ハリー・ポッターと呪われた一族の少女   作:しきり

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At Flourish and Blotts

 次の水曜日の朝、ルイスはドアを荒々しくノックする音で目を覚まさなければならなかった。最初は夢の中で聞こえていた忌々しいその音は、目を覚ましても尚続いていたので、ルイスはいつにも増して不機嫌になった。

「うるさいなぁ」

 髪に櫛も通さず、パジャマ姿にカーディガンも羽織らないでドアを勢い良く開けると、更にノックを続けようとする形のまま止まっている手が見えた。逆の手には一枚の薄汚れた羊皮紙の切れ端を持ったリーマスが、そこに立っていた。

「鍵を掛けて寝たの?」

「毎日我が家のうるさい家族たちに安眠を妨害されてしまったら堪らないもの」

 ルイスが反論するとリーマスは一瞬目を丸くしたが、次の瞬間苦笑を浮かべて、手に持っていた羊皮紙を手に押し付けてくる。

「君宛に手紙だよ。ぱっと見たかぎり、早く目を通したほうがいいってラウルが言うんだ」

 ルイスは不愉快そうにリーマスを睨んでいたが、言われたとおり急いで手紙に目を通すと、その不愉快げに寄っていた眉間の皺が、更に深くなった。

「今度の水曜日に、僕たちとハーマイオニーはダイアゴン横丁で学用品の買い物をすることになったんだけど、よかったらルイスも一緒にどう――? 今度の水曜?」

「たぶん、今日のことじゃないかな」

 リーマスがルイスとは対照的に愉快そうに笑うので、余計に苛々としてしまう。

「確か、ルイスはウィーズリー家の双子たちとダイアゴン横丁で会う約束をしていたんじゃなかった?」

「――分かってる、分かってるよ」

 ルイスは苛々しながらリーマスの鼻先でドアをぴしゃりと閉めて、クローゼットを漁るとローブを取り出し、できるだけゆっくりと着替えた。苛々を落ち着かせるために深呼吸を繰り返しながら髪に櫛を通し、不愉快という名の感情を蹴散らすように、足音をうるさいくらいにたてながら階段を下りていく。すると、身なりを小綺麗にまとめたラウルが、見たこともない老いたふくろうを世話している様子が目に入った。

「そのふくろう……」

「ウィーズリー家のふくろうだね、多分。今、ルイスに手紙を運んできた子だよ。相当ふらふらしているから、これは早急に引退をさせるべきだよ」

 ラウルは哀れそうにふくろうを見て、翼を優しく撫でた。ふくろうは軽く触れられただけでも横にこてんと倒れそうになり、ルイスの目には命すら危うそうに見える。

「とりあえず、今日一日はここでゆっくり休ませてあげよう。このまま帰してしまったら、家に着く前にどうにかなってしまうかもしれない」

 今にも死んでしまいそうなふくろうに手紙を運ばせるなんて――そう思っているに違いない。

 ラウルはふくろうを抱き上げて、日当たりのいい場所に移してあげた。それからキッチンに向かうと、トーストを一枚持ってルイスのところにやってくる。

「ほら、さっさと食べて、さっさと行くよ」

 口に押し付けられたトーストを口にくわえると、ルイスはそれをむしゃむしゃと食べ進めた。不機嫌なのは、別に朝早く起こされたからだけではない。これからまた、煙突飛行をしなければならないのだと思うと、気が滅入って仕方がないからだ。いっそ、まだ眠っている間に、ルイスを抱き抱えてダイアゴン横丁まで連れていってくれればいいのにとさえ思う。

 ルイスはトーストを食べ終えると、重い足を引きずるようにして暖炉の前に向かい、煙突飛行粉を一掴み手に取った。

「いいかい? 僕が行くまで――」

「動かず、じっとしていること。もう聞き飽きたよ」

 ルイスは煙突飛行粉を足元に叩きつけるようにして「漏れ鍋!」と叫んだ。目をぎゅっと瞑り、肘を内側に入れて、永遠とも思われる不快な時間をやり過ごす。マグルの地下鉄のほうが、ずっと人体に親切だ。マグルの車のほうが、ずっと快適に移動することができる。

