イーサン・アシュフィールドは経済事情だけを見れば富裕層だ。しかしながら、その育ちに関してはどちらかと言えばストリートキッドといえる。
両親との死別はイーサンが12歳の頃。それからは両親がなぜか所有していた集合住宅の1室で生活をしており、他の物件は全て売却。一時期は両親がよく行っていたというバーのオーナーに世話になっていたが、アラサカアカデミーに入ってからはアルバイトとして店を手伝っている。富裕層御用達の落ち着いた雰囲気のバーではなく、下品で騒々しいクラブのような場所だ。
しかし―いや、だからこそ、なのかもしれないが―オーナーもそこに訪れる客も、大半が不馴れな自分に優しくしてくれた。悩みを聞き、アドバイスこそ出来なくても共感してあげるくらいならできる。話が上手いわけでもないのに、学校の話を頼まれればガキだなぁと笑われて。そこにいる大半はアラサカアカデミーなんてものと縁がない貧民層側の人間だ。
だからなのか、デイビッドと馬が合った。富裕層の中でも格差はあるようだが、どんなランクに居ようが下のものを見下す傾向にある。そして、アカデミーの貧民はデイビッドとイーサンくらいだ。お互いに虐められていて、出会いは傷の舐め合いから。なぜか同じクラスにはならなかったが、問題児を同じ部屋に放り込んだら何が起きるかわからないと思ったんだろう、というのが二人の見解だ。二人の内に徐々に芽生えた仲間意識が、学校を退屈で陰湿な場所から少しだけ光がある場所に変えていった。
翌日、目が覚めるとメッセージが1通入っていた。差出人はデイビッド、受信時刻は深夜で、件名は『ごめん』。
内容は電話に出れなかったこととその折り返しが出来なかったこと、昨日一緒に帰れなかったことへの軽い謝罪と病院に行ったりしてたなんて報告。内容を確認して、彼自身は特になんともないようで胸を撫で下ろす。時間もちょうど通学のタイミングだろうしと電話をかける。
「もしもし?おはよう、デイブ」
「おはよ、エタン。昨日はごめん。」
「メッセージはもう読んだよ、気にしないで。」
シャワーを浴びて、着替えながらテレビ番組を拡大。気になるニュースも特になにもなく、天気だって普通に晴れ。要らない情報の群れを消して、家の外に出る。
「昨日、そっちのクラスのタナカから、いろいろ話聞いたよ。」
「……そっか。エタンは怪我とかしてない?」
「俺は平気、そっちは?」
「俺も大丈夫。まぁ、他がいろいろヤバイけど。」
いつも通りを装おうとしているようだが、やはり声音が低い。
「他?」
「ちょっと、ね。昨日さ、あの後いろいろあって。」
「……もしかして、システムエラーの復旧費用?」
帰ってくるのは沈黙。肯定の意味だろう。学費デバイスその他諸々、アラサカアカデミーはとにかく費用がかかる。ギリギリの生活をしているのは察することは容易だが、そこに更なる出費を求められれば、支払いは難しいだろう。
「それも含めて、いろいろさ。」
「そっか。」
金銭の問題が大きすぎるのか、それ以外にもあるのか。デイビッドの声音はフリすら出来ないほどに沈んでいた。それに対してろくに声をかけることも出来ず、2人で沈黙する。
「ごめん、後で学校で話そう。」
先に声をあげたのはデイビッドだった。本の少し苛立っているような声で、こちらの返事も待たずに通話が切れる。
そして直ぐ様、自分はなんて気が利かないんだと自己嫌悪する。お互いが喋りづらくなったのは自分のせいだ。デリケートな話題にずけずけと突っ込んでいったせいだ。
深くため息をついて道を歩き始める。
その言葉に反して、デイビッドは学校に現れなかった。コールにも特に応答はなく、メッセージを送っても返事はない。少なくとも約束を破るような人ではないし、歩けば悲鳴と銃声が聞こえるナイトシティでは真人間と言える人物だ。
嫌だ嫌だと言いながらも授業を受けていた彼が、知る限りでは初めて学校をサボった。電話での暗い雰囲気も相まって、悶々と考えてしまう。何があったのかはわからないが、少なくともその出来事はデイビッドを失意の底に突き落としている。
「まさか、ね。」
ふと過るのは最悪の想像。〈後で学校で〉というのはこちらの気を逸らすための嘘で、その実、彼は自殺の覚悟を決めている途中だった、とか。いやいや、そんなことは、きっとない。でも、あり得ないことでもないのかもしれない。
そんな悪い思考が堂々巡りになり、頭を振って考えを全て否定する。
「初めて心を落ち着けて授業を受けることが出来た気がするよ。」
「ホントですね。昨日はどうなることかと思いましたが……」
「全くだ。新しいデバイス一つ買うことも出来ないなんて、ここに通う資格すらないと言われているようなものなのに。」
コーポ・プラザの歩行者用のラウンドアバウトから出る階段の前。妄想に立ち竦んでいた背後から、そんな話し声が聞こえてきた。その話題の中心人物を知っているのは、同じクラスの人間かその友達くらいだろう。口振りからして彼らは同じクラス。デイビッド・マルティネスを差別する、富裕層の人間。
気付けば振り返って、静かに睨み付けていた。それに気付いた三人組はにやけ面になる。
「おやおやぁ?これはこれは。貧民の味方、イーサン・アシュフィールドじゃないか!」
わざとらしい素振りでカツオ・タナカが声をかける。その一挙手一投足が、イーサンの神経を逆撫でする。
「何?」
「お前が贔屓にしてるデイビッド・マルティネスは今日、学校に来なかったみたいだが?」
「……それが?」
「全く。飼い犬の面倒くらいしっかり見るべきだろうに。」
いちいち嫌味ったらしい台詞に無意識に拳を握る。
「そりゃ悪かった、あいつは賢いからリードなんて要らないんだよ。鶏には可愛い犬すら猛獣に見えるとはね。」
