ロンメルの本気   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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学生連合の歴史

 ファン大感謝祭も終わり、ロンメルは息抜きに資料室に訪れていた

 

 少しこのトレセンの歴史について知りたいことが有ったからだ

 

 そうして資料を漁っていると、10年近く前に学生連合についての歴史や主なトレセンで起こった出来事を纏めた資料が出てきた

 

「作者はスイートハニー……知らないな」

 

『この資料は四代目であり、一代目、二代目の資料は現在紛失、三代目の資料の劣化が始まっていた為に写したのと追加で書き起こした資料であることを踏まえて読んで欲しい』

 

 ページをめくると目次があり、それこそ学生連合の成り立ちについての記述が詳しく纏められていた

 

【成り立ち】

 

 そもそも中央トレセンは日露戦争まで遡り、日露戦争時世界でも有数のウマ娘強国であり、コサックと呼ばれる駆兵を多用していたロシア帝国に日本のウマ娘駆兵は苦戦を強いられていた

 

 戦争はなんとか講和に持ち込めたものの日本のウマ娘と欧州のウマ娘の差をまざまざと見せつけられた陸軍はウマ娘の抜本的な改革を行うため文部省と合同で東京の府中周辺の土地を買い取りトレセン学園を1900年に設置

 

 ウマ券による賭博としては1905年から開始

 

 1908年ウマ券販売禁止令

 

 1909年お金ではなく景品を贈るとした勝券が販売 景品レースと言われる

 

 

 関東大震災により校舎倒壊、西洋式の校舎から日本の風土に有った新校舎となる

 

 宇垣軍縮における陸軍の平時人員削減においてトレセンに元陸軍のトレーナー割合が85%を占めるに至る

 

 1936年政府要請によりウマ娘トレーニングセンター学園改め日本ウマ娘トレーニングセンター学園に改名

 

 初代理事長秋川○○氏が若年ながら就任 元陸軍少佐

 

 1941年、当時挙国一致体制下、長引く戦時においてトレセン学園は文部省より切り離され、陸軍省の影響下に置かれており、これまでのレースによる国威向上から戦時における優先的兵員候補生もしくは機動駆兵予備人員、輜重兵予備人員としての教育が行われていた

 

 レースはウマ娘を強く育てるために必要とされ戦時下でも行われていたが、長引く日中戦争における元陸軍士官の再徴兵に伴いトレーナー不在のチームが乱立

 

 トレーナーが戦死してしまったウマ娘もおり、初代学生連合部長マガタマ氏がトレーナー不在ながらもレース運営に支障が出ないように学生連合倶楽部を発足(戦後倶楽部が外れ学生連合となる)

 

 当時のチーム人員は82名

 

 5チーム及びトレーナー戦死におけるチーム解散により無所属選手を集めた結果全チームにおける最大人数となり、始動した

 

 学生連合初代部長ミタマノ氏は1943年徴兵、1945年沖縄戦にて戦死

 

 遺志を二代目部長サザナミ氏が引き継ぐ

 

 1944年東京、京都等の都市でのレース開催が空襲により困難となり、地方に疎開

 

 学生連合の人員もバラバラとなる

 

 1945年疎開先の臨時工場従事における爆発事故によりサザナミ氏事故死

 

 戦争終結による混乱により闇レース多発

 

 約1年間闇レースにて食費を稼ぐ戦争孤児のウマ娘が多く生まれる

 

 1946年米軍よるレース法制定

 

 同年GHQ指導下にてトレセン再始動

 

 初代理事長は公職追放において一時その職を辞する事となるが後に復帰

 

 1947年学生連合のメンバー7名が集まり学生連合を再度立ち上げる

 

【赤化】

 

 三代目部長タケノフジ氏によりトレーナーに頼らずウマ娘単独による部の方針が決定

 

 このタケノフジ氏であるが戦時親がレーニン主義者であり、1920年代におけるソ連黄金期と呼ばれるレーニン、トロツキーの2名が主導したウマ娘が中心型社会主義とも呼ばれるウマ娘は人に尽くす、権力に固執しづらい故に権力闘争とは無縁となり、結果新なる共産主義実現へのプロセスとなると言う考え方をしており、事実レーニン存命時までは上手くいっていた

 

 が、トロツキー、レフ・カーメネフ等の初期の幹部がスターリンにより失脚され、ウマ娘により人間が支配されると疑心暗鬼に陥ったスターリンはソ連を支えたウマ娘やその支持者らを次々に失脚、粛清

 

 その後工業化政策は成功させるもののコサックの解体、ホロドモール、独ソ戦によりウマ娘の人口が100分の1まで減少する

 

 その様子を親が外交官でありソ連駐留をしたこともあり、ソ連の失敗を見てきたタケノフジは部長になると同時にレーニン主義を普及させていく

 

 タケノフジは卒業しても特別顧問として残りトレセンの赤化活動を活発化

 

 1948年には学生連合部員全員によりデモに参加

 

 一代目の筆者は書記長に任命され、ここまでとここから数年を纏めている

 

 1949年学生連合初の重賞出走者が誕生

 

 1950年皇居前広場事件、レッドパージへの反対運動に参加

 

 秋川理事長の復帰における学生内での共産主義取り締まりを行いタケノフジは顧問を辞退、以後大人しく平和的日本の共産主義化を求める運動をしていたが1962年右翼少年により暗殺

 

