クィディッチの試合が終了してしばらくが過ぎても、ハリーはなぜか姿を現さなかった。三人は競技場を離れたものの、生徒たちの姿もまばらになってきている玄関ホールでハリーが現れるのを待っていた。
「ハリー!」
正面玄関前の階段を上ってくるハリーを、ハーマイオニーが一番に見つけた。
「どこに行っていたの?」
ルイスはそう言いながら、怪訝そうにハリーの顔を覗き込んだ。試合であんなにも活躍したあとだというのに、ハリーは難しい顔をしていた。
「おい、ハリー! 僕らが勝った! 君が勝ったんだぞ!」興奮状態にあるロンが、ハリーの背中をばしばしと叩いた。「それに、僕はマルフォイの目に青あざを作ってやったし、ネビルなんか、クラッブとゴイルにたったひとりで立ち向かったんだ。まだ気を失っているけど、大丈夫だってマダム・ポンフリーが言ってた。みんな談話室で君を待ってるんだ。これからパーティをやるんだよ」
「悪いけど、それどころじゃないよ」ハリーは難しい顔のまま言った。「どこか誰もいない部屋を探そう。三人に話があるんだ」
ハリーはそこにピーブズがいないことを確かめ、空いている部屋のなかに滑り込むと、扉をぴたりと閉めた。そして、今見聞きしてきたことを一気に三人に話して聞かせた。
「僕らは正しかったんだよ。フラッフィーが守っていたのは、賢者の石だった。それを手に入れるのを手伝えって、スネイプがクィレルを脅していたのを聞いたんだ。スネイプはフラッフィーを出し抜く方法を知っているかって、そうクィレルに聞いていた。それから、ええと、クィレルの怪しげなまやかしのことも、何か話していたな。それが何なのかは分からないけど、フラッフィー以外にも何か別なものが石を守っているんだと思う。きっと、人を惑わすような魔法がいっぱいかけてあるんだ。クィレルが闇の魔術に対抗する呪文をかけて、スネイプがそれを破らなくちゃいけないのかもしれない……」
「クィレル?」
ルイスは小さく呟いたが、誰もその声を聞いてはいない。その怪しげなまやかしについての話を是非とも聞かせてほしいと思ったが、詳しく聞くことはできなかった。
「それじゃ、賢者の石が安全なのは、クィレルがスネイプに抵抗している間だけということになるわ」
ハーマイオニーが厳しい声で警告をした。
「だったら三日ともたないな。石はすぐに奪われちゃうよ」
ロンはお手上げだとばかりに、肩を竦めながら言った。
だがしかし、クィレルはハリー、ロン、ハーマイオニーが思っていた以上の粘りを見せた。それから何週間が過ぎて、クィレルはますますやつれて見えたが、口を割った気配がなかったからだ。
四階の廊下を通るたび、ハリーたちは扉にぴたりと耳を押し付けてフラッフィーの唸り声が聞こえるかどうかを確かめていた。クィレルと出会うたび、ハリーは励ますような笑顔を向け、ロンはクィレルのどもりをからかう連中を嗜めた。ルイスは、クィレルが自分と目が合う度になぜか急いで逸らすということに、つい最近になって気が付いた。
しかし、ハーマイオニーは賢者の石にばかりにかまけているわけではなかった。復習予定表を作り上げ、十週間後の試験に備えていたのだ。先生方もどうやらハーマイオニーと同意見らしく、宿題を山のように出した。復活祭の休みを、ほとんど宿題を消化させることに費やした。
ハーマイオニーはすぐそばで、ドラゴンの血の十二種類の利用法を暗唱したり、杖の振り方を練習したりするので、ハリーたち三人はのんびりするところではなかった。
「こんなの、とてもじゃないけど覚えきれないよ」
とうとうロンは音を上げて、羽ペンを投げ出した。ルイスはハリーと一緒に、薬草ときのこ百種という本でハナハッカを探していて下を向いたままだったが、ハグリッド! と呼びかけるロンの声で揃って顔を上げた。
「図書室で何しているんだい?」
すると、ハグリッドは本棚の影からばつが悪そうにしながらそろりと現れた。両手を後ろに回し、背中に何かを隠しているようだ。
