「邪魔するでー。ソウおるか?」
俺がポケモンリーグで働き始めてから1週間が経過した。新しい環境といえどもその業務内容はさして変わることもなく、むしろ周りの設備がグレードアップしたという状態になったため俺の仕事は頗る順調である。他の職員たちとの関係も良好で現在俺は順風満帆な生活を送っているといえる。
今は太陽が俺たちの真上をほんの少し過ぎた丁度昼下がり。行っている資料の作成も終盤に差し掛かりこれが終われば昼休みに入るといったところでチリが俺のいるオフィスに勢いよく入ってきた。
「おう、チリ。今日は早いな。もうすぐ終わるからそこらで待っててくれ。」
「はよしてやー。チリちゃんもうお腹ぺこぺこやで。お腹と背中がくっついてまうわ。」
ポケモンリーグに異動してきて1週間、俺は昼食時にチリと飯を食べるのが日課になりつつあった。といっても毎日のように俺がチリを食事に誘っているわけではなく、むしろその逆で俺の昼休憩の時間にチリが毎回俺を拾いにくるのだ。
俺としても別に断る理由なんて無いから誘われたら食事を共にするようにしているのだが、なにも毎日誘わなくてもいいだろうに。変なところで律儀なやつである。
ちなみに1度だけ1人で昼飯を済ませたことがあるのだが、帰り際にチリに眉を顰められながら文句を言われた。どうやらその日はチリの業務が少し長引いたらしく昼休憩に入るが遅くなったという。そのため、俺が今日はチリが来ないものだと考えて先に食べてしまったわけである。
とはいえチリはその日も俺を誘うつもりだったらしく、やれ『チリちゃんという美人さんがいておきながら』だとか『1人やったからまだいいものを…浮気は許さへんで?』とかなんとかよくわからないことをたくさん言われた。なんだよ浮気って。
そんなわけで最近はチリと一緒にいる時間が多くなっているのだが、そのせいで俺とチリが付き合っているのではないかとかいう根も葉も無い噂が立っていたりするらしい。断じていうが俺とチリはそんな関係じゃ無い。俺もあいつもお互いを親友のような目で見ていて、そこに男女の意識はないように思える。実際にこのことを聞いたチリも
『ほーん…。まぁそういうのは言わせとったらええねん。いつか飽きて聞こえなくなってくるやろ。…ま、まぁもし仮にその噂が広まったとしてもチリちゃんは別にかまへんのやけどな?』
と言っていたため大して気にしていないようであった。
「ソウまだ終わらんのか?チリちゃん今日ラーメンの気分やから早よ行かないと麺伸びてまうわ。」
「わかったわかった。ほら、終わったから行くぞ。…てかラーメンは頼まれてから作るから麺は伸びない。」
職員のみんなに一言挨拶をしてオフィスを後にする。まあなんだかんだ言ってはいるが今のチリと過ごす生活は結構楽しいため、そこに不満は無い。
強いて言うなら手を繋ぐときに指を絡める、いわば恋人繋ぎをするのをやめてくれないだろうか。別に手を繋ぐなど昔からいくらでもやってきたしそこに嫌悪感は存在しないのだが、恋人繋ぎというのは流石に気恥ずかしいものがある。でも手を離そうとすると凄い力で握り返してくるから離そうにも離せないんだよなこれ。
ほら、今も離そうとしたらがっしり掴んできた。細くて華奢な指のどこからこんな力が出てくるのか疑問は残るが、別に何か害があるわけでもない。数年間疎遠になっていた代償として受け入れよう。
ーーーあっ、お前ニギニギすんな!意外とくすぐったいんだぞそれ!
