ゆっくりと意識が浮上する。若干の寝ぼけ眼のまま左右を見渡すと、執務室でこちらを眺めている面々が視界に映った。パチパチと目を瞬かせたベスは、何がどうしたと不思議そうな顔をする。それを見て、こちらを見ていた顔ぶれは――フィリップやグレアムやマリィは勿論、ニコラスやアシュトンにエドワード、果てはレオニーまでもがどこかホッとしたような表情を浮かべていた。
「え、っと? 何? どったの?」
「……無事みたいだな」
「お、おう……? うん、無事だけど」
「本当かしら?」
首を傾げたベスと同じ口から疑う言葉が飛び出てくる。表情も険しいものに変わったが、当の本人であるベスは同じ顔なのでそこは分からない。ただ、口調にふざけたものがなかったのは分かったので、まあ多分、とだけ返しておく。
そうした後、そもそも何を心配されているのだろうかと再度首を傾げた。
「眠ったまま起きなかったのよ」
「うん? いや、魂別々だし片方寝てるとか普通じゃない?」
「力を使い果たして動かなくなったのは普通とは言わんぞ、中の人」
「ほえ?」
グレアムのその言葉を聞いてもイマイチ実感がわかない。ベスが頭にハテナマークを浮かべていることを確認したグレアムやフィリップは、無理はするなという意味だと短く締めた。
「何だか分かんないけど分かった。で、えっと、何の話してたっけ?」
「……今日はもう休む、という話をしていたのよ」
「え?」
なんですと、とベスの目が再び見開かれる。彼女が意識を失う直前まで、間違いなくカチコミの準備をしていたはずだ。だというのに、この体の所有者であるエリーゼは今日はもう休むと言い出した。他の面々がそれを口に出し、エリーゼが反論するというのならば分かる。だが、口にしたのはよりにもよってその張本人。状況をよく分かっていないベスは最早ついていけない。
「分かっていないようだから説明してあげるけれど。今のあなたは消耗しているの。そんな状態であの糞爺の住処に乗り込んでごらんなさい、あっさりと返り討ちにあうのが関の山ですわ」
「あー、成程。自分じゃよく分かんないけど、そっか、疲れてんだあたし……」
「ええ。禁呪の解読で消耗しているところに、王宮全体の索敵も行ったでしょう? わたくしの体を共有しているとはいえ、あなたは押し込められた魂、消耗が直接自身の存在の強さに繋がっているのよ」
結局全部説明する羽目になった、と溜息混じりにエリーゼが述べる。ベスはそんな彼女の言葉を聞いて、ああつまりさっきまでの皆の態度はそういうことだったのかと納得がいった。
同時に、こんなぽっと出の異世界転生された怪しい女子大生の魂なんかを心配してくれたという事実にほんのりと心が温かくなる。
「えへー。あたしって結構愛されてる感じなんだ」
「自惚れも大概にしておきなさい」
「辛辣ぅ!?」
いやまあそうでないとエリーゼじゃないけど。そんなことを言いながら、ベスはでへへとだらしない笑みを浮かべた。宿主は気に入らなかったらしく、いいから引っ込んで休んでろと彼女を裏側へと押し込める。
「何よクソ眼鏡」
「いいや。フィリップはお前のことをよく見ているな、と」
グレアムをギロリと一睨みしたエリーゼは、これの無事も確認出来たし、今日はもうお開きだろうと口にした。一度休んで、英気を養ってから再度公爵邸に乗り込む算段をつけよう、と提案した。
「いいのかリザ? それだと準備が終わるまでに時間がかかるぞ」
「ええ。安心なさい、どのみちお祖父様はこれらを承知で手ぐすね引いて待っているでしょうから、多少遅くなっても同じことよ」
安心出来る要素がない。その場にいた面々の感想は一様にこれであったが、だからこそ、と彼女が言葉を続けたことで表情を変えた。自身の体を指差し、どこか自慢するように笑みを浮かべたことで、何かを納得した。
だからこそ、向こうのイレギュラーを万全に整えておかなくてはいけないのだから。
「だからってこれはなくない?」
「うるさいですわよ、ベス」
今日は解散。一度そういう指示が出た後、では早速ベスを回復させようとエリーゼは立ち上がった。何言ってんだこいつという目でグレアムが見ていることなど気にせず、彼女はフィリップに問い質す。今日の騒動で倒されたゾンビの残骸はどれだけ残っている、と。
今度はフィリップ達がよく分からないという表情を浮かべる番であった。そんな物を何に使うのか、と聞き返しても、今言っただろうとエリーゼは取り合わない。奥に引っ込んで聞き役になっているベスは察したので、内心でマジかー、と溜息を吐いていた。
ちなみに結局内心で留まらなかったので、訳の分からぬままフィリップがそこに案内した辺りでついに口から出た。