「ちっとばっかし見ているだけだ」それでも誤魔化しているつもりなのか、ハグリッドの声は不自然に上ずっていた。「お前さんたちは何をしてるんだ?」
本をぺらぺらと捲っているルイスを見て、ハグリッドは疑わしげに尋ねる。
「まさか、ニコラス・フラメルをまだ探しとるんじゃないだろうな」
「そんなのもうとっくの昔に見つけたよ」ロンが意気揚揚と言った。「それだけじゃない。あの犬が何を守っているのかも知っているよ。賢者の――」
「ああ、駄目だ、駄目だ!シ」
ハグリッドは大声をあげてロンの声を掻き消し、慌てて周りを見回した。今は周囲の生徒たちに話を聞かれる危険性よりも、カウンターで本を念入りに磨いているマダム・ピンスが悪魔のような形相で現れないことを願ったほうが良さそうだ。
「そのことは大声で言い触らしちゃいかん。お前さんたち、まったくどうかしちまったんじゃないか」
「でも、ちょうどよかった。ハグリッドに聞きたいことがあったんだ。フラッフィー以外にあの石を守っているものって、一体何なの?」
ハリーが聞くと、ハグリッドはこれ以上ないというくらいに慌ててみせた。更に近付いてきたかと思うと、大きな顔を四人に寄せて、ひそひそと話しかけてくる。
「いいか、その話は極秘事項なんだ。聞きたいってなら、後で小屋に来てくれや。だが、教えるなんて約束はしねぇからな。ここでそのことについてべらべら話をされるのが困るってだけだ。生徒が知っちゃならねぇことだし、知るべきじゃねぇんだ。俺が喋ったと思われたら、もうダンブルドアには顔向けできなくなっちまう」
「それじゃ、後で行くよ」
ハリーが聞き分けの良い子供のようにこくりと頷くのを見て、ハグリッドはまるで森に帰って行く熊のように、のそりのそりと図書室を出て行った。四人はその姿がすっかり見えなくなってから、互いに顔を見合わせた。
「ねえ、ハグリッドが背中に隠していたものって、何だと思う?」ハナハッカの項目を見つけてルイスがページを捲る手を止めたとき、ハーマイオニーが言った。「もしかしたら石と関係があるものかもしれないわ」
「僕、ハグリッドがどの書棚のところにいたか見てくる」
ロンは勉強にうんざりしていたようなので、我先にと席を立った。ルイスがハリーにハナハッカの部分を教えていると、ほどなくしてロンが本をどっさり抱えて戻ってきた。
「これだ! ドラゴンだよ!」
「ドラゴン?」
ルイスは眉を顰めた。
「ハグリッドは、ドラゴンの本を探していたんだ。ほら、見てごらんよ。イギリスとアイルランドの竜の種類とか、ドラゴンの飼い方――卵から焦熱地獄まで、だってさ」
「僕が初めてハグリッドに会った時、ずっと前からドラゴンを飼いたいと思ってたって言ってたよ」
ロンが持ってきた本を覗き込みながら、ハリーが事も無げに言った。それを聞いたロンは、思わずぎょっとしたような面持ちになる。
「ドラゴンを飼うことは法律で禁止されているはずだけれど」
ルイスはロンが持ってきた本のうちの一冊を抜き取った。
「そう、ルイスの言う通りだ。ワーロック法でドラゴンの飼育は違法になったんだよ。みんな知っていることだ」
「それに、ドラゴンを手懐けるのはほぼ無理だと言われているの。気性が荒くて、狂暴だから」
「チャーリーがルーマニアで野性のドラゴンにやられた火傷を見せてやりたいよ」
ルイスとロンの説明を聞いて、ハリーは目を丸くした。
「だけど、まさかイギリスに野生のドラゴンなんていないだろう?」
「もちろん、いるよ」
「いるに決まってるじゃないか」
ルイスとロンの声が重なると、ハリーの目は驚愕に見開かれた。
「ハグリッドはいったい何を考えているのかしら?」
ハーマイオニーが心配そうにそう言ったので、ルイスとロンは顔を見合わせて首を横に振った。
その一時間後、四人が揃ってハグリッドの小屋を訪ねると、まだ昼間だというのにすべてのカーテンが閉められていた。扉をノックすると、ハグリッドは来訪者を注意深く確かめてから、四人を小屋の中に招き入れてくれた。
