信じられないものを見るような表情で、荒く震える呼吸音が響く。通信中であることを示すオレンジの双眸が容赦なく突き刺さる。
「エ、エタン……なんで……」
「なんでって、ここが俺の職場だからだよ、デイブ。」
デイビッドは明らかに混乱していて、怯えるように後退する。所長室の入り口は一つしかないし、何せこの部屋は狭い。震える銃口はイーサンの頭部と、すでに存在しない所長の頭部を行き来する。デイビッドはなぜか自分が生み出した死体にまで警戒しているのだ。
いくら時代が進歩して、脳にサイバーウェアを接続できるようになっても、脳を代替することまではできない。正確に言うとしたら、脳以外はサイバーウェアに変えることができても、人間という筐体のCPUが脳であることに変わりはない。どれだけ強固なサイバーウェアを装着していても、どれだけ肉体を改造して生身の体を捨て去っても、脳を吹き飛ばされれば死ぬ。
そして、エバンスはすでに頭部が飛び散っている。ロボットやドローンと違って、サイバーウェアは自律して動かない。つまりエバンスの死体はもう動くはずがない。
「デイブ」
「動くな!」
彼はサイバーパンクとして多くの戦いを経験してきたのだろう。イーサンが一歩前に踏み出せば、直ぐ様銃口が額を捉える。
「あ、いや、違う、違、うんだ……」
踏み出した足を戻して、狼狽するデイビッドを真っ直ぐ見る。それでも銃口は下がらない。
「これが、デイブの今回の仕事。なんだよね?」
イーサンはできる限り優しく、デイビッドに語りかけた。震える銃口がカタカタと音を立てている。
「所長を殺したことも、今俺に銃を向けていることも、俺は責めないよ。」
「エタン……俺……」
「目的は、果たせたの?」
何か言いたげなデイビッドを遮って問いかける。ちらりとエバンスの死体を見て、デイビッドは頷く。
「俺はどうすればいい?」
「え――」
イーサンの問いにデイビッドは目を丸くした。イーサンは真剣な表情でデイビッドを見続ける。
「出来ることはしてあげる。」
「なん、で……」
戸惑うデイビッドを安心させるように、イーサンは笑みを浮かべた。
「そりゃ、友達だからね。」
ナイトシティは金と権力、欲望と陰謀が蔓延る街。サイバーパンクという何でも屋は、フィクサーという仲介人から仕事をもらって稼いでいる。
ではフィクサーはサイバーパンクと誰を仲介しているのか。答えは《誰でも》だ。それにはコーポの人間も含まれている。
コーポは競合他社を陥れるための捨て駒が欲しいだとか、実験台がほしいだとかをサイバーパンクに仕事として提示する。コーポの依頼は依頼主からの情報が少ない状態で挑むことになるのは想像できるだろう。その時は駒として動かせても、明日には駒として襲ってくるかもしれないからだ。
デイビッドがフィクサーから何を言われてこの依頼を成功させたのかはわからない。しかし、ここでイーサンと遭遇することは想定外―いや、計画外だろう。イーサンとしてもこんな時間まで残るのは計画外なので、デイビッド達の計画はしっかりと練られていたのだということはわかる。
「コーポの所属として、スパイ紛いなことをさせたいなら――」
イーサンはデイビッドに近づいて、銃を持つ腕を引き上げた。銃口を左腕に当て、イーサンは真っ直ぐにデイビッドを見る。
「――引き金を引いて、俺の腕を弾き飛ばして。」
「そんな、出来るわけ……っ!」
「俺がアラサカに残るには、こうした方が早いんだ。」
イーサンは一度は外された指を摘まんで、デイビッドの不満を全面に出した表情を横目に、その引き金に指をかけさせる。
「エタン」
「どっかしら破壊されたり怪我してたりすれば襲撃の被害者っていう体裁がとれるようになるから。」
今のまま無傷でいるなら、アラサカからデイビッドと共に去る必要がある。そうでもしなければ、襲撃を手引きした者と疑われる可能性があるだろう。
「左腕ならサイバーウェアだから、新しいのを付ければいい。チームの人とか、待ってるんじゃないの?」
「……急かされてる。」
「ならーー」
「でも。」
デイビッドはここで漸く、真剣な表情でイーサンを見ることが出来た。その視線は先程までの弱々しいものではない。
「友達を撃つなんて、俺はしない。」
イーサンはその返答を予想していた。デイビッドにそういう奴だと知っているから。
「そうだね、デイブはそういう奴だ。」
だからこそ余裕綽々に微笑むのだ。その顔にきょとんとして、デイビッドは瞬きを数度。
「ちょっと、借りるね。」
イーサンは間髪入れずにデイビッドの銃を強奪する。これからやることの想像はデイビッドにすら一瞬で出来た。それでも、デイビッドはその腕を動かすことが出来ない。
