深夜の飯は何故うまいのだろうか。
多分オグリはこういうことしないと思う(本末転倒)
宵闇に包まれ、寝息と秒針の刻む音が規則正しく静寂を突いていたとある一室で、ぐるる、と、動物の唸り声のような低い音が空気を揺らした。大窓を挟んで置かれていたベッドの片方で、モゾモゾと動きがあった。
「んぅう……」
気だるそうに起き上がり、冷たい空気が首筋を軽く撫でたのに震えた少女は、寝ぼけた視線を、自身のお腹へ落とした。すると、お腹は再び、悲しそうな声をあげて主張するのである。
目覚まし時計を確認してみると、時刻は12時半を過ぎようとしていた。窓からは満月が冷たい光を湛えて見下ろしてきているのが見えた。少女は項垂れてため息をついた。
“ぐううぅ……”
しかし、お腹にそんな都合は関係が無い。一度泣き出したらあやさなければならない。
少女は頭をぽりぽりかいて、向かいで静かにしている同居人を起こさぬよう、熱を持った布団から両脚を慎重に抜き、カーペットの敷かれた冷たいフローリングに指先をつけ、そっと立ち上がった。
少女――オグリキャップの頭は、既に冴え渡っていた。
ひっきりなしに鳴き続ける腹を満たしに向かう足は、淀みなく無駄が無かった。
ぱちり、と音がした瞬間、流し台の上の蛍光灯がついて、奥に見える部屋の、盛り上がった布団の陰影が濃くなったのが見えた。
トレセン学園の学生寮のキッチンは案外設備が良く、冷蔵庫等必要なものは最初から備えづけられていた。彼女のように、夜中に起きてしまうような者には、それが砂漠のど真ん中にぽつんと置き去りになったオアシスのように見える。とはいえ、今から大した料理を作ろうということでは無い。
彼女が食料庫から取り出したのは、赤と金色の装飾がなされ、側面にデカデカとその正体を主張しているカップ麺。小腹がすいた時の救世主。3分待つだけでそれなりのものを提供してくれるのだから、初めて食べた時は、自分は一体どんな魔法を使ったんだと誰しもが右手を見て思うものである(適当)
ケトルに適当量の水をぶっ込んではめてスイッチオン。ここから数分待たされることになる。地味にこの待ち時間もむず痒い。
オグリキャップは悶々とした空腹感に苛まれながら、流し台のへりに腰をあて、しかし、うつらうつらとなりながら天井を眺めていた。今は深夜なのである。
気を取り直して、彼女は奥に覗ける状況を確認してみる。今まで毎日のようにこうしているわけであるが、布団の山からはみ出る芦毛の尻尾は揺れるばかりで、起き出してくることは数える程度しかない。一度食している最中にむくりと起き上がり、口の内容物を発射しかけたこともあったが、同居人には、目を擦りながら近づいて一言、
「太るで」
そう薄ら笑いを浮かべて言われたぐらいだった。
「おっ」
そんなことを頭の中で右往左往させていたら、カチリ、とケトルの方から音が鳴った。熱湯が沸いた合図である。
すぐさま、カップ麺の蓋を半分まで剥がし、ふわりと香るチープさに食欲を掻き立てられながらも、内側の線までお湯を注ぐ。この時顔に当たる湯気は、メガネ族でなくても十分に鬱陶しい。
そして、部屋中どこにでもワープする特性のある箱ティッシュを蓋の重しとし、せっかく寝ているのを起こすわけにもいかない為、いつも通り壁にかけられた時計をガン見するスタイルで3分を消化していく。
「……」
長い。深夜の静寂、同居人の寝息とたまに寝言、コチコチと気狂いのように刻み続ける秒針の音が耳を突いて、それに全く関係のない食欲に気を狂わされそうになる。もどかしい。世間ではカップ麺は2分でもうまいとのたまうアニメがあるそうだが、絶対に3分以上が経った方がうまい。寝ぼけた彼女はそう信じている。
長い。しかし、宇宙空間がビッグバンにより爆発的に肥大化し、撒き散らされた物質がある程度結合して殆どの物質ができたのがおよそ三分程度で起こったというのだから、自分は宇宙創生と同等の行為を行っていると考えればそのスケールに圧倒されて待てるのではないだろうか。無理である。
早く。
早く。
「……!」
ついにその時。3分が経った。さぁ飯の時間だ。
しかしここで痛恨のミス。髪留めのゴムが無い。寝ぼけていて取りに行くのを忘れていた。飯を食ってる時に側面の髪の毛が邪魔をしてくるのが一番腹立たしいのである。特に麺類では髪の毛というのは女の敵になる。