小屋の中は異常なほどに暑かった。外も十分暑いのに、掃除の行き届いていない煤や灰でいっぱいの暖炉には、大きな炎が上がっている。ハグリッドはお茶を入れてイタチサンドイッチをすすめてくれたが、四人はそれを丁重に断った。
「それで、お前さんら、何が聞きたいんだった?」
ハグリッドは四人の顔を順番に見回しながら言った。すると、ハリーは単刀直入に聞いた。
「フラッフィー以外に賢者の石を守っているのは何か、ハグリッドに教えてもらえたら嬉しいなと思って」
しかし、当たり前だが、ハグリッドは顰め面をして大きく頭を振った。
「もちろん、そんなこと教えられるわけがねぇだろうが? え? それに、俺自身知らんことだ。しかも、お前さんたちはもう十分に知りすぎとる。石がここにあるのには、それなりのわけがあるんだ」
「ねぇ、ハグリッド? 本当は私たちに言いたくないだけなんでしょう? でも、絶対知っているのよね? だって、ここで起きてることであなたの知らないことなんて、あるわけがないんですもの」
ハーマイオニーが優しい声音で煽てると、ハグリッドの顔中を覆っている髭がひくひくと引きつるように動き、嬉しげに笑っているのが分かった。どうにかこうにか厳格さを保とうとしているのにも関わらず、どうやらそれはうまくいかないらしい。ハーマイオニーはそれを察し、更に追い打ちをかける。
「私たちは石が盗まれないように、誰がどうやって守りを固めているのかを知りたいだけなのよ」
ルイスはハーマイオニーの言い様に思わず吹き出しそうになった。せっかく上手くことが運びそうなのに水を差さないでくれと、隣に座っていたハリーが脇腹を小突いてくる。ルイスは慌てて俯き、両手で口に蓋をした。
「まぁ、それくらいなら言ってもかまわんかもしれんな。そうだな、ダンブルドアは俺からフラッフィーを借りて、何人かの先生が魔法の罠をかけていることは間違いない。スプラウト先生、フリットウィック先生、マクゴナガル先生――」
ハグリッドは指折り名前をあげはじめた。その頃には、ルイスの笑いの発作もさすがに治まっていた。
「あとは、クィレル先生、もちろんダンブルドアもちょっとは細工をしただろうが――ああ、待てよ、誰か忘れちょるな。そうそう、スネイプ先生もだ」
「スネイプだって!?」
「ん? ああ、そうだ。まだあのことに拘ってるなんてことはないだろうな? スネイプは石を守る手助けをしたんだ。盗もうとするはずがねぇだろう」
自分以外の三人は、同じことを考えているのだろうとルイスは思った。もしセブルスが石を守る側にいるのならば、他の先生がどのようなやり方で守ろうとしたかも簡単に分かるはずだ。クィレルの呪文と、フラッフィーを出し抜く方法以外。
そんな中で、ルイスには腑に落ちない点が多々あった。
「ハグリッドだけがフラッフィーを大人しくさせられるんだよね? 誰にも教えたりはしていないよね? 例え先生にだって」
ハリーは心配そうに言った。
「俺とダンブルドア先生以外は誰ひとりとして知らん」
ハグリッドは得意げにそう言ったし、ハリーはその言葉に一安心した様子だった。
「ねえ、ハグリッド、窓を開けてもいい? このままじゃ茹っちゃうよ」
「悪いが、それはできん」
そう言った途端、ハグリッドの目が暖炉に向かった。すると全員が、釣られたようにその方向へ目を向ける。
「ハグリッド、あれは何?」
聞くまでもないとないとルイスは思った。暖炉にかけられたやかんの下に、大きな黒い卵があった。ドラゴンに違いない。
「えーと、あれは……その……」
ハグリッドは完全に動揺していた。
「ハグリッド、どこで手に入れたの? すごく高かっただろ?」
ロンは少し興奮した様子でそう言いながら、椅子から立ち上がると暖炉の傍に屈み込んだ。そして、卵をよく見ようと身を乗り出している。
