ハリー・ポッターと呪われた一族の少女   作:しきり

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Happy Valentine

 嘆きのマートルが住み着いているトイレで、トム・M・リドルの日記を拾ってからしばらくが過ぎると、ホグワーツは僅かに明るい雰囲気を取り戻しはじめていた。ジャスティンとほとんど首なしニックが襲われて以来、誰も被害にあった者がいないからだろうとルイスは思っていた。

 幸い、マンドレイクが情緒不安定で隠し事をするようになったので、マンドレイク薬ができあがるのも時間の問題だった。しかし、学校中が明るい雰囲気に包まれてきたというのに、ハッフルパフのアーニー・マクミランだけは未だにハリーやルイスが犯人だと決め付けているようで、周囲にそれを吹聴してまわっているという話を、何度も耳にしている。

 ピーブズは廊下でハリーを見かけると必ず奇妙な歌を歌ったり踊ったりと忙しい。それでも、ルイスが鋭く睨みつけてやると、どういうわけか表情を引きつらせてどこかへ消えてしまうのだ。どうせなら、スリザリンの継承者に石にしてくれと頼みたいくらい憎たらしいギルデロイ・ロックハートは、自分が事件を止めさせたのだと信じて疑わない。グリフィンドール生が変身術のクラスの前で列を作って待っているときに、ロックハートが現れ、マクゴナガル先生にそう言っていたのを、ほとんどの生徒が聞いていた。

「ミネルバ、もう厄介なことはないと思いますよ」ロックハートが今この場にいること自体が厄介ごとだと、ルイスはそういう意味を込めてロックハートを熱烈に睨めつけた。「今度こそ、部屋は永久に閉ざされたことでしょう。犯人は私に捕まるのは時間の問題だと、そう観念したに違いありません。今この学校に必要なのは、気分を盛り上げることです。今はこれ以上申し上げませんけどね、まさにこれだ、という考えがあるんですよ」

 何が気分を盛り上げるだ。ロックハートがこの学校に滞在し続けるかぎり、この気分は沈みっぱなしに違いないと、そう思ったルイスは、その言葉の意味を深く受け取ってはいなかった。

「あら? ルイス、あれってあなたのふくろうじゃない?」

 グリフィンドール塔の女子寮にある寝室でルイスが本を読んでいると、ハーマイオニーが宿題の仕上げをしていた顔を上げて、窓の外を指した。ルイスも本から顔を上げ、ベッドに寝そべった格好のまま窓の外を見ると、ルナが早く開けてくれとばかりに、觜でこつこつと窓を突いていた。

「ごめん、ルナ。お疲れさま」

 窓を開けてそう労ってやると、ルナは小さく一声鳴いてからルイスの肩に乗った。トランクの中からふくろうフーズを取り出して少しだけ食べさせ、ルナの足から届け物を解いてやる。

「少し休んでいてね」

 そう言うと、ルナは腕からベッドに飛び移った。その隣に腰を下ろして荷を解いていると、宿題を終えたハーマイオニーがルイスのほうへやってきた。

「何が届いたの?」

「バレンタインにカードを書こうと思って、必要なものを送ってもらったの。ダイアゴン横丁で素敵なお店を見つけたから、お願いしてみたのだけれど」

 その店とは、ミリア・トロリスの店だった。雑貨屋だと言っていたので、カードの類は揃っていると思ったのだ。荷を解くと一番上にはミリアからの手紙が乗っかっていた。

 

 

 お久しぶりね。手紙をありがとう、嬉しかったわ。

 バレンタインカードということだったけれど、どういうものがいいのか分からなかったので、良さそうなものをいくつか送ります。もしよかったら、またお店にも遊びに来てね。楽しみにしているから。

 

 ミリアより

 

 

 送られてきたカードは六種類で、白、黒、紺、青、赤、緑と色鮮やかだった。箱の下の方には様々な色のインクと、リボンまで入れられている。

「ハーマイオニーは誰かにカードを書かないの?」

「どうして?」

「ううん、別に。でも、カードが何枚かあまりそうだから、一緒にどうかと思って」

 ルイスはそう言いながら、誰に何色のカードを送るべきかどうか悩んでいた。そのようなことを考えながら横目でハーマイオニーを見ると、なぜか少しだけ顔を赤くさせ、もじもじとしている。

