【完結】ふぇす・ざ・ぽっぷ!~ヒトモドキの狂詩曲~ 作:エーデリカ
スマホの着信音が三周くらい回っただろうか。慌てて階段を駆け下りて、店の軒先で受話器を取る。
「こんな時間にどうしたの、お
『様子はどうだ受験生──と思ってな』
冷やかし目的で無駄な時間を消耗するのを是としない兄の事だ。何か裏があってに違いない。しかし、実妹としてご機嫌取りをしない訳にもいかない。
「はぁ……いま、渋谷で友達と休憩中」
『どうせ小川町か末広町からの帰りだろ。アニメオタクめ』
「同族のお
そもそも手広くそういうのを普及して、劣化コピーを育ててきたのは他ならぬ兄だというのに。
『言うようになったな。夏休みに入ってきてからで良いから、下宿のアコギを持って帰ってくれないか? 横浜観光のついででいいからさ』
「なんでまた」
『仕事の関係で秋に引っ越すからその準備。あと実家の部屋片づけしといて』
「
『遊びに来た時に、お前が好きなお宝持ってけ』
趣味はある意味被っているから、捨てられるくらいなら回収しに行こうではないか。時間と労力と交通費を犠牲にしてだが。
「そういえば、あのエレキ使っていい? 実家の中二階にしまいっぱなしの奴」
『赤いフェンダーのか? まぁ構わないが、どうするってんだ。弦も碌に張り替えてないだろうに』
「消耗品とかのメンテナンスはするつもり。直ぐに使える状態のが欲しかっただけ」
『お前もバンドに魅せられたって訳?』
くつくつと通話越しで嗤う彼の頭を殴るのは、脳内イメージだけで簡便してやろう。
「そういうお
『入学した年にうちに他大のバンドが参加したんだが、そこのギターに惚れた。卒業してそれっきりだが、趣味でやってた楽器を片手に追っかけなんて付け焼刃をやらかしたのは、俺にも若さがあったからだよ』
「へぇ……枯れたお
もう時効だと兄は嗤った。姿は流石に見えなくても肩を竦めたように思う。
『お前が演奏するってんなら休暇申請しとくよ。いつライブなんだ?』
「予定は未定です。それじゃ切るよ、つかさ
『おう、達者でな』
そうありもしない、スマホの疑似的な終了ボタンを押し込んだ。
大分時間が経ってしまった。一応飲み物を買い足しておこうか。幸いな事に、夕食にも近いのもあってレジを待たなくて済みそうだ。珈琲とコーラを一つずつ。両手に控えて元の場所へと戻る。そこにいたのは、成り行きで相席する事になった…………。
「ごめんお待たせ。後藤…………さん?」
えっ、どういう仕組み? 人体が溶けてるんだけど。確か虹夏さんが何か捏ね繰り回して直していた気がするが、ほぼほぼ初対面の私がそれを実行できるかと言われれば否だ。
「後藤さん、大丈夫?」
「すみません。こんなお洒落な所に一人取り残されて何も考えられませんでした」
「いや……ワクドナルドすら入るのが、ここまでハードルが高いと思わなかった私が悪かったって」
「カウンター席の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOKですぅ」
なんか椅子にへばりついている。酔っ払いを介抱する気分だと思いながら、よいしょと身体を引き揚げる。下から持ってきた飲み物のどちらが希望かを尋ねれば、炭酸は今はヤバいという事で珈琲を啜り始めた。5分程してようやく落ち着きを取り戻したらしく、見慣れた彼女に戻っている。
そう、私は珍しく秋華高校の後藤さんとつるんでいるのである。
「……てっきり、私に飽きて置いてかれたのかと思いました」
「そこまで薄情な事しないってばッ!」
兄から電話があった旨を話せば、きょとんとした目が据わった。
「あ……お兄さんがいらっしゃるんですか?」
「そう。