「実は、その、賭けに勝ったんだ。昨日の晩、ホグズミード村まで行って、ちょっと酒を飲んでな。それで、知らないやつとトランプをしたんだ。はっきりいえば、そいつは厄介払いをして喜んでいたみたいだったが」
「だけど、もし卵が孵ったらどうするつもりなの?」
ハーマイオニーが気遣わしげに尋ねた。
「ああ、それで、ちいと読んどるんだがな」
ハグリッドはそう言うと、さきほど図書室で借りてきたと思われる、趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方、という本を四人に見せた。それはとても古い本だったが、何でも書いてあるとハグリッドは言った。きっとドラゴンの育成を法律で禁止される以前の本なのだろう。
ハグリッドは身体の大きさに似つかわしくない可愛らしい鼻歌を歌いながら、暖炉に新しい薪をくべていた。
結局、更なる心労を抱えることになってしまうだけだった。ハグリッドが法を犯してドラゴンを育てていることが知れたら、一体どうなるのだろう。ホグワーツの森番もできなくなり、ここを追われてしまうのだろうか。ルイスはドラゴンの雛を見てみたいと思う傍らで、ハグリッドの今後が心配でならなくなってしまった。
それからの日々を、次々に出される宿題と格闘しながら過ごしていると、あるときロンが大きなため息を吐いた。とうとうハーマイオニーがハリーとロンの分の復習予定表を作りはじめたので、ふたりとも気が狂いそうになっていたのだ。
「どうして僕とハリーにだけそんなものを作って、ルイスには作らないんだ?」
ロンは、ルイスだけずるいと言いたげだ。ルイスは書きおわったレポートの清書を見直しながら、ロンをちらりと一瞥した。
「あら、ルイスは私がうるさく言わなくても、自分でやるべきことはしっかりやっているわ」
そしてその数日後、朝食を取っているときに、ハリーのヘドウィグがハグリッドからの手紙を運んできた。それは、たった一行の手紙だった。
『いよいよ孵るぞ』
ロンは午前中の薬草学の授業をサボって小屋に向かおうと言ったが、ハーマイオニーがそれを頑として許さなかった。
「だって、ハーマイオニー! ドラゴンの卵が孵るところなんて一生に一度だって見られるものじゃないんだ!」
「授業があるでしょう? サボったら面倒なことになるわ。だけど、それ以上にハグリッドのしていることがバレたら、私たちの面倒とは比べものにならないぐらい、あの人がひどく困ることになるのよ」
「ハーマイオニー、静かに!」
「黙って!」
ハリーとルイスは、急いでロンとハーマイオニーの口を塞いだ。ドラコがほんの数メートル先で立ち止まり、こちらの話にじっと聞き耳を立てていたのだ。聞かれてしまっただろうか。そう思いルイスが睨み付けると、ドラコは嫌な笑みを浮かべてその場を立ち去った。
そのように危うい瞬間があったというのに、ロンとハーマイオニーは薬草学の教室へ行く間中、ずっとドラゴンについて言い争っていた。とうとうハーマイオニーも折れて、午前中の休憩時間に四人で急いで小屋へ行ってみよう、ということになった。
薬草学の授業の終わりを告げる鐘が聞こえたかと思うと、四人は校庭を横切って、森の外れへと急いだ。ロンはドラゴンの卵のことが気になりすぎて、授業の間中ずっとそわそわとしていたので、真っ先に小屋のなかへと駆け込んでいった。
そこでハリーたちを待ち構えていたハグリッドは、酷い興奮で頬を紅潮させていた。
「ほれ、もうすぐ出てくるぞ」
ハグリッドは嬉しそうにそう言って、四人が小屋のなかに入ると大急ぎで扉を閉めた。
卵はテーブルの上に置かれ、既に深い亀裂が入っていた。確かに中で何かが動いている。こつん、こつんと内側から卵を砕こうとしているような音が聞こえていた。
椅子をテーブルの傍に引き寄せ、全員が息をひそめて卵を見守った。そして、きいぃとガラスを引っ掻くような音がしたかと思うと、次の瞬間には卵がぱっくりと割れ、生まれたてのドラゴンがテーブルにころりと転がり出てきた。