「カード、いる? この白いカードならいいよ」

「え、ええ、じゃあ、せっかくだからもらおうかしら。ありがとう」

「インクとリボンは好きな色を使っていいから」

 ルイスはカード一枚一枚に Happy Valentine と書き記し、それを広げたままベッドの上に並べて置くと、乾くのを待った。きらきらとした派手な感じは嫌いだったので、カードはどれもシンプルに仕上げ、最後にリボンを結んで終わりにした。

「さあ、ルナ。これを家まで届けてくれる?」

 そう言って足に二枚のカードを結び付けると、ルナは心得たようにルイスの指を甘噛みしてから、ふくろうフーズを一粒頬張り、部屋を出て行った。残った三枚のカードを机の上に置いてハーマイオニーを見やると、まだ熱心にカードを書き続けている姿を確認することができる。

「ねえ、誰に書いているの?」

「な、内緒よ!」

 ルイスが後ろから覗き込もうとすると、ハーマイオニーは大急ぎでそれを隠してしまった。

「ロンに書いているのではないの?」

 そうきょとんとして訊ねると、ハーマイオニーは顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を上げた。

「ま、まさか! ど、どうして私がロンにあげなくちゃいけないのよ!」

「ハーマイオニーはロンを好きなんだと思っていたのだけれど、違うの?」

「違うわよ!」

 ルイスは思っていたことを口にしただけだったが、ハーマイオニーがそれを力の限り全否定するのを目の当たりにして、余計に怪しく思ったのは言うまでもないだろう。

 翌日、ハーマイオニーがいつものように叩き起こしてくれなかったので、ルイスはいつもよりずっと遅い時間に目を覚ました。ハーマイオニーはきっとまだ、昨夜自分が言ったことを気にしているに違いないと思いながら、ルイスは大きく欠伸をもらした。

 部屋を出るとき、カードをポケットに忍ばせる事だけは忘れず談話室に降りていくと、ちょうどハリーも男子寮の方から降りてくるところだった。

「おはよう、ルイス」

 ハリーは少し疲れた様子で、欠伸混じりにそう言った。昨夜遅くまでクィディッチの練習をしていたらしい。ルイスは寝不足気味のハリーにお疲れさまと言いながら、ポケットからバレンタインカードを取り出し、それを差し出した。

「ハッピーバレンタイン」

 すると、ハリーはきょとんとした表情を見せ、しかしすぐに少しだけ頬を赤く染めた。

「あ、あの……」

「ラウルたちに書いて余ったから、ハリーにも書いたの。もちろんロンにもね」

 何気ない顔でそう言うルイスを見て、ハリーは丸くした目を素早く瞬かせた。そして苦笑いを浮かべるとカードを受け取り、ありがとう、と言ってポケットに仕舞う。

 今日はバレンタインということもあって、学校内はいやに浮き足立っているように感じられた。以前ラウルから、日本という国ではバレンタインに女の人から男の人にチョコレートを贈る習慣があるのだと聞いたことがある。面白い習慣もあったものだと思いながら、ルイスはハリーと並んで大広間に足を踏み入れようとしたが、そこに広がったあまりの光景に驚いて、思わず足を止めてしまった。隣にいたハリーも呆然として広間を眺めている。

 壁という壁がけばけばしい大きなピンクの花で覆われ、おまけに淡いブルーの天井からは、ハート型の紙吹雪が舞い落ちてくる。先に降りてきていたロンとハーマイオニーは、グリフィンドールのテーブルに座ってくすくすと笑っていた。

「これ、何事なの?」

 ハリーは椅子に座りながらそう言ったが、ルイスは言葉もなく、無言のまま腰を下ろした。誰が犯人かなど、考える必要もなかった。このときになってはじめて、ルイスは先日ロックハートが言っていたことの意味を理解した。

 ロンが指を差した方向を見てみると、案の定、部屋の飾りつけと揃いのピンクのローブを着たロックハートが、手を挙げて静かにするよう合図を送っているところだった。

 ロックハートの両側に並ぶ先生たちは、まるで秘密の部屋の怪物に襲われたのではないかと疑うほど、石のように微動だにせず、無表情を貫いていた。マクゴナガル先生は頬を小刻みに痙攣させていたし、セブルスに至っては、今すぐロックハートに杖を突きつけて呪ってしまいそうな雰囲気をかもし出している。

