長々と町田から続く多摩丘陵のくねくねとしたカーブもここで終わり。それに、
この機会に全員を追い越して――その目論見自体は、意外にもあっさりと上手く行った。
だけど。
来ている。後ろからも、他の選手が!
まだここは
ならば、行ける。
そして下北沢を通過して
「――捕捉。《エル・リミテッド・リリーベル》」
いや、逃げ切れていない!
その時ようやく私は気がついたんだ。後続を突き放せていないほどに速度が落ちていたことに。
どうして? 強く線路をけって前に出る。出ようとする。
でも。
加速しない足。鉛のように重たい身体。そして、今どこを走っているのかすらもわからないような、靄のかかった思考。
スピードを思うように制御できていないのに、それに気が付いた時にはもう遅かった。
代々木八幡のカーブ。明らかに速すぎる進入速度。ブレーキを込めるのが、致命的に遅れていた。気が付いて非常ブレーキまでつかって減速して何とか通過したけど、こんどはブレーキが緩まらない。あたりまえだよね。コンプレッサが圧縮空気を作ってくれるまでの間はブレーキシューは車輪に押し当てられ続けて、そして私の速度を奪うんだ。
最終盤でのその影響は大きかった――気が付いたころには私は新宿に到着していて、そして――。
ナマラシロイヤ号。シナノグリーン号。レーサルビア号。キリフリ号。エイトプリンシス号。そう、私よりも早く到着できた選手が何名かいた。その事実だけを、押し付けられたのだった。
【山百合S】前走に続きナマラシロイヤが抜け出し差し切る
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ゴール前、新宿1号踏切で競り合うナマラシロイヤ(奥)とシナノグリーン(手前)(記者撮影)
◆山百合ステークス(51M20C、2日)
群雄割拠の顔ぶれとなった今年の山百合ステークスは、一桁世代の期待の新人ナマラシロイヤが激戦を制し優勝を手にした。
序盤、酒匂川を渡るとシナノグリーンがいち早く抜け出し、一時は二番手に10秒以上差をつけてペースを作り上げる。しかし後続集団も黙っちゃいない、秦野を出てからは集団で先頭を変えながらも猛追し、レースを折り返す座間までにはシナノグリーンを吸収し、しばらく激しい先頭争いが繰り広げられた。
その後町田まではもみ合いが続いたが、ここでまたしてもシナノグリーンが抜け出して先頭に立つ。しかし多摩丘陵ではそれほど大きな差はつかず、登戸から複々線区間に入り多摩川を超えると展開は大きく動くことになった。
まず動いたのは今期G2防衛のカツタダイスカイ。前走が無念のコールドゲームであり好走が期待されていた彼女はギャラリーの声援に答えるように加速を開始。彼女に引っ張られるように集団全体が加速して先頭シナノグリーンは成城学園前で再び吸収されてしまう。
つづいてそのタイミングで仕掛けたのがナマラシロイヤ。下北沢の地下線を使い大きく加速するとカツタダイスカイを抑えトップに躍り出て、そのまま1着でゴールインを果たした。2着には終始レースのペースメイカーとなっていたシナノグリーンが終盤差し返して入線したが、一方カツタダイスカイは、終盤大きく速度を落とし6位に敗れた。
記者団へ「到達。夢への途中停車駅にまた1つ進めました」と語ったナマラシロイヤ。まだまだ一桁世代の活躍は続いてゆくことになりそうだ。
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マケタダイスカイ
@WinningLiner
走っています
◎ 軌道上のどこか
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……はぁ。6位。6位かぁ。
SNSで負けたことを報告して、完全にフラットができてしまって回すたびにガタガタと音のなる車輪の踏面をなでながら、私はため息をついた。
なさけない。あんまりにも情けない結果。それがレースの結果だった。
言ってしまうのはあまりにも失礼なことだけど、今日のレースは優勝を逃すのはともかく、SP積算対象外まで落ちることなんてふだんの私からすれば考えられないような、本来は絶対に――という言葉はレールの上にはないけれど、あえてこの言葉を使いたい――絶対にありえないようなレースなんだ。