骨張っていて真っ黒な胴体に、巨大な翼、長い鼻に大きな鼻の穴、こぶのような角――そのドラゴンがくしゃみをすると、鼻から火花が散った。
「素晴らしく美しいだろう?」
「美しいって、これ、それどころじゃないよ!」ロンが産まれたてのドラゴンを見て、とても驚いたように言った。「ノルウェー・リッジバックだ!」
ハグリッドがにやにやとだらしのない表情で手を差し出し、その小さな頭を撫でようとすると、ドラゴンは鋭い牙を見せてハグリッドの指に噛み付いた。
「ほれ、見てみろ! ちゃんとママちゃんが分かってるんだ!」
「ハグリッド、ノルウェー・リッジバック種ってどれくらいの早さで大きくなるの?」
そう不安そうに言ったハーマイオニーの質問に答えようと顔を上げた途端、そのハグリッドの顔から血の気が引いた。それに倣うようにルイスも勢い良く後ろを振り返り、窓の外を見る。すると、見慣れた嫌な後ろ姿が一瞬だけ、カーテンの隙間から見えた。
「どうしたの?」
「カーテンの隙間から誰かが見ちょったようだ。学校の方へ走ってく」
「ドラコだよ」
ルイスが苦々しげにそう言うと、全員の顔からも血の気が引いた。
それからしばらくの間、ドラコはハリーたちの姿を見かけるたびに嫌らしい薄ら笑いを浮かべていた。それでも、ハリーたちは暇さえあれば四人でハグリッドのところまで出向き、暗くした小屋の中で、何とかドラゴンを手放してはくれないかと、ハグリッドを説得しようとした。
「ねえ、外に放せば? 自由にしてあげればいいじゃないか」
ハリーはそう促したものの、ハグリッドはとんでもないというように、大きな頭をぶんぶんと横に振る。
「そんなこと、できるわけねぇだろうが? こんなにちっちゃいんだ、死んじまう!」
死ぬ生きる以前に、外に放したらどこかへ行って、問題を起こすかもしれない。ルイスはそちらの方が問題に思えた。もしマグルの世界に姿を現せば、魔法省が必死になってごまかしてきた歴史が水の泡だ。
ドラゴンは、たった一週間で三倍の大きさに成長した。鼻の穴からは煙がしょっちゅう噴出し、みんなのローブを焦がすことも多々あった。ハグリッドはドラゴンの面倒を見るのに忙しく、他の家畜の世話はろくにしていない。ドラゴンに与えているブランデーの香りが辺りに立ちこめ、その匂いを嗅ぐだけで酔っ払ってしまいそうだ。
「聞いてくれ、この子をノーバートと呼ぶことにしたんだ。もう俺がはっきり分かるらしい。ノーバートや、ノーバート!! ママちゃんはここだよ!」
「おい、これはさすがに狂ってるぜ」
ロンがハリーに囁きかけているのが、ルイスの耳にも聞こえていた。
「もうやめようよ、ハグリッド。本で読んだけど、あと二週間もしたら、ノーバートはこの家ぐらいの大きさになるんだよ。いつまでもこの家の中で飼うわけにはいかないだろう? それに、マルフォイがいつダンブルドアにいいつけるか分からない状態なんだ」
ハリーが、ノーバートに夢中になっているハグリッドの耳にも届くように、大声で叫ぶようにして言った。
「そ、そりゃ、俺もずっと飼っておけんぐらいのことは分かっとるが、だけんどほっぽり出すなんてことはできんだろうが? え? そうだろう?」
ハグリッドはとても悲しそうだ。確かに、卵をあたためるところから飼いはじめた生き物を手放すということは、何よりもつらいことなのかもしれない。
そう言ってしょんぼりしてしまったハグリッドを見ていて何かを思いついたのか、ハリーはロンに向き直ると大声で叫んだ。
「チャーリー!」
「ハリー、やめてくれよ。君まで狂っちゃったのかい? 僕はロンだよ、分かる?」
「違う、違うよ! チャーリーだ、君のお兄さんのチャーリーだよ!」
ハリーがそこまで言うのを聞いて、ルイスはぱちんと指をならした。名案だ。そう思った。
「ルーマニアでドラゴンの研究をしているチャーリーに、ノーバートを預ければいい。面倒を見て、自然に帰してくれるよ」
