東都のミドリさん 作:ラグ
──これはもう結構昔の話。
学校帰り、用事があって久しぶりに中学のある辺りへひとり行った時のこと。
俺が進学した高校は中学とは違う方向だったし、わざわざ行くようなものでもなかったから、そっちに行くのはざっと1年ぶりだった。だからなのか。
雰囲気が違う。
そう思った。
どことなく雰囲気が温かくて落ち着く感じ。
何が違うのかは分からないけれど、入っていたつもりも無い肩の力が抜けて安心した気持ちになった。
昔よく遊んでいた公園の少し古くなった遊具は寂れた印象は無くて、安心感があった。
道路脇の街路樹や植え込みの葉っぱはどこか生き生きしていて鮮やかに思った。
懐かしさと不思議な目新しさを感じながら歩き続けて中学の隣に差し掛かったとき、少し先にある女子校の制服が中に入っていくのが見えた。
この時は、あれ、あの人高校生だよな?と不思議に思いながらそのまま用事に向かった。
その帰り道。中学が見えてきた辺り。
近づくにつれて、中学校の用務員だろう人と談笑しながら、学校の裏手にある花壇で何やら作業をしている姿が見えた。
後ろを向いているため顔は見えないが、艶のある黒い髪を下の方でまとめ、上は制服のまま、下は高校のものであろうジャージを着ている。
きっと行きがけに見かけた高校生だろう。
用務員は別の作業に向かうのか手を振りながら離れていって、俺が近くを通るころには彼女はひとりになっていた。
だからだろうか。
気付くと声を掛けていた。
んー?と首をかしげながらこちらを振り向いた彼女は、なんというか普通だった。
クラスにいても目立たないというか、いわゆる陽キャとか陰キャとかそういうのに分類されない感じ。その場に馴染みやすそうと言えばいいのか。
なかなか失礼なことを思いつつ、へらりと笑ってしゃがんでいる彼女と目を合わせる為に、彼女との間にあるフェンスに近寄ってしゃがみこむ。
「おねーさんって高校生?何やってるの?」
ぱちり、と瞬きをひとつして、その顔が柔らかく笑んだ。
ふわりと空気が優しくなった気がした。
「ええと。 ここの花壇をさわらせてもらっているんです。確かに高校生ですけれども、こちらの中学校で以前お世話になっていまして。その御縁で時折お邪魔させてもらっているんですよ」
ゆったりとして落ち着いた声が紡いだ、同年の友人たちとの会話では聞くことのない丁寧な言葉にそわそわと畏まった気持ちになった。
「ーーそうなんですか」
「ええ」
「……。」
「……。」
遅れて返事をする。が、次の言葉が続かない。
普段ならこんなに会話に困ることなんてないのに。
さらりと出てくるはずの言葉が出てこない。
意味のない音ばかりがもれるばかりで。
こちらを不思議そうに見つめてくる瞳は俺を捉えていて、彼女を見られなくなる。
視線をさまよわせながら、何か言わなければと気持ちばかりが焦る。
ああ…もう!
どうした、俺!?
謎の八つ当たりをしていると、ふふ。と笑う声がして視線がそちらに向いた。
「こちらの方がお世話をして下さっているのは分かっているのですけれど、やはり長らくお世話をさせてもらっていたので思い入れがありまして。思わず足が向いてしまいます。かわいい後輩達にも会えますしね。」
高校生がいたら不思議に思いますよねぇ。と笑いながら、パンパンと手についた土をを払っていた。
「あー…。っとぉ…花を育てるのが好きなんですか?」
思いの外落ち着いた声が出た。
うろりと周りを見渡して聞いてみる。
彼女の目の前にある花壇には、まだ花は咲いていないが、いくつかのつぼみが付いた植物が窮屈に感じない程度に並んでいた。
きっと咲いたら華やかになるだろう。
いつの間にかあれだけ焦っていた気持ちは無くなっていた。
「ええ。花だけとは言わず植物そのものが好きだと思います。育てると言っても少し触らせて頂くくらいですけれど」
と、微笑んだまま校庭の奥の方へ目線をやっていた。
きっとそちらの方にも何かしら植えているのだろう。
「そういうあなたはお花はお好きですか?」
その言葉とともにこちらの方を見られているのを感じる。見透かされているようだったが居心地の悪さは感じなかった。
偏見かもしれないけれど、やんちゃ盛りの男子が花のことについて考えることなんてあんまりないと思う。
そりゃ目に付いたらキレイだなと思うくらいはするけれど、正直花の名前からさっぱりだ。
「えぇと。あんまり考えたことは無かった、です。キレイだなーくらいは思う、ますけど。」
どう思われるかなど考えることもなく、ただ思うままに答えを返していた。
「そうですよねぇ」
そう言うと、ふむふむと頷いた彼女は何かを考えた様子で「少し待っていていただけますか?」と言い残して奥の方に駆けて行ってしまった。
本当に何も考えずにただ物珍しさ、出来心で声をかけただけだ。
ほんの少し話しただけ。
それでもなぜか深く息を吸えた気がした。
あの人のまとう雰囲気のおかげだと思う。
人としゃべるのは好きだし楽しいと思う。
それでも、やっぱりそれぞれに思うことも考えることも違って。
それが分かるから、いつの間にか少し気疲れしていたんだろう。
こいつはきっとこっちの方が好きだろうなぁ、とか。
ちょーっと空気読んどくか、ってことが多くなってた気がする。
ふーっと息を吐き出してフェンスにもたれかかる。
将来の事はなるようになるだろくらいにしか考えていなかった。
だって家の工場を継ぐって思ってたし。
一応それに向かっていろいろくっついてやれることはやってたつもりだ。
高2にもなっていれば周りには夢を持っているやつだっている。反骨精神極まって目標を決めた親友だっている。