「やあやあ、みなさん、バレンタインおめでとう!」ロックハートが大きく叫んだ。「今までのところ、四十六人の皆さんが私にカードをくださいました。どうもありがとう! ご覧ください、皆さんをちょっと驚かせようと思いましてね、私がこのように飾り付けさせていただきました。しかも、これが全てではありませんよ!」

 ロックハートがそう言って両手を打ち鳴らすと、玄関ホールに続く大きな扉から、無愛想な顔をした小人が十二人ほど列を作って入ってきた。しかも、その小人たちは金色の翼をつけ、ハープを手に持っている。

「私の愛すべき配達キューピットたちです!」

 あれがキューピットと呼べるのなら、悪魔だって立派なキューピットになれるだろうと思いながらルイスはいつものように、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。

「今日はこのキューピットたちが学校中を巡回して、皆さんのバレンタインカードを配達します。さあ、先生がたもこのお祝いのムードにはまりたいと思っていらっしゃることでしょう! スネイプ先生に愛の妙薬の作り方を見せてもらったらどうですか? フリットウィック先生は魅惑の呪文について、私が知っているどの魔法使いよりもよくご存じでいらっしゃいます。そ知らぬ顔をして、実に憎いですね」

 フリットウィック先生はあまりのことに両手で顔を覆い、セブルスはセブルスで、愛の妙薬を習いにきた最初の生徒には、特製の毒薬を飲ませてやる、とでも言いたげな顔をしていた。

 朝食を終えたハリー、ロン、ハーマイオニーは大広間を出ていこうとしたが、ルイスだけが全く逆の方向に足を進めようとしているのを見て、ロンがぎょっとした。

「君、どこに行くつもりだい? まさか、ロック――」

「馬鹿なこと言わないで」

 ルイスはロンが最後まで言い終える前に、厳しく睨みつけた。それから、赤いカードをポケットから無造作に取り出すと、ロンの手にそれを押しつけた。

「ハッピーバレンタインよ」

「え……?」

「三人とも先に行ってて。すぐに追いつくから」

 後でね、と言って手を振り、ルイスは教職員席の方に足を向ける。急がないと、最初の授業の準備をしに出て行ってしまうかもしれない。幸い、まだテーブルで食事をしている姿が見えた。ルイスが近づいていって声をかけようとすると、それより先に、最も話し掛けられたくない人物が声をかけてきた。

「おやおや、Miss.ジュリアード、どうしました?」

 そう言ったロックハートの顔は、明らかに何かを期待している。貼り付けたような笑顔が不愉快だった。ぱちん、ぱちん、としつこいほどウィンクを繰り返しているのを見て、目にごみが入ったのですかと嫌味を言ってやりたくなる。

「私に何かご用かな? バレンタインカードなら、まだまだ受け付けておりますよ」

 徐々に近づいてくるロックハートから逃げるように後退りをしていると、背中にとんと、何かがぶつかった。微かに香る薬草の匂いに振り返ると、そこには苦々しげな表情を浮かべたセブルス・スネイプが立ちはだかっていた。

「この子は私が呼んだのだ、ロックハート」

 セブルスはそう言うと、ルイスの肩に手を置いて自分の方へ引き寄せ、背を押しながら大広間を出た。もう多くの生徒は一時限目の教室に移動した後なのか、大広間付近にはほとんど見当たらない。それでも、残り数人の生徒たちはセブルスに捕まったグリフィンドール生を見て、哀れそうに顔を顰めていた。

「何をしている。早く授業にいきたまえ。遅刻は減点対象だ」

 そういえば、今日の一時限目の授業は魔法薬だったと思いながらも、ルイスはポケットに手を入れて一枚のカードを取り出した。黒いカードに紺のリボンが結んである。それを目の前に差し出すと、セブルスはこれ見よがしに不快そうな顔をした。

