ハリーとルイスは細長く奥へと延びる、薄明かりの部屋の端に立っていた。またしても蛇が絡み合う彫刻を施した石の柱が高くそびえ、高すぎて暗闇に飲み込まれている天井を支えている。
ルイスはなぜか、こんなときにでも自分がまだ落ち着いていて、そして冷静でいられる事実に驚きを隠せずにいた。耳を澄ませてバジリスクの気配を窺い、ハリーの様子を見ながらジニーを探す余裕すらある。
ふたりは杖を握り締めたまま、左右一対になっている蛇の柱の間を前進した。それにしても、趣味の悪い部屋だ。サラザール・スリザリンとは、そんなに蛇が好きだったのだろうか。最後の一対の柱のところまで来ると、部屋の天井に届くほど高くそびえる石像が、壁を背に立っているのが目に入った。巨大な石像は、年老いた猿のような顔をしている。長い顎髭がその魔法使いの流れるような石のローブの裾辺りまで延び、その下に灰色の巨大な足が二本、床を踏みしめている。これがその、サラザール・スリザリンなのだろう。
そして、その足元には、燃えるような赤毛のジニー・ウィーズリーの小さな身体が、俯せに横たわっていた。
「ジニー!」ふたりは競うようにしてジニーに駆け寄った。「ジニー、死んじゃだめだ。お願いだから生きて!」
ハリーは杖を脇に投げて、ジニーの肩を掴むと仰向けにした。ルイスはその脇に膝をつき、ジニーの手を取る。それは氷のように冷たかったが、まだかろうじて脈はあるようだった。
「ジニー、お願いだ。目を覚まして」
ハリーはジニーを揺さぶり、必死でそう囁き続けた。しかし、ジニーの頭はだらりと項垂れ、されるがままにぐらぐらと揺れる。
「その子は目を覚ましはしないよ」
物静かな声がした。ハリーの声でも、ジニーの声でも、もちろんルイスの声でもない。
ルイスがフードを被った状態のまま顔を上げると、背の高い黒髪の少年が、すぐ傍の柱にもたれてこちらを見ていた。涙のいっぱい溜まった目で見ているかのように、少年の輪郭がひどくぼやけているように見える。
「トム――トム・リドル?」
「彼がトム・リドルなの?」
ルイスが小声でそう訊ねると、ハリーはこちらを見ずにこくりと頷いた。
とてもハンサムな少年だった。青黒い、人を惹きつけるような目をしている。しかし、リドルは招かれざる客でも見るようにルイスを一瞥してから、またハリーを見た。
「目を覚まさないって、どういうこと? ジニーはまさか――」
「その子はまだ生きている。しかし、かろうじてだ」
あれが五十年前にホグワーツに在学していた、トム・マールヴォロ・リドルか。
ルイスは彼を視界に捕らえたまま、そう思った。ジニーのこの衰弱しきった状態を見ると、ジニーの精神力や魔力を吸い上げ、日記の中に閉じ込めておいた記憶を実体化させているのだろう。薄気味の悪いぼんやりとした光が、その姿の周りに漂っている。
「君はゴーストなの?」
ハリーはリドルを見てそう言った。しかしどう見ても、リドルはゴーストには見えない。
「記憶だよ。日記帳の中に五十年間残されていた記憶だ」
そうしてルイスの推測は肯定された。リドルは巨大な石像の足元に開かれた状態のまま置かれている日記帳を指した。
偶然フードを被ったままだったが、それは逆に好都合だったかもしれない。こちらの表情が読まれないで済む。そう思いながらルイスが小さな声で囁きかけようとすると、ハリーはジニーの頭を持ち上げながら、また口を開いた。
「トム、助けてくれないか。ここからジニーを運び出さなければならない。バジリスクがいるんだ。どこにいるかは分からないけど、今にも出てくるかもしれない。お願い、手伝って」
いつの間にか。そう、本当にその言葉通り、いつの間にか、リドルはハリーの杖をその手に持っていた。先ほどルイスがしていたように、くるくると長い指でハリーの杖を弄んでいる。
「君、知らないかな、僕の――ああ、ありがとう」
ハリーは手を伸ばしてリドルから杖を受け取ろうとしたが、リドルはそれをハリーに渡そうとはしなかった。その代わり、リドルは口元をきゅっと上げて美しく微笑む。やはり、リドルには人を惹きつける特別な魅力がある。しかしその笑顔はどこか胡散臭い感じがした。
