名探偵コナン外伝〜殉黒の抹消記録(Raven's Report )〜旧闇黒秘儀の機密文書 作:Yunice
ついに仙水悠の調査を開始します。
阿笠邸
コナンは脳内でひたすら情報を整理していた。
仙水悠。
文化祭での会話。
そして、先日のレストランで交わした言葉
推理の組み立て方まで見ていた人物。
「……それで、その先生を調べるのか」
背後から覗き込んだ阿笠博士が、眉を寄せる。
「ああ」
「しかし、推理に興味を持つ研究者がおっても、おかしくはないじゃろう。新一は有名じゃから。」
「分かってる。だから、確かめるんだよ」
コナンはノートPCを取り出し、検索欄に名前を打ち込んだ。
「目つきが似てるとか、何となく怪しいとか。それだけで組織の人間だって決めつける気はねえよ」
画面には、大学の教員紹介、研究者情報、講演会の案内が並んだ。
仙水自身のホームページもある。
仙水悠
東北大学客員教授
それ以前は
東都大学助教として研究と教育に従事。
専門: 物性物理学、量子デバイス、量子計算
コナンはページを切り替えた。論文の一覧と、学会のプログラムを照合する。
ホームページには、Nature, Science, Physical Review Letterなど、有名な雑誌のリンクが貼ってあった。
「研究者ってのは、本当らしいな」
「架空の研究歴を作った、というわけではなさそうじゃ。それどころか、わしでも知ってるような有名雑誌にいくつも投稿しとるよ。相当優秀な科学者なようじゃ。」
「ああ。文化祭でも、それらしいことを話してただけじゃなかったんだ」
研究者という身分は本物。
では、その身分以外に何がある。
世界経済フォーラムの映像には、仙水の姿がはっきりと残っていた。コナンは一度見たセッションを呼び出し、名札が映るところで止める。
東北大学客員教授。 烏丸グループCEO代理。
「ずいぶんな肩書きじゃのう」
「大学で研究してるだけじゃねえ。企業側の代表としても来てたんだ」
「しかもあの烏丸グループとはのう。」
別の画面には、大学と企業の共同研究についての発表が表示されている。仙水が会議で説明した投資計画も、同じ内容だった。
資金の出所が企業であることも、研究者が企業に助言することも、それ自体はおかしくない。
昨日までなら、そこで読み飛ばしていたかもしれない。
だが、コナンは組織が何に手を伸ばしていたかを知っている。
満天堂の新作発表会で遭遇した、関西弁の大男。テキーラ。
取引の対象は、ゲームそのものではなかった。
優秀なプログラマーたちの情報だった。
そして、板倉卓。
組織は彼の開発していたシステムソフトを欲しがり、完成を迫っていた。
「ゲーム会社に技術者、研究機関……」
コナンが呟くと、博士が画面を見た。
「この前、仙水君が食事をしていた相手も、ゲーム会社の人間じゃったな」
「ああ。けど、それだけなら珍しくもねえ。あの大場って人が組織とつながっていたと決まったわけでもない」
コナンはゲーム会社のホームページを開いた。会社概要の下に、問い合わせ先が載っている。
「その大場という人に、話を聞くのか?」
「ああ。仙水と、どんな付き合いなのか。あの席じゃ聞けなかったからな」
コナンは蝶ネクタイ型変声機のダイヤルを回した。
「工藤新一の声で?」
「あのレストランにいた子供が電話するよりは、話を聞いてもらえるだろ」
会社の番号を押し、大場への取り次ぎを頼む。
プルルルルル
「お待たせしました。大場です」
「突然すみません。工藤新一といいます。先日、レストランで仙水悠さんとお食事をされていましたよね」
「ええ……工藤君というと、この前の探偵の?」
「はい。少し伺いたいことがあるんです」
「何でしょう。あの事件のことですか?」
「いえ。仙水さんについてです。どういった経緯で、お知り合いになったのかと思いまして」
相手は少し戸惑ったようだった。
「仙水先生が、どうかされたんですか?」
「ちょっと気になったことがありまして。お話だけでも伺えませんか?」
しばらくして、大場が口を開いた。
「えぇ、いいですよ。仙水さんとお会いするようになったのは、最近ですよ。うちで量子コンピュータの事業への応用を検討していましてね。研究内容について、一度お話を伺えないかと、こちらからお願いしたんです」
「では、それ以前から親しくされていたわけではないんですね」
「ええ。あの食事も、その打ち合わせの続きでした。もっとも、私には難しい話も多くて。仙水さんを紹介してくれたソフトの専門家にも同席してもらえれば、もう少し踏み込んだ相談ができたんでしょうが」
「友人の紹介?ご友人は御社の技術者ですか?」
「いえ、外部の方です。以前、仕事をお願いしていた板倉さんという方がいましてね」
!?