王宮付近の遺体安置所。罪人を閉じ込めておく場所も併設されている以上、当然王宮にはそういう施設が存在する。エリザベスも処刑された当初はここに安置される手筈であったが、公爵家からの要望により一度向こうに引き渡され、そのまま件の教会へと運ばれていったという経緯がある。
「それで、この遺体をどうする気だ? もう調査は終わっているぞ」
「ええ、勿論承知の上よ。というよりも、終わっていないと意味がないの」
まだ何か情報を得られる可能性があるのならば使えない。そう言ってのけた彼女は、そこで一度振り返った。この場にいるのは先程の面々。レオニーはマリィの、アシュトンはニコラスの背中に隠れているものの、事情を知っている全員が揃っている。エリーゼとベスの関係も、彼女の能力も、だ。
「さて、と。一応注意を言っておくけれど。それなりに刺激の強い光景が今から繰り広げられるわ。耐えられないのならばここから離れた方がよろしくてよ」
「ひぃっ!」
レオニーがビクリと震える。アシュトンは逆に、その話を聞くと深呼吸をして人の背後に隠れるのをやめた。ゾンビだったものがいた場所に向かうというイメージだけで怖がっていたようだが、アンデッドおかわり編が始まるわけではなさそうだと気を持ち直したらしい。アンデッドか女性が相手でなければ、彼は何だかんだ立派な騎士なのだ。その二つのせいで確実に致命的だが。
「それで、一体何をするんだいエリザベス――じゃない、エリーゼ。まさかその死体を再びアンデッドにして駒にしようとか思ってないよね?」
「まさか。出来たとしても、こんな連中を使う意味もないわ」
「だったら……あ」
エドワードの質問にしれっと答えたエリーゼを見て、ニコラスが何かに気付いたらしい。そういえば出会った時に、目の前の先輩を調べた際、言っていたことがある。ベスを化け物、と呼んだ時に、彼女が返した言葉は確か。
「先輩……お前まさか、こいつら食う気か!?」
「あら、正解よヒョロガリ。あなた知っていたの?」
「先輩の中の魂、ベスが言っていただろう。罪人の死体を食ってエネルギーにした、と」
ざわ、と周囲が動揺する。どういうことだとフィリップもグレアムも彼女を見る目が怪訝なものに変わった。エリーゼとベスがアンデッドであるということは知っている。そして、アンデッドとしての能力が色々と使えるのも知っている。事情と能力を知っている。
だが、だからといってその全てを知っているとは限らない。
「リザ。……君は、人を、食うのか?」
「そうだと言ったら?」
絞り出したようなフィリップの問い掛けに、エリーゼは軽い調子で返す。もとよりアンデッドは化け物だ。そこに転がっている死体に戻ったゾンビのような低級なものでも、当然のように人を襲う。ならば、より上級な存在である自分達はそんなことを行わないだろう、などと言うかといえば、勿論。
「わたしはエリーゼさまを信じていますから」
「マリィ嬢……」
「人を食べるならどうぞお好きなように、と思います。あ、そこのごろつきよりはわたしの方が美味しいと思いますよ」
「リアクションがちっげーんだよなぁ……」
予想外にシリアスな空気を出し始めたので黙っていたベスが、マリィのその言葉に思わずツッコミを入れた。平然とそんなことを言い出した彼女を見て、残りの面々が思わずドン引きする。背中に隠れていたレオニーもゆっくりと彼女から離れていった。唯一エドワードだけはそれは困るな、と苦笑していたが、これは多分惚れた相手の発言だから受け止めただけで発言そのものには全く共感出来ていないのだろう。
「ベス」
「ねえこの流れであたしに振るのは卑怯くない!? みんなの目が思いっきり化け物見る目なんですけどぉ!」
「……人を喰うのはベス嬢なのか?」
「だーかーらー! ちげぇーっつってんだろうがよ! あ、いや言ってないわ。じゃあ今から言うね、違うわい!」
「だが、中の人。ならそこのゾンビだったものをどうするんだ?」
「え? 食べるけど」
「…………」
食べるんじゃねぇか。フィリップもグレアムもエドワードもアシュトンもついでにレオニーも同じことを思ったが、口には出さない。ただし、思い切り顔に出していた。各々反応は違えども、やっぱりそうじゃん、と物語っていた。
「――あ、待った、ちょい待ち。そうじゃなくて」
「じゃあ、ベスさん。わたしを」
「食べないよ!? 死体を処理するついでに自分のコストにするっていうやつであって、あたしの主食とか好物とかが人間だっていうわけじゃないよ!」
多分やろうと思えば生きた人間を食って自分のコストに当てることも出来はするだろう。だが、そんなことはしたくないし、する気もない。エリーゼもそんなベスの心情を理解しているからこそ、回復のための素材として残った死体を選択したのだ。
まあ実際に見てもらったほうが早い。そんなことを言いながら、死体安置所に置いてあるゾンビだったものをぐるりと見渡した。
