ハリー・ポッターと呪われた一族の少女   作:しきり

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An end of a fight

「君はこれからずっと僕の隣にいるんだ、ルイス。ルミナスに比べるとまだまだのようだが、ジュリアードの魔力は強力だからね。君の一族が敵に回ると、後々困ったことになる。僕にとっての驚異があるとすれば、それは未知数なジュリアード一族の力だ」

 リドルは魔法のロープで縛られたルイスの身体をゆっくり座らせると、ハリーに向き直った。

「海老で鯛を釣るとはこのことだよ、ハリー。僕は君に感謝をしなくてはならない。僕の元にルイスを、ジュリアードの人間を連れてきてくれたのだからね」

 本当に感謝しているかのような口振りでリドルが言った。ルイスは目だけを動かしてハリーを見たが、リドルとこちらを交互に見やりながら、とても苦々しげな面持ちを浮かべている。

「ハリー、に――」

「君は黙っているんだよ、ルイス」リドルはハリーを真っすぐに見つめたまま、そう言い放った。「さて、ハリー。この僕が少し揉んでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、かの有名なハリー・ポッターとダンブルドアが送ってきた精一杯の武器とを、お手合せ願おうか。勝ったほうが、このジュリアード嬢を取ればいい」

 リドルはフォークスと組み分け帽子をからかうように見た。そして、ルイスを目の錯覚でなければとても愛しそうに見たあと、その場を離れた。一対の高い柱の間で立ち止まり、スリザリンの巨大な石像を見上げる。それから口を開いたかと思うと、シューシューと喉から空気が漏れるような音を出し、蛇語を口にした。

『スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ』

 リドルがそう言うと、石像の顔が地鳴りのような音を立てて動き出すのが見えた。石像の口が段々と広がっていく。そして、それが大きな穴になると、何かが石像の口の中で蠢いた。その何かが、いや、バジリスクが、奥の方からずるずると這い出てくる。

「ハリー! 目を閉じて、早く!」

 ルイスは力のかぎりに叫んだ。巨大な蛇が、石像の口からぼとっと落ちてくるところだった。てらてらと毒々しい鮮緑色の、樫の木のように太い胴体をくねらせ、石像の前にとぐろを巻いている。

 ハリーは硬く目を閉じたまま、部屋の壁にぶつかるまで後退りをした。

 どうしたらいい。どうしたらいいのだろう。何とかしなければ、ハリーもジニーも殺されてしまう。どうにかしないと。でも、本当にどうすればいいのだろう。

 ルイスは地面の上で藻掻いて、体を締め付けているロープをどうにかして解こうとした。しかし、それはきつく身体を締め付けていて、どうしても解くことができない。

『あいつを殺せ』

 リドルがバジリスクに命令する声を聞いた。冗談ではない。このままハリーやジニーを死なせてしまうなど、考えたくもないことだ。けれど、どうしたらこのロープが解けるだろう。

 ハリーの肩から天井高く舞い上がったフォークスは一度、ルイスの傍に舞い降りた。物言いたげな目が、こちらを見下ろしている。ルイスにはそれが、自分でどうにかしろと、そう言っているように思えてならなかった。

「――あたしはあたしにできることを、ね。分かった。それじゃあ、フォークス。あなたにはあなたにしかできないことをお願いする」

 フォークスは問い返すように小さく首を傾げた。

「あなたは不死鳥なのだから、バジリスクの目を見ても死なないでしょう? 危険だけれど、あの目をどうにかして潰してほしいの。やってくれる?」

 すると、フォークスはルイスの言ったことを理解したのか、大きな翼を羽ばたかせて飛び上がると、ハリーとバジリスクのいる場所を目指していった。

 自分は自分にできることを、そんなこと分かりきっている。そして、何をやるべきかもわかっているのだ。しかし、ルイスはそれを一度も試してみたことがなかった。本で読んだだけだ。だが、それについての本は何冊も読んだ。イメージトレーニングもした。しかし、所詮それだけだ。一度だって試したことがないのに、そうして大丈夫なのかが分からない。失敗したらどうなるのかも分からない。

 かちっ、かちっと、歯を打ち鳴らすような音が部屋のなかに響いた。バジリスクの鎌首の周りをフォークスが飛び、バジリスクのサーベルのように長く鋭い毒牙が空を噛む。そしてすぐに、ぶすっというやけに生々しい音が耳に届いた。それが、フォークスがバジリスクの目を潰すのに成功した音なのだと、ルイスは確信した。