「何のつもりだ」

「バレンタインカードだけれど」

「それがどうした」

「どうしたなんて言わないで、こういうときありがとうと言って受け取ってくれたらいいのに」

「なぜ私が礼を言わなければならないのだ?」

「セブルスは」ルイスは呆れながら目の前の人物を見上げるが、セブルスはその呆れさえ失わせるほどの恐ろしげな表情を浮かべていた。「そういうところが不器用なんだよね」

 ルイスがそう言うと、セブルスはとても驚いたような顔をして、一瞬だけ大きく目を見開いた。とても珍しい表情だ。

「これ、セブルスのために書いたの。黒いカードなんて珍しいでしょう? ピンク色なんかよりずっと趣味がいいと思うし、せっかくだから受け取ってよ。じゃあ、授業でね」

 ルイスはそう言うと、セブルスの手にカードを押し付けた。条件反射で受け取ってしまったのだろう、セブルスはこんなものはいらんとでも言いたそうに口を開きかけたが、ルイスはそれを無視すると、魔法薬学の授業を受けるために地下への階段を駆け下りた。

 小人たちは一日中教室に乱入しては、バレンタインカードを配り、先生や生徒たちを心底うんざりとさせた。そんななか、グリフィンドール生が午後の呪文学の教室に向かって歩いていると、突然小人がハリーに向かって突進してきた。

「あなたにです! アリー・ポッター」

 その小人は頭に響くような高い声で叫びながら、人の群れを肘打ちで蹴散らし、どんどんハリーに近づいてくる。ルイスはそれを見て、心の底から嫌な予感がした。周囲には一年生が――その中にはジニーの姿もあった――いたので、一層恥ずかしかったのか、ハリーは顔を真っ赤にさせてその場から逃げ出そうとした。ところが、小人はハリーが逃げ出してしまう前に大急ぎで立ちふさがり、はあはあと乱した呼吸を整えながら、苦しそうに言う。

「アリー・ポッターに、直々にお渡ししたい歌のメッセージがあります」

 カードではなく歌なのねと思いながら、ルイスは呆れ果ててため息を吐いた。

「だ、駄目だよ。ここでは受け取れない」

 ハリーは歯をぎりぎりと食い縛ってそう言い、その場から逃げ出そうと必死になっていた。だが、そうするたびに小人は頑なにハリーの鞄をつかんで放さず、絶対に逃がすまいという意志を固くさせている。

「嫌だ! 放して!」

 ハリーの鞄は両側から物凄い力で引っ張られ、とうとう真っ二つに裂けてしまった。ルイスも急いで鞄の中身を拾うのを手伝ったが、インク瓶が割れてしまったのか、教科書や杖、羊皮紙などがインクで汚れてしまっている。

「ハリー、少し落ち着いて――」

「これはこれは、何をしてるんだ?」

 ルイスの言葉を遮るように、ドラコ・マルフォイの冷たく気取った声が聞こえた。ハリーは破れた鞄の中にこぼれ落ちた物を無我夢中で放り込み、とりあえず逃げ出したいと考えているようだ。破れた鞄に入れたところで、またこぼれてしまうことなど分かり切っているのに、今のハリーにはそんなことを考えている余裕などないようだった。

「この騒ぎは一体何だ?」

 どうしてこうも、次々と厄介な人たちがやってくるのだろう。ドラコの次はグリフィンドールの監督生、パーシー・ウィーズリーだ。

 ハリーの体は一瞬びくりと震え、今度こそ逃げ出してやろうと手に持っていた荷物を放り出したが、それでも小人はハリーの膝にしっかりと掴み掛かり、その弾みで床にばったりと倒れこんだ。

「これでよし」小人は満足気に言った。「あなたに歌うバレンタインです」

 あなたの目は緑色、青い蛙の新漬のよう

 あなたの髪は真っ黒、黒板のよう

 あなたが私の物ならいいのに、あなたは素敵

 闇の帝王を征服した、あなたは英雄

 

 ルイスは結局我慢ができず、尚も歌い続けようとしている小人に向かってこっそりと杖を振った。すると、小人は歌うことをやめたが――実際には止めさせたのだが――代わりに人垣がどっと笑いに包まれた。ハリーも何とか皆と笑っていたが、明らかにその笑いは乾いている。