バカな話をして盛り上がるのはもちろん楽しいけど、ふとそれが遠く感じることもあって。
調子よく合わせてたけど、最近はほんの少しだけしんどかった。
たぶん、長い付き合いだけあってあいつは俺がおかしいことになんとなく気付いているんだろう。
「どうしたいんだろうなぁ。俺は。」
家の工場を締める。らしい。
なんとなく、ずっと俺もじいちゃんたちと同じ道をたどるんだと思っていたのに。
小さいころから見てきた大きな背中にはいつの間にか並ぶことが出来なくなっていた。
好きだったんじゃないのかよ。
倒産ってなんだよ。
俺がなんとかするから。
ぐるぐると色んな言葉が浮かんでは消えて、考えた末のことなんだと、じいちゃんの方がキツイんだと思っては、それでも、と思う自分がいた。
今日、思えば久しぶりにひとりで歩いた。
そうしたら途端に、自分が中途半端で宙ぶらりんになった気がしてひどく寂しくなった。
このあたりの雰囲気にも当てられたんだと思う。
気付けば声をかけていた。
何でもないふりをして、気が付かないふりをしていたけれど、自分の気持ちがコントロールできなくて。
しゃべりたくないけどしゃべりたい、関わりたくないけど甘えたい。そんな気持ちがあったんだと思う。
見ず知らずの人に声をかけるなんてどうかしてるけど。
はぁ。ともうひとつ息をついて、つらつらとそんなことを思っていると、フェンスの向かい側にいたはずの彼女がこちら側に回り込んで戻ってきた。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。お時間大丈夫でしたか?」
「いーえ、大丈夫ですよ。こちらこそなんかいきなりお邪魔してしまってすんません」
今さらになって話しかけたことを後悔し始めていた。
知らないやつからいきなり声をかけられるなんてちょっと怪しいし、警戒もするだろう。
と思っていたのだが。
「あの…。良かったらなんですけれど、普段通りに話して頂いて大丈夫ですよ?」
「え?」
「いえ、少し話しづらそうだなぁと思いまして。勘違いならすみません」
「あー…。やっぱ分かります?普段こんな丁寧にしゃべられることなんてないから緊張しちゃって。んじゃお言葉に甘えてそうさせてもらいまっす。」
なぜだか普通に会話が続いていく。
「私の口調はあんまり気にしないでいただけるとありがたいです。」
「キレイな言葉でいいっすよね。俺の周りはガサツなのばっかだからなぁ」
「それだけ気を置かずにしゃべられるのでしょう?仲が良くてよろしいじゃないですか」
「まぁ、そおっすね」
くすくすと笑う彼女の手には紙コップが2つ。
「良かったらこれ、いかがでしょうか?」
そう言って湯気の立つ紙コップをこちらに差し出してくる。
「お口に合うかどうか分からないのですが、良かったらお試し願えませんか?」
「へぇ。ありがとうございます。」
彼女からお茶を受け取って、匂いをかいでみる。
なんとなく甘いにおいがした。
頂きます。と呟いてひとくち。
少し甘みがあって、心地よい温かさがのどを通り過ぎたと思ったら、じんわりとすみずみまで行き渡る感覚と共にふわりと体の中で自然の香りが広がった。
「なにこれ…」
語彙力が溶けた。
マイナスイオンか?なんかすっげぇ癒やされてる。
体のなかでなにかがすとんと落ち着いた。
「これ、ご近所のお母さんに教えて頂いたハーブティーなんです。今まであまりハーブのお茶は馴染みが無かったんですけれど、ハーブの育て方とかを教えてもらっているうちにはまってしまったんですよね。」
お口に合ったなら良いんですけれど。
とニコニコと微笑みながら言ってるけど、一気に飲むのはなんか違う気がするからしないけど、口に運ぶのが止まらなかった。
「すっごい美味しい。というかすごい、なんだろう体が喜んでる感じがする」
「あら、良かった。はい、こちらも良かったら」
と言って彼女が差し出したのはこれまた紙コップに入った小ぶりの苺。
「ちょうど食べごろだったから少しだけ収穫させてもらっちゃいました。本当はここの子たちと一緒に集めるのですけれど、ちょこっとだけ内緒で」
そういう彼女はいたずらっぽく笑っていた。
手に取った苺は小ぶりだけど、真っ赤でつやつやとしていた。一口でぱくりといってみるとじゅわりと果汁が口の中いっぱいに溢れ出た。香りと甘さがすごいのに後味はしつこくないし、酸味も感じない。瑞々しさも段違いだった。
え、これ俺普通の苺に戻れるのか?
「ん、甘くて美味しい」
目の前の彼女もひとつ口に放り込み味わっていた。
上がった口角に目がいく。
中学校の校庭だけど、ここは彼女の庭でもあるんだろう。
育てているものひとつひとつへの思いの強さが伝わってくる。
きっと大半の世話は後輩と言われているここの子たちがやっているんだろうけれど、この人のフォローが入るのだ。
それがこの結果なんだろう。
本当に植物を育てることが好きなんだろう。
ああ。いいなぁ。
ぐわりと気持ちが奮い立った。
今までなんであんなにネガティブになっていたのか。
―――俺だって。
「ありがとうございます。すごく美味しかった。お茶も、苺も」
「それは良かった」
ふふとやはり笑っている彼女の隣は居心地が良かった。
植物だけでなく、彼女の傍ではどんなものても成長しそうだ。
自然とこぼれた笑い声に自分の顔がゆるんでいることを自覚する。
さあ、まずは目の前の苺に集中するとしよう。
なかなかお目にかかれないほど美味しい苺だ。
もったいないほどのそれを味わいながら、明日への期待に想いを馳せた。