 フォークスは約束を果たした。自分も約束を果たさなければならない。

 ルイスは大きく息を吸い込むと、覚悟を決めた。なるようになる。そうだ、なるようにしかならないのだ。何もしないで後悔するよりは、何かをして後悔する方がいい。もし失敗してしまっても、そのときはそのときだ。

『違う、その鳥に構うな! 放っておけ! やつを狙うんだ、匂いで分かるだろう! 殺せ!』

 幸い、リドルはロープで縛られて身動きの取れなくなっているルイスのことなど、気にする素振りは今のところ見せていない。逆に大人しくなったルイスを目の端に感じ、観念したと思っていることだろう。

 ルイスはもう一度、大きく、深呼吸をした。そして息を止めると、目を力一杯閉じ、全神経を集中させる。すると、頭の中で血管が切れるような、そんな音が耳の奥で鳴った。失敗だろうか、そう思う。だが、身体の後ろのほうでゆらゆらと揺れる何かの感覚と、自分の身体を捕らえていたはずのロープが床に広がっているのを見て、それが成功したのだという確信を得た。

 ルイスには違和感や達成感を味わっている余裕はなかった。しかし、興奮のせいか、いつもより倍の速さで心臓がどくどくと鼓動を繰り返しているのを感じる。いや、それは興奮から来るものではなく、もしかしたら、ルイスの身体が人間のものではなくなったから、そう感じているのかもしれない。

 考えるよりも先に、身体が動いていた。目を失ったバジリスクで恐ろしいものは、もう毒牙しか残されていない。

『そいつを殺せ! 鳥に構うな! すぐ後ろだ!』

 リドルはそう繰り返したが、見慣れない生きものが部屋の中を駈けているのを目の当たりにして、一瞬言葉を失った。瞬時に今までルイスを捕らえていたはずの場所に目をやるが、そこには誰の姿もない。

「ルイス!」

 リドルはその名を叫んだ。しかし、ルイスは止まらなかった。人間でいるときよりも、ずっと早く走ることができる。ルイスはすらりとした細身の犬のような姿――リカオンの姿で走りながら、バジリスクの尾に噛み付いた。すると、バジリスクは尾を一振りして、ルイスを弾き飛ばす。床に叩きつけられたとき、痛いという叫び声をあげたつもりだった。だが、実際には犬のようなキャンッという声しか出ない。

 バジリスクが尾を振った弾みで、床に落ちていた組み分け帽子がハリーの方へ吹き飛ばされた。ハリーがそれをむんずと掴む。そして、ルイスは思わず我が目を疑った。ハリーは一体何をしているのだろう。ハリーはなぜか組み分け帽子を頭から目深に被り、床にぴたりと身を伏せているではないか。

 ルイスはバジリスクの気を引こうと再び尾に噛み付いた。当たり前だが不味い。人間の血のように微かな鉄の味もするが、それ以外にも吐き気のするような味がした。そうして、ルイスは何秒かバジリスクの尾にぶら下がっていただろうか。しかし、床に叩きつけられた弾みに、口を放してしまった。そのまま床を滑り、不幸にもリドルのすぐ傍まで戻されてしまう。

「君がアニメーガスだったとは、驚きだよ、ルイス。その歳で完璧なアニメーガスになれる魔女は、あまり多くはないだろう」

 弾けるような音をたてて人間の姿に戻ったルイスを、リドルは舐めるように見た。所々ローブは裂け、血が滲んでいた。何度も床に叩きつけられたせいで身体中痛かった。

 ルイスが激痛に顔を歪ませていると、耳元で耳飾りがゆらゆらと揺れた。たったそれだけのことだというのに、また勇気が湧いてくるような気がした。

 ――そうだ、父さんが傍にいてくれる。

 ルイスはそう強く自分に言い聞かせると、痛む身体に鞭を打ってゆっくりと立ち上がった。考えなければ。どうにか全員が無事にここを出られる方法を、考えなければならない。

 大きな音が部屋中に響いた。ルイスは反射的にそちらへ目をやる。すると、どういうわけか、ハリーが一本の剣を手に持っていた。ハリーはバジリスクから間一髪のところで身をかわし続け、その剣でバジリスクを攻撃していた。

 そうした攻防が続くなか、何度目かにハリーがバジリスクに切っ先を向けた時、ルイスは思わず生唾を飲んだ。一瞬、ハリーがバジリスクに飲み込まれてしまうのではないかと思ったのだ。だが、それは違った。ハリーがバジリスクの口蓋に、その剣を深く突き刺したのだ。バジリスクの口の中から血がどっぷりと溢れ、その躯体は横に倒れると痙攣をして、動かなくなった。