その所為で、久しぶりの電話というイベントに優先順位が変わってしまったのもある。彼は実家を嫌っている訳ではないのだろうが、両親の庇護が比較的窮屈なのだから放って一人暮らしをしたいのも妹ながらに分かってしまう。
「あっ、すみません。私も妹に対してあしらってるかもです」
「後藤さんも兄弟姉妹がいるんだね」
「はい……私と違ってしっかり者で……」
言ってて悲しくなってきたと、再び溶け始めた彼女を揺す振って現実に帰還させる。いつもこの娘の相手をする結束バンドは、あまりにメンタル強すぎじゃなかろうか。私ですらテンパってしまうのに。
「電話に出た時の栗原さん。凄く嬉しそうな顔をしてましたね」
「それはただ、懐いてるだけかもね。身内に対して使う言葉としては可笑しいけど」
ふたりもそうなのかな。そうぼそりと後藤さんが呟いた。どうやら妹君の名前らしい。
「すみません。5歳の妹が……私よりもコミュ力があって、姉としての立場はないんですけど。いつも構ってくれってせがむので……なんでかなって思って」
「そりゃあ、血を分けた姉妹だからじゃないかな。生理的に嫌ってなければ、大抵は上手くいくものだと思うけど」
私と兄が世間一般でいう交流関係とも言えないだろうが、喧嘩好きが祟って疎遠絶縁でもなんてない限り普通ではなかろうか。
「私はさ。兄が買ったお下がりを譲られて生きてきたんだよね。ギターもこの服だってそう。親からは自分で好きなもの揃えろって言うけれど、消費しないイコールがエコだって割り切っちゃってさ」
ギターだって借り物なんだ。技術も
「違い……ます! その…………栗原さんの演奏は自信があって……周りがどんな実力だってブレないようなしなやかさがあって……だから、そんな風に言っちゃダメです!」
珍しく力説する後藤さん。肩へのこわばり方から見て、そこそこ本気らしい。
「合わせをした時っ『One Little Love』のセッション、楽しかったですっ!」
でも、楽しいだけじゃダメなんだよ。
「本当に芯があるのは後藤さんだよ。絶対に折れない音楽を自分の中に持ってるんだから。後藤さんや喜多さんみたいに、自分の意思で楽器を始める人って凄いと思うよ」
いや、私なんてと口ごもる後藤さん。彼女の奇行ぶりは今に始まったものではないが、消沈しているのはある意味では珍しい。
「わた……私は、ギターが弾ければ皆からちやほやされるかなって……そんな不純な動機でやってきたから、誰にも褒められるようなものじゃないというか……」
「自分の実力を盾に表現しようとしてるんでしょ? それは立派なギタリストじゃない」
おそらく後藤さんの情熱は、私の紛いものとは違い実力も比例しての事。現にこの前のセッションのように、自分主導で演奏する時のキレは5月の時と同一人物とは思えない。
彼女は無敵ではないだろうが、ある意味最強だ。これに合わせられるバンドメンバーが揃った時に、その真価が発揮されるタイプの天才。
「そんな恐れ多いというかぁ……あわわわわ」
それと、その引っ込み思案が他人と組み合わせた時に悪影響にしか傾かないように感じるのもか。こればかりは虹夏さん達の頑張りに期待するしかあるまい。件の彼女が日曜にわざわざ後藤さんをここまで引っ張ってきているのだから、そういう信頼関係は築けているのだろう。
「そういえば、虹夏さん達と写真撮ってきたんでしょ。どんな感じだったの?」
返答の代わりに、何とも言えないような表情の後藤さんがいっせのせでジャンプしている集合写真がスマホの画面越しに向けられる。
「我ながら最高の被写体だと思ってます……へへへ」
本人が満足げだから問題なくてヨシ! ではなくて、傍から見れば連行される宇宙人みたいな構図で心配になるものなのだが。
「それで結束バンドで半日お散歩して、山田さんとカフェで御一緒して帰る途中だったんでしょ。気分転換になったんじゃない?」
