靴についた肉片を適当な布で拭い取ったエリザベスは、死体安置所の扉を開く。処刑前に着ていた罪人の服よりはマシではあるものの、現在の死装束もあまりいいものとは言い難い。何より、この格好で街を歩けば目立つ。幸いにしてここは教会、修道女の服でも適当にかっぱらえばいいという須美香の提案に、彼女はそうねと頷いた。
コツコツと廊下を歩く音だけが響く。いくら深夜だからといって、ここまで無人なのだろうか。そんなことを考えた須美香の思考を読むように、この場所はそれ用に誂えられた建物だからでしょうと呟いた。
「罪人の魂が少しでも浄化されるように。確か、そんな建前だったと思うわ」
「建前っすか」
「ええ。実際は汚らわしい犯罪者を纏めて捨てるための隔離空間よ」
「うわぁ……」
そういう思惑を持った貴族もいるというだけだ、とエリザベスは補足する。大多数の人間は建前をきちんと信じているし、実際にこの教会はちゃんと管理もされている。隠せない負の感情を溜め込む場所として、丁寧に扱われているのだ。
「……溜め込んだ負の感情が溢れて死体動いてましたけど」
「そのような事例は聞いたことがなかったのだけれど。隠されていたのかしらね」
「あるいは、エリザベスのアンデッド化の影響で周りの死体も動き出したか」
須美香の言葉に彼女は足を止める。成程、と納得するように頷くと、ゆっくりと後ろを振り向いた。明かりもなにもない真っ暗闇。そこから、エリザベス達のものではない物音が聞こえる。
「……エリザベス」
「わたくしの力に当てられた、というのならば」
拳を握り、足に力を込める。マジかぁ、と諦めたような呟きを自分の口から零す須美香に対し鼻を鳴らしながら、近付いてくる何かを迎撃せんと睨みつけた。
第一陣。先程とは違う罪人の不完全に蘇った死体共が、完全なるアンデッドとなったのであろうエリザベスに群がるように迫る。その内の一体の首を引っ掴むと、別の死体へと叩きつけるようにぶつけた。もんどりうって倒れるゾンビを見ることなく、別の一体の足をへし折る。立っていられなくなったそれを振り回し、近くの死体を纏めて後方へと追いやった。
「おかしいですよ!」
「何が? ゾンビは伝説上の魔物というほど珍しく強力なものではないのだから、倒すことくらい出来て当然でしょう?」
「ゾンビ、そこそこメジャーなモンスターなんだこの世界……。じゃなくてね!?」
そういうの相手に一歩も怯まないクソ度胸とわけ分からんほどのヤバいスペックについてが問題なのであって、と須美香はエリザベスの口を使って告げる。先程は淑女の嗜みで片付けられたが、それで納得できるほど彼女の頭は柔らかくないのだ。
それに対して、だから勝手に口を使うな、とエリザベスは文句を一つ。
「とりあえず、広い場所に出ますわよ」
お喋りならばその途中で、そんな風に言われ、須美香も渋々ながら口を噤んだ。追いついては来ないものの、諦める様子は無さそうなゾンビの気配を感じながら、エリザベスは溜息を吐く。そんな前置きをしたものの、別段話すことはない、と言葉にする。
自分にとって、それは当たり前だったからだ。公爵令嬢として、出来ることは全てやる。それが自分の普通だったからだ。だから知識は蓄え、それを使って相手を蹴落とす術も学んだ。武術や魔法も、身に付けられるだけ身に付けた。それを使って邪魔者を消し飛ばす術も手に入れた。
勿論、自身の姿がそれによって下がらないようにと美貌にも気を使った。だから、彼女にとってそれらをひっくるめて全て、淑女の嗜みなのだ。
「第二王子は何でこれを婚約破棄したん……?」
「さあ? 人の好みはわたくしの与り知らぬところですわ」
「エリザベスも何でそんなドライなの!? 婚約者でしょ? 少しは愛情とか」
「わたくし、彼との婚約を決めた理由が、昔からの知り合いの美形は見飽きてそういう対象にならなかったから、あまり交流のなかった方を選んだというだけだもの」
「こいつ最低だ!」
「まさか向こうも了承するとは思いませんでしたわ」
「言ったの!? それ言ったの!?」
「勿論。誠実さは美徳でしてよ」
「破棄されて当然だよ!」
口を開くたびに彼女への評価が二転三転する。須美香の知っている悪役令嬢エリザベスは、もっとこう、美人だが高慢でヒステリックで小物だったはずだ。間違ってもこんなアホみたいな高スペックでアホみたいな思考回路をしているヤバいくらいの美人ではない。
やっぱりあの乙女ゲームの世界と同じではないのだろう。似ている程度に留めておかないと、きっとこれから痛い目を見る。須美香は改めてそれを確認し、気を取り直すようによしと気合を入れた。エリザベスが急に体を動かすなと文句を述べた。
