多少の呻き声と共に視界に光を取り入れる。なんとなくボヤけている景色と首や腕の痛みで意識がはっきりする。それでも身体に上手く力が入らないし、なんとなく全身が軋むような動きづらさ。首だけを動かしてここがどこだかを把握しようとする。そこで初めて、自分の両手足が縛り付けられていることに気づいた。もぞもぞと動いても、背後に何かがあるようで向きは変えられそうにない。
「目、醒めたのね。」
目に映る範囲外からの声に体が強張る。イーサンの視線の先は壁しかなく、背面で動きを阻害している何かのさらに奥から現れたであろう彼女を視界に収めようと首をひねってもさすがにそこまで回ることはなく。
「えーっと、こんにちは?」
「……あんた、状況わかってる?」
「縛られて、床に寝そべってる位なら……」
「はぁ……」
ため息をついた彼女の方から、硬いものがぶつかるコツンという音とソファかクッションかに沈む音が聞こえる。音の発生源はすぐ後ろのようなので、自分の体を固めているのはソファだろうか。
「それで、あんた何者?」
「企業勤めの平社員、と言いますか……」
「へぇ、やっぱりアラサカの人間なんだ。」
「やっぱり? なんで俺がアラサカの人間だと?」
「あんた、タナカのデータにアクセスしたでしょ。」
「タナ、カ……?」
イーサンは穏やかな会話に安心していたところに不意打ちを食らった。彼女は確かにタナカのデータだと言った。思い違いでなければ、それはつまり。
「ごめんなさい、お姉さん。時間をもらっても?」
「は? あんた、ほんとに状況解かってる?」
「今の状況なら理解してます、俺が整理したいのはそこじゃなくて。」
「そう。いいわよ……デイビッドの友達っていうくらいだし、変わり者でもおかしくはなかったけど。」
それはそれとして聞き捨てならないが、イーサンは思考に耽った。
彼女が言うことが本当であれば、あれはイーサンがまだ学生時代、友人ではないが知人ではあるカツオ・タナカの父親の保持していたデータだというわけだ。タナカはミンチになるくらい酷い死に様だったというのは又聞きだが知っている。
つまりあのデータはアラサカの重役の死体から発掘してきたもので、さらにはその破損原因は彼女であることはほとんど明白だろう。探知系のデーモンのトラップでも仕掛けてあって、それを元にあのデータにアクセスしたアラサカ社員たちを殺して回った張本人。彼女は脳を焼く悪魔そのものであるということだ。
何の気まぐれか、彼女はイーサンを生かしている。殺すに値しないか、情報収集のために生かしておいているだけか。そこはわからないが、彼女は破損する前の完全なデータを見ているはずだ。そこに載っていた情報だって、知っていてもおかしくはない。破損したデータは一部分だけが念入りに粉々になっていた。元々は情報を奪うことが仕事で、そこに載っていて不都合がある何かを見つけたから徹底的に破壊するに至ったんだろう。
「あの、お姉さん。」
「ルーシーでいいわ。」
「ルーシーさん、あそこに入ってたデータについて教えてもらうことって……」
「無理に決まってるでしょ。何言ってんのよ。」
「全部じゃなくていいんです、全部じゃなくて。」
「じゃあ何?」
「あれは、サンデヴィスタンの使用者の記録で合ってますか?」
「さあね。確かに人の写真が多かったけど、サンデヴィスタンの使用記録もいくらか見つかったわ。ただ、使用者だったかまでは見てない。」
サンデヴィスタンが関わっているという線は、あながち間違えているわけでもないようだ。そして、あまりにも遠回しに質問をしたということもわかった。
「ルーシーさん。」
「はぁ……あんた、本当に状況わかってんの?」
「わかってます。でも俺が死ぬ前に聞かなきゃいけない、大事な話なんです。」
「……次の質問は?」
呆れたように応えるルーシーに、イーサンは至って真面目な声音で宣言する。ドキドキという自分の心音が聞こえてくる。ルーシーの言葉が少し気だるそうな声で帰ってくると、イーサンは一度唾を飲み込んで口を開いた。
「タナカのデータの中に、デイビッド・マルティネスはありましたか?」
途端、イーサンの頭は床に叩きつけられた。そのまま頭部に何かをつけられたまま、明らかに様子が変わったルーシーが背後にいる。
「あんた、なんで!」
「……仕事であの破損データを復元しています。数日かかって、ようやくジェームズ・ノリスっていう軍人のデータが出てきました。デイブの家は貧しくて、サンデヴィスタンなんて形見に持っているような家柄じゃない。ジェームズ・ノリスから奪った……いや、死体から回収して売りさばくつもりだったんでしょう。その前にグロリアさんが死んだから、それを形見とした。つまり、デイブがつけているサンデヴィスタンは軍用の代物。もしあれがサンデヴィスタンの使用記録であれば、デイブのデータがあそこにあってもおかしくはないと思ったんです。」
「……ムカつくくらい頭が回るのね。それで、それを知ってどうしようっていうの?」
「ルーシーさん。俺に、協力してくれませんか。」
「どういう意味か、詳しく説明してくれるんでしょうね。」
「もちろんです。」
冷静さを取り戻した彼女が頭から離れていく。もちろん、頭に突き付けられていたのは銃口だったのだが、イーサンがそれを知る術はなく。再びソファーが音を立て、ルーシーが話の続きを促した。
「まず、あんたの目的を聞かせて。」
「俺の最終目標は、デイブを……デイビッド・マルティネスを、生かすことです。」
「……それはどういうこと?」
「これに関しては、詳しく言えません。ただ、俺はデイビッドのために今生を燃やしています。」
「デイビッドが、なんで死ななきゃいけないのよ。」
「それも話せません。」
「何にも話せないんじゃない。」
「……ごめん、なさい。」