なのに、私は惨敗した。それは紛れもない事実で、今更覆すことなんてできやしない決定事項だった。
また、私の悪口が書かれてしまっているのだろうか。やめておけばいいのに、怖いもの見たさにSNSの返信欄を覗いてみる。
……やめておけばよかった。
こんなのが続くってことは、私ってレースに向いてないのかな。本調子に戻せないなんて、プロの選手として失格だ。こんなんじゃ、きっと来月だって……。
「……発見。カツタダイスカイ号」
「なに? 私を笑いにでもきたの?」
東京都渋谷区代々木、新宿サザンテラス。
線路の上に蓋をするように築かれた人工地盤の遊歩道の広場の上で黄昏れていた私を見かけて声をかけてきたのは、このレースで優勝したロイヤさんだった。
「謝罪。そのように思わせてしまったのであれば申し訳」
「じゃあ何の用?」
そうぶっきらぼうに返したら、ロイヤさんは静かに私の隣に座ってから、あまり変わらない無機質な声色で答えた。
「感謝。1つはそれを伝えに来ました。あの
「そりゃ気持ちいいでしょうね、勝ったんだから」
「心配。それがもうひとつ」
なにをふざけたことを。
そう思いながら立ち上がって、声の出処を見る。ロイヤさんは僅かに眉間にしわをよせて、私を見つめていた。
「貴女に心配されるほど、私は弱くない」
……あぁ。どうしてこんな言葉が口に出たんだろう。
私は今さっき彼女に負けたのに。
「不調。貴女の調子はいずいかと」
「何を」
「胆速。あのときのような走りではありませんでした」
「何がわかるのさ、あなたに!」
思わず、声を荒らげてしまう。
図星だった。先月のモノレールカップの後から、私は上手く考えが纏まらず、どこか気が抜けてしまう症状が続いていた。こんな私がG2なんて持ってていいのかな、あんなに大井競馬場前で罵られていた私が走ることを心待ちにしてる方なんて、本当に居るのかな。そんな疑問が、常に頭の中をぐるぐるしていた。だからこそ、その言葉には強く反発するものが出た。
だけどその内心すら、ロイヤさんはある程度は見抜いていたようで。
「先輩。あえてそう呼ばせていただきたく」
「やめてよ。ちょっとだけだけど、あなたのほうが生まれたのは早いでしょ」
「ですが成ったのも選手として走り出したのも、先輩のほうが早いでしょう。そして、私は本気の先輩の走りに魅せられて背中を追ってこの世界へと参りました」
「だけどさっき、追い越したんだよ。私は追い越されたんだよ」
「偶然、フロックです。まだ私は本当の先輩に追いついておりません。どうか、その背中を追わせていただきたく」
ロイヤさんのその目は真剣で、まっすぐと飛ぶ矢のように私をグサリと貫くような強い目線を飛ばしている。
つまり、ロイヤさんの言いたいことって。
「あっけなく先着できちゃうような私は私じゃない、と」
「事実。先輩の本当の実力は、あんなつまらない走りではありません。それをわやにするものがあるのであれば、このナマラシロイヤ、お力になりたく」
はっきりと、強い声で。ロイヤさんはそう言った。
あぁ。真っ直ぐだ。それはあの、
そんな選手に、私は背中を追われている。それはとっても光栄なことだ。
……だけど。
「でも、ごめんね。こんな私で。あなたが憧れた私は、それこそ本当の私じゃない。自分自身に無謀な希望を持って……」
「拒絶。そんのみったくない言葉は聞きたくありません。何があったのかは存じ上げませんが、したっけ貴女を本気にしてみせます」
何が。何がロイヤさんをここまで本気にさせるのか。
それはもはや、わからなかった。だけど。
「わかった。そこまで言うなら、やってみてよ」
「拝承。務めさせて頂きたく。では、来週の日曜日に空きは」
「……悪いけど、その日はちょっとね」
その日には前から決まっている用事があった。半年ほど前に交わした約束が。
「……逃げるのですか」
「違う! 本当に違うんだって。ただ……」
「ただ?」
「約束してたんだ。あの子のデビューランには駆けつけるってね。それが今度の『鉄道の日記念メガループ』。だから来週の日曜日はダメ」
「承知。ですがそれならばちょうど良い」
……え?
