「成程、それは……大変? だったな?」
「断言出来ないのなら黙っていて頂戴クソ眼鏡」
夜の王宮の執務室。現在立場なぞ何もないアンデッドであるエリーゼにとって、時間に縛られることは特に無い。そのため、明日も学院があるマリィは放っておいて彼女はこの部屋へと乗り込んでいた。そんな彼女の行動パターンは織り込み済みなのか、グレアムもフィリップも驚くことなく対応している。
既にニコラスの行った調査の結果は渡してある。なので、エリーゼとしては今からやることも特にない。そして帰る場所も特に無い。ついでに彼女に遠慮という言葉もない。そういうわけで、部屋の主のことなどお構いなしで居座っているのである。
「マリィ嬢の寮の部屋には戻らないのか?」
「戻る意味がないもの」
とはいえ、それでも気になる部分はある。グレアムはソファーで本を読んでいるエリーゼに向かいそんなことを尋ねたが、彼女はさらりと言い放った。どうやら一日で調査が終わったので、メイドをする理由がなくなったらしい。後はもう気紛れの暇潰しで行動する以外は、現状あの立ち位置は無用の長物だ。マリィもその辺りは重々承知の上、エリーゼが来ることはないだろうという前提のもとで、暇があったのならば来てくださいねと笑顔で見送っていた。
「そういうわけだから。今日もここに泊まろうかしら」
「エリザベス、今日はやめておけ。お前のためだ」
「何かマジトーンになった……」
生きた人間ではない以上、どこで夜を明かそうが彼女には何の問題もない。が、腐っても令嬢、好き好んで野宿を選ぶほどアンデッドに染まってもいない。後は性格上の傍若無人さをもってして、エリーゼは今夜の寝床を王宮にしようと思い立った。
が、その発言と同時にグレアムの口調が変わる。それに気付いたベスが何かただならぬものを察して若干引いたが、しかし同時にその言葉に本心からの心配が感じ取れたので心中で首を傾げた。昔からの気心の知れた仲であろう彼が、エリーゼのことをよく知っているはずの男が、何故そんな。
そこまで考えたベスは、ふと気が付いた。ここ数日前から、王宮の執務室にエリーゼがいる場合は出来るだけ余計な人間が来ないように人払いされている。なので、基本的にここにいるのは気心の知れた幼馴染であろうグレアムと、そして。
「んん?」
「どうしたの? ベス」
「フィリップ王子、そういやどこ行ったの?」
「……聞きたいか?」
「じゃあいいです」
思わず口に出たその疑問に対し、絞り出すような声をグレアムが出したので、ベスは反射的にそう答えた。そうしながら、先程の彼の言葉の理由を何となく察した。これアカンやつだと認識した。
よしエリーゼ、学院の寮にでも行こう。そう結論付けたベスがエリーゼに述べようとした矢先、執務室の扉が開き一人の青年が入ってきた。銀髪のイケメン、この国の第一王子フィリップだ。つかつかとエリーゼの前まで移動すると、部屋の準備は出来たぞと笑顔で告げる。あまりにもいい笑顔だったので、ベスはイケメンオーラに一瞬あてられた。
「あら? わたくしもう言っていたかしら? 今日は久しぶりにベッドで寝たい、と」
「言わなくても分かるさ。何年の付き合いだと思っている」
「そうね。あなたとわたくしの仲だものね」
そう言ってエリーゼは笑い、フィリップは微笑む。そこには確かな絆が感じられ、お互いがお互いを理解しているのだと眺めているベスでも分かるようで。
おや、とベスは首を傾げた。だったらさっきのグレアムの言葉と心配は何なんだ、と。こんな関係ならば、彼のあの表情と口調は何だったのか、と。
そんな彼女の疑問の答え合わせをするように、グレアムが溜息と共に言葉を紡いだ。目の前の幼馴染の名を呼んだ。
「フィリップ。一応聞くぞ、部屋の準備というのは?」
「俺とリザが共に寝る準備に決まっているだろう」
「アウトだよ! 何だこのエロ王子!?」
「幼い頃ならば、よくそうやって昼寝をしていたものでしたけれど」
「もういい年ですよね!? えっと、エリーゼと王子が三歳差? 十七と二十? 駄目だろ!」
「何が駄目だというのだベス嬢」
どこか不満げにそう問い掛けるフィリップを見る。彼の表情は本気だった。何としてでもこの意見を押し通すと言わんばかりの真剣さであった。マジ顔であった。
覚悟を決めたような男の顔を見て、ベスは盛大に溜息を吐くと視線を横に向ける。その視界の先で、グレアムがゆっくりと首を横に振っていた。そうだよね、駄目だよね。ちゃんと常識を持った理解者がいるのを確認した彼女は、じゃあ聞くけどとフィリップに指を突き付けた。
