TS転生者は最高に顔のいいヒーローになりたい 作:ソノアノ
街にヴィランの雄叫びが響く。
この世界ではありふれてしまったその光景に、人々は悲鳴を上げながらも逃げ出していく。交通事故に見舞われる可能性よりも、ヴィランに襲われる可能性のほうが十倍以上は高いと言われる昨今、人々の動きは迅速だ。
しかし、だからといってヴィランが脅威であることに変わりはない。
暴れているヴィランは、顔を狼の顔に変えられた、いわゆる狼男のような姿のヴィラン。街中で突如として冴えない青年の顔が狼に変貌していくさまは、私の前世であればなにかの撮影かと勘違いされそうな光景だ。
対して、この世界ではそれに気づいた人々が率先して大声を上げて、
「ヴィランが出たぞ!」
と叫び逃げていく。まぁそりゃあ、最悪自分の命にかかわるのだから当然だ。交通事故や地震、台風、火事や強盗といった事件はこの世界でも非日常に分類されるが、ヴィランは違う。
危険度に大差はないにも関わらず、だ。
人々が逃げ惑う中、ヴィランは咆哮しながら周囲を破壊している。ヴィランにも種類はあるが、あれはおそらく怪物になった瞬間に知性と理性を喪うタイプのヴィランだろう。
“下級”に分類されるヴィランである。……が、それでも一山幾らの雑魚戦闘員よりは遥かに強い。コンクリートくらいなら軽く吹き飛ばしてしまうのだから当然だ。
人の避難は迅速。ヴィランは下級。これならば早々のことがなければ人死にはでないが、けが人ならば容易に発生する。
だから人々は必死に逃げているわけだし、そういうとき、人々はこう叫ぶわけだ。
「助けてくれ、
――この世界には、ヒーローとヴィランがいる。人々を守る正義の味方と、人々を害する悪の手先。その世界では、彼らが日夜戦いを繰り広げていた。
それはこの世界で、ヒーローがいて当たり前の存在になってしまうくらい続いていて、今日もヴィランの起こす事件を解決するべくヒーローが求められる。
そんな世界で、私は――
その光景を、“もうひとりの私”を介して見ていた私は、こう呟く。
「……助けないと」
何故か? 言うまでもなくそれは――
+-+-+
狼男のヴィランの破壊に変化が訪れたのは、狼男が目の前に倒れた女性を見つけた時だった。不運にも足を挫いて動けなくなってしまった女性は、恐怖に顔をひきつらせて狼男を見上げている。
不幸に見舞われなければ問題なく逃げ切れただろうに、しかも相手は知性のない下級のヴィランだ。女性の心中は、どうして自分がこんな目にという感情でいっぱいだっただろう。
助けに駆けつけるものはいない。一般的にヒーローでないものがヴィランと戦うことは自殺行為。川に溺れた人間を助けようとして自分まで溺れてしまうようなものだ。
そして、ヒーローは現れない。
事件が発生して数分。
このタイミングでヒーローが駆けつけないということは、ヒーローの到着にはあと最低でも十分程度の時間がかかるということだ。
これには色々と訳があるのは、どちらにしろ言えることは、この女性はもう助からないということだけ。
――そしてニヤリと、狼男は笑った。
明らかに、獲物を見つけたという顔。残虐に、無慈悲に舌なめずりをするような笑み。女性の顔が絶望に歪み、状況は決定的に破局へと向かう。
――はずだった。
「そこまでです」
声がした。
しないはずの声がした。
狼男は、その声を無視しようとした。なぜなら、もうすでに目の前の女性に己の腕を振り下ろす瞬間だったからだ。乱入者など関係ない、今すぐにでも目の前で命が悲鳴にきしむ音が聞きたい。
だから、狼男は一瞬だけ視線を向けた。知性はないが、それでも本能が不意打ちを警戒したためである。
そして、手を止めた。
何故か、目を惹かれてしまったからだ。
目の前にはヒーローがいた。フリルの多いドレスに身を包む、魔法少女のような――この世界では実際に
魔法少女の名の通り、華美な見た目の少女であることの多いそのタイプのヒーローだったが、目の前の少女は輪をかけて強烈だった。
腰まで伸びた白髪は、白銀の雪景色を思わせるほどに透き通っていて、目鼻立ちがシャープで、見ているだけで美人と解る顔立ち。
