一度目は自分で、二度目はセブルスを連れてきて、そして三度目はルイス、セブルス、そしてマクゴナガル先生の三人でその文字を見ていた。
それを目の当たりにするなりマクゴナガル先生は蒼白な顔になり、ルイスは貧血でそのまま卒倒してしまうのではないかと心配になる。それでもマクゴナガル先生はダンブルドアがいない今、自分がどうにかしなければならないと気丈に振る舞おうとし、毅然と頭をあげていた。
「ジュリアード、これをいつ見つけたのですか?」
「魔法史の授業へ行く前です。それからすぐ、スネイプ先生にお知らせしました」
「そうですか、分かりました」
マクゴナガル先生はとても疲れ切った表情でそう言うと、ローブに手を入れて自身の杖を取り出した。そして、それを自分の喉元に突きつける。
「ソノーラス」
それは声を拡声させる呪文だった。
「生徒は全員、それぞれの寮にすぐ戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集まりください」
マクゴナガル先生はそう言うと、また杖先を喉元にあてた。
「クワイエタス」
マクゴナガル先生はしばらくの間、新しくそこに書き記された文字を睨んでいたが、すぐにセブルスを見るといつものような凛々しい面持ちになった。
「こうなったからには、ダンブルドア先生にもお知らせしなければなりません。私はクラスに戻って生徒を寮に戻らせてから校長に手紙を書き、それが済んだら職員室に行きます。ジュリアードを寮まで送っていただけますか」
「分かりました――来い」
ルイスはセブルスに腕を引かれながら後ろを振り返り、マクゴナガル先生の背中が見えなくなると、前に向き直った。
「こんな事になったのに、あのことをまだ話さないの?」
「君の言ったことがすべて事実だったとしても、秘密の部屋への入り口が分からないかぎりはどうすることもできん。どちらにしろ、ホグワーツを閉鎖することになるだろう」
「閉鎖なんて……」
それもこれも、ダンブルドアがいなくなったからだ。ダンブルドアがいれば、ジニーは部屋に連れ去られないで済んだかもしれない。自分が日記帳をあのまま預かっていれば、ジニーは部屋に連れ去られないで済んだかも――。
「いいかね。寮監が談話室へ行くまでは、大人しくしているのだ」
グリフィンドールの寮の前まで来たところでセブルスが言った。そのまま立ち去ろうとする背中に、ルイスは慌てて声をかける。
「待って。ウィーズリー家の人たちには、あのことを伝えてもいいでしょう?」
「……遅かれ早かれ分かることだ」
セブルスはそう言い残すと、今度こそルイスに背中を向けて来た道を戻っていった。話してもいいのだというふうに解釈したルイスは、何度か深呼吸を繰り返してから、合い言葉を唱えて肖像画の穴をよじ登った。
談話室内はやけに騒がしかった。また誰かが襲われたのだろうか、スリザリンの継承者とはいったい誰なのだろう。
ルイスは出入り口付近で一度立ち止まり、談話室をぐるりと見回した。しかし、どこを見てもハリーとロンの姿が見えない。部屋に戻ってしまったのだろうか。心を落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返してから、騒がしい双子たちをどうにか大人しくさせようとしているパーシーのところへ足を向けた。
「パーシー」
ルイスはできるだけ、いつもの調子で声をかけた。声をかけられたパーシーは、ルイスから声をかけてくるとは珍しいと思ったのか、少し不思議そうに首を傾げた。
「フレッド、ジョージにも話があるの。ロンはどこ?」
すると、双子たちはそろって談話室をきょろきょろと見渡し、首を横に振った。
「そういえばロニー坊やはどこに行ったんだ? ハリーもいないな」
「ジニーもいないぞ」
ルイスは今になって、どう伝えればいいのかが分からなくなった。ジョージの口からジニーという名前が出てきたので、尚更言いづらくなってしまった。