 ルイスは小人の首根っ子をつかんでハリーの上から退かすと、小人の耳元に口を寄せて囁いた。

「今すぐここから立ち去らないなら、鼻をふたつに増やしてあげる」

 そう言うと同時にかけていた魔法を解いてやり、人垣の方へ押し出した。

「さぁ、もう行った、行った。鐘は五分前に鳴ったぞ、今すぐ教室に戻れ」振り返ると、パーシーが下級生たちを追い立てているところだった。「マルフォイ、君もだ」

「ドラコ、それは――」

 ルイスは慌てて手を伸ばしたが、地面に落ちたトム・M・リドルの日記帳を拾ったのは、ドラコの方が少し早かった。

「それは返してもらおう」

「ポッターは一体これに何を書いたんだろうねぇ」

 ドラコは何を勘違いしているのか――表紙の年号に気がつかないなんて、あの目は節穴に違いない、とルイスは思った――それをハリーの日記帳だと勘違いをしているらしい。見物人も静まり返り、その中にいたジニーは顔を引きつらせながらドラコとハリーを比べるようにして見ていた。

「マルフォイ、それを渡すんだ」

 パーシーが監督生の権限だといわんばかりに胸を張って、P、バッジを見せ付けた。

「すこし見てからでもいいだろう?」

 ドラコがそう言ってリドルの日記帳をちらつかせると、パーシーはまた何か言ったようだった。しかし、それ以上にハリーの我慢は限界に達していたらしく、破れた鞄の中から杖を取り出して一声叫んだ。

「エクスペリアームズ!」

 クリスマス休暇前に行なった決闘クラブが今やっと、初めて役に立ったとルイスは思った。日記帳はドラコの手から飛び出し、宙を舞ってロンの手のなかに収まった。その一連の流れにルイスが思わず口笛を吹くと、ドラコは間違いなくこちらを睨んだ。

「ハリー、廊下での魔法は禁止だ! 残念だが、先生に報告しなければならない」

 ドラコはハリーの行動とルイスの態度に怒り狂っているように見えた。ドラコは何かを言いたげにこちらを睨んだままだが、ルイスはそのすぐ横を通り過ぎてハリーたちと並び、呪文学の教室に向かった。

 教室に入ると、遅れてやってきた三人をハーマイオニーは少し咎めるように見た。ルイスはハーマイオニーの隣に座り、ハリー、ロンと続く。ハリーの鞄はまだ破けたままで、ほとんどの物が赤インクに染まっていた。それなのに、その中には不自然に綺麗なままの物が混ざっている。トム・M・リドルの日記帳だ。

「……どうしてこの日記だけ汚れてないの?」

 ルイスはハリーの耳元でこっそり囁いた。すると、ハリーも日記帳を取り上げて不思議そうに首を傾げた。

「本当だ。でも、どうしてだろう」

「一緒に鞄に入れていたのでしょう?」

「うん。それなのに、変だな」

 その日の夜、ロックハートの配達キューピットたちのせいで気分を害されたセブルスが大量に出した宿題を片付けながら、ルイスはフレッドとジョージの歌う、あなたの目は緑色、青い蛙の新漬のよう、がうるさくて、うんざりとしていた。ハリーはもっとうんざりしているようで、しばらくすると男子寮の寝室に引き上げていってしまった。

「フレッド、ジョージ。少し静かにしてくれない? 集中できないわ」

 とうとうハーマイオニーが痺れを切らした。フレッドとジョージは相当その歌が相当気にいったようで、ハリーがいなくなったというのに、まだ尚歌い続けていたのだ。すると、双子たちは顔を見合わせてつまらなそうに肩を竦め、リー・ジョーダンのところへ行ってしまった。

「ねぇ、ルイス。ここなんだけど」

「ん? 何?」

「魔法薬学の宿題よ。ちょっと聞きたいんだけど」

 ハーマイオニーが宿題について聞いてくるなど珍しいと思いながら、ルイスはそれにすらすらと答えていく。別に自慢ではなかったが、去年の成績は魔法薬学と変身術ではハーマイオニーを抜いて学年で一番だった。しかし、そのことを知る人はあまりいない。知っているのは担当の教授と、ハリー、ロン、ハーマイオニーくらいのものだろう。ルイス自身、騒がれることがあまり好きではないので、ハーマイオニーが全てにおいて一番だと思っていてもらった方が、とても都合が良かった。