そうこうしているうちに礼拝堂らしき場所に出る。窓から差し込む月明かりで一種幻想的な空気を醸し出しているそこは、罪人の魂を浄化するというお題目に則るかのように、戦女神らしき石像が周囲に配置されていた。何を思ったのか、その手に携えられているのは石像の一部ではなくきちんとした武器である。
「儀礼剣をああして石像に持たせることで、この教会の存在に説得力を持たせている。そう考えればいいのでしょうね」
「ほえー……」
視線が石像へ勝手に動いたことで須美香の思考を読んだエリザベスがそう述べる。成程と頷き暫しその剣を見ていた彼女は、ああそうだったと視線を扉に戻した。
「ゾンビどうすんの?」
「わたくしに直接関係するわけではないけれど。ここで放置しては余計な問題が起きるでしょうから」
きちんと始末をする。そう言ってエリザベスは笑みを浮かべた。絶対こいつ公爵令嬢じゃねーや。そんな確信を須美香に抱かせる程度には獰猛な笑みであった。
「つっても、どうやって? 一体一体頭潰してたらきりがないけど」
「わたくしと一緒に置かれていた棺は全部で十五。それら全てがゾンビとなったのならば、最初と、先程始末したのを引いて残り十二程度。出来ないことはありませんわね」
「うっわ脳筋……」
「馬鹿にしてますの?」
目を細めたエリザベスは、段々と見えてくるゾンビの集団を見て、そして周囲を見た。先程の須美香の考えは当然こちらも分かっている。だからこそ、わざわざここを選んだのだ。いちいち頭を潰さなくとも、始末できる手段を得るために。
「来るよ!」
「見れば分かりますわ」
ゾンビがこちらに飛び掛かってくる。どうやら段々と馴染んできたのか、先程よりも動きが鋭い。だから何だ、とエリザベスはそのゾンビを蹴り飛ばすと、礼拝堂の椅子に転がったそれを纏めて蹴り上げた。ゾンビと、そして重厚な椅子がくるくると宙を舞う。
その物体が行き着く先は、一体の石像。ゾンビがそれに当たり、続いて椅子が同じ場所にぶつかる。衝撃でゾンビの肉体は潰れたトマトのように汁を撒き散らした。そして、石像も激突した箇所が砕け散る。
石像の右腕が粉々になり、その手に持っていた儀礼剣が舞い上がった。ひゅんひゅんと音を立てて落ちてくるそれを、エリザベスは事もなさげに掴み取る。くるくると手で弄び、そして自然体で真っ直ぐに構えた。
「ふっ……!」
横に薙ぐ。月明かりに照らされたその剣閃は、ゾンビの顔面を横に両断した。返す一撃で首を落とし、輪切りになった頭部がぼとりと落ちる。ついでとばかりに胴に剣を突き刺すと、そのまま前に吹き飛ばした。ただの死体に戻ったそれが別のゾンビにぶち当たり、それを皮切りにエリザベスは間合いを詰める。下から上に、真っ二つにしたゾンビをそれぞれ左右に蹴り飛ばすと、当たったゾンビごと袈裟斬りにする。
次、と跳躍したエリザベスは、蹴りで地面に引き倒したゾンビの顔面に剣をねじ込んだ。ポッカリと穴が空いたそれを見ることなく、彼女は残っている動く死体を動かない死体に変えるために剣を振るう。転がっている死体を地面と平行に蹴り飛ばして別の死体に激突させることで足をへし折った。碌に動けない死体を新たに作り上げ、それを踏み潰すと跳躍する。月明かりに照らされシルエットになったエリザベスは、場所も相まってその幻想性を増していた。
結局死体は傷を付けることはおろか、彼女に自ら触れることすら出来なかった。
「さて、と」
ひゅん、と血のついた儀礼剣を一振りすると、椅子に掛かっていた布で残りの血糊を落とす。鞘がないと持ち運びに不便だ、と至極どうでもいいことを考えながら、彼女はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「この死体、どうしようかしらね」
「いやいやいやいや!」
「何? いい加減あなたのそれが鬱陶しいのだけれど」
「それはごめんなさい! でも言わせて、なんじゃそりゃぁ!」
「うるさい」
ぴしゃりと言い放つ。何度言えば分かるのだと呆れたように零すエリザベスには何の含みもない。別にそれが出来ることに疑問を抱いていない。須美香もそれは先程の話で分かっている。理解はしたが、納得できていないだけだ。
「乙女ゲーの世界のはずが死にゲーアクションRPG的な導入……かと思ったら悪魔が泣き出すマストダイ的アクションやっちゃうし」
ああもう、と頭を抱える。エリザベスとしては自分の意志とは関係なくそれをやられるのが鬱陶しいので、無理矢理主導権を奪い取って姿勢を正した。