背丈は150あるかどうか、引き締まったスレンダー体型でありながら、胸部は背丈に似合わず豊満だ。
白銀のドレスが似合う、美しい少女である。
つまるところ何が言いたいかといえば――
「見た目に似合わず利口ですね。そこで手を止めていなければ、貴方を止めるために貴方を屠っているところでした」
――繰り返すが、狼男に知性と理性はない。破壊衝動だけが埋め込まれた本能によってのみ行動し、相手が誰であろうと破壊の手を止めることはない。
にも関わらず、狼男は手を止めた。
それは、狼男が手を止める理由が破壊衝動を上回るほどに本能に訴えかけるということ。
状況を見ればその理由は火を見るより明らかだが、その原因たる魔法少女のヒーローは構うことなく狼男へと一歩近づく。
「とはいえ、どちらにせよ貴方を退治することに変わりはありません。なぜなら貴方はヴィランであり――」
手には、剣。いつの間に握られていたのか、水晶のような透き通る刀身の、針のような剣だ。レイピアやフルーレと表現するのが適当だろうか。
しなるように刃を振るい、少女がそれを構えると――
「私は――ヒーローなのですから」
直後、狼男をその剣で一突きにした。
呆けたままの狼男が、それを見上げる女性が、静寂を取り戻した空間が、まるで時間を止めた一枚画のように静止する。
最初に動きだしたのは、当然と言えば当然か、その舞台の主役。
ヒーローの少女だった。
「大丈夫ですか?」
声をかけたのは、ヴィランに対してではない、倒れている女性の方だ。剣を抜き去りながら、一撃で屠ったヴィランに視線すら向けることなく、女性の無事を確認したのである。
一瞬、目を白黒させた女性は、やがて正気を取り戻すと呼吸を荒らげながら首を縦に振る。何度も、何度も、自分の生存を実感するように。
「では、離れますよ。彼が爆発するタイプのヴィランかは解りませんが、危険には違いないので」
「あ、え、あ、その……は、はい!」
ヒーローは女性に手を差し伸べて抱えあげると、一息にその場から離れる。ビル一つを軽く越える大ジャンプ、ヒーローでなければ不可能な身体能力は、結果的にその場所に女性とヒーロー、二人だけの空間を作る。
沈黙は、浮遊の時間と同じだけ流れた。
ヴィランから距離を取り、安全を確保されたところで女性は意を決したように口を開く。
「あ、あ、あの!」
「……はい、何でしょう」
鈴を転がすような声、という表現はよく使われるが、ヒーローの声音はそれに近いが、どこか透明感の在る不思議な声音だ。
「あ、貴方は、も、もしかして――!」
――女性は、知っていた。
このヒーローが誰であるか、その名前を知っていた。そしてその呼びかけに、ヒーローもまた顔を向けて答える。
遠くで見れば凛とした美人顔であるように思えた顔は、近くで見ると可愛げに溢れ、美人と美少女が両立している。そんな顔で笑みをうかべて――
「はい、私は――ノア。プリズム・ノア。それが私の名前です」
そう名乗った。
「――ノア様」
ぽつりとこぼす女性は、明らかに“落ちた”雰囲気を漂わせている。
狼男が本能だけで惹き寄せられ、間近で助けられた女性を沼に引きずり込む。それはヒーロー――ノアの強さや立ち振舞だけで成されるものではない。
何よりも、ヴィランも一般人も構わず引き込んでしまう魅力。
それは端的に一言で言い表せるものだった。
すなわち――
+-+-+
「――顔がいい」
夜、あるマンションの一室で一人の少女――つまり、私はスマホを片手にそうつぶやいていた。
ベッドに寝転がり、スマホで調べ物をする。現代人のなんと健全な姿だろう。近くにお菓子やジュースがあれば完璧だ。私は太るので遠慮しておきます。
さて、そんな私が見ているのは、とあるヒーローの活躍の記録である。
誰かといえば言わずもがな、魔法少女ヒーロー、プリズム・ノア。すなわち私自身のことである。
何を隠そう、この私――海棠アノアは、魔法少女プリズム・ノアの正体なのである。
つまり何をしているかといえば、言ってしまえば“エゴサ”というやつだ。インターネットでプリズム・ノアと検索してノアに関する記述を漁っている。
