イーサンは改めて企業はクソだと認識した。目の前にあるのは砕け散った何かの屑物の山で、赤いそれはもはや全て融かして再形成した方が早いのではないかと思うのだ。
こうなった経緯はおよそ一時間前まで遡る。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。お前に頼みたい仕事っていうのがこいつだ。」
朝、イーサンのメッセージボックスには仕事の内容を話すから個人ブースまで来いとのお達しがあった。これと言って私物を持ち運ぶこともない昨今、身の回りを整えることなんて時間はほとんどかからない。
ヴィーの元まで行き、差し出されたのは一枚のチップだった。
「他のネットランナー達もやってるんだが、こいつの中にあるデータをサルベージしたい。お前に渡すこれはサルベージしたいデータの一部だ。」
「なるほど、これって破損データのコピー品ですか?」
「そうだ。」
昨日、机の上に置かれていた安物のチップケースとは打って変わって、目の前にある箱には厳重なロックがかけられている。それほど重要な情報がここには眠っている可能性がある、ということだろうか。
「データのコピー以外に、こいつの元データが保管されていただろう場所の復元も入ってる。情報を漁る必要があると判断したらそこにアクセスしてもいい。このチップを挿していれば自動的に認証も通れるようになってる。」
「了解です。」
「そのデータ自体もアクセスを許可された場所も機密事項だ。外部への持ち出しはもちろん禁止されている。何か質問は?」
「今のところは無いです。」
「よし、しばらくはそれに係りっきりでいい。他の仕事が回らないようにしておく。」
「わかりました。」
他のネットランナー達もという話から、この件に関わっているランナーは複数。どれほどの人間がいるかはわからないが、防諜部でも自分以外に何人か駆り出されているだろう。それほどまでに、破壊されたデータというのはアラサカにとって重要であるということだ。こんな新人にも回ってくるほどの仕事だ、猫の手も借りたいといったところか。
他の仕事が回ってこないようにするというのも対応としては相当思い切ったものだと思う。まぁ、仕事を始めたばかりだからそもそも仕事が回ってくるのかというのは疑問だが。
チップが入った箱を受け取って、ヴィーの部屋から出ていく。そんな時だった。
「そうだ、ひとつ言い忘れた。」
「はい?」
扉を開ける前、声をかけられてくるりと振り返る。視界に入るヴィーの向かいの席には誰もおらず、このブースは今、ヴィーとイーサンの二人だけだ。そんな上司が向かいのドアを一瞥してから、まっすぐにイーサンを見つめている。やがて立ち上がり、イーサンの目の前まで近寄ってくる。
「これは仕事とはあまり、関係ないことだが。」
「はぁ。」
両肩を掴まれて、その場でくるりと前後を反転させられる。今度は背後から肩を掴まれて、ぐいぐい押してドアに近寄らせながら、扉の前で一時停止した。肩に当てられた手が片方背中に添えられる。この人は思ったより強引だなと思いつつ、体がそれに従って動いてしまう。
「そのチップに入っているデータに関わったネットランナーは、今のところ全員が脳を焼かれて死んでいる。お前が次の犠牲者にならないように祈っているが、今日から帰り道には気をつけろ。」
「は?」
「以上。仕事にかかってくれ。」
「え、いや、ちょっと?!」
そういうや否やドアを開いて、ポンと押し出された。最後に死の宣告みたいなことを告げていった上司はきっともう普通にデスクに戻って仕事をしていることだろう。
思わず大声を上げたことで、周囲の視線がイーサンに突き刺さる。気恥ずかしくなってイーサンは早歩きで自分のブースへと戻っていくのだった。
そして状況は冒頭に戻る。チップに内蔵されていたデータは首元のソケットに刺しただけでは何のアクションも出来ず、仕方なくブース内の端末にチップを挿してからチェアを使ってアクセスをする。
電子世界にダイブしたイーサンがチップにアクセスする。現実世界と似て非なる世界、そのドアを抜けるとチップに内蔵されたデータがあるはずなのだが、ヴィーが言っていた通り、それは破損したデータだ。何人ものネットランナーがその修復を試み、その果てになぜか死んでしまうという悪魔のデータ。脳を焼かれて死んでいるということだったので、そういったデーモンが仕込まれているのかと考えてスキャンをしてみたが、この屑物の山にはそういったものがなく、本当にただのデータ群のようだ。