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ポケモンリーグはパルデア地方最大級のポケモン学校であるグレープアカデミーを北西に進んだ丘の上に建っている。
物理的な距離の近さゆえに、リーグ内のテラスに出ればアカデミーがあるテーブルシティの全域を見渡すことが可能でそこからはポケモンバトルに勤しむ者、遅刻をしまいと懸命にモトトカゲを走らせている者、そして長い階段の途中で休憩している緑色のメッシュを入れた女子生徒など沢山のアカデミー生の様子が見てとれる。
横から優しく吹き付ける微風も心地よく、眼下ではワッカネズミたちが遊んでいる姿が目に入る。
そんなポケモンリーグのテラスで俺とチリは食後の休憩をとりながら会話に花を咲かせていた。
「ーーーそんでオボンの実を運んでたら大量のムックルに囲まれてな。近くにいたトレーナーの助けがなかったらどうなってたことか。」
「なはは!そら確かに怖いな。あいつらって割と凶暴やからな。それに加えて食いもんなんてもってたらそら寄ってくるわ。」
何気ない会話に笑い合うこの日々が俺はどうにも楽しい。普段の業務中のチリは結構デキル女のような雰囲気を醸し出していて、実際に要領が良く仕事を終わらせるスピードも早いらしい。
しかしこういうプライベートの時はそのナリは影を潜め、俺のよく知る明るいチリが顔を出す。四天王というトレーナーにおける超上澄まで上り詰めてしまったとしても、俺の友人はあのころからなんら変わらずにいてくれて俺のことを慕ってくれていた。
「なぁ、ソウはなんかこう…浮ついた話とかはないんか?」
「…なんだよ急に。別に学生の頃から変わらずだよ。彼女とかいたことないしな。恋バナの一つもできやしないよ。」
チリが突然話題を変えて俺に問いかけてくる。急になぜ俺の恋愛事情を聞いてきたのかはわからないが、俺は今も昔も恋人なしで仕事に生きる必殺仕事人である。
「でも、前の職場にも女性職員はおったんやろ?いい感じなところまで行った人も1人くらいはおるんちゃうの。」
いないと言ったが更にチリは俺の恋愛について追求してくる。なんでこいつこんなに俺が独り身だってこと言わせたがるんだ?というかなんか少しホッとしたような表情してないか。こいつあれか、自分にも恋人がいないから俺に抜け駆けされないようにしてるんだろ。
「そりゃまぁいるにはいたけど、みんな一緒にご飯食べに行ったり飲みに行ったりするだけの仲だったよ。」
「…ほんまかぁ…?ソウの草タイプはテラスタル以上の堅さを誇っとるからなぁ…。」
でたその草タイプとかいうやつ。まだ俺草単タイプから進化できてないの?あ、そりゃそうか俺まだ彼女いたことないわ。
「というかチリの方こそどうなんだよ。お前だったらどんな男でも落とせそうな気がするけどな。」
そう、俺が非常に気になるのはここである。
今までは口に出してこなかったがこいつ、異常に顔が良いのである。チリは昔の中性的な様子はそのままに、成長して大人の色気を纏ったせいで誰もが羨むイケメン女子へと華麗なる進化を遂げており、そのサバサバした性格も相まってか実に『王子様』という言葉がよく似合う。それに加えて抜群のスタイルを兼ね備えており、チリはどちらかというと男性よりも女性のほうからモテそうな女性というような存在なのである。そんな最強スペックを誇るチリに恋人がいないとなるとむしろその方が不自然だと思えてしまうが、先ほどの表情を見るともしかしたらこいつも独り身なのやもしれない。実に勿体無い。
「チリちゃんも恋人なんておらんで!フリーもフリー、ドフリーや!
それにチリちゃんそないに簡単にコロッと落ちてまうような男に興味ないんでね。”ある程度長く付き合って”きて”お互いのことを深く分かり合える”ようなヤツじゃなきゃ認めへんで。…例えば学生時代から一緒とかだとちょうどええんやけどなぁ。」
うおっ、近い近い近い!俺が何気なく聞いた途端に身を乗り出しながらその端正な顔をズイッと近づけてチリが捲し立ててくる。チリに恋人がいないのはわかったがなんでこいつこんなに必死なんだよ。勢い良すぎて若干怖いわ。
「そ、そうか。なら独り身同士お互い健闘を祈りあおうじゃないか。…本気で競ったら負ける気しかしないけど。」
そう言ってチリにフェアプレイの精神を伝えようとするとチリは突然スッと真顔になった。え、どしたの。なんか今日こいつ感情の起伏激しくない?
「チッ…この程度じゃアカンか…。せやな。チリちゃん狙った獲物は逃さない主義やからな。覚悟せいよ?」
なんか一瞬チリの背後に覇気みたいなオーラが見えた気がした。表情こそ笑ってはいるが、細められたその目はさながら大空を飛び回りながら獲物に照準を定めるムクホークのようである。なまじ顔が整っている分その威圧感は増しているように思える。
「ほら、もうすぐ昼休み終わってまうからリーグん中戻るで。…今日もちゃんと仕事終わったらチリちゃんとこ来るんやで?」
実はここ最近は仕事が終わった帰り道も俺はチリと共にいる。普段の業務はチリの方が先に終わるためか、俺の仕事が終わってロビーに行くと大体チリがいる。そこで落ち合って一緒に帰路に着くためポケモンリーグで働くようになってからチリに会わなかった日は無い。
わかってるよ、とチリに向けて手をヒラヒラと振りながらチリの横を歩いて俺たちは昼休憩を終え、仕事に戻っていった。
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それから無事今日の仕事を済ませて、チリが待つであろうロビーに今俺は向かっている。ポケモンリーグは円柱形の建物であり、それ故に内部の構造が少し複雑になっている。1週間経った今でもたまに迷ってしまうことがあるため、道をよく思い出しながら俺は歩を進めていく。
「…あなたがソウさんでしょうか。」
すると突然誰かから横から声を掛けられた。目を向けて見るとそこにはスーツに身を包み社会人御用達のバックを手に持ったザ・サラリーマンのような人が気だるげな表情で立っていた。
「あ、はい。どうもお疲れ様です。…えっと…。」
「あぁ、失礼。私はここで四天王を務めているアオキという者です。他にもチャンプルジムでジムリーダーを兼任していて、リーグでの営業などもやらせていただいています。トップのオモダカや同僚のチリの方からあなたのことをよく伺っているので、ご挨拶をと。なんでもとても優秀な方だそうで。」
でた!この人があのポケモンリーグの負担を一身に背負っている、俺たち職員が感謝し崇め奉らなければならないとされている四天王か!