思いがけない答えに、私はナマラシロイヤ号の顔を見た。
「私が誘おうとしていましたのも、そのレースの観戦でしたから」
★
千葉県船橋市藤原、武蔵野線
この駅の広い島式ホームの府中本町寄りは、その先のまっすぐ続く直線区間を見渡せることもあって、普段から鉄道写真愛好家にも人気が高いスポットだ。
そしてそれは、レースのときはとても顕著になる。
レースが行われるときの船橋法典の入場券の売り上げは、他の武蔵野線の駅と比べても多く、2位の北朝霞の倍近い売上がある。
そんな駅先のグリーン入場券を、どうしてかロイヤさんは2枚も確保していた。
「……ところで、どうしてこのレースを私に?」
「出走――アマチュアではありますが、私と同じ工場で直前に成った子が出るのです」
「なんだ、私とおんなじか」
アマチュアっていうのは、公式登録がまだされていない選手のことだ。鉄道の日記念メガループは、珍しいそのアマチュアの選手も同時に走る混合レースの1つで、それにその子が出るということで一番良く観戦できるこの場所を抑えたのだという。
「良かったの? そんなところに私なんかを連れて」
「先輩だからこそ、見てもらいたいのです。ポラリスの走りを」
とはいえ、私も私でカイザーの走りを見なきゃいけない。そのふたりが同時に来たらそっちを見ている余裕はなくなってしまう。初陣とはいえ晴れて公式登録されたカイザーに迫ってくることはたぶんないだろうけど……。
そんな憶測は、いい意味で裏切られた。
事前に名松トレイナーからは、このカーブの緩い武蔵野線を船橋法典までくればカイザーは独走しているはずだから期待しておいてと聞かされてた。だけど、遠く直線の先に見えたのは、カイザーが銀色の小さな子と並んで走ってくる様子だった。
誰かがラジオを持ち込んでいたのだろう、実況の声が聞こえてくる。
『さぁ先頭は法典、ほぼ横並びだがまだ僅かにポーラーエクリプスがリードを保っている』
「ファイト! カイザー!!」
思わず声が出た。周りの観客たちも、思い思いの言葉を声援として投げかけている。
そんな中で、ひとりだけ……ロイヤさんだけが、異質な応援をしている。
「進行! まだいけますよ、ポラリス!」
どうやらその銀色の子が、ロイヤさんの目当ての子だったらしい。
そのまま両者一歩たりとも譲らずに、歓声に包まれるホームの両側に分かれて駅を駆け抜けていった。だけどこのホームの興奮は、その後ですら、後続の選手が駆け抜けても、ラジオの向こうからカイザーとポラリスが同時にゴールインした旨がとどいてもなお覚めやらない。
「見たか今の!」
「あぁ、銀色のがすごい勢いで抜けてって……それを追いかけるカイザーも、とにかく、ヤバかったよな!」
「誰だか知らねーけど、凄かったよな!」
興奮した様子の声があちらこちらから聞こえる。
この場所から見えたのは、1分にも満たないほんの僅かな一瞬だけ。だけだけど、それですらこれだけの興奮を与えられている。それも、まだ無名のアマチュアの選手が。
あぁ、そうだ。これだ。
これが私の、やりたかったことなんだ。怒号の舞う大井競馬場前のような姿じゃない。こうやって熱い戦いを、圧倒的なスピードを見せて魅せる。事前に期待なんてされてなくってもいい。そうすれば、こうやって興奮させられるんだ。それをしている子が追いかけてきているのに、私がそれを出来ないなんてことはないし、しなけりゃ失礼だ。
それに――私が選手になって、走り続けてきたのは、エクスプがそうしてるのを見て、私だってそうしたいと思ったからだ。たかが1回か2回程度大きくミスをしたって、走りでその悪評を塗り替えてしまえばいい。
