「
「ええ、お疲れ様です」
挨拶を終えて、俺——
分かっていた事だが、中学生教師は大変だ。
書類印刷に課題のチェック、生徒の日誌へのコメント。
今はまだ新任だが、その内、生徒の部活動までやらなくてはいけないそうだ。
小さい頃はある種の憎悪さえ抱いていた存在に自分がなるとは我ながら以外だが、存外に気分は悪くない。
最後の書類に印鑑を押し終わって、軽く伸びをする。
気づけば時刻は十時を過ぎていた。残業は悪しき文化である。
心の中で毒付きながら、書類をバッグに入れて帰宅の準備をする。
職員室の電気を消し、暗くなった廊下を真っ直ぐに歩く。
昼間の空気とは対照的な暗闇は、いかにも何か出てきそうだ。学校の怪談がいつまでも人気な理由が少し分かる気がする。
下駄箱を抜けて校門を出て、いざ帰ろうという時。
誰もいない筈の体育館から大きな音が聞こえた。
大きな物が高い所から落ちたような、鈍い音。
「……?」
何事だろうか。
まさか不審者か? 体育館に?
………む。むむむ。
もしも本当に不審者だった場合、このまま帰るのは不味いだろう。
それともまさか、幽霊か。
七年前のあの日からそういうオカルトが実在すると知った身からすれば、怪異は不審者より恐ろしい。
仕方なく、自らの怠惰な心に蓋をして職員室へと足を運ぶ。
体育館の鍵を取り体育館入り口へ。
重めの扉を開けば墨汁をこぼしたかのような暗闇が俺を出迎えた。
そして聞こえる、タッタッという足音。
「……! 誰かいるんですか?」
返事はない。
痛いくらいの沈黙がそこにあるばかりだ。
俺はゆっくり、音を立てないように動きながらスイッチを押し、体育館の電気をつける。
パッと天井の明かりがつき、暗闇が消し飛ばされる。
広い体育館の端。
そこに、一人の少女が蹲っていた。
「……
見覚えのある少女だった。
いわゆるギフテッド持ちというのか、テストの点数がすこぶる良い。
周囲との関係性も悪くないらしく、優等生の名前を欲しいままにしている。
彼女は冷や汗を流しながら、泣きそうな顔でこちらを見ている。おさげと共に、
「せ、せんせ………逃げて………!」
その言葉がきっかけだった。
鉤爪は空を切り裂きながら俺に向かって振り下ろされる。
「うわぁっ!!」
俺は声を上げながらその場所から飛び退いた。鉤爪が床に打ち付けられ、鈍い音を奏でる。
たまらず俺は
後ろからびたんびたんと重い物がのたうち回る音が聞こえてくる。
俺はバックからスマホを取り出し、携帯を取り出す。
かける相手は
こういう事は、
『もしもし、どうした〜〜?』
「いや今ちょっとヤバくて、ヤバくて!! なんか、なんか生徒の背中からなんか生えてて!!」
やばいマジで何から話せばいいか分からない。
しかもこうやって話している間にも後ろから音が近づいてくるし。
『ん? もしかして今ヤバい? 死にそう?』
「死っ、死……にそう! 多分あれ一撃でも食らったら死ぬ気がする!!」
そう言った瞬間、足に鈍い痛みが走った。思わず前のめりに地面に頭から突っ込む。
後ろを振り向けば、鉤爪が俺の真後ろまで来ていた。鉤爪の先には真っ赤な血が滴っていて、ああ足を切り裂かれたんだなと実感する。
「うわぁ、いや、いや!! やめて!!」
俺の惨状を見た
その悲鳴に呼応するように、
鉤爪はさらに速く、さらに縦横無人に俺に襲い掛かってくる。
ぼきり、という音と共に自分の腕がへし折られた。
思わず声が喉から捻り出される。痛い。痛い。痛い。
その衝撃で思わずスマホを床に落としてしまった。不味い。
思わずスマホに手を伸ばす俺の腹に、鉤爪の一撃が突き刺さった。
肺から空気が吐き出される。腹が、痛いを超えて熱い。表面を鉤爪に切られたんだ。
あまりの痛みに俺は床に崩れ落ちる。あまりの痛みに涙が出てきた。
絶叫を上げる
その声をスマホが拾ったのか、電話越しに