「ルイス、どうした?」
フレッドが蒼白になっているルイスを心配そうに覗き込んだ。
「ジニーのことなんだけどね」
「ジニーがどうかしたのか?」
フレッドが何かを察したのか、神妙な顔つきでルイスの肩を掴む。ルイスはもう一度大きく息を吸い込むと、今度こそ意を決して言ってしまおうと思った。
「ジニーが、秘密の部屋に連れ去られたの」
談話室中がこちらの会話に聞き耳を立てていたのか、ルイスがそう口にした瞬間、今までの騒がしさが嘘だったかのように、水を打ったように静まり返った。まるで違う国の言葉で話をされて理解できない、という顔でこちらを見ていた三人のなかで、一番に口を開いたのはパーシーだった。
「ジニーが、秘密の部屋に連れ去られた……?」
「うん、そう」
そう肯定すると、パーシーはルイスの両腕を強く掴み、そしてがくがくと揺さ振った。
「そんな! どういうことだ! ちゃんと説明をしてくれ。どうしてジニーが連れ去られなければならないんだ。ジニーは純血なんだぞ!」
「やめろよ、パーシー」ジョージがパーシーをルイスから引き剥がし、フレッドがそれを抱き留めた。「そんなことルイスに聞いたって分かるわけないだろ」
「ルイスを責めるなよ」
ふたりはそう言って庇ってくれたが、本当はパーシーと同じように詳しい話が聞きたいに違いなかった。しかし、そこまでは話すことができない。誰にも話さないと、ジニーと約束をしたのだ。
「三階の廊下にスリザリンの継承者から、また新しいメッセージがあったの。彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるであろうって書いてあった」
恐らく、あのメッセージもジニー自身が書き残したものだろう。バジリスクにマグル出身者を襲わせたときと同じ状態で、身体を乗っ取ったのだ。
すると、そのとき談話室の出入り口の穴が開いて、そこから蒼白になったハリーとロンが転がり込んできた。ロンは自分たちの兄弟を見つけるなり駆け寄ってきて、ルイスと同じことを三人に話して聞かせた。三人はそれを遮ることはしなかった。
「ハリー……」
ルイスは久しぶりに真っ正面からハリーを見た。ハリーは蒼白な顔のままこちらを見た。
「僕たち、今まで職員室にいたんだ。何があったんだろうと思って、こっそり話を聞こうとしたんだよ」
「うん」
「そうしたら、ジニーが秘密の部屋に連れ去られたって。ルイス、君があれを最初に見つけたって本当なの?」あれというのはあの文字のことだろうと思い、ルイスは黙って頷いた。「職員室でマクゴナガルがそう言っていたから」
間もなくすると、寮監のマクゴナガル先生がグリフィンドールの談話室に入ってきた。マクゴナガル先生は三度目となる同じ話を繰り返し、明日一番のホグワーツ特急で全生徒を帰宅させると、そう説明をした。試験がなくなったと、そう喜ぶ生徒はいなかった。全員が押し黙り、誰も話さなかった。
パーシーは両親にふくろう便を飛ばしに行った後、すぐに自分の部屋に閉じこもってしまった。談話室の片隅に座っていたフレッドとジョージも、日没が近くなるとじっとしていることがいたたまれなくなったのか、寝室に戻っていく。
「ジニーは何か知っていたんだよ」ロンが唐突に切り出した。「だから連れて行かれたんだ。何か秘密の部屋に関することを見つけたに違いない。きっとそのせいでジニーは……」ロンは鼻声だった。涙を必死に堪えるように、激しく目を擦っている。「だって、ジニーは純血だ。他に理由はないだろ?」
ルイスはロンではなく、ハリーを見た。ハリーは窓の外に広がる夕焼けをじっと見つめていた。ルイスもそれに倣って、窓の外に目を向ける。夕日が空を真っ赤に染め上げていた。
「ねえ」ハリーとルイスはロンを見た。「ほんの僅かでも可能性はあるかな。つまり――ジニーがまだ――」
ロンの言いたい事は分かっていた。ルイスもそう信じたかった。ほんの数時間前まで、ルイスとジニーは会話をしていた。おかしなことがあったら言ってくれと、そう言ったのに。放課後は一緒にいてあげると、そう言ったのに。