情報を共有したいというのは山々だが、これから先に起こる出来事が必ずしもこの通りに進むとは限らない。そもそもイーサンがすでに知っていた未来から変わっているのだ。例えばアラサカ襲撃が起こらなければ推定ミリテクからの依頼が無かったことになるし、襲撃に来るのがデイビッドじゃない可能性もある。事件に巻き込まれるのがデイビッドでないのなら、イーサンは誰が死のうとどうでも良い。
「そもそもの話、あんたはなんであいつのために生きてるわけ?」
「それ、は……」
それを問われたイーサンは固まってしまった。思い返してみれば、アラサカに入った時点で、サイバーパンクであるデイビッドとはほとんど関係の無い未来しかないのに、なんであんなに必死になって彼を救おうとしたのだろう。連絡だって頻繁に取り合う仲じゃなかったのに、どうしてデイビッドがサイバーサイコシスを発症した時にあんなに絶望したんだろう。盾になんてなれやしないくせに、サイバースケルトンを破壊されたデイビッドの前に立ってしまったのはどうしてだったか。
「友達、だから……?」
「友達程度を、起こるかもわからない危険から守るために、そんな風に動いたりしてたら身体がいくらあっても足りないわよ。」
「……確かに。」
逡巡の果てに出た答えも言われて納得する程度には脆いもので。ではなぜと再度自分に問いかけても、答えが上手く浮かばない。
「……いなくなるのが、怖かったんです。」
「あんたのその予感が当たって?」
「はい。俺は企業で、あいつはサイバーパンクで、ほとんどもう接点なんて無い。俺がいてもいなくても、あいつの人生にはなんの影響もないかもしれないけど、あいつがいない世界を想像すると、なんか……怖くて。」
「……そ。あんたもデイビッドのことが好きなのね。」
「すっ……好き、なんでしょうか。そう言われると、なんか……恥ずかしいんですけど……」
「あら、いいじゃない。誰かを好きになれるっていうのは良いことだわ。もう遅いけど。」
「そう、ですかね……」
恋心というものをその年まで経験していないのは大問題だろとルーシーは密かに考えていたが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて飲み込んだ。
イーサンは恥ずかしいと思いながらも、好きという言葉がしっくりくる感覚はあった。イーサンはその好きという感情がどんなものかまではわかっていない。理解したのは、こうやって人生をかけて何かをしたいと思えるなら、その何かが好きってことなのだろうということ。
不意にソファーの軋む音がして、ルーシーの足音が聞こえる。
「いいわ、あいつのためだって言うならあたしも協力する。」
「ほんとですか!?」
「悪い奴じゃなさそうだしね。」
そう言いながら、ルーシーはゴソゴソと拘束を外し、イーサンを立ち上がらせた。
「これは俺の推測でしかないんですが、あのサンデヴィスタンには何かしらの役割があるはずなんです。」
「それはどうして?」
「ジェームズ・ノリス個人が記録され、デイビッド・マルティネスの記録が存在しているからです。軍に販売しただけならジェームズ・ノリス個人の記録が残るはずはないし、デイブに関しては盗品。正規ルートでの購入ですらないのに使用者の情報がアラサカに、もしくはタナカ個人に漏れているのはおかしい。他のアラサカ製品にはそんな情報を集積したデータはありませんでした。」
「確かにそうね……じゃあ、あのサンデヴィスタンは一体何のために?」
「それが今のところ、よくわかっていなくて。なのでまずはそれを解明するために、ルーシーさんにはタナカを殺した、もしくはデータを破壊したときの状況を詳しく教えてほしいんです。なにかヒントがあるかもしれないから。」
「……あんまり良いもんじゃないわ。」
「それでも。話したくないことは話さなくていいです。事の大雑把なところを聞けたら。」
和解をした後、対面のソファーに座って話を進めていた。デイビッドを救うためのヒントとしてまずあのデータの謎を解かなければならない。
その答えを得るために必要な手掛かりはきっとアラサカには―イーサンの手が届く範囲にはない。
「初めにタナカの拉致について、聞きたいんですけど。」
「ええ。」
「俺、タナカの息子と同じ学校に通ってたんで、少しは情報を聞いてます。夕方から夜にかけて、タナカは一人で外出したと。それを待ち伏せしたんですか?」
「そうよ、あいつが一人になる瞬間を調べてね。」
「一人になった理由は?」
「裏BDの取引。ディレクターだかなんだかに直接買取に行ってたらしくてね。」
「裏BD……やっぱり……」
前に立てた推測は正しかった。ジミー・クロサキとタナカはそういう関係だ。一流企業の重役がそういったスプラッタ系の裏BDを楽しんでいるというのがイーサン個人としては驚きだが、人の趣味はそれぞれだと切り替える。
「やっぱり?」
「以前、デイブからジミー・クロサキの居場所に心当たりはあるかと連絡をもらったことがありまして。その時は俺のバイト先のバーで聞いたことを話したんですが、なんでジミー・クロサキについて聞いたのかやっと合点がいったなと。」
「へぇ、そんなことが。陰で協力してくれてたのね。」
「そうなりますね、役に立てて良かったで……ジミー・クロサキの、BD……?」
何かが引っ掛かった。
毎日じわじわとUAが伸び、時折お気に入り登録が増えているのを確認しております。
改めて本作を読んでいただき、お気に入り登録していただき、ありがとうございます。
気づけば評価のゲージ?も赤くなっておりまして、評価していただくなんて畏れ多いと感じたりもしますが、至らぬところはいつでも伺います。
ご意見ご感想、いつでもお聞かせくだされば嬉しいです。
今後とも本作をよろしくお願いいたします。