小走りで洗面所の髪留めを取ってきた彼女は、ようやっと臨戦体勢を整え完了。
ティッシュ箱を取り上げ、蓋を剥がしきる。
その瞬間、ポニーテールになったオグリキャップの顔面に水蒸気の塊が襲い掛かる。
「……!」
その瞬間、鼻腔を醤油と脂の暴力的な香りがくすぐって、ついでに食欲の火にくべられる。黄金というにはくすみ過ぎたスープを覆い隠す麺に、本当に申し訳程度のかやく達が彩る風景もまた、深夜帯という時間も相まってたまらない。
オグリキャップは、半開きになった口から涎の生暖かい感覚が伝ったのを感じた。しかし、拭うことはしなかった。
彼女は静かに手を合わせる。
(いただきます)
危うさと幸福の泉に箸を突っ込み、手早く麺をほぐしていく。
そして、取り敢えず持ち上げられるだけ箸で麺を引き上げる。
「ふー、ふー、ふー」
そして、後は一息である。
「ずぞぞぞぞぞッ!!!!」
その瞬間脳漿を突き抜けていく電流のような感覚。
うまい。歯切れ良く、咀嚼するごとにワシワシとした食感を持った麺のほのかな小麦感、醤油ベースのガツンとしたスープの雑な旨味が広がっていく。
「はぁー……ずぞぞぞぞぞっ」
たまらず第二波。この啜る瞬間に意識が吹っ飛びそうになるのが最高に気持ちいい。クラクラっとなってふらつき、立てなくなりそうになるところで意識が戻る。これだ。これがラーメンだ。
「んくっ、んく……」
口の中に確率で入るかやくもいいアクセントになる。あの卵っぽい黄色い奴の甘じょっぱさ、ネギの香り高さ、謎肉、ブチブチ食感のエビ、全てが愛おしい。
「ずぞぞぞぞぞ」
決して上等な食い物では無い。その事実が深夜帯においては必要なのである。保存料化学調味料たっぷり、そんな危険さがこのカップ麺という食べ物の中毒性を引き立てる。
アスリートである自分がこんな行為に興じているという事実にカタルシス的な感覚を覚えてしまうのである。
お母さんごめんなさい、私はダメな娘です。駄バ娘なのです____
「ずるるっ!」
と、罪悪感に苛まれながら啜る麺は正直言ってやめられない止まらない。いいんだ別に。1日ぐらいこういう日があってもいいじゃないか。そう悪魔に耳元で囁かれて、3日前にもこんなことをしている。
そうしてしばらく啜っていると、案外早く麺は無くなってしまう。残ったスープはまさしく禁断のスープ。ギトギトの脂が浮きまくるそれを飲めば更なる悦楽を見出せるだろうが、深夜飯に通ずる者がそんな甘っちょろいことはしない。
「ふふ……」
耳をはためかせ、ワクワク顔でオグリキャップが冷蔵庫から取り出したのは、炭水化物の白い悪魔――白米。おやつに炊いたのをラップに包んで保存していたものである。
彼女は、それを躊躇なく残ったスープへぶち込んだ。罪に罪を重ねるつもりである。
食えば生活習慣病への扉を開くトリガー、カップ麺のスープおじや。そんな狂気の産物は、しかし、魅惑的な照りを呈している。食わないという選択肢はハナから無い。健康志向なんて夢も希望もない言葉なんて蹴り上げてしまえ。神聖なる飯という行為にそんな言葉は不要である。
「あー……」
口にカップの縁をつけ、大口をあけて傾ける。すると、まるで噴火して流れる溶岩のように、どろどろとした米の濁流が殺到してくる。
「んごっんぐんぐ」
それを口いっぱいに詰める。米の粒のたった、しかしスープを吸ったくったくたな食感と、そこに溜まっていたしょっぱさの塊のようなスープがどうしようもなくうまい。
「ふー……」
汗が頬を伝う。なんていい汗だ、GIレースの前調整の時の、仕上がり切った時の体から流れ出る汗のように清々しい。やってることは真逆もいいところなのに。
「はふー」
ラストスパートを終え、思わず出るため息。そして強烈な眠気。深夜飯を終えた後の眠気は通常の三倍。しかし眠らなければどうということはない。
気合いでゴミ捨てや歯磨きやらを終え、布団に入って目を瞑る。すると、下腹付近がぐるぐるして、いよいよ関門脈に血液の全てが集まって、次いで意識が薄らぐ。
抗えない眠気に身を任せる。その就寝スピードは気絶のそれに近しい。飯を食って気絶したように眠る。実に健康的である。時間帯と食べたものに目を瞑れば。
しかし、彼女に取っては、やはり健康などどうでもいいのである。
腹が減ったから食った。
ただ、それだけである。