かぶき町の夜は、いつも長い。
街全体を覆う蛍光灯の明かりが、昼間の埃っぽさを忘れさせるかのように輝き、キャラキャラと賑やかな喧騒が町全体を包み込んでいた。ネオンの看板が所狭しと軒を連ね、夜の闇を染め上げるように明るく照らしている。昼間は市場や雑踏に埋もれていたこの街も、夜になるとスナックやキャバクラの活気で息を吹き返し、まるで別の顔を見せるのだ。
「でさぁ、マジで最悪だったんだよ〜」
「旦那、その話もう3回目ですぜ」
酒の匂いが漂う屋台の片隅で、ひときわ目立つ男が酒の勢いに任せて親父に愚痴をこぼしていた。銀髪に赤ら顔、口元には涎まで垂らしているというこのどうしようもない男こそが我らが主人公、坂田銀時だった。もはやどん底を絵に描いたような風貌である。そんな様子で酔いつぶれた彼の背後を、突然パトカーがサイレンを響かせながら走り抜けた。その音に屋台の親父がわずかに顔をしかめ、ため息をつく。
「旦那、そろそろ店閉めますよ。ほら、立ってください」
「あ〜? なんでだよ、いつももっと開いてんじゃねえか」
「今パトカー通ったでしょ? 最近物騒なんですよ」
「物騒〜? いつものことじゃねえか」
銀時はだるそうに言い返しながら、乱れた着物の襟元を掻きむしった。それを聞いた親父は頭を掻きながら深いため息をつく。銀時がぐるりと周囲を見渡してみると、確かにどこか人通りが少ないような気がした。普段はもっと賑わっているこの時間帯にしては妙な静けさが漂っている。
「知らねぇんですかい? また犠牲者が出たんですよ」
「あン?」
「ありゃただのテロリストだそうですがね。
「あ〜、まあ素人でも玄人でも敵なら斬っちゃうからな。真選組って」
「でしょ? でも噂になってんですよ。真選組が間違って民間人を斬り殺したって。兵と一般人の見分けはつかないそうでね、特徴がないから。だから皆ビビっちゃってるんです。自分らがいつ間違って斬られるかも分からないですから」
「へぇ」
銀時はしゃっくりを漏らしながら、興味なさげに相槌を打つ。親父は「早く帰んな」と言わんばかりに勘定を済ませると、手早く店じまいを始めた。銀時はどことなく不満げに顔をしかめながらも、やむなく腰を上げる。夜風に身を震わせ、ポケットに手を突っ込みながら、千鳥足で帰路についた。
「どいつもこいつもビビっちまってまぁ、情けねぇ。今日日テロリストなんて珍しくもなんともねぇじゃねえか。俺なんてほぼ毎日見てるよ、危険なテロリスト。……食事時テロリスト、ダークマター製造機。冷蔵庫テロリスト、腹ペコ小娘。シンプルなテロリスト、ヅラ。万事屋銀さんの日常はテロリストで溢れかえってるっつ〜の」
ぶつぶつと独り言を呟きながら歩いていると、背後から若い声が聞こえてきた。
「それほんまですか?」
振り返ると、袴姿の青年がに立っていた。関西訛りの口調が特徴的で、顔立ちは端正そのもの。左目の下に泣き黒子があり、柔らかな表情を浮かべたその姿は、どこか人を惹きつけるものがある。だが、その腰には二振りの刀が収められていた。打刀と、やや形の異なる脇差。見るからに只者ではない。
「お兄さん、テロリストに詳しいんです?」
「え? あぁ、いやぁ……」
「最近物騒やないですかこの町。テログループが潜んどるいう噂で、お兄さん、何か知っとるんですか?」
「まあ知ってるといえば知ってるし、知らないといえば知らないかな? 俺の知ってるテロリストと君の探してるテロリストが同じとは限らないしねぇ。というか、多分違うと思うよ」
「何種類ものテロリストが潜んどるって事ですか? 大変やないですか。これでも俺お巡りさんやから、困ってるなら力になりますよ?」
「え!? う〜ん、気持ちだけ貰っとこうかな?」
独り言が妙な方向に転がってしまった銀時は、動揺を隠しながら言葉を濁す。だが青年の目は鋭く、その背筋の伸びた姿勢には一切の隙がなかった。
「ていうか君の探してるテロリストって具体的に誰? 攘夷浪士?」
「京保グループっていうテロリストです」
随分とタイムリーな話題である。だが生憎、銀時はその話題をつい先程知ったばかりであり、京保グループがどういう存在なのかは何一つ知らない。