「本当、どうしてルイスがそんなに色々詳しいのかが分からないよ」

 ロンがハーマイオニーの魔法薬学のレポートを覗き込もうとしながら不思議そうに言った。すぐ気がついたハーマイオニーは、するすると羊皮紙を巻き取り、じろりとロンを睨みつけた。

「ルイスはとても優秀よ。分かっているとは思いますけど、ルイスの成績は――」

「そんなことはハーマイオニーに言われなくたって分かっているよ。だけど僕、ルイスが君みたいに勉強をしているところなんて見たことがないんだ」

「勉強? 今やっているけれど」

「今やっているのは勉強じゃなくて、宿題だろ? ハーマイオニーは分かるよ、見ての通り本の虫だし」

「あたしだって本が好きだよ」

「ルイスはきっと、誰も見ていないところでたくさん努力をしているのよ! そんなことを言っている暇があったら、ロン、あなたは自分の宿題をどうにかしたらいかがかしら」

 別に隠れて努力をしているつもりもなかったが、これ以上何かを言うのも面倒だったので、ルイスは特に否定もせず、肯定もせずに黙っていることを選んだ。

 ルイスの頭の中に入っている知識のほとんどは、ホグワーツの入学前に仕入れたものだった。遊ぶ物もなかったし、遊び相手もいないので、ルイスのおもちゃは地下室の本だけだったのだ。暇ができれば森に入るか、地下で読書をしていた。ラウルも暇そうに見えてあまり暇ではなかったので、家にひとりでいることもあった。そのせいで知識ばかりが勝手に蓄積され、下手をするとただの知ったかぶりだ。

「ねえ、ハーマイオニー。ほんの少しでいいから宿題を見せてよ」

「駄目よ! 期限までまだ随分あるんだから、自分の力でやりなさい」

「君だってさっきルイスに宿題のことで聞いていただろ?」

 やっとフレッドとジョージが静かになったと思ったら、今度はこれだ。ルイスは早々と終えてしまった魔法薬のレポートをぐるぐると巻き取りながら、ふと思い出した。

「あ、そうだ」

 ルイスは手に持っていたものを放り出し、椅子から立ち上がると談話室の窓際まで大急ぎで駈けていった。ロンとハーマイオニーはその意味不明な行動をきょとんとして見ていた。

 窓にへばりついて夜空をぐるりと見回し、ため息を吐く。やはりそうだ。

「ルイス? どうかしたの?」

「行かないと」

「行く? 行くって、どこへ行くの? もう談話室から出てはいけないのよ。先生に見つかってしまったら大変じゃない」

「大丈夫。ちょっと行ってくるね」

 ルイスは荷物をそのままに、魔法薬の宿題だけを手に持って談話室を出た。

 二階までの最短ルートを辿って大理石の階段を駆け下り、地下牢の方に向かって更に階段を下りる。それから魔法薬学の教室の前を通り過ぎると、その次の扉の前で足を止めた。一呼吸おいてから、扉を叩く。外出禁止時間にグリフィンドール生がセブルス・スネイプの研究室の前に立っているところを見られたとしても、他の生徒たちは間違いなく処罰を受けにきたのだと思うだろう。

「入りたまえ」

「――あ、失礼します」

 最初、何気ない顔をして扉を開けたルイスだったが、研究室の中に先客がいるのを見ると、慌てて挨拶を口にした。

 一体何の話をしていたのか、そこにいたのはドラコ・マルフォイだった。ドラコはスリザリン生で、セブルスはスリザリンの寮監なのだから、ここにいたところで少しもおかしくはないが、時間が時間だ。そのことに対して自分がとやかく言うのはお門違いではあるがと思いながら、ルイスは小さく咳払いをする。

 セブルスは机に座り、ドラコはその前に立っていた。ドラコは驚きの表情を隠そうともしなかったが、セブルスはルイスを一瞥しただけで、またドラコに視線を戻した。

「Mr.マルフォイ。話がそれで終わりなら寮に戻りたまえ」

 ルイスは扉を閉めて、その場に立っていた。ドラコは不可解そうに、こちらとセブルスを見比べている。ルイス自身にも、このような夜遅くに魔法薬の教授であるスネイプ先生には、呼び出される理由が思いつかなかった。もしこれがハリーなら話は別だが、ルイスの場合はドラコにも理由は思いつかないようだった。

