頭に響いた電子音に顔をしかめながら、イーサンは再度ネットワーク上に意識を沈めた。マップデータを広げ、サイバースケルトンが奪取された位置をマーキング。デイビッドがもしサイバースケルトンをインストールして、その周辺にいるアラサカやミリテクの部隊と交戦するとしたら、逃げ込む道としてはきっとここだろう。そうやってイーサンは必死にその頭脳を回転させながら、いくつかの地点に印を付ける。ある場所にピンを刺して、イーサンは一度停止した。
そこはサント・ドミンゴ地区。デイビッド・マルティネスがその人生の大半を過ごした地域。
イーサンはたった一度だけ、デイビッドの家に遊びに行ったことがある。彼の母親、グロリアと知り合ったのはそれが最初だった。
学校の話なんか全然してくれないからと日頃のデイビッドの様子を話せば楽しそうに聞いてくれて。
走馬灯のように過った記憶に、決意を固める。どんな手を使ってでもデイビッドを助けるのだと。
サイバーサイコシスというのはサイバーウェアに対する拒絶反応のようなもので、サイバーウェアを導入している人は抑制剤を必要とする。もちろん、日常生活で事足りる程度のサイバーウェアならほとんど不要だが、サイバーパンクを生業とするような人たちにはそんなものでは戦闘能力が足りない。
生身の身体では出来ないことが増えれば増えるほど強い抑制剤を使うのだ。サイバースケルトンはその点で言えば常人なんて殆んど薬漬けにでもならないとインストールを完了することすら難しいだろう。
イーサンは印を付けた地図を自身のチップに保存し、現実へと戻った。そして、再度デイビッドにコールをする。
「エタン?」
「デイブ!今どこに居んの!?」
「アラサカに……向かう……」
「は!?」
視覚情報に地図を出し、デイビッドのルートを予想する。移動手段が何であれ、アラサカまではそこまで時間がかからないだろう。彼もサイバーパンクなのだ、無茶な走行くらい幾度も経験しているはず。
「フッハハハハハハハハハ!!」
通話の向こうでデイビッドは突然笑い声を上げた。それも大きな、何か発散するようなものを。
復讐する相手でも見つけたか。もしくは、そいつがけしかけた何かを突破したか。それを聞きながら、イーサンは必死に手を動かす。
そこには進入禁止のフォルダがある。サイバースケルトンのインストールデータが転がっている場所だ。
「ハ……」
「デイブ!?デイビッド!!」
笑い声はすぐに止み、デイビッドからの音声が消える。通話は繋がったまま、相手の正気がもう耐えられないのかもしれない。イーサンは叫ぶように呼びかける。周りの目など気にしている場合ではない。
「母さん。ありがとう、母さん。行ってみるよ、アラサカタワーの、天辺に!」
息が詰まった。呼吸が出来なくなった。デイビッドはもうすでに過去の幻灯に目を奪われている。サイバーサイコシスを発症している。
サイバーサイコシスを治すなんて話は聞いたこともない。何故なら、サイバーサイコシスになるのはサイバーパンクやギャング、軍人くらいだからだ。一般人には殆んど起こり得ない現象な上、サイバーサイコシス化した人物はその身に付けたサイバーウェアを活用して暴れまくる。その鎮圧方法は殺害以外にないというのが現状だし、殺してしまえば治療など必要がない。
ブツッと通話が切られ、イーサンはその両手を力なく垂らした。デイビッドがサイバースケルトンを装着したかまでは追跡できていないが、インストールした結果があの発言と見てもいいだろう。きっと今は濃度の高い抑制剤で無理矢理にでも沈静化させているはず。
ただ、まだ完全な暴走状態ではない。そこが唯一の救いだと思った。発狂していない今、サイバースケルトンを取り外してしまえば。
苦しいまま、イーサンは再びPCと向き合う。全ては友人を助けるため。イーサンは自分が出来る限りを尽くすのだ。
アラサカのセキュリティは厳しい。ICEによる妨害は多くのネットランナーを返り討ちにし、仕掛けられた暗号は幾度も形を変える。目の前にある扉を一つ開くだけでも多大な労力がかかるだろうものを、イーサンは着実に突破していく。