うーむ予想通り目が濁っている、おまけに猫背。俺のイメージする社畜とピッタリのビジュアルである。
「わざわざありがとうございます。優秀だなんてそんな。…もしかしてチリもそういうこと言ってたりするんですか?」
チリのやつ、普段は俺のこと草タイプだのアホだの色々言ってくるけれど裏では割と褒めてくれているのか?だとしたらあいつも素直じゃないな。可愛いやつめ。
「いえ、あなたのことを良く評価しているのは主にトップと周りの職員の方ですね。チリさんはよく『ほんまあの草タイプのアホは鈍くてしゃあないわ。これチリちゃんが悪いとちゃいますよね?なぁアオキさんどう思います?』とぼやいています。」
前言撤回。普通にチリは素直なヤツだった。にしても鈍いってなんのことなんだ。これでもチリのこと結構分かっているつもりなんだけどな。
「…チリさんのこと、よろしくお願いしますね。彼女はあなたのことを、とても良く慕っている。」
俺が微妙な顔でチリの言葉について考えているとアオキさんが真っ直ぐに見つめてくる。もちろん言われなくともチリとは良好な関係を維持していくつもりである。そもそも今更離れろって言われても向こうが離してくれなさそうだしな。
「ええ、もちろんそのつもりです。…しかし草タイプですか。そろそろ俺にも将来の相手を探すことを視野に入れる時期が来るんですかね。」
「…?失礼ですが、それはどういう意味ですか?」
「あぁ、チリが俺のこと草タイプって言うのは俺に今まで恋人がいたことないからだと思うんですよね。だから俺もそういうことに考えを向けてみるべきなのかなって思いまして。…まぁ肝心の相手がいないんですけどね。」
ははは、と軽く自嘲しながらアオキさんに説明する。するとアオキさんは微妙な顔をして何やら言いたそうな顔をした。…ん?俺何か変なこと言ったか?
「…そうなんですか?私はてっきり草タイプという呼び名の由来はあなたの唐変ーーーー。いえ、これ以上私が言うのは無粋というものですね。こういうのは、自身で気付いてこそ意味がある。」
なにやら神妙な顔でアオキさんは意味深なことを言ってくる。おいおいそこまで言ったなら最後まで言えば良いのに。普通に気になるんですけど
「それでは私はまだ仕事が残っていますのでここで失礼します。…しつこく言うようですが、チリさんのこと、宜しく頼みます。彼女の機嫌がいいと我々としても助かるので。」
先ほどの発言が気になっている俺の心とは裏腹にアオキさんは別れの旨を俺に告げる。うーむ、仕事が残っているならしょうがないか。気になるけれどもまた時間があるときに考えるとでもしよう。
「はい、わざわざありがとうございました。…あ、よかったらこれどうぞ。」
俺は別れ際に先程自販機で買ってまだ手をつけていないエナジードリンクをアオキさんに差し出す。この人がとんでもない激務をこなしてくれているから俺たちの仕事量も少し多い程度で済んでいるのだ。これくらいの報酬はあって然るべきであろう。
「…助かります。後でありがたく頂戴することにします。それでは、お気をつけて。」
そう俺に別れを告げて受け取ったエナジードリンクをカバンにしまいながらアオキさんはオフィスの中へと戻っていった。うん、やっぱり普通に良い人だったな。オモダカさんから四天王は皆個性が強いと聞いていたけどアオキさんは常識のあるしっかり者の社会人という印象である。
…まぁあの人の場合仕事の役職に個性全振りしてるんだろうな。今度チリと一緒に飯にでも誘ってみようかな。
また1人ポケモントレーナーの極一部の上澄みにいる四天王と知り合えた俺はウキウキしながらチリが待っているであろうロビーへと再び歩みを始める。少し進むとソファーに腰をかけつつスマホロトムを弄る彼女が見えてくるようになり自然と笑みが溢れ、ふと顔を上げたチリと目が合う。「自分遅いでー!なにしとったん!」と遠くから声をかけてくるチリに苦笑しつつ、俺は歩く速度を早める。
チリとアオキさん以外の四天王はどんな人なのだろうか。そんな期待に胸を膨らませながら俺は大きく手を振るチリの元へと向かった。
衝動に任せて書いたもののため、続くかは未定です。