「先生、どうして彼女が――」

「Mr.マルフォイ、聞こえなかったのかね」

「……はい」

 ドラコは研究室を出ていくとき、何かを言いたげな視線をこちらに向けたが、ルイスはそれを綺麗に無視した。こちらにはしっかり無視をする理由があると思ったのだ。午後の授業、呪文学の前にあったことを考えれば、ドラコは無視をされて当然だろう。

 ルイスは扉の近くに立ったまま足音が遠退いていくのを聞いてから、セブルスに向き直った。

「ごめんなさい。薬のこと、すっかり忘れていて」

 今日は新月だったので、薬を服用する日だったのだ。ルイスが苦笑まじりに謝ると、セブルスは無言のまま机から立ち上がって、部屋の奥へ入っていってしまった。

 ここは相変わらず鬱々としている。四方を囲う棚の中にはホルマリン漬けされた何かの目玉やら、貴重な薬の材料までもが几帳面に並べられていた。全体的に薄暗く、書き仕事をするには目に負担がかかるだろう。

 研究室に戻ってきたセブルスはルイスにゴブレットを差し出し、また無言のまま椅子に座った。

 ルイスはその様子を不思議なものでも見るように眺めながら、特に美味くも不味くもない薬を一気に飲み干した。飲み終えたあとゴブレットを机の上に置いたが、その近くには今朝、ルイスが渡したカードが無造作に置かれているのが目に入る。捨てられていないだけ上出来だ。

 セブルスの口数がいつも以上に少ないのはこのせいかと思い、ルイスはカードを摘み上げようと手を伸ばしたが、その隣に英語とは異なる文字の羅列の本を見つけて、そちらを物珍しそうに取り上げた。

「この本、とても貴重なものでしょう?」

 ルイスはその本を手に持ったままセブルスを見やった。セブルスは採点途中のレポートから顔を上げて、ルイスを見る。そして、ああ、その本か、とでも言うように軽く息を吐いた。

「セブルスって古代ルーン文字が読めたのね」

 ルイスが感心したように何度か頷いてみせると、セブルスは何を言っているのだというふうに眉根を寄せて、当たり前のようにそれを否定した。

「簡単なものならば読めるが、それは無理だ。その本は古代も古代、既に失われて久しい表現が多用されている。私には、すべてを解読することは不可能だろう」

「何だ、読めないのか」

 酷く落胆したように言うのをセブルスは軽く睨みつけたが、ルイスが羊皮紙を手に持っているのを見つけると、それはなんだね、と言って話を逸らした。

「ああ、これ、魔法薬学のレポート。書き上がったから、ついでに持ってきたの」

 ルイスはそう言うと、レポートを机の上に置いた。しかし、その目は古代ルーン文字で書き記された本に向けられている。今は宿題のことよりも、その本に酷く興味がそそられた。

「それより、この本をどこで手に入れたの?」

「……忘れ物だ」

「え?」

「知り合いが忘れていったものだ」

「――忘れ物、ね」

 間抜けな人もいたものだとルイスは思った。こんな価値のある本を忘れていくなんて、普通なら考えられない。ルイスは最後のページを開いて文字の羅列を撫でた。

「『月に眠る私を見つけて。叶わなくてもいいから』」

「なっ……!」

「『どうか私を思い出して。叶わなくても望んでしまうの。私は月に囚われて、行き場を失った哀れな兎』」

「それが読めるのか?」

「文字が読めないで、どうしてこの本が貴重だと分かるの?」ルイスは思わず呆れたようにセブルスを見た。「古代ルーン文字なら、ラウルだって読めるでしょう? あたしの家にある古い本の半分くらいはルーンで記されてるものだし、それに、気づかなかった? ジュリアードの屋敷には、ルーンの守りが刻まれているのだけれど」

 この本は古い詩集のようだった。ホグワーツでは三年生になると、選択科目で古代ルーン文字という教科が出てくるらしいが、そこではそれぞれの言葉の意味や呪いの方法しか学ばないのではないかと、ルイスは思っていた。読み書きを学ぶならば、もっとルーン文字を言葉として理解できる魔法使いや魔女がいてもおかしくないはずだ。