 もう嫌だ、嫌だ、嫌だ――。

「――痛い」

 吐き出された暖炉から這って遠ざかり、ローブに付着した煤を払っていると、漏れ鍋の気のいいバーテン、トムが気遣わしげな表情でルイスを見下ろした。

「ハーイ、トム」

 ルイスのローブについた煤がそこら中に舞っても、トムはいやな顔ひとつしなかった。もしかしたら、一向に上達しないルイスの煙突飛行の腕を哀れんでいるのかもしれない。

 ほどなくして現れたラウルは例にして例のごとく、失敗という言葉を知らないとでも言うくらい完璧に着地し、肩のところに少しついただけの煤を払った。

 ルイスが体中の煤を払うことに必死になっていると、見兼ねたラウルが頭の上で杖を一振りし、ローブに付いた煤を一瞬にして消し去ってくれた。

 ラウルは一言二言トムと言葉を交わすと、ルイスを連れて四方を壁に囲まれた小さな中庭に向かった。杖で壁を三度叩くと、ただの煉瓦の壁だった場所が見る見るうちにアーチ型に変形し、向こう側には人でごった返しているダイアゴン横丁が見えてくる。

「今日はグリンゴッツに行かなくても大丈夫だよ。前に来たとき、買い物に足りるくらいは引き出しておいたからね」

 ラウルは普通の顔をしてアーチを潜っていたが、ルイスは見渡すダイアゴン横丁の雰囲気が何だかいつもと違うような気がして、妙に落ち着かなかった。人が嫌に多いのはいつものことだ。しかし、今日は何故か、着飾った魔女の姿ばかりが目立つような気がした。何気なく見上げたラウルはやはりいつもと何ら変わらない顔をしているように見えたが、無理矢理普通の表情を装っているようにも見える。

「ねえ、ラウル。さっきトムと何を話していたの?」

 ルイスは何気なく聞いたつもりだったが、ラウルの表情が何故か笑顔のまま凍り付いた。その視線だけが不自然に彷徨っていて、質問に対しての当たり障りのない答えを探しているようだ。しかし、ラウルの視線がフローリシュ・アンド・ブロッツ書店にとまっているのを見て、ルイスも無意識のうちにそちらに目を向けていた。

「え、ちょっと待って……」

 ルイスはさあっと顔から一切の血という血が引いていくのを感じた。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の上階の窓にかかった横断幕に、でかでかと書かれている文字を目でなぞるのも、正直言って嫌だった。横断幕にはこう書かれている。

【サイン会 ギルデロイ・ロックハート 自伝『私はマジックだ』 本日午後十二時三十分~四時三十分】

「……今、何時?」

「十一時――十二時少し前だよ」

 あの横断幕が事実なら、あと三十分程度で魔女たちのアイドル、ギルデロイ・ロックハートが書店に現れるはずだ。書店は既に黒山の人だかりで、入り込める隙間は僅かしかない。中年魔女の長蛇の列が店の中から外まで続き、魔女たちは互いの身だしなみを確かめ合っている。

「純粋に本を買いにきた人たちにはいい迷惑だよ」

 ギルデロイ・ロックハートと出会わずにフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で買い物をするには、今この黒山の人だかりの中を勇敢にも入っていくか、もしくはサイン会が終わり、嵐が過ぎ去ったあとを狙うかのどちらかである。

 しかし、ルイスもラウルもロックハートのために何時間も待てるほど寛大ではない。ふたりは意を決して、魔女たちで混雑する書店のなかに体を滑り込ませた。

「サイン会にご参加の方は列の後ろにお並びください」

 書店の店員にあらぬことを言われたルイスは思わずかちんときて、じろりと睨みつけた。

「サインなんていらない。教科書を買いにきただけだから」

 ルイスは教科書リストを店員の胸元に押しつけて、今すぐ全部揃えてくれと言い付けた。睨み付けられた店員は渋々人の間を縫うようにして店の奥へと入っていき、ホグワーツの生徒用の棚から教科書を見繕っている。

 ただでさえ人が多く、押し遣られてしまいそうになるので、ルイスは咄嗟にラウルのローブを掴んだ。

「息苦しい……」

「もう少しだから我慢して」

 ルイスが文句を言うたびに魔女たちがじろりと睨むので、ラウルは引きつった笑顔を浮かべたまま、その耳元で囁いた。

 教科書を持ってきた店員の手に、ラウルはガリオン金貨を押しつけるようにして渡すと、教科書を受け取った。ルイスの腕を引っ張り、足早に書店から飛び出る。ふたりは店の外に出ると並んで深呼吸をし、肺のなかに新鮮な空気をたっぷりと吸い込んだ。

