死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
それは渇望だった。狂気だった。怨念だった。
凍えるような冬がいつまでも続いた。山が吠えた。田畑は萎びて枯れて腐った。
人が死んだ。父が飢えて死んで、姉も飢えて死んだ。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
それは叫びだった。
声にならない絶叫を吐き出しながら、女は自らの姉の遺体にかぶりついた。
天明五年、大飢饉の最中の事であった。
▷▷▷
「何して遊ぼうか?」
今から五年前の事である。
当時小学六年生だった
両親がたまたま仕事の予定で夜遅くまで家に帰って来ず、する事もなく一人夕方の公園でブランコを漕いでいた彼に、近所に住むアケミさんが声をかけてきたのだ。
何を隠そう、このアケミさんは
大学生らしく、隣のマンションに一人暮らし。優しい目と美しい髪のお姉さんだった。
今日もケーブル編みのセーターに緑のミモレ丈スカートを上手に着こなしていて、
よく晴れた日だったが、公園には誰も居なかった。
太陽だけが二人を見下ろしていた。
言った直後に子供っぽいと笑われるかと思ったが、アケミさんは太陽みたいに笑って賛同してくれた。
鬼になった
「もういいよ」という穏やかな声がすぐ真後ろから聞こえてきて、かくれんぼなのに隠れて無いじゃないかと
目に入ってきたのは、トンカチを振りかぶるアケミさんの姿だった。
「ぇぶぁっ」
トンカチで頭をぶん殴られ、
視界がグラグラ揺れ、膝から力が抜けて行く。小学生に耐え切れるダメージではなかった。
冷たい地面にぶっ倒れた
山本さんは三日月みたいな笑顔で
これが
山本さんは倒れて頭から血を流す
公園には、誰の目も無かった。不自然なくらいに。
迷彩の魔術を展開しながら、
様々な本で溢れたアパートの一室。アケミは部屋にポツンと置いてある椅子に
江戸時代から不死を追い求め、名を変え体を弄り、死なないというただそれだけの為に何十という月日を研究に費やし何千という人間を魔道に捧げてきた。文字通りの外道であった。
そんな彼女には困った事があった。
現代では、人を攫うのが難しい。特に幼い子供は。
誰でも携帯を持つ様になってから誘拐はグッと難しくなった。
数世紀に渡って人を攫ってきたアケミには「日本の癌」などといった二つ名もつけられている。一度警察に捕捉されれば致命的だ。
しかし子供を攫うのは辞められない。
二百年の研究は霊格の上昇、つまり人の身から神の身に至る事が不老不死への近道である事を指し示していた。
神へと至る為の研究には、神から人に成りきれていないとされる七歳前後の子供を実験体にするのが丁度良い。しかし、攫うのは難しい。
そうして
「ほ〜ら、ヘカトンケイル。お友達が増えるかもしれないぞ〜〜」
『ああああぁ…』『あはぁぁははは仲間だははは』
『しねよくそおんな』『何でこんな事するの?』
『やめてやれよぉっ!』『返してお家に返してお家に』
側から見れば虚空に話しかけているようにしか見えないだろう。
ホムンクルス。錬金術に記されし人造人間の製造方法を、
簡単に言えば、
子供を攫えば警察沙汰なら、攫った子供は直ぐに返してやればいいのだ。少し血や細胞などの必要な遺伝子情報を採集した後で。
そうして実験を繰り返した
何せ人間なのだ。処分するにも養うにも苦労する。
神の身に至らなかった不要な存在、しかし捨てるのも勿体ないそれを、アケミは自身を守る式神として再び弄りまわした。溶解させ混ぜ合わせた。
そうして作り出した存在に
『可哀想だよ』『返せ返せ体を返せ返せ』
『やめろっ! 今すぐケーサツにジシュしろよっ!』
「わはは、やめな〜い」
ヘカトンケイルに内蔵された人格は、その全員が
しかしヘカトンケイルは宿主の命令が無ければ動けない。そういう風にデザインされている。
ヘカトンケイルの言葉を無視し、頭部の内外含めた傷を治し終わった
「ねぇねぇ、起きてよぉ」
「んぁ、……あ!? あれ……? え、さっき、え……」
「アケミお姉さん」の仮面を被り、
「
「え、ここ、え? 山本さんの……」
「そうだよ?」
みるみる顔を赤くしていく
「ねぇ、
「も、もちろんです!」
「良かった! じゃあさじゃあさ、怪獣ごっことかどうかな?」
「いいと思います!」
その言葉を聞くが早いが、アケミは棚の中からヒキガエルの入ったケージを取り出した。
「はい、これが怪獣ね!