 以前、ラウルはジュリアードの一族とルーンの繋がりは深いのだと、そう教えてくれたことがある。ルイスは物心がついた頃にはもう既にこの文字を読むことができていたし、覚えることにもあまり苦労をした覚えはない。

 セブルスの言っている知り合いとはラウルのことではないかと、ルイスは一瞬そう考えたが、それはすぐに違うと思い直した。もしラウルだったら、セブルスはラウルの忘れたものだと言うはずだ。

 ルイスは何故か、この本の持ち主に会いたくなった。

「……そうか、そうだった」

「セブルス?」

 ぶつぶつと独白を繰り返すセブルスの顔を怪訝そうにルイスが覗き込むと、その近づいてくる顔に、セブルスは最高の顰め面を向けて立ち上がった。

「用が済んだのなら早く寮に戻るんだ。その本なら貸してやる」

「え? だけど、忘れ物だって」

「もう取りには来ないのだ」ルイスはセブルスの顔を見て、思わずはっとした。物悲しげな表情を浮かべ、その目は暗く陰っている。「それに、私が持っていても仕方がない。さあ、早く寮に戻りなさい」

「ちょ、ちょっと、待ってよ、セブルス――!」

 ぐいぐいと腕を引っ張られたルイスは、有無を言わせず廊下に放り出された。何とか引き下がろうとするものの、鼻先で扉が閉められてしまう。ルイスは思わずため息を吐いた。視線を手元に落とすと、一冊の本が握られている。とても薄い本で、古い本のはずなのに、未だ新品のような美しさを保っている。

 いつまでもここに留まっていたところで仕方がないと思い、ルイスは階段を上ってグリフィンドール塔を目指した。さすがに、この時間帯になると校内を徘徊している生徒はいない。ルイスはまるで、世界にひとりだけ取り残されたような気持ちになった。それほどまでに、ホグワーツ内は酷く静まり返っている。

 ルイスはセブルスの表情を思い出しながら、この本の持ち主はセブルスにとって一体どのような人物なのだろうと考えた。もしかしたら、とても大切な人なのかもしれない。

 そのようなことをぶつぶつと呟きながら歩いていると、三階に上ってきた辺りで、突然小男が飛び出してきたので、ルイスは思わず後ろに飛び退いた。ポケットに手を忍ばせ、杖の柄を握り締める。

「何だ、脅かさないでよ」

 それは、ポルターガイストのピーブズだった。ピーブズはきょとんとした顔でルイスを見ていたが、すぐにいつものにやにやとした笑いに取って代わると、目の前をふわふわと行ったり来たりした。

「こんなところで何してる? 今日はひとりなのかな? あのいやーなポッターはどこかな?」

「ハリーなら寮にいるよ。今はあたしひとりだけ」

 ルイスは平然とそう答え、ピーブズの脇を通り過ぎた。するとピーブズは何を思ったのか、ルイスの後ろをひょこひょことついてくる。ルイスはそれを怪訝に思ったが、いい機会だと思い、思っていたことを聞いてみることにした。

「ねえ、どうしてピーブズはあたしにだけ悪戯をしないの?」

「して欲しいのか?」

「別に、そういうわけではないけれど」

 ルイスは何だかおかしな気持ちになった。自分があのピーブズとまともな会話を交わしている。思わずくすくす笑うと、ピーブズは少し難しい顔をしてこちらを見た。

「なに?」

 そう言って首を傾げると、ピーブズは天井高く飛び上がった。

「お前も、お前の父親も、からかい甲斐がないからさ! そういう意味なら、あのカトレットもその息子もおーんなじ。つまーんない!」

 ピーブズはそう言い残し、ルイスの言葉など聞こうともしないで、どこかへ飛んでいってしまった。

 ハリーたちにピーブズとまともな会話をしたと言ったら、どういう顔をするだろう。きっと、誰も信じてくれないに違いない。

 気がつくとグリフィンドール寮の前に到着していたルイスは、まさかとは思いながらも、ピーブズが自分を寮まで送ってくれたのではないかと、そう考えないわけにはいかなかった。

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