「ハリー!」

 ルイスは無我夢中でアニメーガスに変身すると、ハリーの元へ駆け寄った。そしてまた人間の姿に戻り、壁にもたれかかったまま座り込んでしまっている身体を抱きかかえる。

「ハリー、大変――!」

 ハリーの肘のすぐ上に、バジリスクの毒牙が突き刺さっていた。口蓋に剣を刺し込んだとき、代わりにハリーも毒牙をもらってしまったのだ。ルイスがそれに触ろうとすると、ハリーはそれを止めて、自身の手で毒牙を抜き取った。それでもルイスが触ろうとすると、ハリーはその手を取る。

「触らないで」

 だが、ルイスはすぐに閃き、近くを飛んでいたフォークスを呼び寄せた。フォークスは伸ばした腕に止まり、ハリーの傷口を不思議そうに見つめる。

「フォークス、君はとても素晴らしかったよ」

 ハリーは今にも死にそうな物言いでそう口にした。毒で意識が朦朧とし、呂律が回らないのか、舌がもつれている。ルイスが促すように優しく羽を撫でてやると、フォークスはその頭をハリーに預けた。

「ハリー・ポッター、君は死んだ」

 背後に誰かが近づいてくる気配を感じて振り返ると、後ろにはリドルが立っていた。その間も、ルイスはフォークスの羽を撫で続けた。

「君はもう死んだ。ダンブルドアの鳥にさえそれが分かるらしい。鳥が何をしているか、見えるかい? 君のために泣いているよ」

 フォークスは泣いている。だがしかし、それは、悲しみの涙ではない。ルイスにはそれが分かっていたが、あえて何も言わなかった。今このときを、誰にも邪魔をさせてはならない。

「ハリー・ポッター、僕はここに座って、君の臨終を見物させてもらうとしよう。ゆっくりやってくれ、今更急ぎはしない」

 ハリーの目は今すぐ眠りたいと、そう言っていた。とろんとした目が何とかルイスを捉えている。ルイスは手を伸ばして、ハリーの頬を軽く叩いた。

「ハリー、眠るならあとにして。ハリー」

「眠らせてやればいい、ルイス。これで有名なハリー・ポッターもおしまいだ」リドルは心底おかしそうにそう言った。「愚かにも挑戦した闇の帝王に、ついに敗北だ。もうすぐ穢れた血の恋しい母親の元に戻れるだろう。君の命を十一年延ばしただけだった母親にね。だが、ヴォルデモート卿は結局君の息の根を止めた。そうなることは、君にも分かっていたはずだ」

「ハリー、眠らないで。起きて、起きなさい!」

 ルイスがリドルを無視してそう言い、ぱしんっ、とハリーの頬を叩くと、ハリーの目がぱっちりと開いた。フォークスがルイスの手から離れ、飛び立つ。

「あなたのような優等生がお忘れなら思い出させてあげるけれど、不死鳥の涙にはどんな力があると思う?」

 ルイスはハリーを庇うように、ゆっくりと、リドルとハリーの間で立ち上がった。

「不死鳥の涙――? そうだ、癒しの力か……忘れていた……」

 リドルはそう言うと、ルイスを刺すようにを睨みつけた。いや、その後ろに座っているハリーを睨みつけているようだった。

「しかし、結果は同じだ。むしろこの方がいい。ルイス、そこを退くんだ」

「退くものですか」

「退いてくれ。君を攻撃したくない」

「あたしは絶対に退くつもりはない――フォークス!」

 ルイスがそう叫ぶが早いか、フォークスは床から黒い物体を拾い上げると、それをハリーのところまで運んできた。まるでテレパシーで通じ合ったかのようだった。

 ほんの一瞬、ルイスの後ろで日記を手にしているハリーと、杖を構えているリドル、そしてその間に立っているルイスたち三人の時間が止まった。だが、その刹那、目の前に本物の人のような姿を模ったリドルが、恐ろしい、耳をつんざくような悲鳴をあげてもがきはじめる。

 早くいなくなってしまえばいい。そう思う傍らで、なぜか、いなくならないでほしいと思う自分がいることにルイスは驚いていた。

 ルイスは自分でも意識せず、リドルに向かって手を差し伸べていた。リドルは苦痛に顔を歪ませたまま、それでもルイスが差し出した手に触れた――ような気がした。最後に、笑っていたような気がする。

 だが、トム・リドルは、ルイスの目と鼻の先で消えてしまった。からん、からんと、乾いた虚しい音を立てて、ハリーの杖が床に落ちた。ルイスの行き場を失った手は、ゆっくりと下ろされた。

