夕暮れが過ぎ、薄暗くなり始めた江戸の街を原付バイクが低い音を響かせながら疾走していた。運転しているのは銀時。その背中にぴったりとしがみつくように文子が座り、その隣を巨体の白い犬、定春が軽快な足取りで走り抜けていく。そして定春の背中には、新八が必死にしがみついていた。
「新八ィィ!!! お前何してくれてんだッ!!!」
銀時の怒声が風を切る音をものともせず響き渡る。原付のハンドルを握る手にも力が込められている。
「すいまっせぇぇん!! いやだって知らなかったんですよ!! しょうがないでしょう!! あの優しそうな人がテロリストとか詐欺にも程がある!!!」
定春の背中で揺れながら新八は必死に言い訳する。しかしその声はどこか情けなく、銀時の怒りを鎮めるには程遠い。
「ほとんどの人間は猫を被っているものよ、新八くん」
文子が冷静な口調で口を開く。
「良い人だなと思った相手には大抵裏の顔がある。普段は優柔不断な癖に馬鹿みたいな事に思い切りが良くて、陰気で根暗の臆病者な癖に時代遅れのゴリゴリの差別主義者。玄瑞は顔と頭以外良いところなんてないからね」
その辛辣すぎる言葉に、新八は目を見開いて反応する。
「アンタ彼女でしょ!? どんだけボロクソ言ってんだ!?」
しかし、それに追い打ちをかけるように銀時が口を挟む。
「テロリストに良いところなんてある訳ねえだろ! お前はそういう裏の顔まで気が付けねぇからダメなんだ!! だからお前は新八なんだ! そんなんだからいつまでも新六にレベルアップ出来ねぇ!!」
「だからなんなんだよそれ!! 新八は関係ねえだろ!! 流行らせようとしてんのか!? 絶対流行らせねえからな!!」
新八の怒り交じりの叫びが響く中、突如として隣から呻き声が聞こえてきた。「何!?」と苛立ち混じりに振り返ると、そこには不気味なほど濃い隈を浮かべた青白い顔があった。
「う゛、ぅあ……」
「ギャァァーー!!! 出たァア!! ゾンビ出たぁ!!!」
新八はその方向に目を向けると、血の気の引いた顔で叫び声を上げる。
恐怖に駆られた新八が定春の背中で大騒ぎする中、そのゾンビが彼にしがみつこうとする。その光景を見て、文子が眉をひそめながら胸元から拳銃を取り出し、迷いなく引き金を引いた。
乾いた銃声が響き、ゾンビは呻き声を上げながらしがみついていた手を離し、無惨にも転がり落ちていく。
「う、撃ったー!? いやダメでしょ!? あれ被害者でしょ!? 何やってんの!?」
「安心して。ただの鎮静剤だから」
新八が驚愕して叫ぶが、文子は冷静に答えた。その場を収めたかと思いきや、銀時が再び声を張り上げる。
「いいか新八、今から俺達はスターズだ。ブラヴォーチームからの連絡は途絶えた。このラクーンシティで起きたトラブルを解決できんのは俺達アルファチームしかいねえんだよ」
「ラクーンシティってどこの事だ!? 江戸の事か!? アルファチームって何だ!? 僕達ただのなんでも屋でしょうが!! つーかブラヴォーチームって誰の事だよ!? 神楽ちゃんの事か!? チーム1人しかいねぇじゃねえか!!!」
「俺はクリス、文子はジル。お前はジョセフだ」
「ジョセフ速攻死んでんだろうがッ!! 死ねってか!? お前ふざけんなよ!!」
そんなやり取りの中、定春が一声吠えた。
「ワンッ!!」
その声に新八が顔を上げると、眼前にはゾンビの大群が押し寄せていた。
「ギャァァーーッ!!!」
銀時は舌打ちをしながら、木刀を一閃。瞬く間にゾンビたちを薙ぎ払い、その隙を突いて彼らはゾンビの間を駆け抜けていく。
周囲を見渡せば、右にも左にも異様な様子のおかしくなった天人たちの姿が広がっていた。
「いよいよやべぇな、あっちもこっちもゾンビでいっぱいだ」
銀時が珍しく真剣な表情で言葉を漏らす。その言葉に、緊張感がさらに高まる中、突然、ウー、ウーというサイレンの音が辺り一帯に響き渡った。
スピーカーからのアナウンスが、重々しい声で告げる。