「一緒に寝るって言ったけど、そこで何する気?」
「何をするか、だと? そんなもの決まっているだろう。勿論」
「勿論なんだよ!?」
「子作りだ」
「できねーっつってんだろ! いくらフレッシュでもこちとら死体だぞ!」
「確たる証拠はない。だから俺は、信じている」
「やっかましいわ! 体は絶対許しませんからね!」
迷いなき第一王子のスケベ心を、全力でベスが拒否る。手でバツ印を作りながら離れていく彼女の反応を静かに眺めていたフィリップは、ゆっくりと瞬きをして、ならば心の方はどうだとエリーゼを見た。ベスの居候先である体の本体、彼の幼馴染の答えを問うた。
「フィリップ」
「ああ」
「発情期の猿みたいな真似はおやめなさい」
「思った以上にバッサリ言った!?」
「なっ……だがリザ、君はさっき」
「二人で寝る分には構わない、と言ったのよ。抱くことを許した覚えはありませんわ」
「エリザベス。だったら共に寝るのも断ってやってくれ……」
エリーゼのそれには、男として何か思うところがあったのだろう。フィリップの行動に反対していたはずのグレアムが、少しだけ同情するように、彼を擁護する方向の言葉を述べた。ベスも彼の言葉に、まあそうだよね、と同意していた。
一方のフィリップである。彼女のその言葉を聞いて動きを止めた彼は、何かを悩むように、耐えるように考え込み始めた。その表情はやはり真剣そのもので、傍から見ている限りでは、己の浅慮さを反省し煩悩を消し去ろうとしているのだろう、そう信じたくなるような気がしないでもない顔である。
「リザ」
「何かしら」
「どこまでならいける? どのくらいまでなら許可を出す?」
「こいつ最低だ……」
気のせいであった。全くもって諦めていないし、譲歩させようとしにきた。結合しなきゃいいだろうといわんばかりの物言い、というかほぼそう言っていた。ベスの表情が完全に路上のゴキブリを見る目に変わる。ちなみにこの男、一応これでも第一王子、現状このまま行けば次期国王である。
「誤解するなベス嬢。俺はただ」
そんな視線を受けたゴキブリ、もとい第一王子フィリップはゆっくりと頭を振った。落ち着いた口調でベスに言葉を投げかけると、そこで一旦止める。今日の報告と出来事を聞いて、思うことがあっただけだと前置きして。
そう前置きして、思い切り拳を握った。真っ直ぐな表情で、曇りなき眼で彼女を見ながら口を開いた。
「俺はただ、リザの胸が揉みたいだけだ!」
「グレアムさん、この王子もう駄目なんじゃない? 新しい世継ぎ用意したほうがいいよマジで」
「いや、待て中の人。エドワード殿下の謹慎が開けたら、もう少しまともになるはずなんだ、きっと……」
「待て、二人共。これは仕方ないことなんだ。ベス嬢、君もリザの体にいるのだから知っているだろう? ラングリッジ卿の跡取りとバスカヴィル団長の息子が、リザの下着を覗いたことを……俺が、見る前に」
「あ、うん。多分不可抗力だけどね――何だって?」
「それだけじゃない。団長の息子に至っては、ベスの豊満で柔らかな至高の双丘に埋もれたのだろう? そのことを報告で聞いた時、どうしようもないほど、俺は……俺はっ」
「ねえグレアムさん、こいつもう駄目だって絶対」
「……そうかもな」
エリザベスのパンツが見たい、おっぱい揉みたい。身も蓋もないことを言ってしまえばそういう欲望をぶっちゃけているフィリップを見て、ベスは自身の意見を強く確信し、グレアムもどこか遠い目でそんなことを呟いていた。
「てかさ。そんな好きなら何で婚約者にならなかったわけ?」
欲望のままに言いたいことを言って落ち着いたらしいフィリップを見ながら、ベスが溜息混じりに呟く。彼女としては純粋な疑問で、軽口のつもりであった。が、それを聞いたグレアムは、タブーに触れてしまったかのような表情で思い切り彼女の方を振り向く。言葉として出ていなかったものの、あ、馬鹿、とその口が動いていた。
そんな彼の表情を見て、ベスも気が付く。そういえばエリーゼが何かとんでもないことを言ってた、と。ついでにその横でフィリップが急激に表情を曇らせて目の光を消していった。
「だってわたくし、フィリップの顔を見飽きていたのだもの。婚約者になったらずっと一緒なのでしょう? つまらないわ」
「こないだも聞いたけどひっでー理由だな……」
「まあ、政略結婚という意味では、仕方ない部分もあるだろうさ」