 ハリーの手のなかで、リドルの日記帳は血のような大量のインクを吐き出していた。そして、その中心には、バジリスクの牙が突き立てられている。ルイスはリドルに差し出した手とは反対の手を、ハリーに向かって差し出した。

 ルイスがハリーの杖と組み分け帽子を拾い上げていると、ハリーはバジリスクに刺さったままだった剣を抜き取った。

「この剣が組み分け帽子の中から出てきたんだ」

 ハリーは心を読んだかのようにそう言った。ルイスはハリーに帽子と杖を渡した。

 秘密の部屋の隅の方から微かな呻き声が聞こえてきて、ふたりは思わずはっとした。ジニーが動いていたのだ。揃ってジニーの元へ駆け寄ると、ルイスは身を起こすのを手伝った。

 ルイスはようやく、自分の身体が傷だらけだということを思い出した。ジニーの軽い身体をそっと支えているだけだというのに、身体全体が悲鳴を上げるように痛んだ。それでも、ジニーが目を覚ましてくれたことが何よりも嬉しかった。

 ジニーはとろんとした目でバジリスクの死骸を見、ハリーを見、血に染まったハリーのローブ、そして、ずたぼろになっているルイスを見る。最後に、ハリーの手のなかにある日記帳を見た。途端にジニーは身震いをして、大きく息を呑んだ。それから、堪え切れずに涙がどっと溢れ出した。

「ああ、あたし、本当はハリーにも打ち明けようとしたの。でも、でも……パーシーの前ではどうしても言えなかった。ハリー、あたしがやったのよ。だけど、で、でも、そんなつもりじゃなかった。う、嘘じゃないのよ。リ、リドルがやらせたの。あたしに乗り移って――そして――一体どうやってあれをやっつけたの? あんなに凄いものを、どうやって? ねえ、リドルはどこ? リドルが日記から出てきて、そのあとのことは、お、覚えていないの……」

「もう大丈夫だよ」

 ハリーは日記を持ち上げて、それをジニーに見せながら優しげに言った。

「リドルはおしまいだ。見てごらんよ。リドル、それにバジリスクも、もういなくなってしまった。おいで、ジニー。早くここを出よう」

「あたし、きっと退学になるわ!」

 ハリーとルイスは泣き続けるジニーを両側から支えるようにして立ち上がらせ、出口に向かって歩き出した。

「あたし、ビ、ビルがホグワーツに入ってからずっと、この学校に入るのを楽しみにしていたのに、も、もう退学になるんだわ――パパやママが、な、なんて言うかしら?」

 フォークスがくるくると旋回をしながら、入り口のところで三人を待ってくれていた。ハリーとジニーが死んで動かなくなったバジリスクを乗り越えていく後ろを追いかけていると、フォークスがルイスの腕に止まった。重さは少しも感じない。

「ありがとう、フォークス。あなたってとても勇敢なんだね」

 フォークスはルイスの頬にぴたりと体を寄せてくれた。ルイスは反対の腕を持ち上げて、またフォークスの羽を撫でた。

 三人と一羽が入り口を出ると、背後で石の扉が低く音を立てながら閉じた。秘密の部屋は、再び閉ざされたのだ。

 暗いトンネルを数分歩くと、遠くの方から岩の崩れる音が聞こえた。

「ロン!」ハリーは足を速めると、そう叫んだ。「ジニーは無事だ! ここにいるよ!」

 ロンが大きく歓声を上げる声が聞こえた。三人が次の角を曲がると、崩れ落ちた岩の間に、ロンが作っていてくれたかなり大きな隙間が見える。その向こう側から、ロンがきらきらとした目でこちらを覗いていた。

「ジニー!」ロンが隙間から腕を突きだして、ジニーをひっぱり上げた。「生きていたのか! 夢じゃないよな! 一体何があったんだ?」

 ロンが愛情たっぷりに抱き締めようとすると、ジニーはしゃっくりをあげ、ロンを寄せ付けようとしなかった。

「でも、ジニー、もう大丈夫だよ」

 ルイスは小さく腕を揺すり、フォークスを先に行かせた。穴に飛び移ったフォークスは羽をたたみ、ぴょん、ぴょん、と跳ねながら向こう側に出て行く。

「ほら、もう終わったんだよ、もう――あの鳥はどっからきたんだい?」

「ダンブルドアの鳥だよ」

 ハリーは狭い隙間を潜り抜けたあと、ルイスに手を貸してくれた。

「それに、どうして剣なんか持ってるんだ?」

「ここを出てから説明する」

 ハリーとルイスは顔を見合わせ、揃ってちらりとジニーを見やった。ここで話すのはやめておいたほうがいいだろう。誰が秘密の部屋を開けたかを、今ここで話すことも好ましくはない。いずれにしても、ジニーの前で言うべきことではないと、ふたりには分かっていた。