「ハリーたちはもう教科書を買い終わったと思う?」

「どうだろう。ロックハートは一般的には人気があるから、普通ならサイン会に参加したがると思うけど」

「世の魔女たちは、本の表紙でこちらに向かってウィンクしてくるロックハートだけじゃ満足できないの?」

 その冷ややかな物言いに苦笑し、ラウルはルイスの背をやんわりと押すと、向かい側にあるフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラス席に座らせた。

「ここにいれば見過ごすことはないと思うよ。さあ、僕はアイスクリームを買ってこよう」

 そう言ったラウルがいなくなると、ルイスは人通りが激しい通りをぼうっと眺めた。もしかしたら、ハリーやロン、ハーマイオニーたちがここを通りかかるかもしれない。しかし、見知ったグリフィンドール寮生が通りかかることはあっても、ハリーたちを見かけることはなかった。

「お待たせ。はい、どうぞ」

「ありがとう」

 チョコ・ナッツ・サンデーを二皿買ってきたラウルは、その内のひとつをルイスに渡しながら、忙しなく通りを目で追っている。

「ハリーたちは通りかかった?」

「ううん」

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の前の人垣は、どんどん増える一方で、向かい側のフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーにまで被害が広がりはじめている。店主が外に注意深い眼差しを向けているのは、自分もロックハートのサイン会に参加したいと思っているのか、それともテラス席の椅子やテーブルが倒されることを心配しているのかは分からない。

 こんなにたくさんの人たちに囲まれているのに、ルイスはこういうときにかぎって、酷い孤独を覚えることがある。独りぼっちになったときよりも、こうやって誰も知らない人たちに囲まれて感じる孤独のほうが、何倍もつらく感じられるときがあった。

 今何故そう思ったのか、それはルイス自身にも分からなかった。アイスクリームが溶けだしていることにも気づかず、無意識のうちにラウルのローブをぎゅっと強く掴んでいた。

「ルイス? どうかした?」

「ルイス!」

 ラウルが眉を寄せて心配そうにルイスを見たとき、ほとんど同時に、少し離れたところからその名を叫ぶように呼ぶ声が聞こえてきた。

「ルイス! 今日は来ないんじゃないかと思っていたのよ。ああ、会えてよかったわ」

 その子は栗色のふわふわとした髪を振り乱してルイスに駆け寄ってきた。ルイスは無意識のうちに掴んでいたラウルのローブから手を離し、にっこりと微笑む。

「久しぶり、ハーマイオニー。ハリーもロンも、元気だった?」

 ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーは三人並んでふたり前に現れ、ルイスとラウルにそれぞれ挨拶をした。

「ウィーズリーって家のふくろうが、今朝手紙を届けにきたの。おかげ様でなんとか間に合った」

 ルイスがわざと意地悪な言い方をすると、ロンは顔を赤く染めて目を伏せた。ルイスはひとしきりくすくすと笑ってから、話を別に移した。

「いつ頃から来ていたの?」

「一時間くらい前だよ」

 ハリーが答えた。すると、ロンはさきほどまでの自分に都合の悪い話は一切忘れてしまった様子で、目をきらきらと輝かせて口を開いた。

「家から煙突飛行でここまで来たんだけど、ハリーがどこの暖炉から出てきたと思う?」

「さあ」

 ルイスにとって、煙突飛行の話が鬼門だということを知らないロンは、少しつまらなそうな顔をしたが、すぐに思い直したようだ。

「何と! ノクターン横丁のボージン・アンド・バークスだ! そこにマルフォイ親子がいたってハリーが言ってた。パパは、魔法省の抜き打ち検査を恐れて魔法のかかった危ないものを――」

 ロンはそこまで言うと急に声を低くして、最後にはもごもごと何を言っているのかさえ分からなくなった。ルイスはどうしたの? と言おうとして、寸前のところで口を閉じた。ロンがちらちらとラウルの方を見ている。ロンは大人の前で不用意にする話ではないと思ったようだったが、当のラウルは愉快そうに笑ってロンの話を聞いていた。