『緊急警報発令、緊急警報発令。江戸にお住まいの皆様にお知らせします。これより一切の外出は控えてください。繰り返します。一切の外出は控えてください。現在外出中の方は速やかに屋内へと避難してください。江戸は現在未知のウイルスにより凶暴化した天人で溢れています。危険です。決して近づかないでください。繰り返します──』
「これって……」
文子が眉をひそめて呟く。その声は低く、どこか冷ややかだった。
「この辺りだけじゃなくて、もう江戸はゾンビで溢れてしまっているみたいね。思っていたよりもずっと早いわ」
「ごちゃごちゃ言ってる暇はないみたいだな。急ぐぞ」
銀時が短く指示を飛ばす。その言葉に新八と文子は無言で頷き、彼らはさらにスピードを上げて病院へと向かっていった。
彼らの背後には、ゾンビのうめき声と混乱に包まれた江戸の風景が静かに広がり始めていた。
* * *
夜の闇が静かに広がる青柳病院。その薄暗い廊下の隅を、神楽は音を立てないよう慎重に歩いていた。
(嫌な予感がするアル)
その予感は直感に近いものであり、神楽はそれに従うように病室を抜け出していた。この病院の空気には何か不穏なものが混じっている。それは院長である優男、木坂玄瑞と初めて顔を合わせた時から感じていたことだった。彼の態度、冷静を越えて冷ややかな口調、一度も目を合わせようとしなかったあの仕草。そして、彼女が天人だと知った時に一瞬だけ瞳の奥に宿った、あのはっきりとした殺意。
間違いない。あの男は普通の医者ではない。
神楽はその確信を胸に、病院の中を探索していた。廊下を歩きながら、彼女は周囲を警戒する。看護師たちは忙しそうに行き交い、患者たちも普通に会話している。ぱっと見た限り、病院自体には何の異常もない。だが、それが逆に不気味だった。
(どこに何かがある…かもしれないアル)
そう思いながら歩いていた神楽だったが、突然近くから足音が聞こえてきた。それも複数人分の重たい足音だ。彼女は咄嗟に柱の陰に身を隠し、息を潜める。
「は~、おっかねえ人だよなぁ、木坂さん」
その声に耳を澄ませば、話しているのは浪人風の男たち。病院内には不釣り合いな存在だ。神楽は恐る恐る顔を乗り出して様子を伺うと、彼らの姿が目に入った。
「このままいけばマジで天人全滅させられるんじゃねえの?」
「でもよ、これだけ幕府が大慌てって状況でなんで攻め入らねえんだ? 今行けば勝てるんじゃねえの?」
「おっかねえ人ではあるが武士じゃねえ、所詮は医者坊主。戦の事は分かってねえのさ。ウイルスなんていう卑怯な手を使う辺り、武士道のカケラもねえ」
「それは確かに!」
彼らの言葉が病院の廊下に響き、やがてギャハハという下品な笑い声が続く。神楽は心の中で舌打ちした。この感染爆発の原因が木坂であることがほぼ確定した。
「ま、俺らは高杉さんに言われた通り、あの医者を守ればいいんだよ」
「つっても誰も来ねえだろ。こんなもんどうやって犯人を特定するって言うんだよ」
高杉。その名を聞いた瞬間、神楽の脳裏に紅桜騒動の記憶が蘇った。銀時の昔馴染みであり、危険な匂いを漂わせる男。あの高杉が絡んでいるのなら、木坂も攘夷志士に違いない。そして感染爆発もその一環であることは間違いない。
(部下が間抜けで助かったアル)
神楽は小さく息を吐き、思考を巡らせた。この病で苦しんでいる自分の原因が木坂なら、やるべきことは一つしかない。あの優男をぶっ飛ばし、治させる。それだけだ。
男たちの後を慎重に尾けると、彼らは病院の地下室へ続く入り口に消えていった。神楽はさらに足音を忍ばせ、彼らが扉を開けるのを待つ。そして扉が開いた瞬間、迷いなく飛びかかる。
「ほあちゃぁッ!!」
「ぶべらっ!」
「ぐぼぁっ!」
「どぶぁっ!」
一瞬のうちに、3人の男を昏倒させる。神楽は手早く周囲を確認し、小さく頷いた。
「よし」