多くの場合、それは好意的な反応だ。なにせプリズム・ノアは先日、ヴィラン事件にいち早く駆けつけ、一人の女性の窮地を救っているのだから。
街中での戦闘であったこともあって、写真はそこそこの数出回っている。まぁ、戦闘時間事態は一分にも満たないが、街中に現れたヒーローを撮影するのはこの世界のトレンドなのでそこはそれ。
そうして写真を見ていると、とにかく思うことが在る。
すなわち、
「ほんっとうに顔がいいなぁ、プリズム・ノアは」
ご満悦。そうとしか言えない声音で私は呟く。実際すごい嬉しいのだけど、それもこれもノアの顔の良さがそうさせているのである。
ああなんて罪作りな顔の良さ、これが私でなかったら私は一生を賭けて彼女を推していたかもしれない。
そうやって、過去の事件も含めてノアの写真を漁っていると、
『――またやっているのかい?』
不意に、耳元で声がする。正確には、脳内に響くような声。創作で『念話』とか呼ばれるのが時折登場するが、あんな感じだ。
『……コットン』
『もう寝たほうがいいんじゃないかな、明日は早いんだよね?』
ちらりと視線を向けると、窓を背に、白い羊みたいな何かが浮かんでいる。その見た目を一言で表現するなら、“マスコット”というのが正しいだろう。
魔法少女のマスコット、つまりそういう感じの存在だ、こいつ――コットンは。
『明日への活力を得るために、必要な行為』
『承認欲求で明日への活力を得るのも、何だか俗な話だなぁ。……そんなに肯定されたいなら、SNSに自撮りでも上げればいいんじゃないかい?』
可愛らしいマスコットと、愛らしい声音からお小言のような言葉と現実的な代案が飛んでくる。なんというか、とても呆れているといった感じの様子。
確かに自撮りをすれば、多くの人から反応を得られるだろう。前世の冴えないオタク男だった頃と違って、今は仮にも女性、それも花の女子高生なんだから。
でも、それはあまりに無理な話だ。
『できない。やりたくない』
『なぜ?』
なんとなく気分が沈んで、スマホをスリープモードにする。暗くなった画面に、私の顔が少しだけ反射した。そこに移っているのは、長い前髪と眼鏡で目元を隠した地味な女だ。
どれだけ見てくれがよくたって、これではそれを判別することすら不可能である。
美麗を絵に書いたようなノアとは正反対な自分。別に、自分の顔がノアと違って悪いということはない。むしろ、逆。
見てくれはいい方だと、私は自負している。
ならば、なぜそれを晒そうとしないのか。
「……怖い。顔の良さが否定されるのが怖い」
だって、顔の良さは私にとって、
それを否定されたら、私にとってそれは自分を否定されるのと同じこと。
「その点、ノアならそれは私の仮面みたいなものだから、否定されてもギリギリ我慢できる」
対して嘆息と共に、コットンが問いかけてきた。
『……またそういうことを言って。君は、何のためにヒーローをしてるのさ』
何って――
私はコットンに視線を向けながら、端的に返す。
「何って、
そう、私は――ヒーローをしている。
でもそれは、誰かを助けるためだとか、世界を守るためだとか、そういうだいそれたことが理由ではない。あまりにも個人的で、自分勝手な理由でヒーローをしているのだ。
自分の顔の良さを世界に広めて、それを肯定されたいなんて――自分で言うのも何だけど、あまりにも不純な動機だ。
コットンはその答えをすでに解っていながら問いかけた。
帰ってくるのは、呆れに満ちたため息。もう何度も繰り返してきたやり取りだけど、コットンは未だに諦めがつかないようだ。
『はぁ、僕が選んだ
どうして、なんてある意味愚問だ。
私はスマホのスリープを解除して、再びエゴサを始める。うん、今日もプリズム・ノアは世界一顔がいい。これを多くの人に実感してもらうために、これからもヒーロー活動を頑張らないとなぁ。
――ああ、これは。
最高のヒーローになれる素質があると言われた私が、“最高に顔のいいヒーロー”になるために奮闘する、そんなお話だ。
顔がいいけどそれを人前で晒す勇気にない転生者がヒーローとして最高に顔のいいヒーローを目指し、そして最高のヒーローになっていくお話。