それならば恐れることはないと勇んで破片達のもとへ歩いてみたものの、粉々に砕け散った何かである以外の情報が一切得られない。
欠片の多くは曲線を描いている。曲面は赤、内側が少し色が薄くなっていることから、赤が外面なのだろうことは確かだ。いくつかの大き目の破片だけを拾い集めて並べてみる。並べたところで何かがわかるわけもなく、とりあえず何かの形にならないかとそれらを組み合わせてみることにした。
組み合わせたところで元の形がわかるわけはない。ただ、大きな破片の大部分が曲面であることから、球面のある器のようなものではないかという予想だけはできた。情報は相変わらずバラバラで、一つ一つを繋ぎ合わせることは困難だが、ほんの少しだけ断片が見える。
組み合わせられそうな単語がいくつか見つかったが、それがどのようにくっついたら正しくなるのかまではわかっていない。
そんなことに四苦八苦して、気が付いたら昼も過ぎている頃。現実世界に戻れば腹の虫が鳴り響くのだろうが、ここは電子世界なのでそんなことはなく。何かヒントが得られればと元データがあった場所の復元とやらを見に行くことにした。
電子世界は基本的に黒が基調で、物の輪郭は白い線で出来ている。真っ黒な廊下、壁や机といった物の輪郭が白く見えるといったらわかりやすいだろうか。そこに見える人は現実世界で着用している服をそのままアバターとして着ていることが多い。つまりここでもイーサンはスーツを着ているのだが、現実世界と違ってここには重さという概念が希薄だ。少なくとも、服の重さを感じられるほどではない。
いくつかの扉を開いて、目的地に到着した。そこは白い輪郭すらぼやけていて、中央には何やら柱のようなものが立っている。ちょうどイーサンの腰あたりから上は空洞になっていて、胸程度の位置にはガラスが割れた跡がある。たぶんこれは、柱の形をしたショーケースだったのだ。
つまりあの屑物と成り果てる前の完成品はこの柱の中にあったに違いない。このデータの持ち主にとってはなにか執着があったか、イメージがしやすかった形で保管されていたはずだ。
柱はそれそのものが少し光っているように、明るく存在感を放っている。周りがすべて黒でできているからそう錯覚できるのかもしれないが、一旦これを光っているものとしよう。この中に入りそうなものはそこまで大きなものではない。あの破片たちをどう形成しても、半分の高さにも満たないくらいのサイズなはずだ。色は赤。真っ赤というには色褪せていて、
このデータの持ち主は何かそういった美術品の鑑賞が趣味だった、とか。それ以上、ここから得られそうなものは一切ない。左腕を土台にして右肘をつき、さらに右手を顎につけて悶々と考えながらその部屋を後にする。扉が閉まったのを確認して、またガラクタいじりに精を出すしかないと少し落胆する気持ちを抱えながら歩き始める。
それからしばらく、ガラクタいじりに精を出して、結局何もつかめずに一時ログアウト。現実世界の自分は起き上がるよりも早く腹を鳴らし、ここが個室で良かったと心底思った。昼食代わりの携帯食料をぼそぼそと食べ、コーヒーに砂糖とガムシロップを入れて味わうことなく一気飲み。口に残る苦みに耐え、かといって他に飲むものもないので、唾液で洗い流そうとする。もちろんそんなことをしても流れるわけではないが、少しだけ苦みが消えた気がした。出社するときには通りの自販機で二コーラを買おうと心から思った。
再度ガラクタいじりに興じてみても、特に進展は得られない。いくらか継ぎ接ぎにしたところでデータの解析を行ってみると、一人の人名らしきものが明らかになった。ジェ■■■・■リ■。どことなく聞き覚えのあるような、そうでもないような。それを頭の片隅においておいて、ここまでは正解である可能性があるとほんの少しの前進に胸を撫で下ろした。
翌日になっても、この仕事に変わりはなく。相変わらず訳のわからない屑を並べてはこうじゃなさそうだと戻す作業。もうかれこれ3時間は格闘して、進捗は特にない。
気晴らしに散歩してもアクセス権限的にたどり着ける場所は限られていて、結局は特別アクセスのあの場所についてしまう。
光の柱、その破れたガラスから、大きさを想像する。胸の前で穴のサイズを手で測ってみる。横はだいたい肩幅くらいのサイズで、縦は目線まではいかない程度からへそ辺りの高さ。平面と球面があるもの。そして