『封印を解いた! 変身しろっ!!』
俺は痛みに震える体をせっつきながら、左の首筋に指を当てる。
かちゃりと音がして、首に指が沈んでいく感覚がした。
俺は指を右回転させる。
全身が開いていく、変身時特有の感覚が全身に広がっていく。
腕の痛みが引いていく。視線の位置が少し変わった。
目を下に向ければ、赤いバニースーツに包まれた豊かな双丘が見える。
………七年ぶりだな。変身をするの。
「しぇ、しぇんしぇい……??」
ごめんな
俺は右手に持ったスナイパーライフルで、鉤爪へと殴りかかった。
▷▷▷
「……なるほどね」
三十分程だろうか。
とりあえず俺は職員室に
夜になると勝手に暴れ出し、周りの物を壊してしまうそうだ。
だから下校の時間に体育館の窓の鍵を空けておき、夜になると誰もいない体育館に忍び込んで鉤爪を暴れさせていたそうだ。
「大変だったなぁ……」
月並みな感想だが、そんな言葉しか出てこない。
異形の爪が出るというだけでも気持ち悪くて仕方ないだろうに、あまつさえそれが周囲の物を壊してしまうのだ。
大変という言葉では物足りない程のストレスが彼女にかかった事だろう。
それにしても、驚くべきは
仮にもし俺の背中から異形の爪が出た所で、
「わ、私の事情はこれで全部です……。今度は、私から質問していいですか……?」
「おう、いいよ」
「先生、なんでそんな……扇状的な格好を……??」
言葉選んだなコイツ。
いや確かに気になるよな。今の俺、パツキンバニーガールだもんな。
「……俺な。実は昔、魔法少女だったんだよ」
「い、意味が分かりません……」
バッサリ切られた。当たり前だった。
「なんて言うかな……。俺も昔、
「……それで、バニーガールに……?」
「まぁ、うん」
かなり納得いかない顔してんなー。でも本当なんだけどな……。
流石に生徒に性癖云々は言えない。ギリギリセクハラとして成立しそうな気がする。
「ま、とにかく。重要なのは、俺がそういうオカルトの専門家の友達が居るって事と、バニーガールの時の俺は
「ほ、本当ですか………?!」
「おうよ。幸いにも明日は休日だしな。時間はある。いくらでも頼ってくれていいぞ」
俺がそういうと、
「……胸、貸そうか?」
今の俺は女の体だし、普段よりも接しやすいだろう。
そう思って声をかけると、
俺は黙って
少しでも、この少女の重しが取れるように祈りながら。
その後、顔を赤らめた
まぁまぁな深夜だ。子供一人じゃ危ない。
俺は再び
「なぁ、
『ん〜〜……。それは見てみないと分からないんだよな。でも今日昨日じゃそっちまで行くのは中々厳しいんだよな。……よし。決めた』
「決めたって何を?」
『リモートお祓い、しよう』
▷▷▷
「先生、き、今日はよろしくお願いします……!」
「おう、頑張ろうな」
俺は緊張しっぱなしな
昨日から一晩明けた今日、俺達は街の外れ、山奥の古ぼけた神社に来ていた。
神社といっても、鳥居はボロボロ、社は廃屋。今はもう誰にも参拝されなくなって久しい。
「神様が不在だから、顕現できる」。意味はよく分からないが、
いざという時のために、俺はすでに変身しっぱなしだ。
社に入り、持ってきた座布団を二つ引く。
そしてその一方にパソコンを置いた。
『もしもし、聞こえてる? 僕もリモートお祓いって初めてでさ』
「はい、聞こえてます……!」
パソコンの顔では、朗らかな顔で笑う
話し込んでいると、社の扉が開く。そこから現れたのは、濡れ羽色をした美しい少女だ。
「すまん、遅れた。……君が
「わ……! は、初めまして! 今日はよろしくお願いします……! 先生、魔法少女云々って本当だったんですね……!」
魔法少女らしい可愛らしい姿をした
俺は
『それじゃ、服を脱いで背中を僕に見せてくれるかな? もちろん男性陣は外に行っててね』
なるほど。
少し
「……