「それよりルイス、ここで何をしているの? 教科書は揃えた?」

 ハリーがテーブルの上でどろどろに溶けたアイスクリームを見ながら言った。ルイスはその時初めて、自分のアイスクリームが無残な姿になっていたことを知り、それを脇に押しやった。

「あたしたち、ここでハリーたちが通らないか見ていたの。新しい教科書は揃えたよ。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店がこれ以上混雑する前にね」

 ルイスが嫌なものでも見るように書店にかかった横断幕を一瞥すると、それを不思議に思ったハーマイオニーも、その視線を追い掛けた。

「まあ! 本物の彼に会えるわ!」

 ハーマイオニーが黄色い声を上げたのを見て、ルイスはぎょっとした。心なしかその頬が僅かに赤らんでいるのを発見して、信じられない思いになる。

「だって、彼って、リストにある教科書をほとんど全部書いてるじゃない!」

 すると、ハーマイオニーは早く行きましょう言って、ルイスの手を引っ張った。

「ちょっと待ってよ、ハーマイオニー。あたしもう教科書は――」

 困惑して傍らを見上げると、ラウルもルイスと似たり寄ったりの顔をしていた。ハリーとロンもどこか浮かない表情だ。それでも、ルイスが渋っている隣で、ラウルは仕方なさそうにため息を吐くと本当に重そうに腰を上げた。

 先に教科書を買った意味なんてなかったじゃない――ルイスがそう小さく漏らすと、ラウルは諦めたような乾いた笑い声を上げた。

「奥様方、お静かに願います……押さないでください……本にお気を付け願います……」

 さっきの店員が忙しなく店内を駆け回っている。本棚の本がドザドサと落ちる音を聞き付けるとそこへ駆け付け、横入りをしたと喚く魔女を見つけては宥めに向かっている。

 ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてルイスとラウルは、人垣を押し分けて中に入った。ラウルはルイスの後ろをついて歩きながら、どこかへ押し流されないようにローブについたフードを掴んでいた。

「まあ、よかったわ。みんな来たのね」

 ルイスがその声を聞くとぎくりとし、ぴたりと足を止めたので、後ろからついてきていたラウルがその背に勢い良くぶつかった。

「ああ、もうすぐ本物の彼に会えるのよ」

 すぐ目の前に迫っているギルデロイ・ロックハートに夢中なのか、それとも無視しているだけなのか、ウィーズリー夫人はルイスやラウルには見向きもしない。

 ロックハートが座っている机の周りでは、ロックハート自身の大きな写真がぐるりと張り巡らされ、人垣に向かっていっせいにウィンクして、輝くような白い歯を見せびらかして笑っていた。本物のロックハートは勿忘草色のローブを着て、波打った髪に魔法使いの三角帽を小粋に被っている。

 ルイスはこちらに向かってウィンクしている写真を、一枚残らず破り捨ててしまいたいという気持ちを押さえ込むのに必死だった。カメラを持った小男がロックハートの周りを踊るように走り回って、かしゃかしゃと撮影をしている。フラッシュがたかれるたびに、ぼっぼっと紫色の煙が立ち上った。

「ほら、そこ、どいて」

 カメラマンがアングルをよくするために後退りし、ロンに向かって低く唸った。

「日刊預言者新聞の写真だから」

「だからどうしたっていうんだよ」

 ロンはカメラマンに足を踏まれたらしく、靴の上からつま先を痛そうに擦りながらすかさず文句を言った。しかし、それがいけなかったとルイスは思った。

 そのロンの一言がロックハートに聞こえたらしく、さっさとサインを書き続けていた本から顔を上げ、まずロンを見た。次いでこちらを見たような気もしたが、咄嗟に目を逸らす。それから目ざとくもハリーを見付けると、じっと見つめ、そして勢い良く立ち上がり、叫んだ。

「もしや、君はハリー・ポッターでは?」

 ロックハートは自分のために割れた人垣を通り抜け、真っすぐにハリーのところへやってきた。後ろに立っていたラウルは、ロックハートがこちらに近づいてくると汚らわしげに彼を見て、ルイスを自分の方へ引き寄せた。

 ロックハートに腕を掴まれたハリーは正面に引き出され、顔を赤くしている。ハリーとロックハートが握手しているショットを撮ろうとして、カメラマンはこれでもかというくらいシャッターをきっていた。