「エタン、お前!」
「こうしないとね、無理でしょ。」
デイビッドの瞳のオレンジは通信中という表示。対してイーサンの瞳は赤く、それはハッキング中という表示だ。
イーサンはデイビッドの腕のサイバーウェアを一時的に動作不良にしている。時間にして数秒程度、引き金を引くには十分すぎる時間だ。
銃の引き金に右手の指をかけ、その口は左腕の二の腕へ。銃を撃つこと、それ自体は初めてではない。人へ、それも自分へ向けた引き金は経験したことのあるそれよりも重く感じた。一度大きく深呼吸をして、ドキドキとうるさい鼓動を鎮めようとするがほとんど無意味で。
「せーのっ!」
覚悟を決めた掛け声と共に、サイレンサーが付いた改造銃は順調に火を吹き、イーサンの左腕を完膚なきまでに吹き飛ばした。機械化している肩の付け根から、吹き出す程ではないものの血液が漏れ出るように流れる。
銃弾一発で人間の頭部が吹き飛ぶのだ、それだけ高威力に改造されたものなのだろう。イーサンは痛みに顔を歪め、その銃をデイビッドへ押し付ける。
「これで、よし。」
「お前、肩!」
「警備を呼ぶから、気にしないで早く行って。」
デイビッドの腕は既に動くようになっている。イーサンはデスクの側面に寄りかかるように体勢を変えた。
「いつか、説明するから。」
「はいはい。じゃあね、デイブ」
心配そうにそういってデイビッドは走り去る。研究室から出ていくのを確認して、背中と肩がじんじんと痛むのを感じながら警備へ連絡するために移動する。デスクに付けられた非常ボタンを押して、左腕がないことの不便さに気付く。
イーサンはデスクに垂れた自身の血液を見て、良い感じに血痕が残っているとどこか他人事のように捉えていた。現状がどこか現実離れしていて、夢を見ているような気分。それにしては疲労感が強く、イーサンはデスクのすぐ後ろの壁に寄りかかり、そのままずりずりと座り込む。あとはもう、なるようにしかならない。
気付けば眠っていたらしい。目が覚めると病院のようで、右腕に針が一本刺さっている。
「あら、目が覚めました?」
そこにいたのは知らない女性。きっと看護師だろう。点滴バッグを弄りながらこちらに向けて声をかけていた。
「あの、ここ、は?」
「アラサカの医務室ですよ。先生呼んでくるので、起き上がらないでくださいね。」
足早に去っていく看護師に少し呆然として、針が刺さっていないはずの左手を動かそうとする。しかし一向に動く気配はなく、そのなにもない左側を見て一人で笑った。それはそうだ、昨日自分で吹き飛ばしたんだから。
手持ち無沙汰になって脚を曲げて伸ばして、右腕を変に動かさないように気を付けながら身を捩ったりしてみる。長時間座ったあとに伸びをするように、体を動かすのが気持ち良い。
「はいはい、安静にしてね。」
「あ、はい、ごめんなさい。」
医者が到着して怒られてしまった。カルテとこちらを見比べるように視線を行き来させ、それだけでもう大丈夫そうだねなんて結論付けられた。
「え、それだけ?」
「君は出血も少ないし、左手が失くなっただけだからね。といっても結合部が丸見え、肉体側に届くところだったからそれは危なかったけど、命に別状はないよ。」
「はぁ、それは良かったです……」
「どちらかというと疲労で寝てた感じだね。点滴の中身は栄養剤だし、極度の緊張状態から解放されて意識を失ったってところだろう。」
医者の話を聞いてなるほどなと思った。なんだかんだ、人に銃を突き付けられたとか、自分の腕を吹き飛ばしたとか、スリリングな非日常を経験したのだ。肉体的か精神的か、あるいはそのどちらもか、疲労はあるだろう。残業も頑張ったことだし。
「さて、何もなければすぐにでも退院してくれて構わないけど、左腕はどうするかね?こちらで用意して付けることも出来るよ。」
「いや、昔からお世話になってるところで付けてもらいます。今から行っても大丈夫ですかね?」
「もちろん。会社からは追って連絡が行くから、着信があったらコールに出てね。」
「わかりました。それじゃあ今日はこれで退院ってことで……」
そういっている間にも針は抜かれていて、絆創膏が貼られていた。右手を握ったり開いたりしても痛みはない。
ベッドから降りようと体をうねうねと動かす。片腕がないって不便だと痛感しながら身体を起こし、ベッドサイドから脚を下ろした。
「あ、そうそう、治療費のことだけどね。」
医者は思い出したようにそう言った。治療を受けたのだからそりゃ払うに決まっているのだが、イーサンは会社がどうにかするだろうと気にしていなかった。