そのためには。
「もっと、強くならなくちゃ」
「……面様。それでこそ、私の憧れたカツタダイスカイ号です。必ず追いついてみせます。いつかは」
「うん。背中を押してくれてありがとね、ロイヤさん」
そして私達は、自然と拳と拳を合わせた。するとすっと、肩の力が抜け落ちた気がした。
「失礼。それでは、私はポラリスを迎えに行かなくてはなりませんので」
「またレールの上で会うことがあれば、今度は負けないよ」
「いえ。その時は今度こそ、本当の意味で追い越してみせましょう」
カツタダイスカイ号 今期の成績
| 1月2日 | 成田山初夢杯 | 1着 | 標034M25C | (スカーレットセイロン) |
| 2月21日 | 名阪PYDS | 1着 | 標116M00C | (ナラビスタ) |
| 3月28日 | 胆振最速決定戦4R | 1着 | 狭095M20C | (Ozark State Zephyr) |
| 4月3日 | 青春18杯(春) | 2着 | 狭694M00C | ビシャスオサナジミ |
| 5月22日 | 皐月杯 | 1着 | 狭108M65C | (ナリタエクスプレス) |
| 6月12日 | 五月雨賞 | 1着 | 馬027M55C | (メジロプラトー) |
| 7月17日 | 国交デーC | 1着 | 狭048M40C | (シナノグリーン) |
| 8月27日 | 箕面記念 | 1着 | 標015M15C | (アシガラ) |
| 9月18日 | モノレールC | 2着 | 単011M00C | ナンコウスミノエ |
| 10月2日 | 白百合S | 6着 | 狭051M20C | ナマラシロイヤ |
| 勝利回数 | 7回 | 獲得SP | 80 | |
| ステイタス | G2 | 前期ステイタス | G2 | |
ウェストブライト号。ネオトウカイザー号。そして、ポーラーエクリプス号。次の世代の、未来の
やはり、現在の英雄が必要だ。必要なのだ。歴戦を戦い抜いて、そして勝ち上がった英雄が。
10月期末の選手は、1番高いステイタスでもG2にとどまった。
11月期末の選手にも、可能性のある選手は残ってはいない。
12月期末は……カツタダイスカイ号は今月も敗北したが、まだ残り2勝の可能性は残っている。
1月期末は、そもそも絶対数が少なく既にG1到達可能性のある選手は残っていない。
2月期末の選手にも、まだ可能性のある選手はいるがここから4連勝しなければならないのは厳しい。
3学期末は絶対数も多く、可能性で言えば期待はしうるがここまでくるともう不確定要素が多すぎる。
総合的に判断を行えば。
「コールドに続く惨敗。最早市井の評価はそれはできないだろうという見方が確実となり、それを唱えるものはロマンチストだと見做される。だが……」
直近では、少なくとも12月末までは、カツタダイスカイ号に注目する他ないのが現実というものだ。それに仮に到達したのであれば、敗北からの復活という分かりやすい
それを綴るために、予め過去のカツタダイスカイ号の過去の戦跡を纏めておこうか。そう考えながら、ヒカリエターナルは集計ファイルを閉じた。
「俺にはもはやどうすることもできまい。だが、願うくらいはしてもバチは当たりはしないだろうよ。だが……」
最低だな、俺は。
エターナルはそう呟いた。たったひとりの戦績に、その者の預かり知らぬところで日本のレース全体の命運を賭ける。そのような倫理観を完全に欠き、その
そんな自分自身の事を、エターナルは改めて消極的に評価したのだった。