「実は……それでも歌詞が思いつかなくて彷徨っていた所でした」
人混みが苦手らしいと虹夏さんから聞いていたが、その総評に反していつまでも渋谷駅の改札前でうろちょろしていたのを見かねて声をかけた次第である。
「あのあのっ。栗原さんは曲とか作ったりしないんですかっ!?」
世の中のバンドマン全員がオリジナルだけ出していれば、きっと音楽だけで満たされてしまうのではなかろうか。そんな助けを求める視線から逃れるように、私は自分のコーラを啜った。
「専らカバー曲ばっかり聞いてるかなぁ。前にも言ったけど、弾いてみた系で技術練。後はウタウロイドのギターアレンジとか真似してるけど。後藤さんは、そういう打ち込みとかって興味あるの?」
「オリジナルはまだですけど、録音したものの編集とかは慣れてます……へへ」
「弾いてみたとかのおかげで私は練習できるようなものだから、動画を投稿してくれてる人には本当に感謝しかないよ」
「そっ、そうなんですかぁ! てっ照れますねっ!」
後藤さんと会話している時の、論点が極端にズレている有様。頭の隅で引っかかっていたのだが、ピース同士を組み合わせて一つの仮説が成り立ったように思う。
「後藤さんはさ。現実とネットの違いというか、一生生きていくにはどっちが良い?」
「う”ぇ”? いきなりそう言われましても……」
「まぁ、戸惑うよね。それが普通だと思う」
私だって、勉強に苦労して日常生活と両立させるなんて苦行は早々に終わらせたいのだ。
「けどネットで自由にしている私達って、結局は現実で培った知能とか技術がある訳でしょ。レスバをするのだって論理的な思考回路は必要だし、知恵の一括りじゃなくて経験とかは本を呼んで先人から学んだりする訳なんだから」
だから、私はネットは現実に対して主従関係しか存在しないと思いたい。
「わた……私はネットの方があってるかなぁ。だって、そっちの世界の方が評価してくれるだろうし……」
「そう? 少なくとも、
そう首を傾げないで欲しい。自分でも不親切な言い方をしてると思うが、ここで手順を間違えてしまったら回りくどい手を打っている意味がない。
「虹夏さんの
さぁ、どう出るんだ。残念ながら、私はネットに入り浸ってでしか練習できなかったんだ。それを実力で遥かに越える
「な……何の話だかさっぱり……」
「オーチューブでもかなりの再生数を稼いでる高校生ギタリスト。なまじ友達1000人達成とか、バスケ部のイケメン彼氏に年中抱かれたりとか何とか……」
「抱きっ!? そっ! そんなんじゃありませんッ!」
あわわわわという風に身振り手振りで否定する後藤さん。ちょっと可哀そうになってきた。
「……後藤さん。他の人にこういう
「カマ……え?」
「それ、自分はギターヒーローですって告白しちゃうようなものじゃない」
表情で相手の思考が完全に沈黙したのを確認。オーバー。結局後藤さん、フリーズしてしまっているじゃないか。
「どうして……分かったんですか? 私がギターヒーローだって」
「年中ピンクのシャージと真っ黒なレスポールカスタム。てっきり、バンドメンバーなら知ってるんだと思ったんだけど」
本気で隠そうとしていたのか。そうぼそりと呟いたのが聞こえてしまったのだろう。ようやく血の気が通った後藤さんが、首を
「みみみみ皆さんには黙っててくだしゃイっ!」
「別に言いふらすつもりはないけど、隠してるのには理由があるんでしょ?」
両の人差し指でいじいじしている。その仕草が可愛らしい……と言っている場合ではない。彼女が意を決して口火を切った。
「最初のライブの時……いつもと違う感じがして。押し入れで撮影してるように上手くいかなくて……それで……」
ネットのフォロワーも
「でも普通……ギターヒーローのモノマネがしたかったファンって事になりません? だって、