いや、正確には“よし”ではない。音が響いてしまったし、周囲に気づかれた可能性も高い。しかし忍び込むのは性に合わない。神楽はそう割り切り、地下施設を走り出した。
薄暗い通路は冷たく湿った空気が漂う。不気味な静寂が辺りを支配し、人を拒むような圧迫感がある。神楽は眉をひそめた。
(病院の雰囲気も嫌いアルが、ここはもっと嫌アル)
その先にはいくつもの扉が並び、神楽は慎重に進む。やがて辿り着いた一つの広い部屋。そこには乾いた血痕と傷跡が点々としていた。
(何だろ、ここ……)
不気味な気配に包まれたその空間で、突然、乾いた音が聞こえた。
神楽は反射的に飛び退く。瞬時にバンという銃声が響き、火薬の匂いが鼻をついた。
「あれ? 避けられちゃったか」
その声に振り返ると、そこには木坂玄瑞の姿があった。昼間と変わらぬぼんやりとした顔、困ったような表情。そして僅かに草臥れた深緑のシャツの上から白衣を羽織り、腰には刀を差している。
木坂の冷めた目が、じっと神楽を捉える。
「ダメじゃない。患者は病室で大人しくしていないと。ここはスタッフ以外立ち入り禁止だよ」
「よく言うアル、ヤブ医者。あのウイルスばら撒いたのお前だろ」
神楽は挑発的にそう言い放つ。木坂はわずかに首を傾げ、面倒そうに髪をかきあげた。
「おかしいな、証拠はないはずなんだけど。自信満々だ。ひょっとして入り口に転がってた馬鹿3人が喋っちゃったのかな。だとしたら、高杉に苦情を入れないと」
「お前、何が目的アルか? こんなウイルス騒ぎ起こして何になるアル?」
彼の視線が一瞬だけ冷たく鋭くなる。だがすぐにその感情は消え、再び薄暗い目で神楽を見つめる。癖のある樺茶色の髪が揺れ、彼の声が部屋に低く響いた。
「騒ぎを起こすのは第一段階、別にこれで終わりじゃないよ。一回、全部壊しちゃおうと思って」
彼の声は静かで落ち着いている。それがかえって神楽の神経を逆撫でする。
「高杉の仲間アルか?」
神楽の問いかけに、木坂はわざとらしく目を丸くして見せる。
「あれ? 知り合いなんだ。じゃあ話が早いね。ほら、攘夷志士の目的なんて一つでしょ」
そして言葉を切り、ためらいもなく断言した。
「国を守ることだよ」
その言葉とほぼ同時に、乾いた発砲音が響く。木坂が放った銃弾は正確に神楽の急所を狙っていたが、彼女はそれを間一髪で躱す。そして次の瞬間には、猛然と木坂へと突進していた。
「うおらぁッ!!!」
神楽の拳が空を切る。力強い一撃が放たれるも、それを木坂は身軽に避ける。その動きには無駄がなく、予想以上に洗練されている。怒涛の連続攻撃が繰り出されるが、木坂はその全てを躱していく。彼の動きは滑らかで、攻撃の隙間を縫うように動いていた。神楽の苛立ちは次第に募る。
「ああ、夜兎族だけあって力は強いね。でもそれだけだ」
木坂の冷静な声が聞こえる。再び拳を振り上げた神楽は、今度こそ当てようと勢いを増す。だが、その一瞬の隙を突くように、木坂は神楽の腕を掴み、彼女を宙に投げた。そして勢いよく床へ叩きつける。
「君には大した技術はない」
衝撃で肺から空気が一気に抜け、神楽は咳き込みながら痛みに耐える。しかし木坂は容赦なく腕を捻り上げ、彼女を押さえ込んだ。
「嫌だな。病気の相手を痛ぶるなんて……弱いものいじめは趣味じゃないんだけどね」
冷ややかに言い放ちながら、さらに腕に力を込める。骨が軋む音が聞こえ、神楽の顔に苦痛が浮かぶ。しかし、彼女はそれでも動こうとする。
「やめときなよ。痛いし、折れるよ」
「うるさいアル! 退け!!!」
神楽の強い意志に、木坂は眉間に皺を寄せた。力を入れれば骨を折ることなど容易だが、彼女の夜兎族としての異常なまでの体力がそれを阻む。
(はぁ……嫌だな。本当に気持ちの悪い生き物だ。天人って……)
木坂は心の中で毒づきながらも、彼女の抵抗に対する警戒を強める。情報を聞き出したい以上、無闇に殺すわけにはいかない。しかし、ここで手を緩めれば自分が危険に晒される可能性もある。
──どうする。やっぱり、殺すしかないか?