「ほら、ハリー! にっこり笑って!」そう言われても、ハリーの顔は悲痛なほど引きつっている。「一緒に写れば、君と私で一面大見だし記事確実ですよ」

 ハリーはロックハートに握り締められていた手を、嫌そうな顔をしてローブに擦りつけながら戻ってこようとしたが、ロックハートはハリーの肩をがっしりと掴んで離さなかった。

「みなさん、何と記念すべき瞬間でしょう! 私がここしばらく伏せていたことを発表するのに、これほど相応しい瞬間はまたとないはずです!」

 ルイスはハリーをとてもかわいそうに思ったが、あそこにいるのが自分でなくてよかったと心から思っていた。

「Mr.ハリー・ポッターがフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に本日足を踏み入れたとき、この若者は私の自伝を買うことだけを目的としていたのです。それを今、私から彼に喜んでプレゼントいたします。この通り、無料でね」

 ロックハートがぱちんとウィンクをすると、人垣が騒がしく、操られているように拍手と歓声を繰り返した。

「そして、この彼が思いもつかなかったことではありますが」

 もういい加減にしてくれと、ルイスは心のなかで懇願した。ハリーの眼鏡は鼻の下までずり落ち、更に惨めな姿になっていた。

「まもなく彼は、私の本ばかりでなく、より素晴らしいものを得ることになるでしょう。彼もそのクラスメートも、実は、私の本ではなく、その実物を手にすることになるのです」

 しーんと静まり返った書店のなかに、小さな悲鳴が響いた。それが自分のものだと気付くのに、ルイスはさほど時間を必要としなかった。酷く嫌な予感がしていた。どうか外れていますように。お願いします、お願いします、お願い――ルイスは両目をぐっと閉じて、この世のありとあらゆる精霊たちに願った。

「みなさん、ここに、大いなる喜びと、誇りを持って発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、闇の魔術に対する防衛術の担当教授職をお引き受けすることになりました!」

「酷い! こんなに一生懸命お願いしたのに!」

 しかし、ルイスの悲痛な叫びは誰の耳に届くこともなかった。人垣が一斉に沸き、天井が外れるのではないかと思うほどの歓声が辺りを包んだ。やっとロックハートから解放されたハリーの手には、ロックハートの全著書が無料でプレゼントされていた。

 ハリーがよろよろとした足取りで部屋の隅に逃げていくのを見ながら、ルイスの頭のなかは別のことでいっぱいだった。あのギルデロイ・ロックハートが、闇の魔術に対する防衛術の教授だなんて、この時ばかりは、ダンブルドアの人選を疑わずにはいられなかった。

 去年はクィレル、今年はロックハート――の頭の中は真っ白だ。

「これ、あげるよ。僕のは自分で買うから」

 ルイスはハリーが今貰ったばかりの本の山をロンの妹、ジニー・ウィーズリーの鍋のなかに入れるのをぼんやりと眺めながら、その向こうからやってくる男の子を見て更に憂欝になった。

「やあ、いい気持ちだろうねえ、ポッター?」

 ドラコ・マルフォイはにやにやと嫌味な笑みを浮かべ、正面からハリーと向き合っている。ハリーたちとは少し離れた場所にいたルイスには、どうやら気付いていないようだ。

「有名人のハリー・ポッターは、ちょっと書店に行くのでさえ一面大見だし記事になるのか」

「放っておいてよ、ハリーが望んだことじゃないわ!」

 いつもなら出ていって言い返してやろうと思うルイスも、今日ばかりはそのような元気がない。代わりにドラコの前に飛び出していったのは、大鍋を抱えているジニーだった。

「おやおや、ポッター、いつの間にガールフレンドなんかできたんだ?」

 ジニーは顔を真っ赤にしながらドラコを睨んでいる。ちょうどそのとき、ロンとハーマイオニーがロックハートの本を一山ずつしっかり抱えて、ハリーやジニー、ドラコの前に現れた。

「何だ、マルフォイか」ロンは靴の裏についた不快なものでも見るような顔をしてドラコを一瞥した。「純血のお坊ちゃんでもロックハートなんかのサインが欲しいのかい?」

「ウィーズリー、まさか君もここにいるなんて僕は驚きだ! そんなにたくさん買い込んで、君の両親はこれから一ヵ月、飲まず食わずだろう」

「ドラコ、いい加減にして」

 ルイスは我慢ならなくなり、自らの肩を掴んでいたラウルの手を振りほどいて、ハリーたちの所へ向かった。ロンは自分の髪の色と同じくらい顔を真っ赤にしてドラコに飛び掛かろうとしたが、ハリーとハーマイオニーが必死になって上着を引っ張り、引きとめようとしている。