「ねえ、ロックハートはどこに行ったの?」

「ああ、あいつならあっちだ」ロンはにやりと笑い、トンネルからパイプへと向かう道を顎で指し示した。「調子が悪いみたいでね。こっちに来てみろよ」

 フォークスの深紅の羽が放つ柔らかな金色の光に導かれて、四人はパイプの出口まで引き返した。ギルデロイ・ロックハートがたったひとりで、大人しく鼻歌を歌いながらそこに座っていた。

「記憶をなくしているみたいなんだ。忘却術が逆噴射して、僕たちじゃなく自分にかかってしまったんだと思う。自分が誰なのか、僕たちが誰なのか、なにひとつ分かってない。こんな状態なのにひとりで放っておいたら、怪我をしたりして危ないからね」

 ロックハートはとても人のよさそうな顔で四人を見上げた。

「やあ、ここは何だか変わったところだね。誰かがここに住んでいるの?」

「いや」

 ルイスは何だか肩透かしを食らった気分だった。これが、あのロックハートと同一人物とは思えなかった。まるで違う人のようだ。穴があきそうになるくらいルイスが凝視していると、ロックハートは心底不思議そうな顔でこちらを見返してきた。

「凄く痛そうだね」

「……うん、凄く痛いの」

 多分それが、ロックハートと交わした初めての普通の会話だと、そうルイスは思った。

「どうやって上まで戻るか、考えたかい?」

 ハリーがそう問うと、ロンは首を横に振った。すると、フォークスがすうっとハリーの後ろから飛んできて、目の前に回り込むと羽をこれ見よがしにぱたぱたとさせる。光り輝く黒曜石のような目をきらきらとさせ、長い金色の尾羽を振っていた。

 ルイスはその動きに、くすくすと笑い声を漏らした。

「自分に掴まってと言っているよ」

 ルイスがそう言うと、ロンはびっくりしてこちらを見た。

「君には鳥の言っていることが分かるの? でも、鳥が上まで引っ張り上げるのは、ちょっと無理があるんじゃないかな」

「フォークスは普通の鳥じゃないよ」ハリーは思い出したように、はっとして全員の顔を見回した。「ほら、みんなで手を繋がなきゃ。ジニー、ロンの手に掴まって。ロックハート先生は――」

「君のことだよ」

 ロンがそう言ってロックハートを突いた。

「先生はジニーの空いているほうの手に掴まって。ルイスは――」

「最後でいい。彼の手に掴まる」

 ルイスはどういうわけか、最後にリドルが触れた手に誰も触れてほしくないと、そう思った。

 ハリーは剣と組み分け帽子をベルトに挟んだ。ロンはハリーのローブの背中の所に掴まり、ハリーは全員が手を繋いでいるということを確認してから、フォークスの尾羽を掴んだ。

 フォークスから全員の身体を伝って、何か暖かいものが流れてくるような、とても気持ちの良い心地がする。身体が羽のように軽くなって、ふわふわと舞い、どこかへ飛んでいってしまいそうだ。そのような気がしていると、次の瞬間には風を切るようにして、パイプの中を上に上にと向かって飛んでいた。

 ロックハートが、まるで魔法のようだ! と叫んでいるのを聞きながら、ルイスは思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 落ちるときと同じくらいあっという間に、五人はトイレの湿った床に着陸した。床がゆっくりと塞がり、秘密の部屋の入り口を覆い隠していた手洗い台が、ゆっくりと元の位置に戻っていく。

「何だ、生きているの」

 マートルがじろじろと五人を見て、じっとりとした目で落ち込んだように言った。

「そんなにがっかりした声を出さなくてもいいじゃないか」ハリーは眼鏡についた血やべとべとしたものを拭いながら、真面目な顔をして言った。「まあ、死にそうにはなったけどね」