「聞いているのか? ここを出なきゃいけないんだよ! もしバジリスクが来たら――」
「呼ばれるまでは来ないよ」
ルイスはその言葉に思わず身構えた。やはり、このトム・リドルという少年がジニーを操り、そして、マグル出身者を襲わせていた犯人だ。ルイスが咄嗟に懐に手を入れようとすると、リドルは無言で杖先をルイスに向けた。
――下手な真似をしたら、大変なことになるよ。
微笑んだ顔がそう言っているように見えた。いや、聞こえたような気がした。顔は笑っていても、目が笑っていない。
「何だって? さあ、いいから杖を返してよ。必要になるかもしれないんだ」
「君には必要ないよ」
「必要ないって、どういうこと?」
「僕はこの瞬間をずっと待っていたんだ、ハリー・ポッター。君に会えるチャンスをね。君とこうして話すのを、ずっと楽しみにしていたんだ」
「いい加減にしてくれ!」
ハリーはいよいよ我慢がならなくなった様子で、そう声を荒げた。
「君は何も分かっていないようだが、そちらの子は、もう察しているようだよ。それとも、もうずっと前から気づいていたのかな。ここへ来る、ずっとずっと前からね。そう、今、僕たちは秘密の部屋のなかにいるんだよ。話ならあとでいくらでもできる」
リドルはそう言うと、ハリーの杖をポケットにしまい込んだ。ハリーは衝撃を受けたような表情をリドルに向けていた。
「ジニーはどうしてこんなふうになったの?」
ハリーは自分自身を落ち着かせるように大きく深呼吸をしたあと、そう切り出した。
「そう、それは面白い質問だ。しかも話せば長くなる。ジニー・ウィーズリーがこんなふうになった本当の原因は、誰なのかも分からない、目に見えない人物に心を開き、自分の秘密を洗い浚い打ち明けたからだ」
「言っている意味が分からないけど」
「あの日記帳は僕のものだ。そちらのお嬢さんは何ヵ月も何ヵ月も、その日記帳に馬鹿馬鹿しい心配事や悩み事を打ち明け続けた。兄さんたちがからかう、お下がりの本やローブで学校に行かなければならない、それに」
そう続けるリドルの顔は、酷く愉快そうだ。歪んだ笑みを浮かべ、細めた目でハリーを見た。
「有名な、素敵な、偉大なハリー・ポッターが、自分のことを好いてくれることは絶対にないだろうとかね」
そうして話している最中、リドルは決して視線をハリーから離さなかった。貪るようにハリーを見ている。決して自分の方を見てほしいわけではないのに、ルイスはとても妙な気分になった。なぜか、こちらを見てほしいというような気持ちにさせられている。
「十一歳の小娘が抱くような他愛ない悩みごとを聞いてあげるのは、まったくうんざりだったよ。でも、僕は辛抱強く返事を書いた。同情してあげたし、親切にもしてあげた。ジニーは僕に夢中だった」
リドルは初めて声を上げて笑った。しかし、その声はその顔には似付かわしくない、甲高くて冷たい笑い声だった。
「自分で言うのもどうかと思うけど、ハリー、僕は必要となれば、いつでも誰でも惹きつけることができた。だからジニーは、僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んだんだ。ジニーの魂、それこそが僕のほしいものだった。僕はジニーの心の深層にある恐れ、暗い秘密を餌食にして、徐々に強くなっていった。充分力が満ちたとき、僕の秘密を少しだけ与え、僕の魂をジニーに注ぎ込みはじめた」
「……それは、どういうこと?」
「君はまだ気づかないのかい? ハリー、どうやらお友達は君に何も話していないらしい」質問ばかりを繰り返すハリーに対し、リドルの口調は柔らかだった。「ジニー・ウィーズリーが秘密の部屋を開けた。学校の雄鶏を絞め殺したのも、壁に脅迫の文字を書きなぐったのも、このジニーだ。スリザリンの蛇を四人の穢れた血や出来損ないの飼い猫にけしかけたのも、このジニーだった」
「まさか――!」
ハリーは愕然としてそう呻き、ルイスとリドルを交互に見た。