「やあ、君もいたのか、ルイス」

 ドラコはまるで何もなかったかのような口振りでルイスに声をかけた。

「ロン!」

 全員で声の聞こえた方向に目をやると、そこには双子のフレッドとジョージを連れたウィーズリー氏がいた。こちらに来ようとしているが、人込みの中に埋もれ、身動きが取れなくなってしまっている。双子はルイスの姿を見つけるとにやりと笑い、手を振っていた。

「何をしているんだ? ここは本当に酷い、早く外に出ていなさい」

「これは、これは、これは――アーサー・ウィーズリーではないか」

 Well,well,well――そう言って登場したのは、ルシウス・マルフォイだ。子供たちだけならまだしも、父親同士が顔を合わせることになるとは、誰も想像し得なかっただろう。

 思わず口を開き掛けたルイスの肩に重みがかかる。振り返ると、ラウルがこちらを見下ろして小さく頭を振っていた。余計な口を挟むなと言いたいのだろう。ルイスは口を真横に引き結ぶと、ぐっと我慢をした。

「ルシウス」

 ウィーズリー氏は首だけを僅かに傾けて、形だけの挨拶をした。

「魔法省は大忙しだと聞いている。あれだけ何回も抜き打ち調査をすれば、残業代は当然支払ってもらえるのだろうと思っていたが」

 マルフォイ氏はジニーの大鍋に手を突っ込み、豪華なロックハートの本の中から、使い古しの擦り切れた本を一冊引っ張りだした。

「ふむ、どうやらそうではないらしい。いくら窓際の部局だとはいっても、これはあまりに酷すぎる。自身の娘に兄弟たちの使い古しを与えるとは、なんとも哀れではないか。もはや魔法使いの面汚しと呼ぶまでもないな」

 ウィーズリー氏は途端に顔を真っ赤にさせた。耳の先まで赤く染まる様子を見て、ルイスは妙に居た堪れない気持ちになった。

「魔法使いの面汚しがどういう意味かについて、私たちは意見が違うようだ」

「確かにその通りだ」

 マルフォイ氏の目が、心配そうに成り行きを見守っているハーマイオニーの両親を一瞥した。それからルイスやラウルの方を見たかと思うと、ふん、と勝ち誇ったような嘲笑を浮かべる。しかし、その目は冷たく各々を捕らえていた。

「こんな連中と付き合っているようではな。まあ、ジュリアード家を味方に付けるのは得策だろう。魔法族的地位も我々よりずっと高い、由緒ある家系だ。しかし、君の家族はもう落ちるところまで落ちている」

 次の瞬間、ウィーズリー氏がマルフォイ氏に飛び掛かるのが見えた。マルフォイ氏の背中が本棚に叩きつけられ、分厚い呪文集が何冊もみんなの頭の上に落ちてきた。ラウルが咄嗟に引っ張ったので、ルイスは後ろに引っ繰り返りそうになったが、本の下敷きになることはなかった。

「アーサー、駄目よ、やめてちょうだい!」

 ウィーズリー夫人の悲鳴が一際大きく響いた。人垣が後ろに引き、そのたびに本棚から本がこぼれ落ちる。ラウルは大人の喧嘩より、床に散らばって人に踏み付けられている本を顰め面で見ていた。

「ああ、お客さま、どうかおやめください。どうか、お願いします!」

 しかし、店員の悲痛な叫びも彼らには届かず、なお取っ組み合いは続いた。そこに、大きな人影が現れたのは天の救いだろう。

「おい、やめんかい! おっさんたち、何を考えとるんだ!」

 ホグワーツで森番をしているルビウス・ハグリッドが本の山を掻き分け、なるべく本を踏まないようにしてやってきたが、それは明らかに失敗している。

 あっという間に、ハグリッドはウィーズリー氏とマルフォイ氏を引き離した。ウィーズリー氏は唇を切ったらしく、血を流している。マルフォイ氏の目には本で打たれたような跡があった。