 ルイスはハリーがフォークスに向かって遺言めいたことを言っていたのを思い出し、小さく笑った。

「ああ、私、考えていたのよ。もしあんたが死んだら、私のトイレで一緒に住めたら素敵だなって」

 マートルが頬を濃い銀色に染めたので、ルイスは少し驚いた。案の定、トイレから廊下に出るとロンも驚いたように声を上げた。

「ハリー、マートルは君に熱を上げているぜ! ジニー、君のライバルだ!」

 けれど、ジニーは声も出さずに、またぼろぼろと涙をこぼしはじめた。恐怖と安堵が混在しているような、複雑そうな面持ちを浮かべていた。

「これからどこに行けばいいと思う?」

 ジニーのことを気遣わしげに見ながらロンがそう言うと、ハリーは先頭を行くフォークスを指差した。五人は少し急ぎ足で歩き慣れた道を進んだ。フォークスは自分たちをどこへ連れて行くつもりなのだろう。身体の痛みもそろそろ限界だと、ルイスがそう思いはじめた頃、間もなくしてダンブルドアの部屋ではなく、マクゴナガル先生の部屋の前に辿り着いた。

 後ろを振り返ったハリーは、ルイスと目配せをし合ったあと、扉を叩いてからそっと押し開いた。

 ハリー、ロン、ジニー、ロックハート、そしてルイスの順番で部屋に入っていくと、一瞬の沈黙が訪れた。全員が泥まみれのねとねとで、ハリーはその上血でどろどろだったし、ルイスは身体中が擦り傷切り傷打ち身だらけで、おまけにローブはずたぼろだった。

「ああ、ジニー!」

 次の瞬間、大きな叫び声が上がり、暖炉の前に座り込んで泣き続けていたらしいウィーズリー夫人が飛び上がり、ジニーに駆け寄った。そしてウィーズリー氏も続き、ふたりは娘に飛び付いて力強く、愛情一杯に抱き締めた。

 ほっと安堵の息を吐いたルイスはどっとした疲れを感じ、最後尾で壁に寄り掛かる。家族が感動の再会を果たしている向こう側では、ダンブルドアがマクゴナガル先生と並んで暖炉の前に立っていた。いつの間にかホグワーツに戻っていたらしいダンブルドアは、ハリーたちを順番に見回して、とても満足そうににっこりと微笑を浮かべている。マクゴナガル先生は胸を押さえて、大きく深呼吸をしていた。頭上を旋回していたフォークスは部屋を横切ると、ダンブルドアの傍で羽を休めた。

 満足するだけジニーを抱き締めたウィーズリー夫人は、娘から顔を上げると、ハリーとロンをまとめて抱きしめている。わたわたと慌てているふたりを見て、ルイスは苦笑を浮かべた。

「ありがとう、ありがとう! あなたたちがあの子を助けてくれたのね! あの子の命を! でも、子供たちだけでどうやって助け出したというの?」

「私たち全員が、それを知りたいと思っていますよ」

 マクゴナガル先生がやや呆れた口振りでそう言うと、ウィーズリー夫人はハリーとロンの身体を解放した。それからハリーが物言いたげにこちらを振り返ったので、ルイスは少しだけ欝陶しそうに壁から離れ、ハリーの隣まで行った。すると、ウィーズリー夫妻はルイスがそこにいた事実をたった今気が付いたような顔した。

 ハリーは組み分け帽子とルビーが散りばめられている剣、そしてリドルの日記帳の残骸を机の上に置くと、これまでに起こった一部始終のことを話しはじめた。姿なき声を聞いたこと、それが水道のパイプの中を通るバジリスクだと気付いたこと、ハリーとロンがふたりで蜘蛛を追って森に入ったこと――それはルイスも初耳だったが――、アラゴグがバジリスクの最後の犠牲者がどこで死んだかを話してくれたこと。嘆きのマートルがその犠牲者ではないか、そして、トイレのどこかに秘密の部屋の入り口があるのではないかと考えたこと。

 ルイスもその合間合間に合いの手を入れたが、自分が誰よりも早くいろいろなことに気が付いたなどと、余計なことは口にしなかった。そのようなことは瑣末な問題で、どうでもいいことのように思えていた。

「そうでしたか」マクゴナガル先生はハリーが一息吐いていると、先を促すように口を開いた。「それで、入り口を見つけたわけですね。ですが、その間に約百という校則を粉々に破ったということは、ここで伝えておきましょう。でも、一体どうやって、全員が生きてその部屋を出てこられたというのですか?」

 ハリーの声は喋りすぎで段々枯れてきていたので、ここからの説明はルイスが引き継いだ。フォークスが現れたこと、組み分け帽子からハリーが剣を取り出したこと、自分がアニメーガスになったことは、もちろん言わなかった。とてもではないが、言えるわけがない。それが違法行為であることはルイスも知っている。そういう思いを察してくれたのか、ハリーもそのことは言わないでいてくれた。