「……板倉さん?」
「板倉卓さんです。ご存じですか」
博士が、コナンの顔を見た。
コナンは人差し指を立て、静かに首を振る。
「お名前は。それで、その板倉さんにも、仙水さんとの打ち合わせの同席を検討されていたと?」
「えぇ。ですがご存じの通り、それはかないませんでした。数週間前に亡くなられましたから……。先生とお会いすることになった時、あの人がいてくれればと思っていたんです。」
コナンは、書きかけた線を止めた。
仙水と板倉が会っていた、という話ではない。
「板倉さんには、どんなお仕事を依頼されていたんですか?」
「ゲームのソフト開発です。ただ、納期のことで何度か困らされたことはありましたよ。こちら以外にも仕事を抱えていたようで」
「ほかの仕事というのは?」
「詳しくは聞いていません。うちの仕事を優先してくれ、と言ったことはありますけどね」
声に、かすかな苦笑が混じった。
「仙水さんに、板倉さんのお名前を出したことはありますか?」
「さあ……。技術者に相談したいという話はしたと思いますが、名前までお伝えしたかどうか。申し訳ない、そこまでは覚えていません」
「分かりました。ありがとうございます」
コナンは礼を述べ、電話を切った。
蝶ネクタイを下ろしても、しばらく何も言わなかった。
「ままさかあの板倉さんとつながっておったとは。」
「あぁ、仙水と板倉さんが直接会ったかどうかは、分からねえ」
大場は仙水に、量子コンピュータについて話を聞いていた。
その一方で、板倉にソフトの開発で繋がっていた。
どちらも、仕事として説明のつく関係だ。
だが、板倉がほかに何を作らされていたのかを、コナンは知っている。
あの男たちが欲しがっていたソフト。
未完成のままでも構わないと、受け取りを急いでいた取引。
「仙水は、大場さんを通して板倉さんのことを知ったのか。それとも……」
「その前から、知っておったか」
「ああ」
『先生とお会いすることになった時、あの人がいてくれればと思った』
大場の説明では、二人の接点はそこで途切れている。
その先を、自分の想像でつないではいけない。
コナンは、仙水の経歴を表示した画面へ戻った。
「まずは、あの人自身が話したことから確かめようぜ」
スイスからドイツへ
仙水は、ダボス会議の後でマックスプランク研究所の知人を訪ねたと説明していた。
コナンは研究所の講演案内や過去の催しを調べた。
しかし、その期間の予定に仙水の名前は見当たらない。
共同研究の発表にも、訪問者としての紹介にもない。
「……何も出てこねえな」
「知人への挨拶なら、いちいち公表せんのではないか?」
「そうだな。記録が見つからないだけじゃ、行かなかったことにはならねえ」
コナンは研究者情報へ戻った。共著者の所属を順に確認し、その中からマックスプランク研究所に所属する日本人研究者を見つける。
仙水の研究紹介にも、その人物との共同研究が記されていた。
コナンは連絡先を控え、時計を見る。
日本では夕方だった。向こうなら、まだ研究所で仕事をしている時間だ。
「電話するのか?」
「その前に、ちょっと確認したいことがある」
コナンは仙水の共著者一覧へ戻った。
京都帝国大学、森谷康徳。
仙水の研究紹介には、その名も繰り返し登場していた。
大学が公開している講義動画を開く。
壇上の教授が話し始めると、コナンは音声を聞き、
蝶ネクタイへ指を伸ばした。
「……森谷先生の声を使うのか」
「仙水と共同研究をしてる人なら、出張先の確認をしてもおかしくねえだろ」
何度か声を確かめてから、研究所へ電話をかける。取り次ぎを頼み、しばらく待った。
英語の声が聞こえると、コナンは蝶ネクタイを口元へ寄せ英語で話す。
“My apologies for ringing you out of the blue. My name is Yasunori Moriya, from Kyoto Imperial University. I’m a research colleague of Yu Sensui’s."