「わたくしの邪魔をするのならばいい加減消えてくれないかしら」
「辛辣ぅ!? ああ、いやまあ、言われてることはごもっともですが」
「ですが、何?」
「生憎自分でも消え方が分かんないのよねぇ……」
「……でしょうね」
はぁ、とお互いの溜息が重なり、一つになる。まあいい、と気を取り直したエリザベスは、次からはきちんと邪魔をしないことを須美香に約束させた。断る理由がないので、彼女は素直にその言葉に頷く。
「何だかんだ優しいよね」
「このくらい淑女ならば当たり前よ」
「そっか。んじゃ、あたしも頑張らないとなぁ……」
先程エリザベスが転がっている死体をどうしようかと呟いていたのを思い出しながら、須美香はポツリと呟く。流石にこれらを処理するのは淑女たる彼女であっても難しいのだろう。ならば、淑女とは縁遠い、前世一般人現世アンデッドたる自分の出番だ。
「……? 何か策でもあるのかしら?」
「策というか、アンデッドの能力というか……?」
先程体と首を繋げた時を思い出す。この体はアンデッド、そしてこちらではどう呼ぶかは知らないが、須美香の知識での呼称はデュラハンだ。自分のことを自覚し、先程の本能ともいえる部分をより深く理解する。
そうすれば、自ずとこの体で何が出来るか分かってくるのだ。無意識に首無しで五感を得たように、首を繋げたように。自分が人ではないと、自覚したように。
チリ、とエリザベスの左目が痺れた。宝石のような碧い瞳が、まるで染まるように鮮やかな黒へと変化していく。
「よし、いける」
す、と須美香が左手を掲げた。それと同時、礼拝堂の床に沼のような黒い影が湧き出てくる。それはゆらゆらと揺らめくように波紋を浮かべると、まるで沼に沈めていくかのようにズブズブと死体だけを選んで飲み込んでいった。
そうして、僅かな時間でその全てを飲み込み終わると同時、黒い何かは掻き消える。一仕事やり終えたように息を吐いた彼女は、どこか満足そうに小さくゲップをした。
「はしたない」
「あ、ごめんなさい」
「……それで? 一体何をしたの?」
死体があった痕跡が何も残っていない礼拝堂の床を見ながらエリザベスが問う。それに対し、須美香はあははと苦笑しながら、自分でもよく分かってないんだけどと言葉を紡いだ。
「なんていうんだろう……。倒した相手を食らって経験値に変えるというか、消費アイテムにストックしておくというか」
「取り込んだ、ということかしら」
「概ねそんな感じ。エリザベスの体に、というよりはあたしの魂に、かな。だから多分、今手に入れたリソースとか能力とかは、あたし専用っぽい」
その言葉にエリザベスは暫し考え込む仕草を取る。そうした後、考えたわねと口角を上げた。
自分の有用さを目の前で示し、そしてそれをこちらでは使えないことを明言する。そうすることで、多少の粗相を見逃す対価になるわけだ。交渉としてはまあ及第点をあげてもいいだろう。
そんなことを口にしたが、当の須美香はいまいちピンと来た様子がない。
「いや、そこまで考えてるわけじゃなかったから」
「あら、そう?」
「そうそう。考えてたことは、そうだな、ちょっとはエリザベスの役に立ちたいなーってくらい」
「……はぁ」
思わず溜息が出る。どうやら自分の体に宿った魂は随分と能天気らしい。深く考えるだけ無駄だと結論付け、それならばそれでいいと話を打ち切る。どのみち現状離れられないのならば、このくらいのほうが丁度いい。そんなこともついでに思った。
「まあ、いいわ。問題も片付いたし、修道女の服でも探してここから出ましょうか」
「あ、うん」
「……ところで、あなたはどう呼べばいいかしら? いつまでも体扱いでは不便でしょう?」
「へ? あ、うん……えーっと」
突然の歩み寄り。それに虚を突かれた須美香は、思わず言い淀んだ。素直に名前を告げればいいのに、何故かそうじゃないと思ってしまった。これは名前入力画面的なやつ、とテンパってしまった。
だから、彼女は、それを口にした。つい、言ってしまった。自分のよく使うプレイヤーネームを告げてしまった。
「べ、ベス! ベスって呼んで!」
「……あなた確か、モモノベスミカだとか言っていなかったかしら? ああ、だからベスなのね」
「一瞬で看破された!?」
「まあいいでしょう。どのみちわたくしも名前を変えようと思っていたところだし……丁度いいですわね。あなたがベスならば、わたくしは」
エリーゼ、とでも名乗りましょうか。そう言って、彼女はどこか楽しそうに微笑んだ。