「みなまで言うな。張り倒すぞ」
バカ話をしながら、俺と
社の扉を閉めると、
「………そうだ。一応言っておくが、俺の性癖はロリコンでは無かったらしい」
「え?」
「見ていろ」
すると、一回転する毎に少女の背丈が大きくなっていく。
まるで早回しの映像を見ているかのように、四肢が太くなり肉つきが良くなっていく。
数秒と経たずに濡れ羽色の魔法少女は、ゴシックロリータな衣装に身を包んだ乙女へとなった。
「え………は……??」
「ロリはロリでも、俺はゴスロリフェチらしい。年齢が高かろうと今の俺には性癖の範囲内だ」
……でもさっきまでロリだったじゃん。やっぱロリ好きなんじゃん。
そう思ったが俺は言葉を飲み込む。胸を張って性癖が拡張した事を胸を張って報告するコイツが、なんだか可愛いかったから。
「あの……。すいません。終わったので入っても大丈夫です」
「了解した」
……な、なんか納得いかねぇ。ロリコンじゃない事を示すならずっと大人のままでいろよ。
いやいや、そんな事より今は
俺は
「なんか分かったのか?」
『うん。これは憑き物筋だね。……完全に祓う事は難しい。落ち着かせて、弱体化させた後は付き合い方を考えなきゃね』
「そ、そんな……!!」
完全に祓えないという事を突きつけられ、
「……どうにかなんないのか?」
『難しいね。……一つ聞かせてくれ。お父さんやお母さんはこの症状の事は?』
「し、知らないみたいでした。さりげなく聞いても、特大反応はなくて……」
『……ふむ』
一瞬の間の後、
『多分、この怪異が暴れ出した原因は……。
「え……?」
『憑き物筋っていうのは、家系につく怪異でね……。両親にも取り憑いてる筈なんだ。だけど君だけが背中から鉤爪を出したって事は……』
「そっ、そんな訳無いじゃないですか!?! 私が何をしたって言うんですか!!?」
普段の
そんなイメージとは裏腹に、今の
『君が悪い事をしたって言いたいんじゃない。そうだな、なんて言うか……。君は頭が良いんだってね?
「わ、私が、私が原因って、そんな訳……」
『人を怨むのにも才能が必要でね。呪い師なんかにも多いんだよ、ギフテッド』
俺も確か聞いた事がある。
カメラアイと呼ばれるギフテッド持ちは、カメラを使ったように風景なんかを記憶できるが、その代わりに嫌な記憶も忘れられないんだそうだ。
「
俺の言葉に、青ざめた
その瞬間、彼女の背中から鉤爪が生えた。
昨日よりも、太く、鋭い鉤爪。それが八本、爆発するように
明るい昼間にそれを認識した事で、それの正体が分かった。
蜘蛛だ。
それが大きくうねり、俺らに向かって四方八方から振り下ろされる。
「グゥううっっ……!!」
咄嗟にガードしたが、俺の体は後ろに大きく吹き飛ばされた。
社の扉をぶち抜き、頭を強く打つ。
「俺の姿を見ろ。希望たり得る俺の姿を見ろ」
蜘蛛の足目掛け、リボンの波が殺到するが、蜘蛛の足は素早い動きで
「いやぁぁぁあっっ、もう嫌ぁああぁっ!! なんでこんな気持ち悪い物が生えるの?! なんで先生を傷つけちゃうの!!?」
八歩の足に吊り上げられ、
その度に、蜘蛛の足が太く大きくなる。
直感した。あの蜘蛛は、
「生まれてこなきゃよかった!! 全部あたしのせいなら、あたしなんか生まれてこなきゃよかった!! あたしなんか、あたしなんか死んじゃえば良いんだ!!!」
その声が響いた瞬間だった。
青い空に、黒煙が走った。
「……え?」
「
ゲコゲコと、背骨を揺らすようなカエルの合唱が地面から響いてきた。
そして熱が。
溢れんばかりの熱気が、神社の社から湧いてくる。
黒煙が空に曼荼羅を描き出した。
カエルの合唱はどんどんと勢いを増していく。
きっとこの場所にいる全員が、自分の首筋に刃物を突きつけられている様な感覚に陥っただろう。
あのバカ、「神様が不在だから顕現できる」って、こういう意味かよ………!!