「弾いてみたに憧れる人間は、普通同じギターまで買おうとは思わないってば」
そりゃあ織口さんのようにコアなファンはいるだろうが、それはあくまでメジャーデビューをしている相手かつ知名度があって母数が圧倒的に違う訳で。
「あの時ね。後藤さんの演奏が、虹夏さんや山田さん。あとは観客の事が眼中に入ってないって思ったんだ。そりゃあそうだよね。孤独なギターヒーローにはチームプレイなんて必要なかったんだから」
面目も御座いませんと縮こまる彼女を、慌ててフォローしないとヤバい状態に。どうして後藤さんとの会話って、一歩間違えると起動しそうな爆弾の導火線みたいにハラハラするのだ。それが、後藤ひとりという人間の
「弾いてみたでありがちな、原曲の音源に合わせている要因だね。即席のセッションでリズム隊との連携が取れない。私が後藤さんだと確信したのはその時かな」
「ふぁい……おっ仰る通り……」
「それに記念すべき初投稿のキャプション。『彼氏と
「後で修正しましゅ……」
申し訳ない、完全にメンタルブレイクさせてしまった。おまけに実際にはシーパラにすら訪れていなかったらしい。ここで腹を斬ってお詫びをと本当か冗談かも分からない発言をされては、私もどうどうと宥めすかすしか他にない。
「あの……虹夏ちゃんには言わないで貰えませんか? その。ギターヒーローの正体が私って気づいたら、きっとショックだろうなって思うから……虹夏ちゃんは、きっと私を認めてくれないと思うんです」
「それは構わないけど、あんまりバンド仲間を困らせるんじゃないよ。それに虹夏さんだって、薄々勘づいてるんじゃないかな」
だって誰よりも後藤さんの背中を見てるんじゃない。それに……。
「私、後藤さんの演奏が下手だなんて思わないもの。演奏も作詞も自信を持てば良いじゃない」
「むむむむむむむ無理ですよ……さっきもリョウさんにダメ出しされちゃって……皆を納得させる為に誤魔化すしかないのかな……陰キャが書く歌詞って、一般受けしないじゃないですか。そんな怖れ多い大役を任されちゃって……」
達筆なサインがデカデカと描かれたノート。私にはこれしかありませんと押し付けられたソレを私は注意深く捲る。そんな後藤さんが深刻な顔をする要素が見当たらないのに。そう私は口角が上がるのを自覚してしまった。
「それじゃあさ。自称陰キャの私が興味を持てるような歌詞なら書ける?」
「え……栗原さんって陰キャなんですか?」
「言った私もアレだけど、ここまでメンタル抉られると思わなかったよ」
普通になり損ねたヒトモドキ。だって、こんな奴が人の輪にいたら不自然じゃないか。
「集合写真の日に仮病で学校休む女だよ。私は」
「でも、その方が目立ちませんか?」
「そんなつもりはなかったんだけど、結局撮りたくもない写真に付き合わされるってのが一番頭に来たって感じかな。だから、周りと協調性がないの」
普通に成りたいだけなのに、それを性格が善しとしないのが原因だよ。そう心の中に居座るもう一人の私が嗤った気がした。
「例えばさ。厨房でポテトが揚がるBGMがエモいとか。食欲がそそられるとか。渋谷の改札の人混みなんて大嫌いだとかさ。後藤さんにとっての脳髄焼かれるような景色を、私に曲で見せて欲しいな」
「踏切で黄昏てるとか。坂道に影法師が綺麗に延びている……とかですか?」
「そうそう。そういうの」
意を決したような彼女の表情。もう迷いは晴れたとばかり。私は次の台詞を待つ。
「あのあのあのッ……実はもう一曲考えてて……ひとりぼっち……な東京とかタイトルはどうでしょうか」
「
「あばばばばば誤解ですッ!?
「冗談だってばっ」
ふたりぼっちになるには実力が足らないからね。そう呟いた私の言葉は、夕焼けの空に消えていった。