「そうだ! ロックハートに会いに行くべきじゃないかな?」
ロンが突然そのようなことを言い出したので、ルイスは思わず目を丸くした。
「ロックハートに? どうして?」
するとふたりは自分たちが職員室で見聞きしたことをルイスに話して聞かせた。ふたりはもう、ルイスが自分たちを避けていたことを、何とも思っていないようだった。それ以前に、それを思い出す余裕すらないのかもしれない。
「先生たちがロックハートをけしかけたんだ。ロックハートが秘密の部屋のありかを見つけたとか、怪物の正体が分かったとか、そんなふうに言っていたらしい」
「どうしてそのことを早く教えてくれなかったの!」
ルイスはそう言うと慌てて立ち上がり、肖像画の裏の穴に向かった。すると、更に慌てた様子のハリーとロンが後をついてくる。
「会議が終わってかなり経つ。あなたたち、本当にロックハートが秘密の部屋を見つけ出したとでも思っているの? きっと今頃、自分の部屋で荷物をまとめているに違いない」
ルイスがそう言うと、ふたりはぎょっとしてこちらを見た。
「だけど、僕たちが知っていることを教えれば、どうにかなるかもしれない。秘密の部屋がどこにあるのかとか――」
「そこにバジリスクがいるから注意して行けって? そんなことを言ったら余計に逃げ出しかねない」
ルイスがバジリスクのことを口にすると、ふたり今度、揃って目を丸くした。
「君、どうしてバジリスクのことを知っているの?」
「あなたたちがいつ頃から気づいていたかは知らないけれど、あたしは結構前から気づいていたの。ふたりのことを避けはじめた頃からね。ある先生から、絶対に口外してはならないと脅されていたから、どうしても話せなかった。あなたたちふたりに言ったら、グリフィンドールから百点減点するって」
そう言うと、ふたりはそのある先生というのが誰なのか、すぐにぴんときたようだった。グリフィンドールから百点減点するなど理不尽なことを言うのは、このホグワーツにひとりしかいない。
「あたし、どうしても口を滑らせてしまうと思ったから、あなたたちを避けなくてはならなくて。本当にごめんね」
ロックハートの部屋に着く頃には、周りは既に闇に包まれはじめていた。扉の前に立って聞き耳をたてていると、何やらどったんばったんと騒がしい音が漏れ聞こえてくる。
「それで、最後にひとつだけ聞きたいのだけれど」ルイスはローブのポケットに手を入れ、杖を取り出しながらふたりを振り返った。「肝心の秘密の部屋は、どこにあるの?」
「嘆きのマートルが取り憑いているトイレだと思う」
「……ああ、そういうことか。なるほどね」
ルイスはこのときになって、やっと頭のなかのパズルのピースがすべてぴたりとはまった気がした。五十年前に殺されたのは、あのマートルだったのだ。
ルイスが杖を器用に回しながら頷いている横で、ハリーは緊張の面持ちを浮かべながら扉を叩いた。すると、部屋のなかが急に静まり返る。それからほんの少しだけ扉が開き、そこからロックハートの目だけが覗いた。
「ああ……ポッター君……ウィーズリー君。それからジュリアード嬢も。私は今、少々取り込み中なので、急いでくれるとありがたいのだが……」
「先生、僕たちお知らせしたいことがあるんです。きっと先生のお役に立てると思います」
ハリーはそう言ったが、ロックハートは不満そうに眉根を寄せた。窮地に立たされている自分を救ってくれるような助言を、子供たちが持っているわけがないと、そう言いたげな顔だ。
「つまり――いや――いいでしょう」
ロックハートはハリーとロンの横で杖をくるくると振り回しているルイスを一瞥すると、気が変わったのか三人を部屋のなかに招き入れた。
部屋のなかは案の定、ほとんどすべてのものが取り払われ、片付けられている状態だった。ロックハート自身の肖像画や写真もすべてなくなり、床には大きなトランクが二個並べて置いてある。ローブやら何やらを慌てて畳んだのか、ぐちゃぐちゃになって突っ込まれていた。