「そのまさかだ。ジニーは初めのうち、自分がやっていることを全く自覚してはいなかった。おかげで、なかなか面白かったよ。しばらくして日記に何を書きはじめたか、君に読ませてやりたかった。以前よりもずっと面白くなった。ああ、親愛なるトム――」
ハリーの愕然とした顔を面白そうに眺めながら、リドルは日記の内容を空で読み上げはじめた。その内容は、ルイスがジニーの口から聞いたことそのままだった。ハリーは拳を握り、今度はリドルを睨み付けている。
「馬鹿なジニーが日記を信用しなくなるまでに、結構な時間がかかった。しかし、とうとう変だと疑いはじめ、捨てようとした。そこにハリー、君が登場したんだ。君が日記を見つけた。僕は最高に嬉しかったよ。こともあろうに、君が拾ってくれたのだからね。僕が会いたいと思っていた君が、僕の日記帳を拾ったんだ」
「それじゃ、どうして僕に会いたかったんだ?」
ルイスはもう、ふたりにとっては蚊帳の外だった。ただ傍観しているだけの存在だった。それでも、リドルはハリーを見てはいるものの、ルイスのことを多少は気にしているらしい。それもそうだ。ルイスはまだ自分の杖を持っている。攻撃をされては、元も子もないだろう。
「ジニーが君のことをいろいろと聞かせてくれたからね。君の素晴らしい経歴を」リドルの目が、ハリーの稲妻型の傷の辺りを舐めるように、絡め取るように見つめた。「君のことをもっと知らなければ、出来れば直接会って、話をしなければならないと、僕には分かっていた。だから、君を信用させるために、ハグリッドを捕まえた有名な場面を見せてやろうと決めた」
「ハグリッドは僕の友達だ。それなのに、君はハグリッドをはめたんだ。そうだろう? 僕は君が勘違いしただけだと思っていたのに……」
そう言うハリーの声は、怒りでわなわなと震えていた。すると、リドルはまたあの甲高い、聞く者の背筋を凍らせるような冷え冷えとした笑い声を上げた。ルイスはその笑い声に顔を顰めたが、フードのおかげで、リドルからはどのような表情を浮かべているのかなど分かりはしないだろう。
「ハリー、僕の言うことを信じるか、ハグリッドを信じるか、ふたつにひとつだった。当時の校長がそれをどのように取ったか、分かるだろう? ひとりはトム・リドルという、貧しいが優秀な生徒だ。孤児だが勇敢そのものの監督生で、みんなの模範生。だが、もうひとりは図体ばかりがでかくて、どじで愚かなハグリッド。一週間置きに問題を起こす問題児だ。狼人間の仔をベッドの下で育てようとしたり、こっそり抜け出して森の中でトロールと相撲を取ったりしているような、頭のおかしなやつだった。だが、あんまり計画通りにことが運んだので、張本人の僕が驚いたことは認めるよ。誰かひとりくらい、ハグリッドが継承者ではあり得ないと、そう気づくに違いないと思っていた。この僕でさえ、部屋の入り口を見つけるまでに五年もかかったのだから」
リドルはそのとき、初めて声を荒らげた。少し取り乱しているようにも見える。
「しかし、たったひとり、変身術のダンブルドアだけがハグリッドは無実だと考えた。ハグリッドを学校に置き、家畜番、森番として訓練するようにディペットを説得した。そう、多分ダンブルドアには察しがついていたんだ。他の先生方は全員僕がお気に入りだったが、ダンブルドアだけは違っていたからね」
「きっとダンブルドアには、君の魂胆なんかとっくにお見通しだったんだ」
「そうだな、その通りだろう。ハグリッドが退学になってから、ダンブルドアは僕をしつこく監視するようになった」
リドルは事も無げにそう口にした。その程度のことは気にするほどでもない、そういう口振りだった。
「在学中に秘密の部屋を再び開くのは危険だと、僕には分かっていた。でも、探索に費やした長い年月を無駄にするつもりはない。手元にあったその日記帳に、十六歳の自分を保存しようと決心した。いつか時が巡ってくれば、誰かに僕の足跡を追わせ、サラザール・スリザリンの崇高な仕事を成し遂げることができるだろうと信じていた」
「だけど、君はそれを成し遂げてはいないじゃないか」ハリーは勝ち誇ったように言った。「今度は誰も死んではいない。猫一匹たりともだ。後数時間もすればマンドレイク薬が出来上がって、石にされた人たちはみんな元に戻るんだから」