「お前……!」
嫌味には嫌味で返すというのはこのアラサカアカデミーでは日常茶飯事だ。少しでも冷静さを欠けば、情報をとられたり、弱みを握られる。
「それで?そんなこと言いにわざわざ来たわけ?」
「フンッ。生意気なお前に良いニュースを教えてやろう。その飼い犬は、もうアラサカアカデミーに通えない。」
「はぁ?」
「昨日、あいつとそのママンにシステムの復旧費用の請求が決まったらしい。デバイスのアップグレードも出来ないような家庭が、そんなものを払えると思うか?無理だろうな。」
相変わらず癇に障る喋り方をする。話の内容は予想していたものだが、その声音が気をたたせるには十分だった。
「金銭的に厳しいだろうという指摘にも、ママンは頭を下げて学校に通わせてくださいと懇願したらしい。見苦しいにも程があるよなぁ?」
「あ?」
自分でも信じられないくらい低い声が出た。
デイビッドの母親、グロリア・マルティネスももちろんイーサンの知り合いだ。何度か会ったこともある。優しくて、デイビッドのことを一番に考えている母親の鑑だ(こんなことをいうとデイビッドは照れるだろうが)。
「今、なんつった?」
だからこそ逆鱗に触れた。先述の通り、イーサンの親はもういない。あれほど素晴らしい親はいないと心の底から思っている彼女を、デイビッドのためにできることはなんでもやっている彼女を、そしてその努力を愚弄することは許さない。
「見苦しい、と言ったんだ。身の丈に合わないことをして、さらには頭を下げるなんて。ここに通う資格がないのが明らかだろう。」
見下すように笑うカツオに、イーサンは拳を握りしめる。煮えるような怒りを無理矢理沈め、ギラリときつく睨み付ける。ふらつきながらゆっくりと近付くイーサンに、カツオは臨戦態勢をとった。
足を開き、腕を少し上げたそれは、太極拳などに代表される中国武術の構えだとわかる。イーサンに武術の心得はないが、それはカツオも同じだろうと推理した。イーサンの赤い瞳がカツオを見続ける。すると、カツオの首もとから途端にチップが飛び出し、その両腕は煙を上げてだらりと垂れる。
「う、動かない!何故だ!貴様、何をした!」
「学校の授業でやったことだろ、なに狼狽えてるんだよ。」
イーサンはその両目でカツオにクイックハックを仕掛けたのだ。カツオのサイバーウェアをハッキングして、チップの排出と両腕の回路を一時的に停止した。
「早くどっか行け。さもないと、次は目を潰す。お前をボコボコにして、ゴミ箱に放り込んでやる。」
「貴様、俺の親父は学校の理事をしているんだぞ!こんなことして、ただで済むと――あれ」
オプティクス再起動。目のサイバーウェアを強制的に再起動させ、一時的に視界を奪うクイックハック。人間は多くの情報を視覚で得る。それは昔から変わっておらず、サイバーウェアが発達した今でもそうだ。だからこそ、前触れもなく視界が真っ暗になるのは誰だって怖い。ましてや今はまだ夕方の一歩手前、先程まで明るい世界が見えていたはずだから。
「学校の理事してるからなんだよ!他人の親を、格差埋めようと努力してる人を、笑っていい訳ねーだろ!!」
思わず声を荒げる。言い終わる頃には相手の視界が戻っていて、こちらを恐怖するような視線を送っている。
「目を潰すって言ったよな。こんなのは序の口、警告レベルだ。次は壊す。やられたくなかったら、さっさと消えろ。10秒以内だ。」
握った手を見せれば驚くほど早く退散していった。ろくに動かない腕を揺らして、無様な逃走姿だとイーサンは内心でせせら笑った。
ナイトシティでは喧嘩どころか、ギャングの暴動やそれを鎮圧するための銃撃戦なんかは日常茶飯事だ。学生同士の喧嘩なんて可愛いもので、通行人は見向きもしない。
苛立ちを吐き捨てるように、深呼吸にも似た深いため息を吐いて、イーサンもその場を離れた。
結局その後もデイビッドからの連絡はないまま翌日を迎え、朝も一度コールしたが反応はなし。嫌な予感でもやもやしながらも登校して、退屈な授業を聞き流し、気付けば昼前。AI教師の声は起伏も少なく、眠気を誘う条件は整っていた。
「校則違反の生徒を検出したため、全ての授業を中断します。学生の皆さんは――」
そんな眠気を覚ましたのは、AI教師からのアラートだった。クラスメイトは少し戸惑う様子を見せるも、ぞろぞろと教室から出ていく。
デバイスを外し、イーサンも他に倣って教室の外へ。セキュリティサービスが到着予定、なんて台詞も聞こえたから本当に不味いことになっているのかもしれない。
振り返ると、隣のクラスの生徒たちがうんざりしたように喋っている。
「めちゃくちゃ怖かったね。」
「あんだけずっとイジられてたんだもん、相当鬱憤溜まってたでしょ。」
「さすがにあそこまでしつこいと可哀想だよね。」
「それでも成績上位だったんでしょ。」
イジメられている成績上位者。思い当たる人物が1人いる。そして彼女らは、その人物のクラスの人間。イーサンは直ぐ様振り返り、人混みに逆らって走り出す。
「デイビッド!」
名前を呼びながら、教室のドアを開けばそこには。
「痛い、痛いぃぃぃ!!!!」
顔面から血を流し、ただ泣き喚くカツオ・タナカの姿だけが残されていた。
デイビッドが何をしていたか、という視点は
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いる
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いらない
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どちらでも