目指すものはサイバースケルトンのインストールに必要なコード。イーサンはあまりにも強靭で、巨大で、現実離れした兵器にアンインストーラーはないと直感した。あんなものを装備すればサイバーサイコシスに一直線、搭乗者は射殺されてゴミのように捨てられる。アンインストールなどすることはないのである。
数々のセキュリティを貫き、イーサンの手は目的のものを遂に掴み取った。そのコードを書き換えるなど、イーサンにとっては造作もない。ガタガタとただ無心にキーを打ち込むと、解除装置はすぐに完成した。携帯できる小型のPCを抱え、一目散に研究室を出る。
デイビッドはあの時、確かにアラサカタワーの天辺と言った。アラサカタワーの最上階には何があるか。答えはAV発着ポートだ。
彼のその発言は彼の母に向けたもの。正常な意識を保っていない彼の言葉がどれ程本気にして良いかはわからない。でも、アラサカと契約したフィクサーがそこに来る可能性はもちろんあり、デイビッドがそれを殺しに来る可能性も捨てきれない。
エレベーターを呼び出した。その待ち時間がもどかしい。どうでもいいフロアで止まったエレベーターを確認して、イーサンは強硬手段に乗り出した。もちろんハッキングである。エレベーターにはそこまで強いセキュリティなどかけられていないので、事は一瞬で終わった。エレベーターは目の前にやってきて、今は最上階を目指してグングン昇っていく。
軽快な音を鳴らして、目的地へとたどり着いた。エレベーターホールにはアラサカの軍人が2名待機していて、すでに銃口をこちらに向けていつでも撃てるように構えている。
「何者だ。」
「ミリテク対策研究室、イーサン・アシュフィールドです。サイバースケルトンがこちらに向かっていると聞いたので、回収に。」
「確認する。そこで待て。」
軍人の一人が背後にあるドアを開ける。漂うのは鉄と硝煙の臭い。発着ポートの床には血痕が散乱しており、弾痕があらゆる場所に残っていた。ドアの先には誰かが倒れ伏し、血だまりを作るそれはもうすでに動いていない。
「ごめんなさい、ちょっとだけ!」
イーサンは自分に銃を向けたままの軍人に対し、サイバーウェアの動作不良とオプティクスの再起動を実行した。せっかくなので武器グリッチも仕掛けてから押し倒す。ドア前に立ちすくむ方は蹴り飛ばし、回路をショートさせる。
発着ポートに出たイーサンはサイバースケルトンの巨躯に包まれるデイビッドと、対峙している全身サイバーウェアの人間、そしてその後ろに隠れる防諜部の制服を着た男を視認した。奥にはトラウマチームが誰かを救助していて、それに気づいたデイビッドが声を上げるとほとんど同時に、その腹を撃ち抜かれる。
息を飲んだ。その傷は通常の人間であればまだ致命傷ではない。だが、デイビッドはもうすでに普通の人間の範疇を超えている。ほとんど致命傷だといっても構わないだろう。
デイビッドが叫び声をあげた次の瞬間にはトラウマチームの体が真っ二つになり、デイビッド本人は発着ポートの出口―といっても繋がっているのは外だが―にいて、全身サイバーウェアの男が放ったランチャーに吹き飛ばされて落ちて行った。
「くそっ!」
折角辿り着けた最上階から、地上まで降りなければならない。そのタイムロスがどれほど深刻なものか。手を伸ばせば助かったものが、その両手から零れ落ちてしまう。
ハッキングが継続しているエレベーターに飛び乗って、エントランスまで降りる。
イーサン・アシュフィールドは何も特別なことはない、平凡な少年である。両親とは既に死別、アラサカアカデミーへの通学で遺産を切り崩し、週末になれば知り合いが経営するバーでアルバイト。学業成績は良好で、特にICEと呼ばれるハッキング対策やネットワークといった電子機器方面の成績は学内でも群を抜いていた。
アカデミーやその他でも問題を起こしたことはない。友人はほとんどいないが、頼れる大人が他にいる。至って普通の少年なのだ。
エレベーターは急降下を続ける。一度も他のフロアに止まることはなく、落下するように下層へ。
全体的に良好な学業成績に加え、その優秀な才能を持ってアラサカ社へ入社。学校の理事長も推薦をしてくれたようだという話を噂で聞いたが、その真偽なんてどうでもいいことだ。
