その恋は恋にならなくて 作:かき氷
外は雪が降っている。
しんしん、という音が聞こえてきそうだ。
僕は筆をおいて、立ち上がって伸びをした。
腰が痛い。
おじさん、と呼ばれるにはまだ早いという自負はあるのだが、そこそこおじさんに近づいてきたような自覚もある。
「あれ? どうしたの?」
急に立ち上がったからだろう。
向かいの椅子で熱心に絵を描いていた天音が尋ねた。
「ちょっと休憩。珈琲でも入れようと思って」
「あ、私も欲しい」
「了解」
スリッパに足を通してキッチンへと向かう。
白物家電会社に勤めた友人から無理やり買わされたコーヒーメーカーは、案外重宝している。
これまた、出張続きの別の友人からもらい受けたコーヒー豆をミルに入れて、自動スイッチをオン。
すぐに香ばしく挽きあがった。
今回の豆は、ブラジル産らしい。
海外に行くごとにコーヒー豆を買ってきては、買いすぎたとか言って無理やり分けてくるのだ。
お湯が沸くのを待っている間、天音に尋ねた。
「今回の豆、ちょっと苦いみたいだけど、大丈夫」
「ん? 大丈夫だよ」
くるりと振り向いて答える天音。
長めの髪がさらりと揺れる。
「前に、苦いの苦手って言ってなかったっけ」
「それいつの話?」
つい数か月前だけど、と思いつつも黙っておく。
湧いた湯でコーヒーを二つ淹れた。
僕のカップは、白いシンプルなものだけど、天音のには、ピーターラビットみたいな絵が描いてある。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
休憩タイム。
しばらく無言で熱いコーヒーをすする。
「おいしいね」
すまし顔でそう言う天音の手元に、ミルクと砂糖を置いてやった。
「……あ、ありがとう」
ちょっと顔を赤らめている。
それから「なんでわかったんだ」という表情。
澄ましているというか、事実ちょっとクールな雰囲気なんだけど、なんとなくわかっちゃうんだよな。
いざ飲んでみて「やっぱり苦い」って天音が思ってたこと。
「ねぇ、先生は苦くないの? これ」
「飲めないほどではないかな」
「あっそ」
納得いかないようなジト目になった。
「おかしいなぁ、最近、苦いの慣れてきたと思うんだけどなぁ」
「ま、いいじゃない」
「むぅぅ」
僕はこの部屋で、絵画の教室をしている。
といっても、生徒は天音だけ。
ほとんど開店休業状態だ。
まぁ、とりあえずそんなに困ってはいない。
華美な生活が好きなわけではないので、食えるだけの日銭が稼げたら十分。
ということで、普段はもっぱらアルバイトをしている。
絵画教室は……まぁ、親父がやっていたのを一応継いでいるだけだ。
そもそもここは田舎なので、そんなにニーズがあるはずもない。
「あーあ、雪やまないね」
天音がつぶやいた。
「寒いの好きって言ってなかった?」
「程度にもよるよ。夏より冬が好きだけど。今日時間が余ったらお出かけしたかったのになぁ」
「ここまでお出かけしてるじゃない」
「そうじゃなくて。先生としたかったの」
僕が同行すること前提なのか、と思いながらコーヒーをすする。
「どこ行きたかったの?」
「海」
「そりゃ無理だね、こんな寒い日に」
「でしょー」
斜め上の行先だった。
雪が降ってる降ってないにかかわらず、真冬に海を見に行く人はそうはいない。
「なんかほら、冬の海って独特の魅力があってずっと眺めたくならない?」
「どうだろうね」
天音の感性は独特なのだ。
「車、出してほしかったの?」
「うん、まぁ、そう」
ここから海だと、車で30分ぐらいかかる。
「ほら、10月に車に乗せてくれたでしょ?」
「なんだっけ、それ」
「え、ひどい、忘れてるの?」
「いや、なんかあったような気もする」
「あったよ。ショッピングモールまで連れて行ってくれた」
「あー、そうか」
思い出した。
天音の親父さんに頼まれて、買い出しの手伝いをしたのだ。
「あの時、助手席に乗ったの、すごく良かったから……」
「もう一度乗りたい、と」
「うん、まぁ、そういうこと」
なぜか照れたような表情で目を逸らしながら頷いた。
そういうと、なぜか天音は窓の景色ではなく、ずっと運転してる僕のほうを見ていたっけ。
前に乗りたい!と主張するから、景色が見たいのだと思ってたんだけど。
助手席に乗ったことの何がそんなに楽しかったのかはわからないけど、また別の日に連れて行ってあげることはやぶさかではない。
「雪が降ってない日に、改めて行こうか」
「いいの?」
「もちろん」
「やった」
にへへ、と柔らかく笑った。
「雪の日ってのも、悪くないかも」
現金なもんだ。
僕は苦笑した。
コーヒーを飲み終えるまでゆっくりと、窓の外の降りしきる雪を眺めて過ごした。
※
一時間後。
「完成っ」
天音が筆を置いた。
「どれどれ」
「あ、恥ずかしいから見ちゃダメ」
それじゃ絵画教室にならないでしょ。
苦笑しつつ、ちょっと顔を赤らめている天音の手元をのぞき込む。
そこに描かれていたのは、窓の外の雪と、机で絵を描いている僕だった。
目の前の情景をそのまま題材にしたのか。
「いいと思うよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「……よかった」
にこっと微笑んで大事そうに画用紙を握りしめた。
まぁ、お空になぜか、雪の精?みたいなファンシーな雪ウサギが描かれていたのが謎だったけど、それはそれでいいだろう。
天音は、見た目や雰囲気はちょっとクールだけど、絵柄は可愛い系なのだ。
「じゃ、そろそろお開きにしようか」
「うん」
僕の言葉で、天音が立ち上がる。
クロークにかけていた白いメルトンのコートを着ようとしている背中に向かって僕は言った。
「雪降ってるし、送ってあげようか?」
「いいの?」
「いいよ。ついでにスーパーで食材買いたいし」
すると、じっと僕を見つめてくる。
「どうしたの?」
「今回も、助手席。隣に座っても、いい?」
「? かまわないけど」
「えへへ、やった」
とことこと駆け出す天音。
「先生、早くいこ」
「天音、天音、忘れ物」
「え?」
「ランドセル。今日、学校帰りでしょ」
「あ、そうだった」
ちろっと舌を出した。
小さな手で、椅子に置いていたランドセルを取り、背負う。
僕はやれやれと肩をすくめた。
天音との会話は心地よい。
それは彼女が、年の割には大人びているからだ。
その年頃の子供のように騒がないし、それほどわがままも言わないし、泣いたりもしない。
整った少しクールな顔立ちや、立ち振る舞いのそつのなさも、彼女を大人びて見せている要因だろう。
彼女と二人きりでいると、小学生だということをふと忘れてしまいそうになることすらある。
でも、彼女は、子供。
「……ちゃんと、見守ってあげなきゃな」
僕はつぶやいた。
この小さな絵画教室に、彼女が来てくれる限りは。
歳の離れた兄のような気持で、見守っていこうと思う。
(続く)
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