「どこかへいらっしゃるのですか?」
ハリーが怪訝そうにそう訪ねた。
「あ、ああ、そうだ。緊急に呼び出されてね。仕方なく、行かなければならない。かわいい生徒たちを置いていくのは非常に忍びないのだがね、これは大人の問題だ、仕方がないのだよ」
「恐くなったから尻尾を巻いて逃げ出すのよね、ロックハート先生?」
もはや自分の学校の先生だとは思っていないルイスは、礼儀もすべてかなぐり捨てて、挑発的ににやりと笑った。そしてまた、指先でくるくると杖を弄んだ。
「僕の妹はどうなるんですか?」
ロンはルイスとロックハートを交互に見比べて、愕然として言った。
「そう、そのことだが……まったく気の毒な話だ」
ロックハートは三人と目を合わせないようにして荷造りを続けた。引き出しを引っ張りだし、なかの物をそのまま鞄の中に流し込んでいる。
「あなたは闇の魔術に対する防衛術の先生じゃありませんか! こんなときにここから出て行けないでしょう! これだけのことがここで起こっているというのに!」
「いや、しかしですね、私がこの仕事を引き受けたときは、職務内容には何も、こんなことは予想だにしていなかったものですから」
「先生、まさかルイスの言う通り、本当に逃げ出すとおっしゃるんですか?」ハリーはまだその事実を受け止めきれていなかった様子で、信じられないと言いたげにそう口にした。「本に書いてあるように、あんなにいろいろな事をなさった先生が、逃げ出すというんですか!」
「ハリー、何を言っても無駄だよ。あんなの全部嘘なんだから。グールを茶漉しで引っ掛ける? 狼人間から村を救った? そんなありもしない作り話を書いている暇があったら、一生鏡に向かって自慢のご尊顔を眺め続けていればいい。そうしていれば周りの人間が不快な笑顔を向けられて気分を害することもないもの」
ルイスが嘲るようにそう言うと、ロックハートは一瞬心外だとでも言いたげな表情でこちらを見たが、すぐに顔を顰めて三人を代わる代わる眺めた。
「ちょっと考えれば分かることだ。私の本があんなに売れるのは、なかに書かれていることを全部私がやったと思うからだとね。もしアルメニアの醜い魔法戦士の話だったら、例え狼男から村を救ったのがその人でも、ほんの半分も売れなかったはずです。本人が表紙を飾ったら、とても見られたものじゃない。ファッション感覚ゼロだ。要するに、世の中はそんなものなんですよ」
「それじゃ先生は、他のたくさんの人たちのやった仕事を、自分の手柄になさったんですか?」
「ハリーよ、ハリー。そんなに単純なものではない。仕事はしましたよ。まずそういう人たちを捜し出す。どうやって仕事をやり遂げたのかを聞き出す――なのでMiss.ジュリアードの言ったことは半分正解で、半分が間違いですね。それから、忘却術をかける。すると、その人たちは自分がやった仕事のことを忘れる。私が自慢できるものがあるとすれば、忘却術の腕でしょう。ハリー、大変な仕事ですよ。本にサインをしたり、広告写真を撮ったりすれば済むわけではないんです」
「馬鹿馬鹿しい」
このときばかりは、自分の身体にセブルスの魂が乗り移ったのではないかと自分でも疑ってしまうほど、ルイスはこれ以上ない冷めた目でロックハートを睨んでいた。
「そんなことをしてまで有名になりたい人の気がしれない。ただの恥知らずじゃない」
「何とでも言ってください」ロックハートはそう言うとトランクを閉め、すべてに鍵をかけた。「さて、と。これで全部でしょう。いや、ひとつだけ残っていました。坊っちゃん、嬢ちゃん方には気の毒ですが、忘却術をかけさせてもらいますよ。私の秘密をぺらぺらとそこら中で話したりされたら、もう私の本が一冊も売れなくなってしまいますからね」
ロックハートが自分の懐から杖を取り出そうとしたとき、ハリーも咄嗟に杖に手を伸ばしたが、その中の誰よりも早く杖を準備していたルイスが、一番に杖を振り上げた。