そんな三人の心情をお構いなしに、エリーゼは迷うことなく言い放つ。出会ったあの日に、礼拝堂で言われたそれをもう一度聞きながら、ベスは全然共感できないとぼやいた。同じく知っていたグレアムはどちらのフォローなのか判断しづらい言葉を述べる。どちらの理由も分からないでもない、というスタンスなのかもしれないが、いかんせんフィリップの気持ちを知っている彼はエリーゼの味方をすることはない。
まあそりゃそうだよね、とベスも頷く。自分の首が縦に振られたことで、エリーゼが少しだけ不満げな表情を浮かべた。そうしながら、本当にこれでこいつの肩を持つ気かと指を一本立てる。
「理由はもう一つあるわ」
「ん? それは初耳だ」
嘘を言っている様子のない彼女の言葉に、グレアムも表情を変えた。そして今度は逆に、フィリップが何か心当たりがあったらしく何とも言えない表情で顔を顰めた。
「あなた達と出会ってから、喧嘩友達のような関係を続けていたでしょう? だからわたくしとしてはそういう距離感が心地よくて、そしてあなた達もそうだと思っていた」
「まあ、な。……フィリップは違っただろうが」
「そう。そこの馬鹿は違ったの」
はぁ、とエリーゼが溜息を吐く。そこで終わっておけば、まあよくある青春の一ページくらいで済むような、そういう話であった。友人だと思っていた感情が、違った。向こうは、恋愛感情を抱いていた。そういう、少し甘酸っぱい話になるはずであった。
婚約者を決めるという話が出る少し前のこと。これまでと同じように接していたはずの、普段のように過ごしていたはずの、ある日の出来事だ。そう前置きし、エリーゼは言葉を紡いだ。
「こいつ二人きりの時わたくしを襲ったわ」
「さいってー……」
「最低だ……」
「待て! 誤解だ! その言い方は語弊がある!」
ただでさえフィリップをゴキブリ扱いしていたベスは、更にゴミを見るような目になる。グレアムも擁護のしようがないと冷たい目で幼馴染であり仕えるべき王子であるはずのカスを見た。そんな二人の視線を受けて、フィリップは慌てたようにぶんぶんと手を振る。違う、そうじゃないと必死で訴えかけた。が、かえってその必死さが信憑性を何となしに高めていた。
とはいえ、そこでこれまでの信頼が一気にゼロになるというわけでもない。冷たい視線のままではあったが、ならば一体何なんだ、とグレアムは彼にそう問い掛けた。その問いに、彼はこほんと咳払いをすると、大体、あの頃はまだ子供だろうと前置きをする。
「六年ほど前でしたわね」
「十四じゃんこいつ……」
子供というにはちょっと無理ないかな、と言いたくなる年齢である。ベスのゴミクズを見るかのようなジト目が更に強くなったので、そんなことはないと力説した。全くもって変わらないグレアムの冷たい視線が突き刺さっていた。
「……で? 十四歳のオウジサマは? まだ十一歳のお嬢様を? 襲ったの? 性的な意味で」
「だから違う! 俺は、そこまでやっていない!」
「ある程度認めたなこいつ……」
「だから違う! 俺はただ、抱きしめてキスをしただけだ!」
ゼーハーと肩で息をしながらフィリップは叫ぶ。思わず勢いで言ってしまったが、彼にとっては割と隠しておきたい出来事だったらしい。目に見えて落ち込み、手で顔を覆うと蹲ってしまった。
何だかんだで付き合いも長い、彼が嘘も誤魔化しもしていないのを確認したグレアムは、それを聞いて視線をエリーゼに向けた。必死過ぎるそれを聞いていたベスも、視線が再びゴミクズゴキブリからエロ王子くらいまで戻る。欲を言えばグレアムと同じようにエリーゼがどんな顔をしているのか見たかったが、生憎彼女は同一ボディである。鏡が必須だ。
ともあれ、そんな視線を受けたエリーゼは平然とええそうねと答えた。答えて、考えてもみなさいと再び指を一本立てくるくると回す。
「これまでずっとそういう関係をお互い持っていなかったはずの男が、急にわたくしに迫ってくるのよ? ついでに言ってしまえば、あの時のフィリップの顔は大分いやらしかったわ」
「……まあ、いきなりそれでは確かに問題だな」
「それに、胸も弄られたし」
「うわきも」
「それは不可抗力だ! 断じてわざとじゃない!」
彼女のその付け足しに全力で否定する辺り、本当にわざとではないのだろう。が、先程のエリーゼのおっぱいについて熱く語っていた姿を思い返すと、何だか色々怪しくなる。ひょっとしたら、その時の思い出があの変態発言に繋がっているのかもしれない。ベスは内心そんなことを思いながら、フィリップの評価をエロ王子でロックした。