「それさっきも聞いたんだけど、京保グループって何?」
「京保グループは大いなる思想を持った革命家さ」
関西弁の男が答えるより先に、しゃがれた声が割り込んできた。目を凝らすと、薄暗い路地から数人の男たちが現れる。その風貌は明らかにカタギではない。刀を提げているが、真選組のような規律正しい侍のそれではない。銀時は腰に下げた木刀をゆっくりと握りしめた。
「おいおい、何のようですか? みんなで仲良く酒屋のハシゴですか? 朝日が登るぞ、そろそろやめとけ」
銀時は木刀の柄を握りながらガラの悪いその連中に声をかける。だが彼らの視線が自分ではなく、後方に注がれていることに気づいた。そしてその先に立っていたのは、先ほどの青年だった。
「はっはは、そんな訳ねぇだろ」
男たちの一人が声高に笑いながら、足元の石を蹴飛ばす。カツン、と乾いた音が響いた。
「用があるのはそっちのイケメンの兄ちゃんだ。なあ? おい、人殺し。何とか言ったらどうなんだい?」
「人殺し」という言葉が静かな夜に鋭く響く。銀時はちらりとその青年に目を向けた。青年は、すっきりとした顔立ちの美青年でありながら、どこか疲れたような陰りを帯びていた。
「アンタらに何かを語る口は生憎持ち合わせてないんですよ」
青年はその言葉に静かに答えた。
「それより、許可のない帯刀は違反……大人しく出頭した方が身の為やで」
その言葉に男たちはさらに高笑いする。
「おいおい聞いたかよ。人殺しのカスが未だに警察気取ってるぜ。こりゃ愉快、公儀は殺人も無罪か! 被害者は浮かばれないなぁ。なあ? おい杉原」
杉原と呼ばれた青年は、その挑発にも眉を顰めただけだった。しかし、その手は刀の柄をしっかりと握りしめている。ただ、銀時の目には、そこに覇気や闘気のようなものが感じられなかった。『これからお前を倒してやるぞ』という気迫がまるでない。刀を握りながらも、抜こうとはしない。
銀時はその様子に内心で首を傾げた。江戸の警察である以上、帯刀を許可されている者が人を斬るのは当然のこと。だからこそ、“人殺し”と呼ばれても何ら不思議ではないはずだ。だが、彼らの揶揄にはそれ以上の意味が含まれているようだった。妙にきな臭い。
「刀を抜こうってのか!? 俺らはまだ何もしてねぇのに!」
「前みたいに無慈悲に斬ってみるかい? ええ!?」
杉原は相変わらず静かだった。男たちの挑発にも表情を変えず、ただ淡々と言い返す。
「それは事実やし文句は言わん。好きに言うたらええよ。けど帯刀してるアンタらを捕まえんのと、俺が人殺しなのは別の問題や」
彼の言葉は理路整然としていた。しかし、その背後には押し殺した苦痛や葛藤が見え隠れしていた。杉原は再び刀を抜こうと、柄をしっかりと握り直した。
だが、次の瞬間、銀時が動いた。
「ほいっと」
軽い調子で男の一人を拳で殴り飛ばす。そのまま木刀を抜き、次々と絡んできた連中をあっという間に叩きのめしてしまった。銀時の動きは滑らかで迷いがなく、あっという間に全員を地面に転がした。
杉原はその光景を目の当たりにし、呆然と口を開けたまま立ち尽くしていた。
「な、何しとるんです?」
「気にすんな。ただの酔っ払いの喧嘩だ。かぶき町ではよくある話だ」
銀時は男たちをまとめてゴミ箱に放り込む。生ごみの匂いが漂い始め、杉原は思わず顔を顰めた。
「それより兄ちゃん、なんか面倒事か?」
「え?」
「酒奢ってくれるんならこの万事屋銀さんが話くらい聞いてやるよ」
「万事屋……貴方が……」
杉原の反応に銀時はニヤリと笑った。だが、この後、銀時は少し後悔することになるのだった。
* * *
「分かっとるんですよ! そんな事はぁぁッ!」
「まあまあまあまあまあ、落ち着けって」
あまり酒を飲みたがらない杉原に、酒の席だからと結構飲ませた結果、完全に出来上がってしまったのだ。もちろん銀時もである。奢らせる約束を取り付けて酒を呑みまくったのだ。これぞマダオのダメたる所以。人の金で飲む酒が一番美味いのだ。
