ようこそ成敗至上主義の教室へ 作:もうすぐ死にます
時は寛延四年六月二十日。
日ノ本の政の中心地、江戸に聳える城の一室で、一人の男がその命を終えようとしていた。
男の名は徳川吉宗。
徳川幕府八代将軍であり、享保の改革として幕府の行政を正し、民からも、家臣からも慕われてた将軍だ。
この男が人々から慕われた理由は多くある、だが何より人の心を多く射止めたものは、男自身の行動力であろう。代官や官僚などが不正をすれば直接乗り込み己が手で成敗し、弱きものが泣いていれば助太刀や本懐を遂げる手伝いをする。何時しか、そんな彼を人は畏敬と敬愛を込めて『暴れん坊将軍』と呼んでいた。
だがそれも今は昔。
かつて全身から溢れんばかりだった活力は見る影もなく、筋骨隆々だった肉体はげっそりと痩せ細り、今は布団に仰向けとなり虚ろな表情で天井を眺めている。横では親族や家臣達が必死に話しかけてくるが、その声さえ満足に聞き取れなかった。
将軍職を長男である家重に譲ってはいるが、彼は将軍には若過ぎる。この日ノ本を思うと、死んでも死に切れぬというのに、もはやそれは叶わぬと悟れるほど病魔は吉宗の身体を蝕んでいた。
思い返せば、愉快痛快で数奇な人生だった。
征夷大将軍に任じられたのは、確か三十二の頃であったか。思えば悪党どもの成敗を始めたのもその頃だった。様々な改革を行い、経済も政も正し、民の為にと躍起になっていた事を今でも鮮明に覚えている。
吉宗が病に伏せたのは、将軍を引退し、大御所として政を担う事になった翌年だった。右半身麻痺と言語障害の後遺症が残ったが、何とか回復し、一度は江戸城の西の丸から本丸まで歩く事が出来る様になったものの、今思えばあれが蠟燭の最後の灯だったのかもしれない。
そして将軍を引退してから六年が経った今、容態は突如悪化。家臣たち祈りや、医者たちの懸命な治療の甲斐もなく、吉宗は危篤に立たされていた。不思議と死に対する恐怖は無かった。ただあともう少し命を惜しく感じるのは。やはり将軍吉宗とて人の子である証なのでであろう。
目を閉じて見れば、走馬灯の様に過去の出来事が瞼の裏で甦る。忠房と過ごした幼少の頃、越前守と道場で切磋琢磨した日々、め組の者達との触れ合い。
満たされた生涯だった。日ノ本の事や幕府の事など為政者としての心残りは幾つかあるが、人として多くの者と出逢い、温かい人生を送った吉宗は自分の一生に満足していた。
(願わくば……余が死した後も、民に幸が有らん事を……)
その夜、一筋の流星が堕ちた。
徳川吉宗。享年六十八歳。人を愛し、人に愛された将軍はこの日、多くの人に惜しまれながら眠る様に息を引き取り、激動の人生に幕を下ろしたのだった。
◇
4月。入学式。俺は学校に向かうバスの中、座席に腰を下ろしてゆらゆらと揺れながら、景色の変わりゆく街の様子を眺めていた。思えば随分と江戸の景色も変わったものだ。前世は建物の殆どが木組みであり、今ではよく使われているコンクリートもなく、地震や嵐の度に民たちは怯えていたのだが、今の建物は鉄骨を用いた物もあり、前世の頃とは比べ物にならない程頑丈だ。これで民たちの心労も無くて済むのは時代が生んだ恩恵と言えよう。
だが次のバス停で止まった時、扉が開いた後に腰が酷く曲がった老婆が乗車してくる。だが乗る為の段差を上るのも一苦労の様で、発車した後はバスの揺れもあり、立っているのもやっとで此方からしたら見るに堪えない。
「ご老人。此処へ。」
「あら、ありがとうねぇ…」
放っておく事は出来ない。私は自ら老婆に席を譲り、しっかりと腰を下ろせるようにこちらまで誘導してやる。老婆の方は無事に席に座ると、笑顔で礼を言ってくれた。
思えば多くの物が変わった。今こうして俺が使っているこのバスも、前世では考えられない代物だ。もし江戸の世にこれが有ったのなら、参勤交代なども楽にする事が出来たであろう。
―――余、徳川吉宗が死んでから。彼是250年の年日が過ぎた。
そう、あの時余は家臣一同に看取られ、病により生涯を追えたはずだった。だが意識を取り戻すと、身体が縮んでおり、何故か赤ん坊になっていたのだ。正直最初は状況を読み取ることができず、己の正気を疑った。だが年月が経つにつれて徐々に自分が置かれている状況が分かり始め、生後3か月にして自分が俗に言う『生まれ変わり』を体験した事に気付いた。
それから先は色々あった。本当に色々とな。今生の知識を学ぶために書物を読み漁った事も有ったし、いざという時に動けるように武芸の稽古にも励んだことも有った、だが何より転生してから最初に案じた事は、幕府の事と徳川家の事だった。
だが調べてみた結果、余が知った真実は、正に目から鱗が落ちるものだった。なんと幕府は俺が死んでから116年後に政の権限を朝廷に返還しており、紆余曲折あった現在では民たちが政を行っているのだ。
流石にこの吉宗も頭を抱えた。自分が生まれ変わってみれば、何百年もの間日ノ本を動かしていた幕府が存在していない等、悪い冗談にも程がある。 だが歴史書に書かれていた黒船来航や尊皇攘夷、戊辰戦争の事などを知れば、信じる他無かった。
勿論今生の世に不満はない。今世話になっている余の御両親も朗らかで良い御方だし、何より技術の進歩により民たちは多くの恵みを得た。今の自動車は馬や籠とは比べ物にならない程早いし、ネットも便利だ。