 しかし、ルイスはそこまで説明したところで、一度話すことをやめてしまった。ここまで来ると、あの、リドルの日記のことを話さなくてはならないからだ。

 ルイスは隣にいるハリーを見た。すると、ハリーも同じことを考えていたようで、思わずというようにジニーに目をやった。

 ジニーはウィーズリー夫人の肩に頭をもたせかけ、ぼんやりとした面持ちを浮かべて立っていた。まだ涙を流している。この話をしたら、ジニーは退学にさせられるだろうか。ジニーがあの話を明かしてくれたとき、ダンブルドアならば絶対に退学にしたりはしないとは言ったが、果たして本当にそうだろうか。あれは確かに、リドルがやったことだ。ジニーを操り、実行したことだ。だが、リドルがいなくなってしまった今、それをどうやって証明すればいいのだろう。

 ハリーは何も言わず、黙ってダンブルドアを見上げている。ルイスもその気配に気付き、ダンブルドアを見つめた。ふたりの眼差しを一身に受けたダンブルドアは優しげに微笑み、いつものように青い目を星屑のように輝かせた。

「わしの最も興味がある問題は、そうじゃのう」ダンブルドアの口調はとても優しかった。「ヴォルデモート卿が、どのようにしてジニーに魔法をかけたかということじゃ。わしの個人的な情報によれば、ヴォルデモート卿は現在アルバニアの森に隠れているらしいが」

 ルイスは思わず息を吐いた。その声を聞き、笑顔を見ただけで、ダンブルドアにはジニーを退学にするつもりはないのだということが分かったからだ。

「――な、何ですって?」ウィーズリー氏が素っ頓狂な声を上げた。「例のあの人がジニーに、ま、魔法をかけたと? でも、ジニーはそんな、まさか、それとも、本当なんですか?」

「この日記帳だったんです」ハリーは早口にそう言うと、日記帳を手に取ってダンブルドアに差し出した。「リドルは十六歳のときにこれを書きました」

 ダンブルドアはハリーの手から日記帳を受け取ると、折れ曲がった鼻の上から日記を見下ろし、焼け焦げや、インクやら何やらでぐちゃぐちゃになったページを、まじまじと熱心に眺めた。

「ほう、これは見事じゃ」しばらくして、ダンブルドアは静かに言った。「確かに、当時の彼はホグワーツはじまって以来の最高の秀才のひとりだったと、そう言えたじゃろう」

 次にダンブルドアは、何が何だかさっぱり分からないという顔をしているウィーズリー一家の方に向き直った。

「ヴォルデモート卿が、かつてトム・リドルと呼ばれていたことを知る者はほとんどいない。わし自身が五十年前に、このホグワーツでトムを教えていた。卒業後、トムは忽然と消えてしまったのじゃ。わしの目も届かない、ずっと遠くへのう。そして、あちこちを旅して回ったと聞いておる。闇の魔術にどっぷりと沈み込み、魔法界で最も好ましからざる者たちと積極的に交わり、危険な変身を何度も経て、ヴォルデモート卿として再び姿を現した時には、昔の面影はまったくなくなってしまっておった。あの聡明でハンサムな男の子、かつてここで首席だった子を、ヴォルデモート卿と結び付けて考える者は、ほとんどおらんじゃろう」

「でも、うちのジニーが、その――その人と――一体何の関係があるというんです?」

「そ、その人の、に、日記なの!」ウィーズリー夫人の問いに、しゃっくりをあげながらジニー本人が答えた。「あたし、いつもその日記に、か、書いていたの。そうしたら、その人が、あたしに今学期中ずっと、返事をくれていたの――」

「ジニー!」ウィーズリー氏が仰天した。「パパはお前に何も教えていなかったというのかい? パパがいつも言っていただろう? 脳みそがどこにあるか見えないのに、ひとりで勝手に考えることができるようなものは信用しちゃいけないって、そう教えただろう。どうして日記をパパかママに見せなかったんだ? そんな怪しげなものには、闇の魔術が詰まっていることははっきりしているのに!」

「もう十分です」

 まだ怒ったような表情で何か言おうとしているウィーズリー氏を見て、ルイスは言った。

「ジニーはもう、何よりもつらい仕打ちを受けてきたんです」

「その通りじゃ。さあ、Miss.ウィーズリーはすぐに医務室に行きなさい」

 ダンブルドアがルイスの肩に手を置き、きっぱりとした口調でこの話を打ち切った。

「過酷な試練だったことじゃろう。もちろん、処罰はなしじゃ。もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿にたぶらかされてきたのじゃから、こうして無事に生きていられるだけでも喜ばしい」

