「ぼ、防諜部、ですか?!」
「ええ、イーサン・アシュフィールドくんの配属は防諜部と伺っておりますが……どうかされましたか?」
思わず声が裏返るほどに驚くと、メインエントランスの受付嬢に首をかしげながら問いかけられた。
「え、ああ……ちょっと意外だったので、びっくりしちゃって。自分はてっきり開発とかに回されるとばかり……」
「学業成績的にいくつか候補が上がっていたようですよ。防諜部以外ではサイバーウェアの開発室や対他企業の研究室も入ってました。どの方面でもイーサンくんが活躍できると見込まれて配属先の選定を行っているので心配しなくても大丈夫ですよ。」
イーサンとしてはそんなことを心配しているわけではない。なってしまったものは受け入れるしかないが、運が悪かったと嘆くべきだろうか。
イーサンが防諜部に入ることでこの先にどんな展開が待ち受けているのかが全くの未知数になってしまったこと。心配事はそれだけである。
「もし合わないと感じるようなことがあれば別部署への転属希望を出せば、面談の後に移れる仕組みですよ。」
「はぁ、そうなんですね……わかりました、ありがとうございます。」
「それでは、防諜部は33階です。中央のエレベーターから上がってください。」
カツオの父親が暗殺されてから暫く後、無事にアラサカに入社して数日。新入社員用の研修を終えたイーサンは防諜部に配属が決まった。内心では前回との展開の違いに焦っているが、それをどうにかできるわけもない。エレベーターに乗り込んで、そこに一人しかいないのを確認して小さく溜め息を吐いた。
防諜部とはスパイやテロリズムを無力化する部署である。企業が世界を牛耳る時代、企業から企業への産業スパイが流行り、その対策をする必要がある。アラサカは大企業だけあって―過去に色々しているというのもあるが―敵対企業は数多く、その分密偵だとか破壊工作だとかに一層警戒する必要があるのだろう。
もちろんイーサンにとって、防諜部に所属することは悪いことではないのだ。その理由に、ミリテクの情報を掴める可能性がある。運が良ければフィクサーと会うこともできるかもしれないし、サイバースケルトンの情報だって掴むことができるだろう。そう思えば今回のルートも悪くはない。
エレベーターの金属光沢に反射する自身の服装にやはり違和感がある。白のシャツに黒いスーツと赤いネクタイ。前にいた部署は私服だったし白衣だったので、ほとんど縁がなかったオフィス用のスーツだ。
堅苦しいし重いし、これから毎日こんなものを着て働くのかと思うとげんなりする。といっても新人研修の頃から着ていたから多少慣れてはきたのだが。
33階に到着すると、そこは薄暗いフロアだった。エントランスやその他のフロアと違って内部照明がそもそも暗く設定されているようで、全体的に黒い印象を受ける。
エレベーターを降りて右へ行けばフロアの中央部。受付のようなデスクがあり、そこから左を見れば執務室であろう個室がいくつか見える。それぞれの個室は赤く透明なガラスで仕切られていて、その光が周囲を照らすせいでなんだか非常灯のようなフロアだ。
反対に右側を見るとすぐに広い会議室があり、そこは普通の白い照明。もちろん周りから見えるようにガラスで囲まれているが、今会議している声や音は漏れていない。その奥にはやはり赤い執務室があって、少し目に痛いフロアだなと思った。
「お、君が新人くんかな?」
「あ、はい。イーサン・アシュフィールドと申します。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。といっても俺はただの受付係だ。あまり関わることはないが、何かあったら俺を通せば人探しくらいは手伝ってやる。」
受付係と自称する男は握手を交わしてから赤い部屋の方を見た。
「この先、ブースの一番奥にここの上司がいる。お前がやるべきことはまずは挨拶だが、ノックやコールはちゃんとしろよ。」
「はい、もちろんです。」
「防諜部には珍しく、そんなにお堅い人じゃない。緊張する必要はないさ。」
行ってこいと背中を押され、別れ際に軽く頭を下げて暗い廊下を進む。
廊下で話をする男性二人や通話をする女性に軽く頭を下げるなどして、すぐさま部屋に着いた。
コール用の通信機器をタッチして、入室を促される。
「失礼します。」
「ようこそ、アラサカの防諜部へ。私は室長のアルフレッドだ。好きなように呼んでもらって構わない。」
「イーサン・アシュ――」
「イーサンくん、ここは防諜部だ。フルネームを名乗る必要はない。今後、アラサカ社内ではファーストネームだけでいいよ。」
「わかり、ました。では、イーサンと。」
「それでいい。慣れない内は大変だと思うが、頑張ってくれ。」
社内ルールというわけでもないのだろうか。防諜部という部署柄、味方を簡単に信用するなという暗示なのかもしれない。実はスパイでした、なんて話は洒落にならないだろう。
といってもそういう自分がこれからスパイ活動に手を染めていくことになる可能性もあるのだが。
「さて、イーサンくん。君はランナーとしての活躍が期待されている。まずはセキュリティマニュアルでも読んで、色々と学んでいってくれ。」
「はい。」