民が政を担っている事を聞いた時は少々不安を感じたが、特にこれと言って民達を、異国との交易も良好だ。何も心を裂く事は無い。
だが光がある所には必ず闇が在る。 よくニュースでは政治家の汚職や犯罪などが報道されており、それが理由か稀にだがこの日ノ本の事が心配になる事が有るのだ。勿論今生でもそう言った輩の成敗はしてきたが、既に将軍ではない余が政をする事も叶わない為、根本的な解決にならない。
今は只々祈るばかりだ。願わくば、天には輝きを、地には恵みを、民に幸せを……と。
……既に政に携わる事ないこの身だが、この国の事を深く考えてしまう癖がすっかり定着しているな……何十年もの月日を将軍として過ごした影響か、前世とは変わらぬ己を自嘲していると、自身の肩に掛けてある鞄が少しズレ落ちている事に気が付いた。
「……む?」
空かさず元の位置に戻すが、直後何かが当たった感触を覚える。どうやらバスの中が満員との事もあってか、誰かに当たってしまった様だ。
「ああ、すまない。」
「ううん、大丈夫。」
一言謝る為に振り返った先には、艶の有る薄い桃色の髪をした女子生徒が一人。顔立ちはかなり整っており、天英院が見るや否や大奥に勧誘しそうな程の麗しい女子だった。
「君、さっきのお婆さんに席譲った人でしょ?」
「む? ああ……」
「ありがとうね。あのお婆さん、腰痛めていそうだったから。」
その女子は先程の老婆を助けた事に感謝を告げる。きっと、この場に居る皆に変わって礼を言っているつもりなのだろう。しかし酷な事にそれは違う。
あの時、俺以外にも席に座っていた者達は居た筈だ。にも関わらず誰もあの老婆に席を譲ろうとはしなかった。もしこの状況、乗客が皆江戸の民であったのなら、老婆を見るや席の譲り合いになっていた筈だ。
思えば、先の時代では江戸の頃よりも多くの物が変わったが、余から見れば一番変わっていたのは人の心だ。今世での民は技術や科学の進歩により数多くの恵みを受けて育つ事ができた。しかしそれ故に頭の中で『合理』という言葉が染み付いてしまい。かつて江戸の民が持っていた『仁義』の心意気を失い掛けているのだ。
おそらく先程老婆を心から助けたいと思ったのも、目の前の彼女を含めて数人も居ないであろう。
「いや、当然の事をしたまでた。」
「そっか……優しいんだね。」
彼女の言葉に心の中で『そんな事ない。』と反論しそうになる。だが彼女の評価を無下にしたくない俺は黙って彼女の称賛を受け取る事にした。だが……前世では感謝される事は有れど、『優しい』と言われる事は余り無かった為、どうにも彼女の言葉に面映ゆさを感じるものだ。
「……あ、その制服、もしかして私と同じ高度育成の新入生だよね?」
「ああ、そうだが……」
「良かったら学校まで一緒に行かない? 私は一之瀬帆波、キミは?」
「俺は貧……徳田新之助だ。」
「そっか…徳田君だね。よろしく。」
やはり前世で『貧乏旗本の三男坊』と名乗る習慣が付いているせいか、思わず口にしそうになってしまう。しかし皮肉なものだ、元服してから偽名として使っていた名前を、今度は本名として名乗る事になるとは。
しかし一之瀬帆波か。確かに彼女が身に付けている物は、俺がこれから通う高度育成高等学校の制服だ。もしかしたら同じ教室になるかもしれんし、この際しっかりと名前を覚えておくか。
『次は高度育成高等学校前、お降りの方はお知らせ下さい』
すると車内放送が鳴り響き、目的地が近い事を知る。
高度育成高等学校―――国が設立した教育機関であり、東京の埋立地にある日本政府が作り上げた、未来を支える人材を育成する全国屈指の名門校。希望する進学、就職先にほぼ100%応える学校。3年間外部との連絡は断たれる上、学校の敷地内から出るのは禁止された寮生活になるが、広大な敷地内は小さな街になっており、不自由なく過ごす事のできる楽園のような学校。
「あっ、徳田君! 着いたよ!」
「そうだな、降りようか。」
バスを降り、一之瀬と共に学校へと向かう。ここが高度育成高等学校……これから俺が3年間過ごす場所か‥‥俺は周りの光景を見渡しながら、前を歩く一之瀬についていく。周りには多くの人がクラス分けが張り出させてる屋外提示板に集まっていた。
「これは……クラス分けか。」
「うん、AクラスからDクラスまで有るみたいだね。」
掲示板を見つめる一之瀬を尻目に、俺はAクラスから順に自分の名前を探す。どうやら一之瀬は先に名前を見つけた様であり、俺が自分の名を見つけるより先に声を上げた。
「私はBクラスだって。徳田君は?」
「俺は……む、Ⅾクラスの様だ。」
「そっか……別々みたいだね。残念。」
残念そうに肩を竦める一之瀬。やはり折角知り合った者と別々になると言うのは寂しい。何処か彼女も落胆している様に見えた。全く、縁と言うのも解らないものだ。
「単にクラスが違っただけだ。これから色々世話になるだろう。」
「うん、その時はよろしくね。」
しかし今生での学び舎か……確かに前世でも寺子屋と言う物が有ったが、やはりこう言った制度も江戸に比べてガラリと変わった。一体どのような物か……
新しい未知との出会いに俺は不安を抱えつつ、一之瀬に続く形で校内へと入り、自分が今生の知識を学ぶ事になるだろう1-Dの教室へと向かっていくのだった。
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