木坂が逡巡する中、突然ボキリと乾いた音が響いた。神楽が自分の腕の骨を無理矢理折り、彼の拘束から抜け出したのだ。
「はあ……本当にやりやがった」
木坂は呆れ混じりに息を吐き、すぐに注射器を取り出した。そして、隙を見て彼女の体に薬品を打ち込む。同時に一歩飛び退き、神楽の反撃をかわした。
「フーッ、フーッ……」
神楽は荒い息を吐きながら木坂を睨む。その目には未だ戦意が燃えていた。
「皆の病気を治すアル!!」
「えぇ……嫌だけど」
「それなら、ボコボコにぶん殴って治させる!!!」
地面を踏み込む音が響き、神楽が再び拳を振り上げる。しかし、その動きは突然止まった。
「ア、レ……?」
神楽の膝が崩れ落ちる。木坂は満足そうに小さく頷きながら言った。
「良かった。夜兎にも効くんだ、この筋弛緩剤」
「キンシ、カンザイ……?」
「……ああ、頭が悪いと分からないか。ごめんね。筋肉の動きを弱める薬品だよ。薬剤だけど毒物でもあるんだ」
「毒……?」
「そう、これは僕が作ったやつなんだけど。今、分量とか考えずにいっぱい打ち込んだから、君そのうち呼吸不全になって死ぬと思うよ」
危機を悟った神楽は全身の力を振り絞ろうとするが、体は言うことを聞かない。木坂はスラリと刀を抜き、ため息交じりに言った。
「とはいえ、苦しめる趣味はないから、先に殺してあげるね」
刀を振り上げたその瞬間、空気を切り裂く音がした。
「ッ!?」
木坂が慌てて身を引くと、彼の足元を何かがすり抜けていった。それは勢いよく壁に突き刺さる。
「次から次へと……何……?」
振り向けば、壁に深々と刺さった木刀が目に入った。普通ならあり得ない光景に、彼は困惑を隠せない。そして、冷静さを取り戻す間もなく、懐かしい声が響いた。
「よぉ」
声のする方を見れば、そこには銀髪の男が立っていた。
「うわ、最悪なんだけど」
「おいおい、久しぶりの再会にそんな嫌そうな顔するなよ、木坂」
にやりと笑う銀時。しかし次の瞬間、倒れた神楽の姿に気づくとその表情は険しくなった。銀時の背後では、新八が駆け寄り神楽を抱き起こす。そして、少し遅れて文子の姿も現れた。
「ああ、そういうこと。うわぁ、そうなったか。これは嫌だな。テンションが下がる」
「ごめんね、玄瑞。でも今の貴方の行動は容認できないの」
「いや、いいよ。よく考えればこうなるだろうとは予測できたから」
「それなら、これ、やめてくれない?」
「やめないよ。当然だろう」
「そう。ならもう何も言わないわ」
「そうしてくれるとありがたいかな」
「後は銀時に任せるから」
「それは嫌だなぁ。戦いは得意じゃないのに」
「つれないこと言うなよ。俺はやる気満々だぜ」
「帰って欲しいかな……」
きさなは不満そうに声を漏らしながらも、油断なく刀を構えた。銀時はその様子に不敵な笑みを浮かべ、壁に刺さった木刀を力強く引き抜いた。