「へ? ど、どういう……」
「それはね〜〜、こういう、ことっ♪」
アケミが指を下に振る。
それと同時に超常の力によって
驚愕に目を開かせる
これは貼られた呪符の効果だった。アケミによって編み出された、他人を凌辱する為の魔術だった。
「……え。な、なに、なにこれ………」
「うっわぁ
笑いながらアケミは
今の
一般的なサイズの、今の
「ほら、頑張れヒーロー!」
「が、頑張れって言ったって……!」
「大丈夫だよ! ポッケにカッターナイフ入れといたから!」
そう言われて尻ポケットに手を入れれば、出てきたのは大ぶりのカッターナイフ。その短い刃渡りは怪物に挑むにはあまりに心もとない。
「こんなので、こんなのでどうやって戦えば……!」
「そんな事言ってる場合? 向こうはやる気だよ?」
ヒキガエルは
「だからほら……頑張って♡」
ケージの中は酷い有様であった。
カエルの死体と、その死体から飛び出た臓物が異臭を放っている。
その臓物の上には小さな
酷い戦いだった。
カエルの腹の中からは胃酸で溶かされる
それは
己より矮小で命のない者を見て嗤う。自分が安全な位置にいる事を自覚する。
わざわざヘカトンケイルを喋れるようにデザインしたのもその為だ。
他人からの怨嗟の言葉は
惨状に満足した
そして頭部を掴みゆっくりと呪文を唱え出した。
「はれぇくりしなはれぇくりしな……」
ゆっくりと指の先から、
これは精神を乗っ取る呪法であった。
男の
相手がまだ精通を迎えていないであろう幼い年である為に、その精神と肉体を支配し強制的に搾精する。相手に自分の精神を乗っ取られるリスクもある危険な術だったので、術を使う前に相手を甚振り精神を疲弊させる必要があった。
……だからこそ。
「………は?」
少年は、胃袋で溶かされながら笑っていた。
少年は、意中の相手に蹂躙される感覚を心底楽しんでいた。
少年は、カエルと殺し合う事を甘露でも舐めるように味わっていた。
一瞬、アケミの思考が止まる。
アケミは生きる事だけを考えて外道に堕ちた女だった。アケミにとって、死は忌避する物以外の何物でも無かった。
だからこそ、
故に、相手と自分の精神が繋がっている状態で思考を止めるという致命的な隙を晒してしまった。
「………っっ!?!」
(こ、このガキ………!! 私の中に入って、来やがる……!!)
幼いながら、それは確かに殺意の発芽だった。
生まれて初めての感覚に身を任せ、
それはひょっとすれば善意だったのかもしれない。
自分を
純粋な殺意だった。悪意も敵意も無く、ただ相手を殺す事だけを考えて実行する生き物がそこにはいた。
「う、おああぁああああぁぁあっっ!!!?」
自分の思考が侵されて犯されて冒されていく事に耐えられず、
ブツリという鈍い痛みが走り、
(はぁーっ、はぁーっっ……………。せ、精神世界を半分以上持っていかれた!! あ、後少しで廃人になる所だった!!!)
自分の精神世界を半分以上侵食され、ボロボロと涙を流しながら
しばらく嗚咽を漏らしていた
(声が、声が聞こえんっっ!! ヘカトンケイルが居ないっ!!)
ヘカトンケイルはただの式神ではない。
ヘカトンケイルはその出来損ない、デウス・エクス・マキナの残骸の山。
精神世界にヘカトンケイルを閉じ込めていたのはただの道楽ではない。ヘカトンケイルは
しかし今
「——グェっ!!?」
ゆっくりと
『でれた?』『でれた』『…れた』『でれた』
『でれた』『でれた』『しね』
『殺してやる』『でれた』『ころせ!』
幼い声が
それと共に
「殺すなよぉ、ヘカトンケイル。僕がトドメを刺すんだからな」
言葉と共に一閃。
鮮血が溢れ出し、ボドボドとミモレ丈のスカートを汚していく。
子供の目にも分かる致命傷に、
(な、めんなぁっ!!)
「ギっっ!?」
首を横一文字に切り裂かれた程度では死なないし止まらない。
トドメを刺したと思い油断した
「急急如意令!!」
瞬間、迸る閃光。
閃光を正面から受け止めた
急急如意令。「この主旨を心得て、急々に、律令のごとくに行なえ」という命令の言葉。
悪霊退散の術としても有名なこの術は、相手の肉体をコントロールする呪いとしても扱える。
荒い息を吐き出しながら
「………ちっ」
舌打ちをしながらやめる。
ヘカトンケイルは宿主の願望に従って動く。そういう風に作られている。
今
もし
(……落ち着け。落ち着け。まだ手はある。……目の前の爆弾が解体出来ないのなら、逃げてしまえばいいのだ。最低限の処理をした後で)
「急急如意令。………お前の記憶、貰っていくぞ」
こうして。
いつものようにご飯を食べて、親の愛情を受け、学校に行った。
『殺す』『ころす』『殺す』
『コロす』『殺してやる』『ころしてやる!!』
『なんであいつは生きてるんだ』『僕たちはどこにも行けないのに』
ただ一匹、
食事も出来ず、親とも会えず、学校にも行けず。
ただただ
『殺す殺す殺す殺す殺す』『ふくしゅうしてやる』
『あいつを見つけないと』『どうやって』『願って貰えばいい』『願いさえあれば』
ヘカトンケイルが憎悪を募らせながらも、時間は過ぎていく。
小学生だった少年は中学生になり、失敗を繰り返しながら大人に近づいていた。
大人に近づくという事は、当然色々な物に興味が湧いてくるのだ。
それは将来だったり。オシャレだったり。異性だったり。
だから中学生になった
「………彼女、欲しいなぁ…………」
『これだ』『願いだ』『願われた』
『用意してやる』『相応しい女がいる』『殺しても死なない、キミにピッタリの女がいるよ』
『導くんだ』『導け』『あいつのもとにしまざきをつれていくんだ』
『願いを叶えるんだ』
『今度こそ』『今度こそ』
『『『『『あの女を殺してやるんだ』』』』』
……そうして。
物語は、現在へと動き始める。
Q.結局五話で島咲が見た夢は何だったの?
A.シンプルに淫夢です。ハジメテの相手(殺しの)であるカエルに似た敵をぶっ殺した事でむらむらして淫夢見ました。
Q.カエルの声は?
A.神格化の術式を施され、魂の格が上がった事で島咲の記憶の封印は解けかけています。
カエルの声が聞こえていた時は記憶の封印が解けかかっている時です。