「そういうわけで。当時のわたくしとしては、フィリップが婚約者だなんて真っ平御免だったの」
話を締めると、エリーゼはひらひらと手を振る。まあそうだろうな、とグレアムもベスも同意するように頷いたが、そこでふと気になることが出来た。それならば何故、今はそこまで問題なさそうな感じなのか、と。
そんな問い掛けに、ある程度年齢を重ねれば許容出来るようになるからだと彼女は述べた。これも淑女の嗜みなのだろう、とベスは一人納得した。そしてフィリップは、何かに勘付いたのか勢いよく立ち上がる。
「リザ。それは、その……そういう意味でいいのか?」
「わたくしは既にただの死体ですわ。あなたの隣に立つことはない」
「そんなことはない! そもそも別にエドワードがいるから俺が無理に王位につく必要もない!」
「さっきのあたしの意見を本人が採用し始めたけど」
「……まあ、それだけ一途なんだろう」
「グレアムさん、現実逃避やめない?」
乙女ゲーのフィリップはもう少し立派な、次期国王としての責務をきちんと背負い込んだイケメンだったはずなのだが。そんなことを考えつつ、もういい加減繋げて考えるのはやめようと思うのだが、どうにも吹っ切れないと溜息を吐く。諦めるのにも慣れてきたな、などと追加で思いながら、ベスはとりあえずエリーゼとフィリップの邪魔になりそうだからと少し表に出るのを控えることにした。
「だから俺は、リザ、君のことを」
「そういう言葉は、先程までの盛った行動をする前に言うべきでしたわね」
ぶった切られた。確かのこの流れでは、体目当てだとか、ヤりたいからとか、そういう風に捉えられても不思議ではない。実際彼としては惚れている幼馴染とヤりたいのは間違いないのだろうが、手順をすっ飛ばしまくったその行動は非難されることはあっても称賛されることはないだろう。
ぐ、と呻いたフィリップは、ふらふらとよろめくとソファーに座り込んだ。背もたれに体を預けたまま、魂が抜けたような表情で天井を見上げている。エリーゼの中でそんな彼を見ていたベスは、燃え尽きたなこれ、という感想を抱いていた。
そんな真っ白になった彼に、くすくすと笑ってエリーゼが近付く。まあ、あなたのそういう真っ直ぐさは嫌いではないけれど、と口角を上げた。
「え?」
「嫌いな男だったのならば、その行動をした時点で上も下も捩じ切っているわ」
コキリ、とエリーゼが指を鳴らす。それを見て、ひゅん、とグレアムが内股になった。何かそういう経験でもあるんだろうかと視線だけで彼を見たベスは思う。ちなみに下を捩じ切られれば男としてアウトだが、上を捩じ切られれば人としてアウトになる。
「だから、まあ、そうね。……少しだけなら、許してあげてもよくってよ」
「え? ……え?」
「好きなのでしょう? わたくしのこと」
「ああ。俺はリザ、君を愛している」
「……馬鹿ね。それをあの時に言っていれば、今もきっと」
真っ直ぐに目を見てそう告げるフィリップに、少しだけ寂しそうな表情になったエリーゼが呟いた。視線を僅かに逸らしながら、最後まで言葉にせずに。
中でそんな彼女を見ていたベスは思う。ああ、なんだ。結局、昔から二人は。そんなことを思い、ベスはほんの少しだけ胸が痛んだ。すれ違いの果てに、王子は、最愛の人が死体になるのを止められなかった。だからこその執着、だからこそ、二度と離れないように。
「いや待てリザ。俺はあの後婚約が決まるまで何度も言ったぞ? そのたびに『寝言は寝てから言いなさい』と跳ね除けたのは君だろうが」
「ええ、そうね」
「だったらどの時に言えというんだ……」
「首を落とされる直前、かしら」
「……成程、繋がってるか繋がってないかの差があったわけだな……」
やっぱり違うかもしれない。投げやりに呟きがくりと項垂れるフィリップを見ながら楽しそうに笑うエリーゼを感じて、彼女は呆れたように小さく溜息を吐いた。
そんなやり取りに一段落がついたタイミングで。それで、と観客になっていたグレアムがげんなりした表情で言葉を紡いだ。結局どうするんだ、と二人に向けて問い掛けた。
「そうね……。フィリップ」
「あー……無理だ。我慢できない」
そう。と短く言葉を返すと、エリーゼはグレアムに視線を向けた。そういうわけだから、と彼に告げた。
「執務室の仮眠室を、きちんと寝られる場所にしてもらおうかしら」
「だと思ったよ……」