「グレアムさん、ここのあるやつは全部片付けちゃっていいやつ?」
「あ、ああ……全員身元の照会を行ったが、きちんとした者は一人もいなかったからな」
生きている人間を使ったものではなく、恐らくどこかの死体を使ったものだろうとグレアムは続ける。ふーん、とそこそこ適当な相槌を打ちながら、じゃあ問題ないなと一体に向かって手をかざした。
ごぼりと黒い沼のような影が現れる。死体の下に広がったそこから腕のようなものが伸びると、押し潰すように巨大な手の平が叩き付けられた。下側の黒い沼と巨大な手の平に挟まれた死体が、ズブズブと沈んでいく。そのまま沼ごと掻き消えた後には、寝かされていた台はそのままに死体だけ消え去っていた。
「こんな感じなんだけど」
どうかな、と振り返る。視線の先には呆気に取られたような表情をしていた面々がいたが、しかしどうやら想像していたものとは違ったようでほんの僅かの安堵が見える。一人、純粋に感心しているマリィというやべーやつがいたが、ベスも含めてスルーした。
「大丈夫そうね。ではベス、全て吸収してしまいなさい」
「あいよー」
両手を振り上げる。安置所の死体全てに黒い沼のような影が広がり、底なし沼に引きずり込まれていく。ニコラスが倒したゾンビも、マリィが浄化した死体もまとめて飲み込まれていった。綺麗さっぱり死体を喰らい尽くしたベスは、いつぞやの時のようにゲプ、と息を吐く。
「はしたないわよ、ベス」
「あー、ごめん、またやった。……ん? 何か変だぞこれ」
エリーゼに怒られたのを謝罪しながらポンポンと腹を叩いていたベスであったが、何か違和感を覚えて眉を顰めた。自身の体をぐるりと見渡し、手を閉じたり開いたりを繰り返し。
何か一気に回復した、とどこか呆けたように呟いた。
「どういうことかしら?」
「いやあたしも分かんないけど……これまでの死体がポーションだと今のがハイポーションみたいな」
「あの死体に何か付加価値でもあったのかしら……」
ふむ、と少し考える仕草をとったエリーゼは、しかしすぐに心当たりを思い付いて視線を動かした。雌豚、とマリィを呼ぶと、床に浄化の魔法陣を生み出すよう指示する。
何を言うわけでもなく、分かりましたと即発動させた彼女のそれを見ながら、エリーゼはもう一度ベスと呼び掛けた。
「あの魔法陣は解析出来て?」
「え? いやでも禁呪じゃないし……ってあれ?」
んん? と光る魔法陣を見て怪訝な表情を浮かべる。解析、というほどではないが、あれがどういう具合に効果をもたらすかは何となく理解が出来た。そのことをエリーゼに伝えると彼女は合点がいったように頷く。どうやら自分は勘違いしていたようだ、と顎に手を当て呟いた。
「ベス、あなたの禁呪を読み取る能力や気配を察知する能力は、元々備わっていたものだけではないのかもしれませんわね」
「……どゆこと?」
「……そういうことなのか?」
なんのこっちゃと首を傾げるベスと、何かに気が付いたフィリップ。エドワードとニコラスも口には出さないが、彼と同じような反応をしていた。
そんな三人と、完全には分かっていないグレアムやレオニー、さっぱりのアシュトンとマリィを順繰りに見渡したエリーゼは指を一本立てると自身の胸をトントンと叩いた。
「ベスは死体を取り込んで回復すると同時に、そこの情報も吸収するようね」
「そうなの!?」
何故か驚く本人。そんな反応をしながら、いつぞやの自分の発言をふと思い出した。
――倒した相手を食らって、経験値に変えるというか、消費アイテムにストックしておくというか。
「そういや自分で言ってたっけ……大分ノリだったから忘れてた」
「わたしと同じ感じですね」
「マリィちゃんと同じって言われると何かヤバい気がしてきた」
「え?」
頭のネジが二・三本ぶっ飛んでるようなヒロインもどきと同じは自称常識人にとっては大分ショックである。実際はベスも十分頭がおかしいので勘違いなのだが。
ともあれ。そこから導き出されるのは、今回の死体から聖女の浄化の残滓を接種したことで彼女の力が大分回復したということだ。ついでに浄化の魔法陣についての経験値も多少手に入れたというおまけつき。
これはかなりのパワーアップなのではないだろうか。そんなことを思い拳を握ったベスは、これでもう少し役に立てるねと笑みを浮かべた。その発言を聞いたエリーゼは、それと同じ口で小さく溜息を吐く。
「そう。じゃあベス、明日からはしっかりと働いてもらいますわよ」
「あたぼうよ」
じゃあ今日は休みましょう、と死体が何も無くなった遺体安置所を後にする。ベスの憂いも無くなり、エリーゼの表情もすっきりとした。だから彼女は、見学者になっていた面々を振り向いて笑みを浮かべる。では改めて、と言葉にする。
「行きましょう。あの糞爺の顔面に拳をぶち込みに」