「明細はあとで送るんだけど、給料から引くか自分で払うかは選んでもらうからね、メールも気にするように。」
「わかりました。」
「それじゃあ、お大事にね。」
アラサカ社から出ると夜も更けており、イーサンはそろそろ日付もかわってるんだろうなと考えた。左腕がないというのはイーサンの業務上、割と致命的な欠陥である。パーソナルリンクー人体と機器を直接接続するコードーも使えなければタイピングもままならない。
「イーサン君!?」
大声で呼ばれて思わず体が跳ねた。振り返るとそこにはユミコの姿がある。イーサンは当然混乱した。ユミコは遥か前に帰っているはずで、今アラサカ社から出てくるはずがないのだ。
「あれ、ユミコさんなんでこんなところに?お子さんのお祝いは?」
「ちょっと、何言ってるの?それは昨日の話よ?」
「へ?」
イーサンは混乱した。今日は明日らしい。何を言っているか理解するのに時間がかかった。
「研究室が襲撃にあったのは昨日の夜なの。身体は大丈夫?」
「え、ああ、なるほど? 身体は全然平気なんですけど……明日が今日ってことは、そもそも会社は休みじゃ?」
「襲撃にあった直後だから、私たちの研究データが盗られてたり消されてたりしないかとか、そういうののチェックで出勤してたの。ああ、ちなみにそういう形跡はなかったからね。」
エバンス亡き今、次席で立場が高いのはユミコである。だから仕事に駆り出されたらしい。
「それにしても、イーサン君が無事……っていうには左手がないけど、命に別状がなくて良かったわ。」
「心配、してくれてたんですか?」
「そりゃもちろん。優秀な後輩がいなくなったら大変だもの。なんてね。」
そう笑いながらユミコはイーサンの左腕を見る。イーサンはパーカーにTシャツ、下はジーンズとラフな格好をしている。
普段からこんな服装で、パーカーの前は開いていることが多いが、今のイーサンには左腕がないため、前を開けると風が強い場合は脱げてしまう。ただ片手で締めることが難しくて、イーサンは仕方なく右手で左側のパーカーを掴んでいた。ぶらりと垂れ下がった左袖は自由に靡いていて、それがやけに痛々しく見える。
「仕事のことは気にしないで、ゆっくり休んでね。」
「ありがとうございます。まずはこれ、知り合いのリパードクに何とかしてもらってきます。」
「そうね、その辺の控除とかできるか、私も確認しておくね。」
「ありがとうございます、助かります。」
手を振って去っていく彼女に手を振り返しながら、いろいろと気にかけてくれる良い上司だと感じる。それはエバンスと比較してだが、彼のことは嫌いではなかった。研究を最優先に、そして興味があることには一点集中。わかりやすく、嫌味は言うが悪い人ではなかったと思い返す。
そんな彼が頭部を破裂させ、明らかに死んでいるという姿を見たのに、それを現実だと受け入れることが何故か出来ていない。あれは夢だったんじゃないかと考えてしまう自分がいる。職場の上司として、そしてエンジニアの一人として、なんだかんだ言いながらも心のどこかで慕っていたのだろう。会社にいってももう会えないのか、と思うとなんだか寂しくなった気がした。
流れるようにヴィクターの診療所へ歩いていった。道中、左腕がないことで不便になるものは特に無かったが、左側をずっと押さえているのも面倒だし、ジッパーを閉められないというのが地味にダメージだった。
「ドクター、ただいま。」
「ここはお前の家じゃないぞ、イーサン。」
ヴィクターはイーサンを見るとすぐに持っていた書類を放り、手術台に寄る。服を脱ぎ捨て、横になれと言われた通りに身体を預けるが、寝る位置を調整するのが大変だということに気付く。
「片方ないって大変。」
「そりゃそうだろう。全く、どんな無茶をしたら腕がなくなるんだ?」
「だから無茶なんてしてないって。ちょっとこう……いろいろあったの。」
「そのいろいろを聞かせてもらうからな。」
「わかってるって、大した話じゃないよ。」
ヴィクターはイーサンの左肩、腕を取り付ける部分をじっくりと見る。破損箇所は多く、交換するパーツも多い。イーサンの目の前には新しい腕の仕様が書かれた画面が出ている。
「時間はかかるが今日このまま新しい腕をつけられるだろう。」
「ほんと?パーカーがずり落ちちゃって大変だったんだよね。」
基部の接続部分に問題はないらしく、どうやらパーツさえ交換が出来てしまえばあとは腕を取り付けて終わるようだ。ヴィクターが工具やパーツを取りに行き、ついでにモニターがCMを映すようになる。
「今回はどんなことをやらかしたんだ?」
「ちょっと、ドクター?俺のせいじゃないんだって。」