「おっと、これはまだ言っていなかったかな?」リドルは僅かに微笑み、静かに続けた。「穢れた血の連中を殺すことは、もう僕にとってはどうでもいい問題だった。この数ヵ月間の僕の狙いはね、ハリー、君だったんだよ」
ハリーは緑の目を見張った。ルイスはより鋭い眼差しでリドルを睨み付けたが、なかなか懐に手を伸ばす勇気は湧かなかった。もし、もしこの少年が、あの男の五十年前の姿だったとしたら――そう考えると、下手に手出しをしないほうがいいだろうと、そう思ったのだ。
「それからしばらくして、僕の日記帳をまた開いて書き込んだのは、君ではなくジニーだった。僕がどんなに怒ったか。ジニーは君が日記を持っているのを見て、酷くパニックになった。君が日記の使い方を見つけてしまったら、それはまずいことになるからね。だから君たちの寝室に誰もいなくなるのを見計らって、日記を取り戻したんだ。しかし、僕には君がどんなことをしてでも謎を解くだろうと確信していた。君の仲良しのひとりが襲われたのだから尚更だ。それに、君が蛇語を話すというので、学校中が大騒ぎだとジニーが教えてくれた」
君の仲良しのひとりが襲われた――ルイスはリドルのその一言に、腸が煮えくり返ってくるのを感じた。こいつがハーマイオニーを襲ったのだ。しかも、自分の手を汚すのではなく、ジニーを使って。リドルにとってジニーはいい情報源であり、いい駒だったことだろう。
「そこで僕は、もう一度ジニーに壁に文字を書かせ、ここに降りてきて待つように仕向けた。ジニーは泣いたり喚いたりしているだけで、とても退屈だったよ。しかし、この子の命はもうあまり残されてはいない。あまりにも魂を日記に注ぎ込んでしまったからね。つまり、この僕にということだ。僕は彼女のおかげで、ついに日記を抜け出すまでになった。僕とジニーとで、君が現れるのをここで待っていた。まあ、ひとり邪魔は入ったようだが、良しとしよう。ハリー・ポッター、僕は君にいろいろと聞きたいことがあるんだ」
「何を聞きたいっていうんだ」
ハリーはもうほとんど、冷静さなど保ってはいないようだった。そう吐き捨てるように言いながら、硬く握った拳を小刻みに震わせている。握った手の関節が白く浮き上がっていた。
ルイスはリドルに気づかれないように、ハリーの影に隠れて、その手をそっと取った。
「そうだな」リドルはルイスの行動には気づきもせず、上機嫌で愛想よく笑った。「これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、偉大な闇の魔法使いをどのようにして破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君のほうは、たったひとつの傷跡だけで逃れられたのは何故だ?」
リドルの青黒い目がぎらぎらと不気味に輝いた。
「僕がなぜ逃れられたのか、どうして君が気にするんだ? ヴォルデモート卿は君より後に出てきた人だろう?」
「ハリー」
ルイスはここに来て初めて、リドルがいるところにまで聞こえるほどの声を出した。ルイスがハリーの名を静かに呼ぶと、リドルの肩が少しだけ震えたような気がした。
「ヴォルデモート卿が彼より後の人と決め付けるのは、少し違う。彼は五十年前に生きていた人の記憶だから」
「そうだ、ヴォルデモートは僕の過去であり、現在であり、未来なのだ、ハリー・ポッターよ」
リドルはポケットからハリーの杖を取り出し、空中に輝く文字を浮かび上がらせた。三つの言葉が揺らめきながら淡く光った。そう、それは、ルイスがセブルスの部屋で羊皮紙に書いた言葉と、まるで同じだった。
Tom Marvolo Riddle
そしてもう一度杖を振ると、名前の文字並びが組み替えられた。
I am Lodo Voldemort