 タケノフジ辞退により指導者を失った学生連合は七代部長フクシマを元に学生連合再建、改革を掲げウマ娘の自主的な独立、暴力的な教育の廃止、信用回復運動を展開

 

 一時部員は30名になるまで回復し、フクシマが卒業となり顧問として残ることを部員達から懇願されたが

 

「私はタケノフジの二の舞になりたくない」

 

 と辞退

 

 1971年トレーナー及び多数のウマ娘によるレースの賞金と給料アップ、学食の無料化を求めたデモが発生

 

 タケノフジが蒔いた種が芽吹いた瞬間である

 

 数日にわたる学園の占領によりレーススケジュールは滅茶苦茶となり、3日間で重賞が8つ開催される等の異常事態となる

 

 警察の介入により沈静化

 

 理事長はこの事件で酷く消耗してしまい1975年没する

 

 1973年まではフクシマの理念により強くは無いが弱くもなくを続けてきた……が

 

 1973年から始まった第一次ウマ娘ブームによりレースの質の大幅な向上、アイドル路線の確立

 

 1975年二代目理事長秋川やよい氏が10代で就任し、トレーナーにおける改革やあらゆるウマ娘を助けたいと言う願いを当時の部長が拒絶したことにより衰退が確実となる

 

 学食の無料化が同年実施

 

 これにより食費の連携で結束していた学生連合は崩壊

 

 トレーナーの人数も増えたことにより10人を割るまでになる

 

 以降質の低下は抑えられず、衰退の一途をたどる

 

 二代目作者はここまでを書いて卒業となり、卒論として学生連合の歴史を纏めた

 

【衰退及びバブル】

 

 衰退とはいえ経済が上向きなのは変わり無く、学生連合の人員は中産階級がメインとなり、学食の無料化で負担が減った為に訳ありのウマ娘が学生連合に入るようになった

 

 主に怪我や性格ゆえにチームに馴染めない子が多く来るようになった

 

 ここら辺から部長等も無くなり年長者がリーダーを務めることとなる

 

 レースにはオープン戦未満をたまーに勝つウマ娘が出る程度で、可能性のあるウマ娘を全員で助け合うチームとなっていた

 

 ただこの頃からOGは基本的に関わらないこととする規約が作られた

 

 OGにタケノフジと決別し、武装路線に走った人が出たためにOGの方と話し合い卒業したら関わらないと言う規約を制定した

 

 ただしこの規約も2000年代になると有耶無耶となる

 

 第二次レースブームとバブルが弾けると就職氷河期に突入し、学生連合は悲惨な状態となる

 

 就ける職業が限られ友人で就職の枠を巡って争うのは当たり前であり、大学を卒業しても就職できる分からないという不透明さから弱小となっていたこと、OGからの手助けもされない(できない)となるとこんなチームに所属するのは訳ありしか居なくなり、初代やフクシマの理念は消え失せモラルも崩壊、不良チームとなりチーム評価は木っ端微塵に粉砕された

 

 部室の没収、何人もの退学処分者を出したが最後の受け皿として機能させる事をチームリーダーである私が理事長と交渉してなんとかチームの解散処分だけは間逃れたが衰退しきったチームを建て直すのにはトレーナーの力が必要不可欠だと思い、三代目筆者として、歴史を繋ぐ者として、チームリーダーとして駆け回ったが時既に遅かった

 

 こんなチームを助けようというトレーナーは6年在籍したが現れずに、私も変人のレッテルを貼られてしまった

 

 私は大学に進み自衛隊に進むことにしよう

 

【現代】

 

 三代目……サクラマツリ先輩の功績を残すために追記させてもらう

 

 サクラマツリ先輩は幹部候補となり、幹部として2010年の段階で2尉に昇進し、ファン大感謝祭の時に学生連合を見に来てくださったが、自身が建て直しに奮闘しても無理で、更に質の低下してしまった学生連合はもはや手のつけられない状態となってしまった

 

 せめて未成年のタバコや飲酒のは不味いので私の代では取り締まったが私も煙たがられているサクラマツリ先輩に連絡を取りなんとかしようとした矢先3.11による東日本大震災による原子力発電所の爆発事故に派遣されることにより私単独で改革に着手することとなる

 

 結果は分裂という最悪な結果となった

 

 私の指示に従わない者達が結託して私の追い出しにかかった

 

 あまりに酷かった為に私はチームを脱退して進学コースに入り、卒論としてこの資料を纏めている

 

 どうか……どうか学生連合が良い方向に進むように願う

 

 作者 ロックダウン 2013年

 

「……歴史があると思っていましたがここまで酷かったとはねぇ……なるほどOGがほぼ居ないのはそういう理由ですか。もともと辛い時期を助けてくれなかったのだから現役生も助けない……なんと愚かな」

 

 ロンメルはすぐに律に言ってやるべき事をしなければとサクラマツリさんとロックダウンさんの連絡先を調べ、1度お会いしたい旨の手紙を送った

 

 サクラマツリさんは現役自衛隊員としてとある駐屯地の駐屯地司令をしていることがわかり、ロックダウンさんはファン大感謝祭の時にラーメンを食べに来ていたお客さんで主婦になっていた

 

 ロックダウンさんと電話越しに話し合った結果、サクラマツリさんにこそ報告すべきと言われ、中部地方のとある駐屯地に居るサクラマツリさんに業務時間外に3人でテレビ通話することが実現した




誤字が多くてすみません
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