「エクスペリアームズ!」
すると、ロックハートは後ろに吹っ飛び、壁に激突すると崩れるように倒れた。彼の杖はまるでアクシオの呪文で呼び寄せられるように、ルイスの手に収まった。
「さあ、この杖はどうする?」
そう言うと、ロンがそれを受け取って窓から外に放り投げた。ルイスはこれ以上ない快感を味わい、口の端が自然と上がってしまうのを抑えきれなかった。
「スネイプ先生にあの術を教えさせたのが間違いでしたね」
ハリーはロックハートのトランクを蹴飛ばしながら、荒々しく言った。ロックハートは弱々しい眼差しで三人を見上げた。
「私に何をしろというのかね? 私は秘密の部屋がどこにあるのかも知らない。私には何もできない」
「運のいい人だ」ハリーは杖先を小刻みに動かし、ロックハートをその場に立たせた。「僕たちはその場所を知っていると思う。部屋のなかに何がいるのかも。さあ、行こう」
三人はロックハートを追い立てるようにして部屋を出ると、一番近い階段を下り、例の文字が記されている暗い廊下を通って、嘆きのマートルが取り憑いている女子トイレの入り口まで来た。まずロックハートを先に入らせ、あとに三人が続いた。ロックハートは恐怖で小刻みに震えている。こんなやつにこの一年間授業を教わっていたのだと思うと、ルイスはぞっとした。
嘆きのマートルは、一番奥の小部屋のトイレの水槽に座っていた。
「あら、あんたらだったの。今夜は何の用?」
「君が死んだときの話を聞きたいんだ」
ハリーがそう言うと、マートルの顔つきがたちまち変わった。こんなにも誇らしく、嬉しい質問をされたことがないという表情を浮かべる。
「恐ろしかったわ。まさにここだったの。この小部屋で死んだのよ。よく覚えているわ。オリーブ・ホーンビーが私の眼鏡をからかったものだから、ここに隠れたの。鍵をかけて泣いていたら、誰かが入ってきたわ。何か変なことを言っていた。外国語だったと思うわ。とにかく、嫌だったのは喋っているのが男子だったってことよ。だから、出ていけ、男子トイレを使えって言うつもりで、鍵を開けて、そして――」
マートルはその場でそっくり返って、なぜかとても誇らしげに顔を輝かせて先を続けた。
「――死んだの」
死んだことがそんなに誇らしいのかと聞きたくなるほど、マートルは嬉しそうに見えた。
「どうやって?」
「分からない。覚えているのは、大きな黄色い目玉が二つだけ。身体全体が金縛りにあったみたいで、それからふわっと浮いて、そして、また戻ってきたの」
「その目玉、正確にいうとどこで見たの?」
「あのあたり」
マートルは小部屋の前にある手洗い台の辺りを指した。三人は急いで手洗い台に近寄り、隅々まで調べた。ロックハートは相変わらず恐怖におののいた表情を見せている。じりじりと後退りをする音が聞こえたので、ルイスは振り返ってにこりと微笑みかけた。逃げ出したら呪ってやる。
ルイスがまた手洗い台の偵察に戻るとすぐ、ハリーがあっと声を上げた。銅製の蛇口の脇のところに、引っ掻いたような小さな蛇の形が掘ってあるのを見つけたのだ。
「その蛇口は壊れっぱなしよ」
ハリーがその蛇口を捻ろうとすると、マートルが言った。
「ハリー、何か言ってみろよ。蛇語でさ」
ロンはそう言ったが、ハリーは少し浮かない表情をしていた。そして何かを思案げに考えてから、開け、と言った。
「それ、普通の言葉だよ」
ロンが呆れたようにそう言うと、ハリーは困ったようにルイスを見た。ルイスは少し考えてから、持っていた杖を一振りする。
「サーペンソーティア」
そう呪文を唱えたルイスの杖先からは蛇が飛び出し、湿ったトイレの床にぼとりと落ちる。ハリーはそれを見ながら、今度こそ蛇語で開けと言うことができた。杖をもう一振りして蛇を消した瞬間、蛇口がまばゆい白い光を放ち、回りはじめた。そして、手洗い台が動き出す。