「さあ、これで分かったね?」リドルはまるで子供をあやしつけるように、優しく囁いた。「この名前は、ホグワーツ在学中には既に使っていた。もちろん、親しい友人にしか明かしていない。汚らわしいマグルの父親の姓を、僕がいつまでも使うと思うか? 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が、汚らわしい、俗なマグルの名を使うとでも? 僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使い続けると思うか? ハリー、答えはノーだ。僕は自分の名前を自分でつけた。ある日必ず、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を、自分で名付けた。その日がくることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになるその日を、僕はある友人から聞いたんだ」
リドルは満足気にそう続けると、持っていた杖先を下に向けた。ルイスは今だとばかりに自分のローブのポケットに手を入れ、杖を取り出した。そして、素早く呪文を詠唱しようと口を開きかけたとき、リドルは息吐く間もなくルイスに杖先を向ける。
「邪魔をしないでもらえるかな。君は僕がヴォルデモート卿だという話を聞いていなかったのかい?」
「そうね、一応は聞いていたと思うけれど」
その凛としたルイスの声に、リドルは今度こそ、本当に肩を震わせたのが分かった。同時に、不可思議そうに眉を顰める。
「でも、所詮はヴォルデモート卿の記憶でしょう? ヴォルデモート卿そのヒトではない」
「それに、君をがっかりさせてとても気の毒に思うけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言っている。君が偉大だったときでさえ、ホグワーツを乗っ取る事も、手出しすることもできなかった。ダンブルドアは在学中だって君のことがお見通しだったし、今だって君がどこに隠れていようと、何もかもがお見通しなんだ。だから君は、未だにダンブルドアを恐れているんだろ?」
ハリーがそう断言すると、リドルの顔が醜悪に歪んだ。美しい顔がまるで台無しだった。
「ダンブルドアは、君のお友達がそう言った通り、僕の記憶にすぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」
「ダンブルドアは決していなくなったりしない」
「ダンブルドアは、君が思っているほど遠くには行ってはいないぞ!」
ハリーとルイスはほぼ同時にそう叫んだ。リドルの表情にほんの僅かな恐怖がちらついたが、その表情もすぐに消え去り、醜い笑顔に取って代わる。
だがそのとき、どこからともなく音楽が聞こえてきた。リドルはくるりと振り返り、趣味の悪い装飾が施された部屋を隅々まで見渡した。音楽は段々と大きくなる。怪しい、背筋がぞくぞくとするような、そんな音だった。
それを聞くことは初めてだったが、ルイスはそれが何かということは知っていた。不死鳥の歌声だ。そう思った瞬間、近くの柱の頂上から炎が燃え上がるのを見た。白鳥ほどの大きさの深紅の鳥が、ドーム型の天井に歌声を響かせながら旋回している。孔雀の羽のように長い金色の尾羽を輝かせ、まばゆい金色の爪にぼろぼろの布のようなものを引っ掛けていた。
ダンブルドアの飼っている不死鳥、フォークスだ。フォークスは真っすぐに滑降してくると、ぼろぼろの布をハリーの足元に落として、その肩に止まった。
「それは不死鳥だな」リドルは忌々しそうにフォークスを睨み付けた。「そして、それは――組み分け帽子だ」
そう、フォークスが持ってきたものは、ぼろぼろの組み分け帽子だった。ルイスをスリザリンに入れたがった、あの組み分け帽子だ。それを見たリドルはまた笑いはじめた。腹を抱えて笑う勢いだった。
「ダンブルドアが味方に送ってきたものはそんなものか! 歌い鳥に古帽子じゃないか。ハリー・ポッター、さぞかし心強いだろう? もう安心だと思うか?」
ハリーの表情が一瞬歪んだ。それはそうだろう。ダンブルドアが味方に寄越したのは、戦いには役に立ちそうもない不死鳥と、お喋りな組み分け帽子だけだ。