「突然申し訳ありません。京都帝国大学の森谷康徳と申します。仙水悠君と共同研究をしている者ですが」
自分の口から出たものとは思えない、大人の声が部屋に響く。
“I’m ringing to check a few details of his travel arrangements. I understand he met with you to discuss research after leaving Davos. Could you tell me when that was?”
「少々、彼の渡航日程について確認したく、ご連絡しました。ダボスの後、そちらで研究の打ち合わせをしたと聞いたのですが、日付を教えていただけませんか」
相手は日程を聞き返した。コナンが時期を伝えると、受話器の向こうで短い沈黙があった。
“Around that time? No, I didn’t meet with him.”
「その時期ですか。仙水さんとは会っていませんよ」
"Might it have been on another day?”
「では、別の日でしょうか」
“No, we haven’t scheduled a meeting like that.”
「いえ。そんな打ち合わせは予定していないですよ。」
"…I see. I may have got it mixed up with another appointment, then. My apologies.”
「……そうでしたか。では、私が別の予定と取り違えたのかもしれません。失礼いたしました」
礼を言い、通話を終える。
どういうことだ?
そもそも研究所へ行く予定はなかった…?
「じゃあ、文化祭で言ったことは嘘か?」
阿笠博士が目を丸くしながら言う。
「少なくとも、共同研究の打ち合わせと
しては確認できなかった。別の知り合いと会った可能性までは消せねえけどな」
話の裏付けを取ろうとして、初めて具体的な食い違いが出た。
では、実際にはどこで何をしていたのか。
仙水のホームページからたどった活動紹介の資料に、コナンは見覚えのある顔を見つけた。
昔の研究支援を紹介するページだった。大学関係者らしい人々に交じって、仙水と一人の老人が並んでいる。
コナンは、写真を拡大した。
「……おい」
短い声に、博士が顔を上げる。
「どうした、新一」
コナンの指が、写真の下の説明をなぞった。
枡山憲三。
「ピスコだ……」
杯戸ホテルの追悼会。暗闇の中で起きた殺人。
灰原を連れ去った男。
写真では、仙水はその男の隣で笑っていた。
博士は眼鏡を押し上げる。
「研究への支援を受けていた、とあるな」
「ああ。ただ同じ会場に写ったんじゃねえ。関係があったんだ」
コナンは写真と説明の出所を控え、他の資料にも同じ支援の記載がないか確認した。
枡山が財界で広く活動していた以上、支援を受けた研究者が全員、組織の人間であるはずはない。
だが、調べ始めたばかりの名前のそばに、既知の組織幹部が現れた。
研究所訪問についての食い違い。 組織幹部との関係。 板倉と取引のあったゲーム会社との商談。
別々なら説明できる。それでも、重なれば確かめる必要がある。
「灰原に、もう一度聞いてみるかのう」
博士が地下へ続く扉を見る。
コナンは少し考えて、首を振った。
「あいつは、知らないって言った。今これを見せても、話したくないなら同じだろ」
文化祭の後、仙水の名前を出した時の灰原の反応を思い返す。
何も知らない反応には見えなかった。
だが、あの沈黙を答えの代わりにはできない。
「とりあえず、俺たちが知ってる事件と照らし合わせてみるか」
満天堂の発表会。 杯戸ホテル。 板倉卓のソフト取引。
現在の仙水の経歴だけを見ていても分からない。組織が動いた時、この人物はどこにいたのか。
大学の講義日程を調べ、公開されている授業資料の日付を確認する。板倉の取引があった前夜、仙水には東都大学での講義が入っていた。
この時点ではまだ東京にいたようだ。
あの夜のことを、順に思い返す。
午前一時頃、別荘からかけたウォッカへの電話。