カチャカチャと工具が鳴り、イーサンの左腕の補修が始まった。まずは破損パーツを取り除くところから。ヴィクターは何故かイーサンの目の前にひしゃげていたり罅割れていたりするパーツを並べていく。
「普通はこんな壊れ方しないんだよ。交通事故にあったとか、物理系の衝撃実験でもしたのか?」
「あー……交通ではないけど、事故はあったかな。」
「事故?」
「……詳しく話さなきゃ、だめ?」
「もちろん。話すまでそのチェアに縛りつけてもいいんだぞ?」
ヴィクターは昔ボクシングをやっていたらしい。力は強いし、凄まれると怖い。イーサンはいろんな意味でヴィクターに勝てるはずもなく。
「昨日残業でさ。」
そんな語り出しから始まり、事の顛末を白状した。アラサカに襲撃があったことはニュースに取り上げられており、ヴィクターも知っていたようだ。友人が犯人だったこと、自分がアラサカに疑われないように腕を吹き飛ばしたこと。どれも映画のような話だとイーサン自身が思っている。
「お前が無事で良かったよ。」
話し終わると、ヴィクターはそう言って頭を撫でた。パーツの換装が終わり、これから取り付ける腕がゴトッと音を立てて目の前のサイドテーブルに置かれる。
「今回はこいつを付ける。お前が吹き飛ばした腕より通信速度が速くなったもんだ。今の体格に丁度良いと思うが、こいつも武器が内蔵されているわけではない。銃は手放すなよ。」
「了解。いくら?」
「金は細々したパーツ代もあるから後でな。よし、着けるぞ?」
基部を身体に付ける時は激痛が走るものだが、既に基部が付いていて腕そのものを装着するのはそこまで痛みが生じない。
かちりと填まるのがわかると視界にインストール中の文字が現れる。徐々にゲージが増え、100%に到達すると左手は自由に動かせるようになる。重さも特に感じないし、動作に問題はなさそうだ。
「どうだ?」
「大丈夫、たぶん。普通に動くよ。」
腕を曲げ伸ばし、指を動かしてもぎこちないところなどない。椅子から立ち上がって、両手を組んで、裏返して上に。ぐぐっと身体を伸ばして、両手をほどき、横から下ろす。これだけの動作が出来るだけで、無性に気持ちがよかった。
「満足か?」
「もちろん!」
服を着て、パーカーの袖に新しい義手を通す。イーサンはそれだけで何故か嬉しくなった。
「金額は?」
「あー……まぁこんなもん、だな。」
「一万三千エディー!?ちょっ、ドクター、流石にそれは……」
「いいんだよ。俺からの入社祝い、まだ何にもしてやれてなかっただろ?」
「いや、それにしても、破格すぎというか……ってか、腕代をまるまる引いてない?ほんと、いいの?」
「いつかもっと良いウェアでも買いにこい。それでチャラにしてやるよ。」
破格どころではない額の提示にイーサンは目を白黒させた。ヴィクターはそんなもの意に介さず、請求書を作ってイーサンに送信した。
諸々込みで一万三千エディー。腕そのものと肩口の部品、そして全体を覆う人工皮膚。そんな額では到底足りない。
しかし、ヴィクターも割と強情なところがある。それも彼の優しさなんだろう。しかし、この時ばかりは自分で腕を破壊したこともあり、イーサンも流石に申し訳ない気持ちで治療費を払うのだった。
本作の閲覧をはじめ、お気に入りの登録や感想の投稿もいただいておりまして、まず皆さんに感謝を。
文章の見え方などを一切考慮せず、徒然なるままに書き続けて参りましたが、いただいたご意見をテスト的に反映させ、文中の改行空行を増やしてみました。
たしかに作者が読む作品でも空行は良く見られていて、確かに……!となったので試行してみましたが、多少は読みやすくなったでしょうか?
アンケートを設置いたしましたので、ご協力いただければ嬉しいです。
これまで投稿した話も随時このように変更してみようかと思いますが、こうしてもらえると読みやすいだとか、その他ご意見ご感想あればいつでも投稿してください。
今後とも本作をどうぞよろしくお願い致します。
改行空行について
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読みやすかった
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改行・空行が多くて読みづらかった
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改行・空行が少なくて読みづらかった
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特に気にしていない