手洗い台はあっという間に沈み込み、見る見る消え去ったあとに、太いパイプが剥き出しになった。大人ひとりが滑り込めるほどの大きさがある。誰かがごくりと息を呑んだ。
「僕はここを降りていく」
ハリーがそう言うので、ルイスはこくりと頷いた。
「一緒に行くよ」
ルイスはジニーに、あなたの力になると約束をしたのだ。秘密の部屋の入り口が見つかったからには、助けに行かなくてはならない。例えそれが微かな望みだったとしても。そこに待っているのが、あの男だとしても。
「僕も行く」
ロンが言った。妹を助けに行くというのに、人任せにできるわけがない。顔にそう書いてあるような気がした。そして一瞬の空白のあと、黙り込んでいたロックハートが口を開いた。
「さて、私はほとんど必要ないようですね。では、これで――」
ロックハートは扉の把手に手をかけたが、ハリーとロンが同時に杖を向けたので、出ていくことは叶わなかった。
「下見役くらいなら、あなたにもできると思うけど」
顔面蒼白で、しかも杖なしのロックハートは、どんどんパイプの入り口に追いやられていく。
「君たち、ねえ、君たち! これが何の役に立つというんだね!」ハリーがロックハートの背中を小突いた。ロックハートはその弾みで、足をパイプに滑り込ませる。「本当に何の役にも――」
ロックハートはまた何か言い掛けたが、今度は思い切りロンが彼の背中を押したので、そのままパイプに滑り落ちて見えなくなってしまった。その後にハリーが続き、ロンも行った。ルイスも続いて入ったが、目の端に一瞬捉えたマートルの顔は、何だかとても嬉しげだった。
パイプの滑り台は、ダイアゴン横丁にあるグリンゴッツ銀行のトロッコを思い出させた。ぬるぬるとしているのが玉に瑕だが、ルイスはこの感覚が嫌いではない。煙突飛行に比べると、天と地ほどの差があった。
四方八方にパイプは枝分かれしていたが、全員が乗っているものは他のパイプよりも随分太いものだったので、道に迷うことは決してなかった。ルイスよりも先に降りた誰かが、どかどかとカーブを曲がるたびにぶつかっている音が聞こえる。そして暫らくするとパイプが平らになり、出口から勢い良く放り出された。
「わ、危ないっ」
ルイスは出口から吐き出されると、真っすぐにハリーの胸に飛び込んだ。ハリーが慌てて抱き留めてくれたので、ばったりと床に倒れ込まずに済んだ。
「ごめん、ハリー。どうもありがとう」
ルイスがそう礼を言うと、ハリーは少し顔を赤くして小さく何か言ったあと、咳払いをした。
トンネルは立ち上がるには十分な高さがあった。ロックハートは全身べとべとで、とてもではないが近寄りたくはなかった。
「学校の何キロもずーっと下の方かな」ハリーの声がトンネル内に反響した。「湖の下辺り?」
「多分ね」
黒いぬるぬるとした壁を見ながら、ロンがハリーの言葉に同意した。ルイスとハリーがほぼ同時に杖灯りを点す。
「行こう」
ハリーが先頭に立って、他の三人にそう声をかけた。床は少し湿っていて、歩くたびに水気を帯びた足音が響く。トンネルは真っ暗で、杖灯りはとても頼りなかった。
「みんな、いいか。何かが動く気配を感じたら、すぐ目を閉じるんだ」
だがしかし、トンネル内は異常なほど静まり返っていた。ロンが踏んだ鼠の頭蓋骨の砕ける音が異常に響くほど、とても静かだった。ハリーが杖を床に近付けると、小さな動物の骨がそこら中に散らばっている。
「ハリー、あそこに何かある……」
ロンの擦れ声がそう言った。四人は立ち止まって、トンネルを塞ぐように大きな曲線を描いている物体を見つめた。
「眠っているのかもしれない」
ハリーはそう言って、三人を振り返った。ロックハートは頼りなく両手で目を覆っている。
「あたしが見てこようか」
「駄目だ、危ないよ」
「ここまで来て、危ないも何もないでしょ」
「僕が見てくるから、君たちはここにいて」
ハリーは杖を高々と掲げながらその物体にじりじりと近づいていった。