黒煙が社の一ヶ所に集まっていく。
そこに、いた。
燃えさかる髪の毛を纏い、黒いスーツ姿に身を包んだ
手には一歩のトンカチを持っており、後光のように黒煙で出来た曼荼羅を背負っている。
「……
その言葉と共に、
めしゃりという音と共に、蜘蛛の足の一歩を殴りつけた。
「うわぁっ!」
殴られた衝撃で
今の
「
「分かった!」
俺が言葉を言い切らないうちに、
無数のリボンが、
これで、間違っても
俺は素早くスナイパーライフルを構え、蜘蛛の足を撃ち抜いた。
一本の足が千切れ飛んで、宙を舞う。
仲間もいる。敵との距離も十分。俺もしっかり戦える。
俺は親指を立てて返事をしてやった。
「ギィいっ、ギィいぃいいいっっ!!」
本体のお出ましって訳だ。
蜘蛛の足が、勢いよく
しかしその内の三つは俺に撃ち落とされ、その内の四つはリボンに巻き取られて動けなくなる。
「おおぉおあぁああっっ!!」
トンカチを振りかぶり、横薙ぎに蜘蛛の頭部をぶっ叩く。
「ギぃあぁあぁあっぁああーーーーっっ!!」
蜘蛛の頭部は形容しがたい金切り声をあげ、血飛沫をあげて雲散霧消した。
▷▷▷
「……わたし、本当は体育の時間が好きじゃないんです」
蜘蛛との戦いが終わった後、
「小学生のころ、体育の先生にみんなの前で出来ない縄跳びを何回も飛ばされて。その記憶が、今でも消えないんです」
自分でも小さな事だと思うんですけどね、と彼女は笑う。
「わたしが体育館で暴れてたのもこの記憶があったからかも。先生を襲ったのも、体育教師への恨みがあったのかも。もしかするとわたしは心の奥底では、凶暴な人格を飼ってるのかもしれませんね」
「……でも、俺を傷つけたくなかったのは間違いなく本当だろ?」
「……!」
「少なくとも、俺にはそう聞こえた。……自惚れてるみたいに聞こえるかもしれないけど、それでいいんじゃないか?」
もしかすると自分は気持ちの悪い最悪な存在かもしれない。
もしかすると自分は凶悪な殺人鬼かもしれない。
でも、きっと他人を思った瞬間がある筈だ。
それが確かなら、それでいいじゃないか。
少なくとも、俺はそう思う。
「………さて、この壊れた社、どうしようか」
「ま、誰も使ってない神社みたいだし、いいんじゃないか?」
俺のぼやきに、
……ま、そうだな。神様もいないらしいし、罰当たりって事もないだろう。
俺らは適当な事を話しながら、パソコンを回収しに社へと向かう。
『……おい! 大丈夫か? 急にどっかに言ってんじゃねぇ!!』
パソコンの中では、見たことのない女性が大声を出していた。
……見覚えがない。誰だ? どことなく、男の時の
「あ〜、そいつ
「はぁ〜〜なるほど……。…………え?」
いやお前、同棲ってえ?
しかもお前、
え?
え??
え???
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島咲:霊的兵器として公安に就職。柊や鏃の同僚になる。人生において死の影は常に付き纏うという所から、どんなに辛い時も見放さす一緒にいてくれる死の神様として自分を定義している。
四谷の好意には気づいていない。マブダチだとは思ってる。
四谷:島咲に自分の人生を肯定された時点で堕ちた。島咲を追って霊的兵器として公安に所属。半神として怪異と闘う日々に身を投じている。
他人と自分を測るものさしはすでに捨てており、今は一本の槍を自分の武器にしている。
島咲に異性として意識されたくて日常生活でも変身している。
ヘカトンケイル:自分の姿を現実改変能力で変える事が出来るようになり、今はカッターナイフと少女の姿を使い分けて島咲と暮らしている。
島咲をママと呼んで甘えている。
四谷をパパと呼ぶ気は断じて無い。