受け渡しを午前四時に早めさせたこと。
ロッカーへ置いたケースと、発信機。
ジンに工作を見抜かれ、息を殺して隠れていた時間。
そのとき、自分が見ていたのはジンとウォッカの二人だけだった。
それで、取引に関わった人間を全員見たと言えるのか。
地上に、別の人間がいたのなら。
自分は地下から、ジンとウォッカを見ていた。
その間、地上で何が起きていたかは見ていない。
「博士。あの夜、駅の入口付近に停まってた車、覚えてねえか?」
「いや……わしが迎えに行ったのは、随分後じゃからなあ」
「だよな」
受け渡しをする二人とは別に、出入りする人間と外の動きを見ていた役。
そこに仙水がいたとしたら。
自分は、何も知らずに、その前を通ったことになる。
コナンは口元へ手を当てた。
この人物が組織と関係するのなら、板倉のソフトはどこまで彼の仕事に近いのか。
研究者として受け取る側だったのか。
それとも、取引そのものを管理していたのか。
頭の中で、仙水の言葉が繰り返された。
どの情報で、誰を疑ったか。
あの人は、それを見ていた。
「賢橋駅へ行ってみるかの?」
博士は研究用のケーブルを手にしたまま、コナンを見下ろした。
「ああ。実際に、外からどこまで見えるのか確かめたい」
「わしも行こう」
「博士は灰原の実験装置を見てるんだろ。深夜のこの時間はまだ人はいない時間だし、誰かに会いに行くわけじゃねえから」
博士は簡単には頷かなかった。
「相手が組織と関係しているかもしれんのじゃろう。調べていることを、気づかれておったらどうする」
「大場さんには、俺が駅に行くなんて話してねえ。ほかの問い合わせにも、工藤新一の名前は使ってない。見たいのは、当時の位置関係だけだ」
それでも博士の表情は晴れない。コナンは携帯電話を持ち上げ、調べる範囲と帰る時刻を伝えた。
「着いたら連絡する。見終わったら、すぐ戻るよ」
「また、組織?」
地下から上がってきた灰原が、二人の話を聞いていた。
「ちょっと確認するだけだって」
「いい加減にしなさい!!!!」
灰原はコナンの顔を見た。
「な、なんだよ急に…」
灰原は、笑わなかった。
「わかってない!あなたが組織に近づけば近づくほど、大事な人を失う可能性が高くなるのよ???」
「わかってるよ。だから俺がぶっつぶせねーと」
「それをわかってないと言うのよ!!!」
言葉を遮った灰原の声は、今度は低かった。
「あなたが何を調べているのか、あの子たちは知らない。蘭さんだって、何も知らないまま、あなたの帰りを待ってる」
「だから、巻き込まねえように――」
「それは、あなたが気をつければ済む話なの?」
コナンは口をつぐんだ。
「あなたを見失ったら、蘭さんは真っ先にあなたを探す。子どもたちも、きっと…。その先に何があるかも知らずに」
灰原の手が、白衣の裾を握った。
「……そのときになってからじゃ、遅いの…遅いのよ………。」
灰原の脳裏に、姉・宮野明美の姿が浮かんだ。もう二度と会えない姉。その面影に蘭の姿が重なり、灰原は唇を噛んだ。
コナンもまた、明美の最期を思い出していた。目の前で失われていく命を、救えなかった。
もし、あの場所にいたのが蘭だったら。
上着を握る手が止まった。
コナンと灰原の間に静寂が流れる。
やがて、伏せていた目を上げる。
「じゃあ、いつまで待てばいいんだよ」
灰原の指が、白衣の裾を握り直した。
「俺が何もしなけりゃ、あいつらも何もしねえのか? 蘭やあいつらが巻き込まれねえって、そう言い切れるのかよ」
「……だからって、あなたから近づく必要はないでしょう」
「あいつらがどこで何をしてるのかもわからねえままじゃ、守れるもんも守れねえだろ」
コナンは椅子に掛けていた上着を取った。
「工藤君」
呼び止められ、玄関へ向かう足が止まる。
「あなたが帰ってこなかったら、結局、同じことになるのよ」
上着を握る手に、わずかに力が入った。
「……ああ」
コナンは振り向いた。
「だから、帰ってくる」
灰原は何も答えなかった。
その沈黙を残したまま、コナンは玄関の扉を開けた。
哀さん何度も警告してるのにね