「陶芸品……?」
閃いた。粘土をろくろという機械で回しながら作成する工芸。ろくろの台の接地面は平面で、回転させながら作ることで底面以外は曲線を描くように作られる。
これかと急いであのコピーデータの元に走る。崩れて的外れな姿で組み合わされているそれらを破壊し、壺の形を思い浮かべる。底面になりそうな素材をまずは集め、それを円形に並べる。角が出来たらそれは内側へ、曲がっている輪郭は円の外周部で、と独り言をぶつぶつ言いながら大雑把に円盤の形が作られた。穴が空いているのは特定できない部品たちで、これらはかけらが小さすぎてどこにはまるかもわからない。データ解析をしてみると新たに浮かび上がる文字。
ジェー■ズ・ノリ■。そうだ、イーサンは確かにこの名前を知っている。
ジェームズ・ノリス。デイビッドがかつてーそしてきっと今回も、その背中に装着したサイバーウェア、サンデヴィスタンの前の持ち主。それ以外にも、虫食いではあるがいくつかの人名が浮かんでいるようだ。しかし、イーサンはそれらに見覚えも聞き覚えもないし、閃きもしない。
更に、そのジェームズ・ノリスよりも先にあるデータは一切読み取ることができないくらい、塵芥となってしまっている。そこ以外は大きな破片もいくつかあるくらいの壊し方なのに、異常なほどの破壊ぶり。これが、あの軍用サンデヴィスタンの歴代装着者の名前だとしたら。きっとこの先には、親友である彼の名前が刻まれているに違いない。
しかし、なぜそんなものがアラサカにあるのだろうか。ジェームズ・ノリスは軍人上がり。軍なんてアラサカのサイバーウェアの提供先である以外に価値はなく、わざわざ個人の名前を残しておく必要は無いように思える。
デイビッド・マルティネスなんてサンデヴィスタンの正規の後継者ではない。あれは盗品で、購入もしていなければアラサカから譲り受けたわけでもない。
もちろん、デイビッドの名前がここに刻まれていない可能性もある。ただ、嫌な予感というものは大抵当たるものだ。とにかく今はサンデヴィスタンの使用者という線を漁ってみるしかない。
アラサカという大企業のセキュリティは厳しいものだ。情報が必要のないものに渡らないように幾重にも認証がかけられていて、新入社員には閲覧すら許されない。
そこは前回の経験が活きるのだ。アラサカのセキュリティをイーサンは前に経験している。
権限のないフロアに行くため、ガチガチのセキュリティを慎重に、それでいて素早く解除していく。一枚、二枚と次々にセキュリティを突破して、眼前のドアを開ければそこには本棚が並んでいた。
現実世界に戻り、昼食を済ましてまたすぐにネットランを再開する。結論から言えばサンデヴィスタンの装着者という線はまだ確定できていない。しかし、否定することもまた難しく、可能性として有り得てしまうというところで止まってしまった。
まるで賽の河原のように瓦礫を積み上げ、データを読み取る。かろうじて顔写真が一枚だけ復元できたが、それが誰かまではわからない。
更に、
今日の成果報告に、ジェームズ・ノリスの名前は入れない。復元した写真も載せない。写真データがあるということだけは書いておいて、個人が特定できるほど詳細な画像は得られていないとしておく。ヴィーにはしっかりと受理されており、報告書を投げたら数秒でどんな人物だったかとメッセージが帰ってきた。
特徴的なのはたぶん青いラインが入っているかもしれないところと返事をすれば明日の最優先に指定される。
仕事が終わって帰宅ラッシュに呑まれるわけでもなく。むしろ人が少なく感じる車内で、空いていた椅子に座った。仕事終わりの眠気に耐えつつ、昨日言われた帰り道に気を付けろという先輩のありがたい言葉を思い出しては意識を保っている。
そんな自意識過剰になっても視線を感じるなんてことはなく。警戒をしていた分か、家に辿り着くと信じられないほど疲れているのを感じる。
服を脱ぎ、寝間着になってベッドに入ればすぐに意識は闇に落ちた。
最近、UAの方がじわじわと増えておりまして。それに伴ってお気に入り登録していただいている数も増えておりまして。
作者としては嬉しい限りですが、何が引き金になって皆さんに見ていただけるようになったのかただただ疑問です。
どちらにせよ、本作を読んでいただいていることにかわりはありません。今一度、本作を楽しんでいただいている皆さんに感謝を。今後ともよろしくお願いします。