銀時は完全に出来上がった杉原の目の前で酒を飲み干しながら、彼の暴走をどうにか食い止めようとしていた。だが、杉原は泣き上戸らしく、ジョッキを握ったまま号泣している。
「俺だって頑張ってきたんですよ! なのにみんな掌返してさぁ!」
涙声のまま話し続ける杉原を見て、銀時はその背中を叩きながら酒をぐびっと飲み干す。
「分かっとるよッ! 俺が悪いなんて、そんな事は俺が1番分かっとるんやって!」
「そうだよ! 俺もさぁ頑張ってんのにさぁ、頑張ってない姿だけ見てやれマダオだやれクソ野郎だ失礼しちゃうよ本当に」
「俺が全部ちゃんとするから! やるから! もう放っておいてくれないかなぁッ! 人の揚げ足取る時だけ急に元気になりやがってッ!!
「全くその通り! 優雅な白鳥も水の下では必死に足を動かしてるってよく言うけどなぁ、最近の人間は水の下だけ見て必死だなって嘲笑う奴が多いんだよ! なんならそこでちょっと魚とぶつかっただけで、そこだけ切り抜いて魚を蹴りやがった残酷だぁとか騒ぎ立てやがるんだ。一部を切り抜いて騒ぎ立てるこの風潮は社会の問題と言っても過言ではないね。まったく、残酷なのはどっちだって話だぜ。……あれ? これ何の話?」
「俺が全部悪いんです。俺が……うっ、うぅ……。やっぱ全部間違っとったんや。俺が生まれた事から間違いやったんや。……アカン、やっぱ今すぐ腹切ります。生き恥晒し続ける訳にはいかん。万事屋さん、介錯とか出来ます?」
「落ち着けってお前落ち着けって。切腹なんてアレだ、酔った勢いでやるもんじゃねえぞ。アレ超痛いからな多分。銀さんだって泣いちゃうかも」
「じゃあもう腹切らんでええからサクッと首落としてくれます?」
「それじゃあ俺がただの人殺しじゃねぇか」
「そやな、他人の手を汚させる訳には行かん。ちょっとビルから飛び降りてきます。万事解決する気がするんで」
「へっ!? あ、おいコラ待て!!」
そのまま飛び出していく杉原を追おうとするが、銀時の足元も千鳥足。テーブルの角に体をぶつけてしまう。そうこうしているうちに杉原はさっさと会計を済ませて出て行ってしまった。酒臭い体のまま急いで後を追う。一緒に酒を飲んだ後に飛び降りられては後味が悪すぎるからだ。
路地裏の薄暗い道で、銀時は走り去った杉原にようやく追いついた。その肩を掴み、息を整えながら声をかける。
「おい、落ち着けって! 人生を投げ出すにはまだ早すぎる! お前、いくつだよ?」
杉原は振り向きもせず、静かに答える。
「24」
「24!? まだまだガキだよ24なんて。銀さん、24の頃なんか何してたか全然思い出せないもん。あれ? 何してたっけ? マジで思い出せねぇや……いやまあ、俺なんかこんなチャランポランだけどこうして生きてる訳だし、悲観するには早いって! お前警察だろ? 立派じゃん! すげぇじゃん!」
だが杉原の返答は自虐的なものだった。
「……でも最低の人殺しやねん、俺は」
その言葉に銀時は少し眉をひそめたものの、すぐに声の調子を軽くする。
「まあまあまあ、何があったか知らないけどさ! これから良いことあるってきっと!」
しかし杉原は勢いよく顔を上げ、怒りとも絶望ともつかない表情で叫ぶ。
「俺みたいな最低の奴は良いことなんてあったらアカンのですよ! 俺なんてずっと不幸に見舞われ続けるべきなんや! ささくれができて、睫毛が目に入って、靴擦れして、棚の角に小指をぶつけて、大事な書類をなくして、人違いで殴られて、転んで、車に轢かれて死ぬべきなんです!」
「そんなことないって! えーと、ほら……」
言葉に詰まりながら銀時は困った表情を浮かべる。
「おい、何かもうめんどくせぇよ。どうしたら良いんだよ。悩める青年の自殺の止め方なんて銀さん知らねぇよ!」
「止めんでええです、放っておいて下さい!」
杉原はその場から走り去ろうとする。
「あ、こらッ!」
銀時も慌てて追いかけようとした瞬間、アルミ缶を踏んで大きくバランスを崩してしまう。思わず手を伸ばした拍子に杉原を突き飛ばしてしまった。
「っ……!」
酒が回った上に油断をしていた杉原の身体は大きく揺れ、そのまま道路へと転がり出た。瞬間、
───ビィィィィッ!!