「そうか! それって名案だよ! ハグリッド、どうだい?」
ハグリッドは最後の最後まで渋っていたが、それでもチャーリーに頼みたいというふくろうを送ることに、ようやく同意をしてくれた。急いでグリフィンドール寮に戻り、ロンがチャーリー宛に手紙を書き、それをハリーのヘドウィグに持たせて飛ばせるところまで、おそらく一時間もかからなかったことだろう。
それなのに、次の週は異常なほどのろのろとしか時間が過ぎていかない。チャーリーからの返事が届くのを心待ちにしていた四人は、いつも空ばかりを気にしていた。
水曜日の夜、みんなはとっくに寝静まったというのに、ハリー、ルイス、ハーマイオニーは三人で談話室に残っていた。ルイスはこの時間を使って、ラウルとリーマスに手紙を書いていた。
「よし、書けた」
「誰に手紙を書いていたの?」
ルイスが手紙を書き上げて丁寧に折り畳んでいると、ハリーがそれを見て言った。
「ラウルによ」
「ダイアゴン横丁で一緒にいた人?」
ルイスが笑って頷くと、ハーマイオニーも会話に入ってきた。
「あら、ハリーもルイスのお兄さんに会ったことがあるの?」
すると、何故かハリーはハーマイオニーの言葉に驚いたような顔をして、目を丸くした。
「え、あの人、ルイスのお兄さんだったの?」
「そうだけれど、一体何だと思っていたの?」
ルイスはハリーの驚いた顔を見てくすくすと笑った。けれど、ハリーはまだ驚いているようだ。
「……僕、あの人はてっきり、ルイスのお父さんだと思ってたから」
今度は、ハリーのその発言にルイスが驚かされ、きょとんとしてみせる番だった。確かに年は離れているが、父親に間違われたことはまだなかったと思う。
「きっとラウルがそれを聞いたら泣いてしまうと思うよ」
ルイスはできるだけ声を押さえて、それでもお腹を抱えて笑った。
そして、壁掛時計が零時を告げたその時、肖像画の扉が突然開き、ロンが酷く疲れた様子で戻ってきた。ハリーの透明マントを使い、ロンはハグリッドの小屋でノーバートに餌をやるのを手伝っていたのだ。ノーバートはいまや、死んだねずみを木箱に何杯も食べるようになっていた。
「見て、かまれちゃったよ」ロンは血だらけのハンカチにくるんだ自分の手を差し出してみせた。「少なくとも一週間は羽ペンを持てないぜ」
その手があまりに痛々しかったので、ルイスは見るに見かねてポケットから杖を取り出した。
「ちょっと、何をするつもり?」
「包帯を巻くだけだから、じっとしていて――フェルーラ」
すると、ロンの血だらけの手にスルスルと包帯が巻き付いた。ルイスはこの呪文が得意だった。満月の次の日になると、小さな傷をたくさん作るラウルの体に、ラウルの杖を使ってこの呪文を試したことが何度もあったのだ。
「わお!」
ロンは包帯の巻かれた手を裏、表と反しながらしげしげと眺めていた。
「ヘドウィグだ!」暗やみの中でカツカツと窓をたたく音がしたかと思うと、ハリーが窓に掛けよって、急いでふくろうを談話室に招きいれた。「チャーリーの返事を持ってきたんだ!」
全員がチャーリーからの返事を見ようと、四つの頭を一所に集わせる。
手紙の内容をまとめると、ドラゴンは引き取ってもらえるようだ。しかし、向こうへ連れていくのは簡単なことではない。法律を犯して羽化させたドラゴンの子を運んでいる現場を見られてはいけないので、土曜日の真夜中に一番高い塔にドラゴンを連れていき、そこで引き渡しを行ないたいという内容だった。
四人は思わず、顔を見合わせた。
「透明マントがある」ハリーがそう言うと、ハーマイオニーが無茶だというようなことを言いかけた。「できなくははないと思うよ。僕ともうひとりとノーバートぐらいなら隠せるんじゃないかな?」
それでも、ハリーの提案にみんなは同意した。同意するしかなかった。ノーバートを追い払うためならば、それくらいの危険を犯すことくらいどうってことはないように思えた。
