にも的確に答える。
少なくとも、新一がこれまで出会った研究者の中でも、かなり話しやすい人物だった。
しかし、あの妙な違和感は捨てられない。
確かに、スイスからドイツには高速鉄道のICEで4時間。
ヨーロッパ旅行する観光客の定番ルートだ。
なんか引っかかる。
なんだ?
一体何が妙なんだ?
やがて、仙水が腕時計に目を落とした。
「……おっと、もうこんな時間か」
「帰られるんですか?」
「ああ。そろそろ失礼するよ。明日も少し仕事があるからね」
「今日は本当にありがとうございました!」
蘭が頭を下げた。
「こちらこそ、招待してくれてありがとう」
仙水は微笑んだ。
そして、新一に視線を向ける。
「工藤君。またどこかで会うことがあれば、今度はゆっくり話してみたいね」
「…ええ。ぜひ」
新一は笑顔で答えた。
そのとき
ほんの一瞬。
それまで浮かべていた彼の柔らかな表情の一切が消えた気がした。
「……!!」
新一の第六感は警鐘を鳴らす。
……なんだ…今のは。
ドックン
新一は仙水の横顔を凝視した。
何だ……?
心臓が、わずかに強く脈打つ。
ほんの一瞬だけ見えた、あの目。
笑みも、好奇心も、温かみもない。
その瞳は、まるで氷のように冷たかった。
相手の存在を、ただ静かに見定めるような眼差し。
あの眼差しには、見覚えがあった。
それも、決して忘れられない記憶の中に。
――トロピカルランド。
薄暗い遊園地の裏手での怪しげな取引現場。
そして、背後から忍び寄ってきた黒ずくめの男。
『探偵ごっこは…そこまでだ……!』
鈍い衝撃。
意識が遠のく中で見上げた、銀色の長髪。
暗闇の中に浮かぶ、冷え切った瞳。
……ジン。
新一の背筋に冷たいものが走った。
そうだ……あの目だ。
何の感情も読み取れない。
人間を相手にしているという意識すら感じさせない、あの眼差し。
それが、ほんの一瞬。
仙水悠という青年の目に重なった。
……まさか。
新一は思わず息をのんだ。
しかし、目の前の仙水はすでに普段の表情に戻っていた。
蘭に向かって笑顔で話しかけている。
「それじゃあ、毛利さん。劇の方、また機会があれば見せてほしいな」
「はい! ぜひ!」
「工藤君も、またね」
仙水がこちらを向いた。
「……あ、はい」
新一は一瞬、返事が遅れた。
「どうかした?」
「いえ……何でもありません」
仙水は少し不思議そうに首を傾げた。
しかし、それ以上は尋ねなかった。
「そうか。じゃあ、失礼するよ」
軽く手を振り、仙水は体育館の出口へと歩き始めた。
新一は、その背中をじっと見つめていた。
……仙水悠。
物理学者でもあり、
高校生相手にも気さくに接する、穏やかな青年。
しかし――。
さっきの違和感といい、
あの目は……。
新一は眉をひそめた。
「まてまて、いくらなんでも妄想が過ぎる…」
しかし、頭から離れなかった。
仙水が一瞬だけ見せた、凍りついたような眼差し。
「……新一?」
蘭の声がした。
「え?」
「どうしたの? さっきから仙水先生のこと、ずっと見てるけど」
「あ、いや……」
新一は慌てて表情を戻した。
「ちょっと考え事してただけだよ」
「ふーん?」
蘭は不思議そうに首を傾げた。
「仙水先生、いい人だったね」
「……ああ」
新一は曖昧に頷いた。
「そうだな」
しかし、その視線はまだ体育館の出口に向けられていた。
……気のせい、か。
そう思いたかった。
だが、探偵としての直感が、妙な違和感を残していた。
その後、新一の身体には再び異変が現れた。
ドックン!
灰原が用意した解毒薬の効果が切れ始めていたのである。
激しい動悸。
体の奥から湧き上がるような熱。
新一は蘭に気づかれないよう、その場を離れた。
やがて、工藤新一の姿は再び消えた。
そして、江戸川コナンが戻ってきた。
文化祭での出来事は、蘭にとっては久しぶりに新一と過ごせた大切な一日となった。
しかし、コナンの心には別の記憶が残っていた。
*****
数日後。
阿笠邸
「……なあ、灰原」
コナンはソファに座りながら、向かいで本を読んでいる灰原哀に声をかけた。
「何よ?」
「お前、仙水悠って名前、聞いたことねえか?」
「!!!!!」
灰原の指が止まった。
「……知らないわ」
「東北大学の物理学者らしくてな。こないだの文化祭に来てたんだ」
「……そう」
灰原は本を閉じた。
「それがどうしたの?」
「いや、ちょっと気になってな」
コナンは頬杖をついた。
「あの人、事件が解決したあとに警察官と話してたんだけどよ……そのとき、一瞬だけ妙な目をしたんだ」
「妙な目?」
「ああ」
コナンは少し間を置いた。
「……ジンと同じ目をしてたんだ…!」
灰原の表情が変わった。
「…………」
「もちろん、それだけで組織の人間だなんて決めつけるつもりはねえよ。ただ、何となく引っかかってさ」
灰原は、しばらく黙っていた。
「二十代半ばくらいかな。背は高めで、研究者らしい感じの人だったぜ」
「…………」
「おい、灰原?」
灰原はゆっくりと顔を上げた。
「……工藤君」
「何だよ?」
「その人と、何を話したの?」
「何って……普通に事件の推理とか、物理学の研究の話とかだよ。先週までドイツにいたとか言ってたな」
灰原の目がわずかに細くなった。
「……そう」
「お前、やっぱり知ってるのか?」
長い沈黙が流れた。
壁の時計が、小さく音を立てている。
やがて灰原は、静かに口を開いた。
「……しらないわ。」
「でも今動揺してなかったか?」
「…ちょっと体調が悪いだけよ」
「んだよ、紛らわしい…。奴らにたどり着ける糸口だって思ったんだけどな〜」
……やっぱり、気のせいだったのか
そうぼやきながら、コナンは窓の外に目を向けた。
秋の夜空には、雲の隙間から月が覗いていた。
一方、灰原は、再び本を開こうとして手を止めた。
……仙水さん。
かつて、研究施設で議論した青年の姿が脳裏に浮かぶ。
研究の話になると、楽しそうに笑う人だった。
けれど、彼女は知っている。
あの穏やかな表情だけが、仙水悠のすべてではないことを。
……工藤君。
灰原は、コナンの横顔を一瞥した。
いつか、江戸川くんはあの人と対峙する運命にあるのでしょうね。
そして、心の中で呟いた。
あの人が本気であなたを敵と認識したら……。
そこから先は、考えたくなかった。
*******
その頃、仙台。
東北大学の研究室では、仙水悠がパソコンの画面を眺めながら
仙水は椅子にもたれかかっていた。
机の上のノートに、いくつか数式を書き込む。
そして、ふと思い出したように呟いた。
「……工藤新一…か」
文化祭で出会った高校生探偵。
あれほど見事な推理を披露する少年には、そうそう出会えない。
「また機会があれば、話してみたいものだね」
仙水は小さく笑った。
そして、再び研究に戻った。