大きなクラクションの音と同時に、何かが激しくぶつかる鈍い音が響く。「危ねぇだろっ!!」という怒号と走り去る車の音が聞こえる中、銀時はその場に四つん這いのまま硬直した。耳には周囲の音が遠ざかるように聞こえ、代わりに自身の心臓の音だけが頭の中に響く。
──いやまさか、そんな筈ないって。占いによると今日の俺の運勢は最高だった。奇跡的に無傷な筈だ。
冷や汗が額から流れ、地面に滴り落ちる。
銀時は恐る恐る立ち上がり、道路の方に向かって足を進めた。まるで鉛を仕込んだように重たい足取りだ。
「杉原君……杉原君だっけ? 杉原君だったよね?」
声が震える。
「あの、大丈夫? 飲み過ぎちゃったんじゃない? ほら、あそこでやめとけば良かったよなぁお互い……」
倒れた杉原の姿が目に入る。額からは血が流れ、意識は完全にない。銀時は焦りと恐怖で冷や汗を流しながら、震える手で杉原を抱き起こした。その瞬間、彼の側に手帳が落ちていることに気付く。銀時はなんとなくそれを拾い上げ、開いてみた。
【 真選組四番隊隊長
「……っ!」
目にした瞬間、銀時の血の気が引いた。全身に冷たい汗が吹き出し、手帳を握る手が震える。
───とんでもねぇ奴を殺っちまった。
それを理解した瞬間の銀時はシャアの更に3倍の速さで証拠隠滅に走った。
* * *
「うぃ〜、ただいま〜」
銀時が万事屋に戻る頃、空はすっかり明るくなっていた。
「銀さん、また朝帰りですか? いくら仕事がないからって……」
いつものようにだらし無い銀時の生活習慣を叱りつけようとした新八は思わず言葉を止める。かぶき町に鳴り響くサイレンの音をバックに非常に嫌な予感がしていた。何故なら銀時は見知らぬ青年を背負っている。しかも血塗れの。
「あれ? なんか最近サイレンうるさくね? どうしたんだろ」
「お前がどうしたァァァァ!!?!?」
あまりにも平然とした顔で尋ねてくる彼に思いっきりツッコミをする。その喧しさに何事かと神楽もやってきた。
「誰だそれ!? どうしたそれ!!?」
「ああ、これ? 真選組の杉原君、四番隊隊長の。いやぁ、昨日意気投合して飲み過ぎちゃってさぁ。な、杉原君!」
銀時は平然とした顔で背中の杉原を軽く揺さぶるが、当然反応はない。
「な! じゃねーだろ! 白目剥いてんだろーが! 血塗れだろーが!!」
「いつか殺るとは思ってたけど遂に真選組隊士を殺っちまったアルか」
神楽が冷たく言い放つ。
「人聞き悪い事を言うんじゃねえよ。銀さんがそんな事する訳ねえだろうが。これはアレだ、不慮の事故的なアレに」
「アレってなんだ! 不慮の事故ならさっさと病院に連れて行けバカタレッ!!」
そう怒鳴りつけながら新八はタオルを持ってきて手当てを始める。その時だった──。
ピンポーン。
と、万事屋のベルが鳴らされたのだ。
嫌な予感に思わず3人は固まった。