 ダンブルドアはこつこつと足音を鳴らして扉まで歩いて行き、扉を開けた。

「マダム・ポンフリーにあたたかいココアを淹れてもらうといいじゃろう。わしはいつもそれで元気が出る」ダンブルドアは輝く目で優しくジニーを見下ろしていた。「マダム・ポンフリーはまだ起きているはずじゃ。マンドレイク薬をみんなに飲ませたところでな――きっと、バジリスクの犠牲者たちが今にも目を覚ます頃じゃろう」

「じゃあハーマイオニーは大丈夫なんだ!」

 ロンが嬉しそうに言い、ひゃっほう、と歓声をあげる。

「幸い回復不能障害の出たものは誰ひとりおらんかった」

 ルイスは秘密の部屋を脱出してからはじめて、本当に心の底からにこりと笑うことができた。

 ウィーズリー夫人がジニーを連れて出ていった。ウィーズリー氏も、動揺が隠しきれない様子ではあったが、その後を追った。

「そうじゃ、ミネルバ。これはひとつ、盛大に祝宴を催す価値があると思うんじゃがのう。キッチンにその事を知らせに行ってはくれないじゃろうか」

「分かりました」

 ダンブルドアの悪戯っぽい眼差しを受け、マクゴナガル先生はどこか呆れたような様子を窺わせながらも、こくりと頷くと扉のほうへ足を向けた。しかし、寸前のところで歩みをとめると、ダンブルドアを振り返る。

「三人の処置は先生にお任せしてよろしいのですね?」

「もちろんじゃとも」

 部屋からひとり消え、ふたり消え、ハリーとロンは不安げにダンブルドアを見た。処置なんてどうでもいいというのが、今のルイスの素直な気持ちだった。早くどこかに座って、ゆっくりと休みたかった。

「さて、わしの記憶では、ふたりがこれ以上校則を破ったら、退校処分にせざるを得ないと言ったように記憶しておるが……」ハリーの隣で、ロンが恐怖のあまり生唾を飲む音が聞こえた。「どうやら、過ちというものは誰にでも起こりうるものらしいのう。わしは前言を撤回せねばなるまい」

 ダンブルドアは楽しげににこにこと微笑んでいる。

「三人にはホグワーツ特別功労賞が授与される。それに――そうじゃな――うむ、ひとりにつき二百点ずつ、グリフィンドールに得点を与えよう」

 ルイスは不思議に思いながら首を傾げ、ダンブルドアを見上げた。

「じゃがのう、このなかで最も危険な冒険について雄弁に語りたがるであろう人物が沈黙を貫いているということに、わしは並々ならぬ衝撃を抱いておるのじゃが……ギルデロイ、今日は随分と控え目なようじゃが、どうしたのかね?」

 そういえば――ハリー、ロン、ルイスは顔を見合わせた。

 ルイスはすっかりロックハートの存在など失念してしまっていた。ロックハートは最高に曖昧な微笑みを浮かべて、部屋の隅に、ちょこんと控えめに立っていた。ダンブルドアに呼び掛けられると、ロックハートは肩越しに後ろを見て、誰が呼び掛けられたのかを見ようとしていた。だが、そこには無機質な壁があるだけだ。

「ダンブルドア先生、実は、その、秘密の部屋で事故があって、ロックハート先生は……」

「先生? この私がですか?」ロックハートはちょっと驚いたように言った。「おやまあ、私は役立たずの駄目な先生だったことでしょうね」

「……ロックハート先生が僕たちに忘却術をかけようとしたとき、杖が逆噴射したんです」

 ロンがそう説明をすると、ダンブルドアは首を横に振る。長い銀色の口髭が小刻みに震えた。

「自らの剣に貫かれたか、ギルデロイ」

「剣? 私は剣なんて持っていませんよ。でも、その子が持っています。きっとお願いすれば、その子が剣を貸してくれると思いますけどね」

 ロックハートがあまりに見当違いなことを言いだしたので、ルイスは肩をすくめてハリーと顔を見合わせた。

「申しわけないのじゃが、ロックハート先生を医務室に連れて行ってくれるかのう?」ダンブルドアがロンに頼んだ。「わしは少しふたりと話したいことがあるのじゃ。その前に、ルイス、身体の怪我は大丈夫かね? 医務室へは――」

「大丈夫です。それに、行っても治療は受けられません。医務室に出入りすることを禁じられているので」

 そう言っているルイスの後ろで、ロックハートがのんびりと部屋を出ていった。ロンはドアを閉めながら、好奇心の滲んだ目を室内に向けていた。

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