「詳しい話は別の者に頼んである。ちょうど来たようだな。」
アルフレッドがそう言うとドアが開く。失礼しますとあまり覇気のない声で入ってきたのは一人の男だ。黒くて短い髪に口の周りと顎には短い髭。浅黒い肌で目つきは鋭く、左耳にピアスをしている。
「こちらは?」
「前に言っただろう、アカデミー上がりの新人さ。」
「ああ、なるほど。今日からあんたの教育係になるVだ。よろしく。」
「よろしくお願いします、えっと、ヴィー、さん?」
「それでいい。礼儀はちゃんと弁えてるじゃないか。」
「Vは名前のヴィンセントからだ。いろいろと教えてもらいなさい。」
本名を言われたときに先輩は溜め息を吐いたが、どうやらこの人の防諜部らしからぬ人の良さに諦めがついているようだ。
室長と別れ、先輩に連れられて、まずは個人のブースへ。エレベーターホールまで戻って、さらにその奥へ。
そこも相変わらず赤と黒の異様な空間が広がっていて、そのエリアに入ってまっすぐ歩き、ブース一つ通りすぎて左手が専用ブースらしい。
中にはネットランナー用のチェアと横長のデスク。上にはモニターが三枚ほどあって、その前にはいくつかのチップケースが置いてある。
「ここだ、入れ。」
「は、はい。」
先輩の声は少し低くて、そんな人ではないのかもしれないが怖さを覚える。
見たところ年は若そうだが、昨今の外見年齢なんて当てにならない。アラサカの偉い人だって156歳だったか、それでいて外見は少し年食ったおっさん程度の見た目だし、重役のハナコ・アラサカも40くらいの見た目をしていて80歳だとか。
「このチップにアラサカの情報が入ってる。まずはこいつの中身を見て、ここの仕事を学んでくれ。」
「わかりました。」
「慣れるまでは基本的には見回りが仕事になる。俺はランナーじゃないが、何かあったら必ず連絡するように。」
「はい。」
「連絡は端末でしてくれればいい。この部屋には俺とお前、あとは室長とかの上司しか入れない。身の危険については心配しなくていいからな。」
そう言うだけ言って先輩は部屋から出ていった。なんというか、面倒を見る気がない先輩だ。ユミコとは全然違う。こう言ったことに慣れてないのだろうか。防諜部には新人がなかなか来ないとか。
どちらにせよ仕事に取りかからないと行けない。ケースからチップを取り出し、首もとのスロットに挿す。眼前に現れるいくつものモニターに、防諜部所属のネットランナーの仕事について長々と書いてあった。
要は社内ネットワークに不審なアクセスログがないかを常に監視、精査しろということらしい。そういったアクセスが検知されしだい、速やかに排除せよとのこと。なるほど、自分向きといえば自分向きである。
PCのメッセージボックスには二通のメールがあって、一つは室長から配属おめでとうというもの。防諜部らしくないと配属したての自分が言うのもおかしいが、ヴィーのほうが余程それっぽく感じてしまう。
そしてもう一通はそんな先輩から仕事について。どうやら彼は物理的に産業スパイだとかを粛清することもあるらしく、たまにいないことがあるとか。ネットランしながらでもメッセージは送れるから何かあったら送ること。それと仕事を上がる際はその日の作業内容を送れとの旨だった。
仕事内容がネットランに変わっただけで、前と変わりはないらしい。
今日はネットランに関する調整やデータの保管場所のチェックをするだけで良いらしいので、イーサンは早速チェアに座って、ゴーグルを付けてからパーソナルリンクを繋いだ。
アラサカのネットワークはもう既に経験済みで、侵入口が違ったところで新鮮な感じは一切ない。もちろん、防諜部のアクセスキーがあるので前は入れなかった場所に行けるのだが、その程度だ。
歩くように、漂うように、ただただ電子世界をうろついてみる。防諜部の他のランナーが時々見えたり、社内データがごみの山のように放棄されていたり(数年前のものだったからホントにゴミ箱なのだろう)、整理された本棚のごとく綺麗なデータ群だったり。Vさんの直近の報告書あり、興味本位で見てみたが、血生臭い話があったから見なかったことにした。
研修が終わったのが午前中、配属先に来たのが午後一で、気づけば定時も間近。現実世界に帰ってきて、業務報告書に手を付けると一通のメッセージが飛んできた。
差出人を見て、先ほどデータを見たのがバレたのかと内心ヒヤッとしたが、内容はデータのサルベージは得意かというもの。破損具合がどの程度のものかも書いてあり、一度見せてもらえたらと返信をすると、即座に明日の仕事になった。
ついでに報告書を提出し、問題なく受理される。お疲れさまという労いも受け取り、防諜部初日は何事もなく幕を閉じた。いや、防諜部に配属したことがそもそも事件のようなものだったが。
その帰り道、やけに身体が疲れているのを感じる。慣れないスーツで仕事をしたから、だろうか。革靴も履いて足から疲労がじわじわと身体を蝕んでいる。
帰りの電車でもうとうとして、帰り道でも欠伸が止まらない。H10メガビルディングの入り口には人がおらず、珍しいこともあるものだと暢気に考えながら階段を上がる。エレベーターを呼び出す頃になって初めて外の銃声に気がついた。
今回登場したVはfigmaの男性Vをモデルにしています。