「ほら、これは君の本だ。君の父親にしてみれば、これが精一杯なのだろう」

 マルフォイ氏はジニーの鍋から抜き取った古びた本をジニーに突き返した。それからハグリッドを振りほどき、ドラコに目配せをすると、さっさと店から出ていった。

「アーサー、おまえさんらしくもねえ、あんなやつのことなんか放っておけばええんだ」

 ハグリッドはローブを元通りに整えてやろうとしているようだったが、それは誰の目から見ても、ウィーズリー氏を吊し上げようとしているようにしか見えない。

「あいつはな、骨の髄まで腐っとる。家族全員がそうだ。そんなこと、みんな知っちょる。マルフォイ家のやつらの言うことなんか、これっぽっちも聞く価値がねぇ。そろって根性曲がりだ」

 ハグリッドがそう言ってウィーズリー氏を宥めているのを横目に、ラウルはローブのポケットから杖を取り出して、そこら中に振り回していた。何をしているのだと思って見ていると、今の取っ組み合いでそこら中に散乱した本の山を棚に戻している。

「あの――ウィーズリーさん?」

 ルイスはみんなと出ていこうとしているウィーズリー氏を呼び止めた。

「これ、使ってください。口から血が出ています」

 ルイスはウィーズリー氏の手に、白い生地に細かく刺繍が施してあるハンカチを押しつけ、口元を指した。ちらりと振り返ると、ラウルが最後の本を棚に詰め込んでいるところだった。店員はラウルに頭を下げて礼を言っていたが、ウィーズリー氏には早く出ていってもらいたいと思っているようだ。

「やあ、アーサー。派手にやったね。君もまだまだ若いな」

 本をすべて棚に戻し終えたあとでこちらにやってきたラウルは、別段咎めるふうでもなく、朗らかに言った。ルイスのハンカチで口許を押さえながら苦笑いを浮かべているウィーズリー氏の背中を押し、こちらに目配せをして、三人は店の外に出る。ウィーズリー夫人やハリーたちの後ろ姿が、少し離れたところに見えていた。

「いや、すまない。実に恥ずかしいところを見せてしまった。本の後片付けまで」

「たいしたことではないよ、謝る必要もない。僕は見ていることしかできなかったし、お互い様だ」

「ルイスも、すまなかったね。怖い思いをさせてしまっただろう? 大人気なかった」

「いいえ、大丈夫です」むしろすっきりしました、とは言わなかった。「それよりも、怪我は大丈夫ですか?」

「このくらい、どうってことはない」

 ウィーズリー氏はそう言ってにこりと微笑んだが、そうすると唇が攣れて痛むようだ。ははは、と力なく笑い声をあげてから、血に染まってしまった真っ白のハンカチを申し訳なさそうに見た。

「これは洗って返すよ。どうもありがとう」

「いえ、そのまま処分してくださって結構です」

「そんなわけにはいかない。幸い、モリーは染み抜きが得意で――」ウィーズリー氏は自慢げにそこまで言ったところで、突然ばつが悪そうに口を噤んでしまった。「ああ、モリーが――私の妻が、君たちに失礼なことをしたようだ」

 突然切り出された言葉に、さすがのラウルも驚いたようだ。ふたりで顔を見合わせてから、ルイスは大急ぎで頭を左右に振った。

「べ、別に、あの、失礼なことなんて」

「そうだよ、アーサー。失礼なことなんて何もなかった」

 ウィーズリー夫人の、あのキングズ・クロス駅での行為を失礼というのなら、ここでのマルフォイ親子の暴言は犯罪級だとルイスは真面目に思った。すると、ウィーズリー氏は少しだけ困ったように微笑んで、最後にまたすまなかったと言い残し、遠くの方に小さく見える赤毛の集団を追い掛けていった。

「あ、そうだ。ねえ、ラウル?」ウィーズリー氏の背中を見送りながら、ルイスは言った。「リーマスにこの間のキャンディのお礼を買いたいのだけれど、寄り道をしてもいい?」

 ルイスの頭のなかでは、ギルデロイ・ロックハートが闇の魔術に対する防衛術の教授職に任命されたことや、ルシウス・マルフォイの嫌味と、アーサー・ウィーズリーのすまなそうな表情がぐるぐると回っていた。

 頭のなかにギルデロイ・ロックハートの顔が現われて、ルイスに向かってパチンとウィンクをする。それをどうにか追い出すためには、リーマスに買って帰るお土産のことで考えを巡らせることくらいしか、今は思いつくことがなかった。

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