杖灯りに照らし出されたのは、巨大な蛇、恐らくはバジリスクの脱け殻だった。毒々しい鮮やかな緑色をした皮が、トンネルの真ん中にとぐろを巻いて横たわっている。ルイスはハリーの隣に移動して、その脱け殻をまじまじと興味深そうに見た。
「何てこった」
ロンが力なくそう言ったので振り返ってみると、何と、ギルデロイ・ロックハートが腰を抜かしていた。ルイスは大きな目を何度も瞬かせ、ロックハートの様子を呆れて見ていた。
「ほら、立てよ」
ロンがロックハートに杖を向け、強い口調で言った。ロックハートは言われた通り立ち上がったと思った――が次の瞬間、ロンに飛び掛かって床に殴り倒した。ハリーとルイスが前に飛び出そうとしたときにはもう既に遅く、ロックハートは肩で息をしながら立ち上がると、その手にロンの杖を握り締めていた。その顔には、輝くような笑顔が戻っていた。
「さあさあ、坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ! 私はこの皮を少し学校に持ち帰り、女の子を救うには遅すぎたとみんなに言おう。君たち三人はずたずたになった無惨な死骸を見て、哀れにも気が狂ったと言おう。さあ、今の記憶に別れを告げるがいい!」
ロックハートはスペロテープでぐるぐる巻きになったロンの杖を頭上にかざし、一声叫んだ。
「オブリエイト!」
その刹那、杖は爆弾のように爆発した。ルイスは頭にローブのフードを被り、その場に蹲った。ハリーがその上に覆いかぶさるようにするのがルイスには分かった。
トンネルの天井から大きな岩の固まりが次々と崩れ落ちてくる。しばらくして静かになったとき、ハリーとルイスはゆっくりと顔を上げた。すると、そこには岩の固まりが壁のように立ちふさがっていた。
「ロン! 大丈夫か? ロン! 聞こえたら返事をしてくれ!」
ハリーはその瓦礫の壁に駆け寄って、大声で叫んだ。
「ここだよ!」ロンの声は、崩れ落ちた岩石の隙間から、かろうじて聞こえるくらいだった。「僕は大丈夫だ。でも、こっちの人は駄目だ――杖で吹っ飛ばされた。ルイスは大丈夫かい?」
「あたしなら大丈夫!」
すると、向こう側からどんっと鈍いと音が聞こえて、アイタッ! という大きな声が聞こえた。ロンがロックハートの向こう脛を蹴っ飛ばしたような音だった。
「さあ、どうする? ここからそっちには行けないよ。何年もかかってしまう」
ロンのその声に、ハリーとルイスは顔を見合わせた。
「ねえ、ルイス。この瓦礫の山を魔法で崩すことは可能だと思う?」
「……やめておいた方がいいと思う」ルイスは思わず苦笑を浮かべた。「可能だけれど、また崩れると思うよ。今度こそ瓦礫の下敷きになってしまうかもしれない」
ルイスがそう言うと、ハリーは神妙な顔で頷き、瓦礫の向こう側に聞こえるように声を張り上げた。
「そこでロックハートと一緒に待ってて! 僕と――僕とルイスが先に進む! 一時間経って戻らなかったら――」
ハリーとルイスはもう一度顔を見合わせて、そして頷きあった。物言いたげな沈黙の後、ロンが向こう側で叫んだ。
「僕は少しでもここの岩石を取り崩してみるよ。そうすれば君たちが帰りにここを通れるだろ?」
「あ、ああ、そうだね」ハリーが頷いた。「それじゃ、またあとでね」
「よろしく、ロン」
ハリーの声は微かに震えているようにも聞こえたが、ルイスの声は凛と力強い意志が込められているように聞こえた。
暫らくの間、ただくねくねと何度も曲がっている道が続いた。神経を研ぎ澄まし、どこかからバジリスクが飛び出してくるのではないかと注意をしながら、ふたりは互いを支え合うようにして歩みを進めた。そして、またもうひとつ角を曲がった途端、ついに前方に壁が見えた。二匹の蛇が絡み合った彫刻が施してあり、蛇の目には輝くエメラルドがはめ込まれている。
「開け」
再度ハリーが口にした蛇語で、壁はふたつに割け、絡み合っていた蛇が別れた。両側の壁がするすると滑るように見えなくなる。ふたりはまた顔を見合わせて、一歩、その部屋の中へ足を踏み入れた。