けれど、これを送ってきたからには、何か役に立つことがあるに違いない。フォークスの登場に、ハリーの目は強い光を取り戻したように見えた。
「さあ、ハリー、本題に入ろうか」リドルは高笑いを引っ込めると、そう言った。「二回も――君の過去に、僕にとっては未来だが――僕たちは出会った。そして二回とも、僕は君を殺し損ねた。君はどうやって生き残った? すべてを聞かせてもらおう。長く話せば、君たちはそれだけ長く生きていられることになる」
ハリーは自分の手を握り締めているルイスを横目に見た。ふたりは互いに目が合うとその手を強く握り締めて、励ましあうように頷きあった。何かいい策はないか、ハリーの目がそう言っているように見える。ルイスは視線を彷徨わせたあと、微かに顎を引いてから、その手を離した。
「君が僕を襲ったとき、どうして君が力を失ったのかは、誰にも分からない」
ハリーは唐突に、そしてゆっくりと話し出した。ハリーが話している間は、リドルも手を出してはこないだろう。ハリーが話を延ばして、時間を稼いでくれる。
ルイスは必死に頭を働かせた。しかし、考えても考えてもいい作戦は浮かんでこない。ダンブルドアにはどういう意図があって、フォークスと組み分け帽子を送って寄越したのだろう。ルイスには想像することも出来なかった。
「僕自身にも分からない。でも、なぜ君が僕を殺せなかったのかは、僕にも分かる。母が僕を庇って死んだからだ。母は普通の、マグル生まれの魔女だった。君が僕を殺すのを、母が食い止めたんだ。僕は本当の君を見たぞ。未来の君の成れの果てだ。今、この時代の君は無様にも逃げ隠れしている! 醜い! 汚らわしい姿で!」
リドルの顔が、文字通りに歪んだ。
しかし、次の瞬間には、ぞっとするような笑顔を浮かべていた。
「そうか。母親が君を救うために死んだのか。なるほど。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。分かったぞ――結局君自身には、特別なものは何ひとつないわけだ。実は何かあるのではないかと思っていたんだが……ハリー・ポッター、何しろ僕たちには不思議に似たところがある。君も気づいているだろう? ふたりとも混血で、孤児で、マグルに育てられた。偉大なるスリザリン自身以来、ホグワーツに入学した生徒の中で蛇語を話せるのは、たったふたりだけだろう。見た目もどこか似ている。しかし、僕の手から逃れられたのは、結局幸運だったからに過ぎないんだ。それだけ分かれば、もう十分――」
「それは違う」
ルイスは無意識のうちに杖をくるくると弄びながら、そう言った。先ほどから不思議に思っていたが、リドルはルイスが一言声を出すたびに、過剰に反応している。
「サラザール・スリザリン以降にホグワーツで蛇語を話せた生徒は、あなたたちふたりだけではないもの」
「……なんだって?」
リドルはその整った顔を歪ませてルイスを見、ハリーは困惑仕切った顔でこちらを見た。
「それはどういう――」
「黙っていてごめん、ハリー」ルイスは小さく苦笑した。「あたしもあなたと同じパーセルマウスなの。だから、サラザール・スリザリン以来ホグワーツでそれを話すことの出来た生徒は、リドル、ハリー、あたしの三人」
ハリーは驚愕の表情を隠さなかった。無理もない。自分は蛇語が話せるからというだけで、スリザリン継承者と決め付けられたのだ。本来ならルイスも同じ目で見られるはずなのに、ルイス自身はその事実をずっと隠していた。
「……お前、何者だ」
「見ての通り、あなたにとっては邪魔な存在でしかない、ハリー・ポッターのお友達だよ。ジニーはあたしのことを何も語らなかったの?」
「ジニーは専らハリーのことばかりを語りたがってね。仲のいい友人が三人いるとは聞いていたが、その三人のことを詳しく聞こうと思ったことはない」
ハンサムな顔が紳士的な笑顔を浮かべた。普通の女の子が見れば、胸をときめかせるような笑顔だったろう。しかしルイスにはそれが、とても歪んだものに見えた。
「あなたの笑顔ってどこか嘘くさいの」
ルイスが思ったことを咄嗟にそう口にしてしまうと、リドルは一瞬面食らったような顔になった。そしてその一言がリドルの逆燐に触れたのか、ルイスに向かって杖を振り上げる。