だが翌日、思わぬ事態がロンの身を襲っていた。
ルイスの巻いた包帯を外してみると、ロンの手が腫れ上がっていたのだ。ロンはドラゴンに噛まれたという事実がバレるのを恐れて、マダム・ポンフリーのところへ行くのを躊躇っていた。だが、昼過ぎにはそうも言っていられなくなってしまった。傷口が緑色に変色したのだ。ノーバートの牙には毒があったらしい。
その日の授業が終わると、ハリー、ルイス、ハーマイオニーは医務室に飛んでいった。ロンは酷い状態らしく、ぐったりとしてベッドに横になっていた。
「実は、酷いのは手だけじゃないんだ」ロンは三人に身を寄せると、声を潜めて言った。「もちろん、この手は千切れるくらい痛いけど、それどころじゃない。ここにマルフォイが来たんだ。あいつ、僕に本を借りたいって言って、マダム・ポンフリーを騙して入ってきやがった。何に噛まれたのか本当のことをマダム・ポンフリーに言いつけてやるって、僕を脅すんだ」
「でも、それも土曜日の真夜中ですべて終わりでしょう?」
ルイスは軽く肩を竦めながら言った。しかし、その慰めはロンを落ち着かせるどころか、逆効果になってしまった。ロンは突然ベッドに起き上がり、嫌な汗をかきはじめた。
「土曜零時!」ロンの声は不自然に震え、掠れていた。「ああ、どうしよう! 大変だよ! 今思い出したけど、チャーリーの手紙をあの本に挟んだままだ。僕たちがノーバートを処分しようとしていることがマルフォイに知られてしまう!」
どうすればいい? そうして話し合う時間はなかった。マダム・ポンフリーが入ってきて、三人を病室から追い出してしまったからだ。
「だけど、今更計画は変えられないよ」ハリーは二人に向かって言った。「チャーリーにまたふくろう便を送る時間はないし、これはノーバートを何とかするための最後の手段だ。それに、こっちには透明マントがあるってことをマルフォイは知らない」
ハグリッドの所に行くと、ボアハウンド犬のファングが尻尾にぐるぐると包帯を巻かれて、小屋の外にしょんぼりと座り込んでいた。
「ああ、ファング、かわいそうに」
ルイスがファングに駆け寄ると、ファングは鼻元をローブに押し付けて切なげに鳴いた。
「すまねぇが、中には入れてやれねぇんだ」ハグリッドは窓を開けて、中から三人に話し掛けた。「ノーバートは難しい時期でな、ちぃと俺以外にはどうしようもねぇ状態だ」
そう言うハグリッドは涙目だ。ノーバートがハグリッドの足に噛み付いたのかもしれない。入れてやれないと言われる以前に、誰も中には入りたいとは思わないだろう。三人はそれぞれ、一刻も早く土曜日が来てほしいと願いながら城へ戻った。
そしてようやく、本当にようやく、ハグリッドがノーバートに別れを告げる日が訪れた。
ハリーたちは結局ロンを除いた三人で透明マントに隠れて、一番高い塔まで行くことにした。女の子ふたりならば、ハリーやノーバートと一緒に透明マントに隠れられるだろうということになったのだ。最初はハリーとルイスのふたりで行く予定だったが、ハーマイオニーがそれを頑として許さなかった。ルイスが行くなら自分も行くと、ハーマイオニーが誰もいない静かな談話室で喚くので、一緒に連れていかないわけにはいかなくなった。
「長旅だからな、たっぷりのねずみとブランデーを入れといたんだ」
ピーブズが入り口のホールで壁にボールを打ち付けてテニスをしていたので、ハグリッドの小屋に到着するのが少し遅くなってしまった。ハグリッドはノーバートを大きな木箱に入れて、既に準備を済ませていた。
「ああ、ノーバート、バイバイだよ。ママちゃんは決してお前を忘れないよ」
三人は箱に透明マントを被せてから、自分たちもその中に入り込んだ。当たり前だが、いくら三人が小柄だといっても、透明マントのなかはぎゅうぎゅう詰めだ。
「痛い、あたしの足を踏まないで」
「ごめんよ、ルイス」