アラサカではミリテク対策研究室に所属。同僚と会話するところは殆ど見ていないが、上司との仲は比較的良好であり、前所長であるエバンスからはその仕事ぶりにお墨付きをもらっていた。代理所長を務めるユミコもイーサンの仕事の早さ、正確さを評価している。
爆音が響いて、エレベーターが少し揺れる。本来なら非常停止をするような揺れも物ともせず、エレベーターは進み続ける。
エバンスが殺されたとき、イーサンはその現場に偶然居合わせた。久々に出会ったイーサンの数少ない友人、デイビッドが犯人である。しかしここはナイトシティ。殺し殺されるなんてのは日常茶飯事だし、道を歩くだけで遭遇できる。イーサンはデイビッドを見逃し、必要があれば協力すると約束を取り付けた。仕事が仕事なので彼の欲しい情報を得ることは比較的容易い。
しかしそれとは裏腹に、デイビッドからの連絡はほとんどなかった。きっとそれは彼なりの優しさだったのだろうと思っていたが、その真意はわからない。サイバーサイコシスを発症していく様をバレたくなかったとか、そういう側面もたぶんあるんだろう。
エレベーターがエントランスまでたどり着き、イーサンは全速力で会社の外に出る。走り去っていく人影を見るに、彼らはどうやらシティ・センターのラウンドアバウト、その中心部に落ちてきたようだ。マックスタックやNCPDといった警察組織が銃撃を繰り返している。イーサンはもちろん、ラウンドアバウトの階段を上ろうとした。
デイビッドももう形振り構っていられないんだろう。破裂音とともに、イーサンの目の前で警察組織の部隊が血しぶきをあげて弾け飛んでいく。顔についた血液を拭うと同時に破壊音が響く。
イーサンが階段を上ると、そこにはもうすでに誰もいなかった。ラウンドアバウトの中心部、ガラスの天蓋の中央部に大きな穴が開いている。
イーサンが階段を下りて、その中心部に駆け出す。一台の車とすれ違い、奥へ。サイバースケルトンの肩部は捥がれ、反重力装置もジェットパックも失ったそれはただ倒れ伏していた。全身サイバーウェアの男がただそれを見下ろしていて、こちらに気付いているのか、見逃されているのかはわからない。
それでもイーサンは、デイビッドのために仕掛けるしかなかった。ブリーチプロトコルは信じられない広さを誇り、必要なコードもやけに多い。それでもイーサンは一瞬でその答えを導き、彼の手にある大型の銃をグリッチすることができた。走り寄りながらもオーバーヒートや回路ショートを仕掛けてみるが一向に嵌らない。
興味を持ったのか、男は走り寄るイーサンに視線を投げた。赤く光る瞳がまっすぐにイーサンを射貫く。
「そいつから、離れろ!」
「誰だお前は。」
「ミリテク対策研究室の、イーサン・アシュフィールド。サイバースケルトンの回収に来た!」
「ほう。」
イーサンはハッキングを仕掛け続けているが、男の余裕そうな態度は変わらない。強固なICEによる反撃を捌くのに精いっぱいで、こちらの飼うデーモンすら押し付けられない。イーサンはいつの間にかデイビッドをかばう様に、男の前に躍り出た。毅然と見上げるイーサンに対して、男の表情は変わらない。
「残念だが、俺が命じられたのは皆殺しでな。」
男の左腕がイーサンの目の前に突き出され、その形を変形させる。
「エタン!エタン、逃げろ!」
「お前も、今抹殺対象に入った。」
プロジェクタイルランチャー。人間の顔面よりほんの少し小さい程度の砲門が、眼前に現れる。
「もう少し早ければ、こいつを助けられたかもなァ。」
イーサンの視界は、電源が切れたように暗転する。
改行空行について
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読みやすかった
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改行・空行が多くて読みづらかった
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改行・空行が少なくて読みづらかった
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特に気にしていない