東都のミドリさん 作:ラグ
早朝。
しん、とした空気と自然の音だけが聞こえる落ち着いたこの時間が好きだった。
最近は暑さも落ち着いてきて、日も短くなってきたように思う。
少し前にはきれいな朝焼けが見れていたと思うのに、まだ外は暗い。
部屋の灯りを点けるのもなんとなくもったいなくて、この一人の時間はいつも部屋の隅にあるスタンドライトだけを点けている。
このオレンジの暖かみのある色味は、ぼんやりとしたろうそくの火を思いおこさせる。
お湯を沸かすのと一緒に火にかけておいた鍋がそろそろ頃合いだろうと台所の方へ向かう。
くつくつと温められている鍋から漂う香りに思わず、むふふ。と笑みがこぼれた。
おいしくなぁれと考えるだけで幸せだ。
ひと口食べただけで笑顔になれる。
これだからごはんを作るのは楽しい、と思う。
ましてやそれで美味しそうな顔をしてくれるのだ。
便利な時代になったものだなぁ
目の前の鍋をかき混ぜながらしみじみと感じる。
朝は暖かい布団の中で目が覚めて
蛇口をひねればなんの苦労も無くきれいな水が出て
火を灯さずとも暖がとれる。
今だって食事ひとつ作るのに、指一本で火が点くのだ。
本当にありがたい事だと思う。
うんうん。と頷きながら味見をひと口。
この暖かさと、溶け出たうま味に、恵みに、あぁ。と声が漏れた。
さぁ、そろそろ夜が明ける。
窓の外に目を向けると、薄明かりの向こうは今日もきらきらと光っていた。
物心ついたころからいろんなものが不思議で仕方がなかった。
当時はその理由は分からなかったけれど、自分の中にはなんとなくこういうものだという自分なりの『当たりまえ』があったように思う。
灯りをつけるということは火をつけるということで
水は川や井戸から汲んでくるから使えるはずで、
季節や場所に関係なく好きな食べ物があるなんて信じられないことなはずだった。
かのエジソン少年のようになぜなぜ攻撃をする幼い私の相手をする両親は大変だっただろうと今ならば思う。
「好奇心旺盛で将来が楽しみね。」と母は笑っていてくれていたが。
家の壁を触りつづけて寝落ちたこともあるし、背の高い建物を見続け過ぎて首を痛めたことだってある。
父の撮る写真を見たときは驚いたものだ。
幼稚園、小学校と進み、勉学を教えてもらえることに感動し、遠くの文化や風景を知り、時代の流れを学んでいくうちに、自分の中に確かにある『当たりまえ』は『当たりまえ』では無いことに気が付いた。
お洒落な洋服も、いろいろなお稽古ごとも、遠いと思っていたことはあまりにも身近になっていた。
弟が剣道を始めた時は一周まわって無くなっていないことに安心してしまった。
生活のひとつひとつにも負担が無くてとても便利だ。
洗濯機を初めて見たときなんて、感動ものだった。
冬の日に蛇口からお湯が出た時もそうだったかも。
今は本当にすごいと思うし、嬉しいことだとも思う。
ただ、時折ものすごく寂しい気持ちになってしまうことがある。
自然に助けられて、時には打ちのめされて、
人がいかにちっぽけなものなのかを知っている。
つやつやと熟れた実をを発見する嬉しさも
大風の日の森の吹き降ろしも
夏の青々とした緑の香りも
大きな木の下から空を見上げたときの木漏れ日も
全て大好きだった。
けれど。
少なくとも私の周りにそんな気配は感じられなくなっていた。
この発展した時代の首都らしいから仕方ないかも分からないが、数ある地名の中から『米花』という文字を見つけたときは、思わず『米花』と名付けるくらいなら、米と花を持ってこい!と思ってしまったのは許されると思う。
人様に自分の価値観を押し付ける気は全く無いのだ。
でも無意識ながらも大事だと思うものは大事なものに変わりはなくて。
周りから見てみたら変わっているかもしれない、生まれ持っていたであろう価値観は確かに今の私を構成する礎となっていた。
電化製品は少し苦手だし、甘いものを食べるときはいつだって幸せでどきどきする。
草木は大事にするし、畑仕事だって苦じゃない。
やってみたいことだって実はいっぱいある。
みんなで助け合って生きていくことが当たり前だと思うのに、なんとなく殺伐とした雰囲気はどうとも落ち着かない。
何故か事件が多くて、人とのトラブルをよく聞くこの町が、どうにかなる時がいつかくるのだろうか。
いつの時代でもそれなりにいろんな問題はあるものなのだなぁ、としみじみと思ったものだった。
はじめましてです。
皆さまの小説に触発されまして初めて書いたものです。
出来心なもんで続けられるか不安ですが、温かい目で見てもらえるとありがたいです!
よろしくお願いします!