「ルイス!」
ハリーの叫び声が聞こえ、ルイスはそちらに笑顔を向けた。大丈夫。口がそう動いたと思う。次の瞬間にはルイスの身体を撫でるような風が通り抜け、被っていたフードがはらりと落ちた。黒髪の影で、耳元に輝くジュリアードの耳飾りがゆらりと揺れた。
「ルイス! 大丈夫?」
「うん、平気」
しかし、ルイスの考えていたこととは別のことが起こってしまった。
ルイスはわざとリドルの逆燐に触れるようなことを言い、向こうから攻撃魔法を使わせ、この耳飾りの力でそれを跳ね返してどうにかしようと、そう思っていたのだ。だが、実際には魔法をいなしただけで、何も起こりはしなかった。けれどそれなのに、リドルはひどく驚愕しきった顔でルイスの顔を凝視していた。
ルイスはそのあまりの形相に、一歩また一歩と後退りをする。そして、次にリドルの口走った名前を聞いて、更に驚いた。
「……ルミナス」ルイスはその名を知っていた。「ルミナス……いや、でも……どうして……」
ルイスが足を止めると、今度はリドルが一歩ずつこちらに近づいてきた。ふたりの間隔がどんどん狭まっていく。ハリーはどうすることも出来ずに、ふたりから少し離れた場所でその様子を見ていることしかできない様子だった。
今のリドルは、どう見ても誰かを攻撃するようには見えなかった。驚いたことに、この世で一番愛しいものでも見るかのように、そしてそれを求めるかのように、ただ真っすぐ、ルイスに向かって手を伸ばしている。ルイスはなぜか、そんなリドルを拒むことが出来なかった。その両手がルイスの頬を包み込むように触れても、どうすることも出来なかった。
「ずっと会いたかった……君を待っていたよ。ずっと、探していたんだ」
「あたしは――っ!?」
次の瞬間、ルイスの口はリドルの唇に塞がれていた。記憶の筈なのに、本物の人ではないはずなのに、その唇はとても冷たかったのに、どこか暖かくて――……。
「――っ。ルイスっ!」
耳の奥で確かになっていくハリーの声で我に返ったルイスは、リドルの胸を力強く突き飛ばした。それから、ローブの袖で口を拭うと、リドルを鋭く睨みつけた。
「君は――」
「あたしはルミナスじゃない。あたしの名前はルイス、ルイス・ジュリアード。ルミナス・ジュリアードはあたしの祖母よ!」
リドルの何かに取り憑かれたように細められていた青黒い目は、自我を取り戻したように不適にぎらぎらとしはじめた。
「……君が、ルミナスの孫?」
リドルはそう言うと、ルイスのそれと触れた自らの唇をそっと撫でた。
「どうりでそっくりなわけだ。それに……そうだ、ジュリアードの耳飾りをつけている」
「祖母を知っているの?」
「ああ、知っているとも。同級で、僕と同じスリザリン寮の監督生だった。そうか、君がルミナスの孫か……声を聞いたときは驚いたが、こうも顔まで似ていると、いっそ愉快だな」
先ほどまでの高笑いとは別の、にやりとした含みのある笑いがリドルの顔に広がった。ルイスはその笑顔を見て、ぞくぞくと鳥肌が立った。
「それならば、ルイス。これは知っているかな」
リドルはそう言うとルイスの手を引き、その細い身体を強く抱き寄せた。そして、耳元に唇を寄せたかと思うと、頬と頬を擦り付けるようにして、低く小さな声で囁く。
「その耳飾りは、主人が拒絶している者にのみ、その威力を示す。君は本当に、僕を拒絶できるかな? 僕のルミナスは、僕のことを、心から愛していたんだよ」
ルイスは一瞬の戸惑いのあと、その腕を振り解こうと必死になって藻掻いた。しかし、その一瞬の戸惑いが仇となったのだろう、気がつくと細い身体はロープでぐるぐる巻きに固定されてしまっていた。両手、両足、胸元――これは、魔法のロープだ。
ルイスはバランスを失い、リドルの胸の中に倒れ込んでしまった。隠そうともせず、大きく舌打ちをする。
「そういう気が強いところまで彼女にそっくりだよ、ルイス。そういえば、ルミナスも出会ってすぐに、僕の笑顔は嘘くさいと、そう言っていた」
リドルはそう言って、今度はルイスの額に音を立ててキスをした。