三人はふうふう言いながら箱を抱えていた。どんな近道を使っても、ノーバートを入れた木箱は重たく、時間を短縮することさえできない。ルイスは途中で何度も投げ出したくなった。そのたびに、隣で息を切らしているハーマイオニーが文句を言ったので、何とか持ちこたえることができた。
「ほら、もうすぐだよ!」
一番高い塔の下の階段に辿り着くと、目の前で突然何かが動いた。今度はハリーとハーマイオニーが危うく箱を落とし掛けたので、ルイスは少しの間それをほとんどひとりの力で支えなければならなかった。
「どうしたの?」
「静かに!」
ハーマイオニーが思いっき足を踏んづけてきたので、ルイスは声も出ないほど痛みに耐えなければならなかった。涙で潤んだ目を前方に向けると、少し先でふたりの人物が揉み合っている影が見えた。タータンチェックのガウンを着て頭にヘアネットを被ったマクゴナガル先生が、ドラコの耳をつかんでいたのだ。
「罰則です! 更に、スリザリンから二十点減点! こんな真夜中にうろつくなんて、なんということでしょう!」
「先生、誤解です。ハリー・ポッターがここに来るんです、ドラゴンを連れているんです!」
「まさか、なんというくだらないことを言うのです! どうしてそのような嘘を吐くのですか! あなたのことでスネイプ先生にお目にかからなければなりません!」
ルイスはあまりの嬉しさに、にやにやとした笑いを拭い去ることができなかった。ハリーも似たような状態らしく、塔の天辺まで伸びる急な階段を登る足取りが、急に軽くなったように見えた。夜の冷たい外気に一歩踏み出すと、三人はやっと透明マントを脱ぐことができた。
ルイスは、外の空気をこんなにも気持ちがいいと感じたことはなかったかもしれない。ハーマイオニーは小踊りして、少しだけはしゃいでいる。
「マルフォイが罰則を受けたわ! 歌いたい気分よ!」
「歌わないでね」
ハーマイオニーが歌いだす前に、ハリーが慌てて忠告をした。それでも三人はくすくすと笑いながら、チャーリーの友達が到着するのを待った。ノーバートの入った箱がガタガタと揺れるたび、なかからひょっこりとドラゴンが飛び出してくることのないように蓋を押さえつける。
それから十分も経った頃だろうか、四本の箒が闇の中から舞い降りてきた。四人はみんな、揃いも揃って陽気な人たちだった。
「こんばんは。いい夜だね、真夜中に飛行するにはちょうど良い天気だ」四人のなかのひとりがにっこりと笑った。「リッジバックはその中かい?」
「はい、そうです」
すると、箱がまたがたがたと揺れはじめる。
「元気のいい子だ。この子は僕たちが責任をもって連れて帰るから、安心をしてくれ」
そう言って、ひとりの青年は四人でドラゴンを牽引できるよう工夫したという道具を見せてくれた。七人がかりでノーバートをしっかりそれにつなぎとめ、ハリー、ルイス、ハーマイオニーは四人と握手をして、何度もお礼を言った。
ノーバートは陽気な四人組に連れていかれ、暗闇に呑まれるととうとう見えなくなってしまった。やっと終わったのだという安堵感が全身を包み込み、身体の力が抜けていくようだった。もうしばらく、厄介ごとは真っ平ごめんだとルイスは思った。
三人はノーバートが自分たちの手から離れた事実と、ドラコが罰則を受けるのだという事実が両方とも嬉しくて堪らなかった。それなのに、階段を降りきった場所にある廊下には、それらすべてを無下にするような地獄の光景が待ち構えていた。
物凄い勢いで顔から血の気が引いていく、そんな音を確かに聞いたような気がした。
「さて、さて、さて」廊下に足を踏み入れた途端、フィルチの顔が暗闇の中からぬるりと現れたのだ。「これは困ったことになりましたねぇ」
これは本当に困った、大変なことになったと、ルイスは小さく舌打ちをした。三人は、透明マントを塔の天辺に置き忘れてきてしまったのだ。
ここでフィルチに忘却呪文をかけたらどうだろう――ルイスは本気でそう思っていた。